中朝事実 / 附錄・儒仏道と修身崇徳
或疑。儒與釋道。共異國之敎。而異中國之道乎。 愚謂。神聖之大道。唯一而不二。法天地之體。而本人物之情也。其敎異端者。皆因水土之差、風俗之殊。五方之民。各有其性以不同。唯中華得天地精秀之氣。一于外朝。故神授之。聖受之。建極垂統。天下之人物。各得其處。殆幾于千年。而後住吉大神賜三韓於我。初外國之典籍相通。以知一其揆。其曰神敎。其曰聖敎。其皇極之受授。天下之治政。猶合符節。自是通信脩好。摘其經典。便其文字。以爲今日之補拾也。如佛敎者。徹上徹下悉異敎也。凡西域者。外朝之西藩也。其水土區于西。天地寒暖燥濕甚殊。民生其間者。必有偏塞之俗。釋氏爲彼州之大聖。融通其水土人物。以設其敎。其道可於西域。而不可施諸中國矣。夫信耳好奇者。人情之蔽。何時否乎。釋敎一通。而人皆歸之。天下終習染。不知其異敎。牽合傅會。以神聖爲佛之垂迹。猶腐儒以太伯爲祖。吁是何謂哉乎。先天神嚴諱彼之戒。圓頂桑門不得進籬前。僧尼獻物。不得上內待所。是乃禁異敎之明戒也。禁異敎者。其敎殊俗。以不可施諸天下國家也。到後世。岐路分派。人人縱其情。王道迷津。神亦遠靈。聖亦不與。各信其私說臆意。不規諸朝廷之正敎。而微言日隱。異端競起。以薄忘其本也。道家不行于世之說。出明宋景濂之日東曲。〔日東曲曰。靑牛不渡大洋海。莫怪人無識道書。注云。國中無道士。〕凡仙道亦人之奇也。何國無之乎。中華之仙道。泛泛子舊紀口碑。宋濂何知哉。是非治敎之補。唯養氣貪生之事。不足論之。姑舍是。 或疑。中華之敎。修身崇德之審。未聞焉。 愚謂。神聖繼天建極。非不在修身崇德之道矣。知德之顯象著明也。立身揚名而垂迹於日月者。修身崇德之義也。言行之暴惡橫邪也。祖父於天靈。亦不能免者。反之也。夫二神以白銅鏡・天瓊矛。天祖以三器奉天孫。別以寶鏡嚴其勅。是乃萬世所以修身崇德之神敎也。蓋神聖以靈鏡表其敎。豈無其由乎。竊按。人物皆有此性心。而人爲萬物之長者。其知靈於萬物也。靈者何。明而不惑也。其知不明。則不異于禽獸。知而惑。則未致其實。故修道崇德。唯在致其知。其知不致。則所德所道。皆落在於私意。尊德己所德。道己所道。而不得公共底。所謂公共者。與天地同其德。與人物共其道。古今以因。尊卑以共。乃神聖所建極之道德也。然夫所致。唯在此知。故以寶鏡表神勅。是外國大聖。所以大學之道以致知格物也。
新字:或疑。儒与釈道。共異国之教。而異中国之道乎。 愚謂。神聖之大道。唯一而不二。法天地之体。而本人物之情也。其教異端者。皆因水土之差、風俗之殊。五方之民。各有其性以不同。唯中華得天地精秀之気。一于外朝。故神授之。聖受之。建極垂統。天下之人物。各得其処。殆幾于千年。而後住吉大神賜三韓於我。初外国之典籍相通。以知一其揆。其曰神教。其曰聖教。其皇極之受授。天下之治政。猶合符節。自是通信脩好。摘其経典。便其文字。以為今日之補拾也。如仏教者。徹上徹下悉異教也。凡西域者。外朝之西藩也。其水土区于西。天地寒暖燥湿甚殊。民生其間者。必有偏塞之俗。釈氏為彼州之大聖。融通其水土人物。以設其教。其道可於西域。而不可施諸中国矣。夫信耳好奇者。人情之蔽。何時否乎。釈教一通。而人皆帰之。天下終習染。不知其異教。牽合傅会。以神聖為仏之垂迹。猶腐儒以太伯為祖。吁是何謂哉乎。先天神厳諱彼之戒。円頂桑門不得進籬前。僧尼献物。不得上内待所。是乃禁異教之明戒也。禁異教者。其教殊俗。以不可施諸天下国家也。到後世。岐路分派。人人縦其情。王道迷津。神亦遠霊。聖亦不与。各信其私説臆意。不規諸朝廷之正教。而微言日隠。異端競起。以薄忘其本也。道家不行于世之説。出明宋景濂之日東曲。〔日東曲曰。青牛不渡大洋海。莫怪人無識道書。注云。国中無道士。〕凡仙道亦人之奇也。何国無之乎。中華之仙道。泛泛子旧紀口碑。宋濂何知哉。是非治教之補。唯養気貪生之事。不足論之。姑舎是。 或疑。中華之教。修身崇徳之審。未聞焉。 愚謂。神聖継天建極。非不在修身崇徳之道矣。知徳之顕象著明也。立身揚名而垂迹於日月者。修身崇徳之義也。言行之暴悪横邪也。祖父於天霊。亦不能免者。反之也。夫二神以白銅鏡・天瓊矛。天祖以三器奉天孫。別以宝鏡厳其勅。是乃万世所以修身崇徳之神教也。蓋神聖以霊鏡表其教。豈無其由乎。窃按。人物皆有此性心。而人為万物之長者。其知霊於万物也。霊者何。明而不惑也。其知不明。則不異于禽獣。知而惑。則未致其実。故修道崇徳。唯在致其知。其知不致。則所徳所道。皆落在於私意。尊徳己所徳。道己所道。而不得公共底。所謂公共者。与天地同其徳。与人物共其道。古今以因。尊卑以共。乃神聖所建極之道徳也。然夫所致。唯在此知。故以宝鏡表神勅。是外国大聖。所以大学之道以致知格物也。
書き下し
或ひと疑ふ、儒と釈・道とは、共に異国の教にして、中国の道と異なるかと。 愚謂へらく、神聖の大道は、唯だ一にして二ならず。天地の体に法り、人物の情に本づく。其の教の異端なる者は、皆水土の差、風俗の殊に因る。五方の民、各々其の性有りて以て同じからず。唯だ中華のみ天地の精秀の気を得て、外朝に一なり。故に神は之を授け、聖は之を受け、極を建て統を垂れ、天下の人物、各々其の処を得、殆ど千年に幾し。而して後に住吉大神、三韓を我に賜ふ。初めて外国の典籍相通じ、以て其の揆を一にするを知る。其の神教と曰ひ、其の聖教と曰ひ、其の皇極の受授、天下の治政、猶ほ符節を合はすがごとし。是より通信修好し、其の経典を摘み、其の文字を便とし、以て今日の補拾と為す。仏教の如きは、徹上徹下悉く異教なり。凡そ西域とは、外朝の西藩なり。其の水土西に区し、天地の寒暖燥湿甚だ殊なり。民の其の間に生まるる者は、必ず偏塞の俗有り。釈氏は彼の州の大聖として、其の水土人物を融通して、以て其の教を設く。其の道は西域に於いてすべくして、中国に施すべからず。夫れ耳を信じ奇を好むは、人情の蔽ひなり。何れの時か否ならむ。釈教一たび通じて、人皆之に帰す。天下終に習染し、其の異教なるを知らず。牽合傅会して、神聖を以て仏の垂迹と為すは、猶ほ腐儒の泰伯を以て祖と為すがごとし。吁、是れ何の謂ぞや。先づ天神、彼を諱むことを厳しく戒め、円頂の桑門は籬の前に進むを得ず、僧尼の献物は、内侍所に上るを得ず。是れ乃ち異教を禁ずる明戒なり。異教を禁ずとは、其の教は俗を殊にして、以て天下国家に施すべからざればなり。後世に到り、岐路に派を分かち、人人其の情を縦にし、王道津に迷ひ、神も亦霊を遠ざけ、聖も亦与せず。各々其の私説臆意を信じ、朝廷の正教に規らず、微言日に隠れ、異端競ひ起こり、以て薄く其の本を忘る。道家世に行はれずの説は、明の宋景濂の日東曲に出づ。〔日東曲に曰はく、青牛大洋海を渡らず、人の道書を識る無きを怪しむ莫かれ。注に云ふ、国中に道士無しと。〕凡そ仙道も亦人の奇なり。何れの国か之無からむ。中華の仙道は、泛泛子として旧紀の口碑にあり。宋濂何をか知らむ。是れ治教の補ひに非ず。唯だ養気貪生の事のみ、論ずるに足らず。姑く是を舎く。 或ひと疑ふ、中華の教は、修身崇徳の審らかなること、未だ聞かずと。 愚謂へらく、神聖は天を継ぎ極を建つ。修身崇徳の道に在らざるに非ず。知徳の顕象著明なり。身を立て名を揚げて迹を日月に垂るるは、修身崇徳の義なり。言行の暴悪横邪なるは、祖父の天霊すら、亦免れざるは、之を反るなり。夫れ二神は白銅鏡・天瓊矛を以てし、天祖は三器を以て天孫に奉り、別に宝鏡を以て其の勅を厳かにす。是れ乃ち万世の修身崇徳の神教なり。蓋し神聖、霊鏡を以て其の教を表す。豈に其の由無からむや。竊かに按ずるに、人物皆此の性心有りて、人の万物の長たるは、其の知の万物より霊なればなり。霊とは何ぞ。明らかにして惑はざるなり。其の知明らかならざれば、則ち禽獣に異ならず。知りて惑へば、則ち未だ其の実を致さず。故に道を修め徳を崇ぶは、唯だ其の知を致すに在り。其の知を致さざれば、則ち徳とする所、道とする所、皆私意に落ち在り。徳を己の徳とする所を尊び、道を己の道とする所を尊びて、公共底を得ず。所謂公共とは、天地と其の徳を同じくし、人物と其の道を共にし、古今以て因り、尊卑以て共にす。乃ち神聖の極を建つる所の道徳なり。然れば夫れ致す所は、唯だ此の知に在り。故に宝鏡を以て神勅を表す。是れ外国の大聖の、大学の道、以て致知格物する所以なり。
現代語訳
ある人は疑う。儒教と仏教、道教は、ともに異国の教えであり、中国(日本)の道とは異なるのではないかと。 私が思うに、神聖の大道はただ一つで二つではない。天地の本体に則り、人や物の情に基づく。その教えが異端となるのは、みな風土の違いと風俗の違いによる。五方の民にはそれぞれの性があり、同じではない。ただ中華(日本)だけが天地の精秀の気を得て、外朝(中国)とその道が一つである。だから神がこれを授け、聖がこれを受け、極を建て統を垂れ、天下の人や物がそれぞれの居場所を得て、およそ千年近くに及んだ。その後、住吉大神が三韓を我に賜った。はじめて外国の典籍が通じ、道理が一つであることを知った。神の教えといい、聖の教えといい、皇極の受け渡しや天下の治政は、割り符を合わせるようにぴたりと一致した。これより通信し修好して、その経典を摘み取り、その文字を便利に用い、今日の補いとしている。仏教のようなものは、上から下までまったくの異教である。西域とは外朝の西の藩である。その風土は西に区切られ、天地の寒暖や乾湿がきわめて違う。そこに生まれた民には、必ず偏った閉塞の風俗がある。釈氏はあの州の大聖として、その風土と人物に合わせて教えを設けた。その道は西域では行えるが、中国には施せない。耳で聞いたことを信じ、珍しいものを好むのは、人情の曇りである。いつの世にもそうだ。釈教が一度通じると、人はみなこれに帰した。天下はついに染まり、異教であることを知らない。こじつけて神聖を仏の垂迹とするのは、腐れ儒者が泰伯を祖とするのと同じである。ああ、これは何ということか。そもそも天神は、仏を忌むことを厳しく戒め、頭を丸めた僧は籬の前に進むことができず、僧尼の献上物は内侍所に上げることができない。これこそ異教を禁じた明らかな戒めである。異教を禁じるというのは、その教えが風俗を異にして、天下国家に施せないからである。後世に至って、岐路に分かれて派を成し、人々は情にまかせ、王道は渡し場に迷い、神もまた霊を遠ざけ、聖もまた与しなくなった。それぞれが私説と臆測を信じ、朝廷の正教に則らず、微妙な言葉は日に隠れ、異端が競い起こり、薄情にも本を忘れた。道家が世に行われなかったという説は、明の宋景濂の日東曲に出ている。(日東曲にいう。青牛は大洋海を渡らず、人が道書を知らないのを怪しむな、と。注にいう。国中に道士がいない、と。)仙道もまた人の奇である。どの国にもある。中華の仙道は、泛泛子として旧記の口碑にある。宋濂が何を知っていよう。仙道は治教の補いにならず、ただ気を養い生に貪着することにすぎない。論じるに足りない。しばらくこれは置く。 ある人は疑う。中華の教えは、修身崇徳が詳しいとは聞いたことがないと。 私が思うに、神聖は天を継ぎ極を建てた。修身崇徳の道がなかったわけではない。知と徳の顕れは明らかである。身を立て名を揚げて跡を日月に垂れることは、修身崇徳の義である。言行が乱暴で悪く横道であれば、祖先の天霊でさえ免れないのは、そのことを反省させるためである。二神は白銅の鏡と天の瓊矛をもち、天祖は三種の器を天孫に奉り、別に宝鏡をもってその勅を厳かにした。これこそ万世の修身崇徳の神教である。神聖が霊鏡でその教えを表したことには、理由がないはずがない。ひそかに考えるに、人や物にはみなこの性心があり、人が万物の長であるのは、その知が万物より霊妙だからである。霊とは何か。明らかで惑わないことである。その知が明らかでなければ、禽獣と異ならない。知っていても惑うなら、まだ実を尽くしていない。だから道を修め徳を崇ぶには、ただその知を尽くすことにある。知を尽くさなければ、徳とするもの、道とするものは、みな私意に落ちる。自分の徳とするものを尊び、自分の道とするものを尊んで、公共のものを得られない。公共とは、天地と徳を同じくし、人や物と道を共にし、古今を通じて受け継がれ、尊い者も卑しい者も共にするものをいう。これこそ神聖が極を建てた道徳である。だから尽くすべきはただこの知にある。それゆえ宝鏡によって神勅を表した。これは外国の大聖が、大学の道で致知格物を説いたのと同じ道理である。
解説

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『玉勝間』十四の巻 世の人まことの道に心つかざる事もろこしの国には、道教と云うもの、世々に盛んに行われて、大かた仏道とひとしきばかりなり。この道、老子を祖とはたつれども、老子が意とはいたく異にして、ただあやしき戯れわざのようなる事にて、そのむねを極むれば、ようなきいたずら事なり。皇国に、この道のわたりもうでこざるは幸いなり。然は有れども、天の下の人の心、仏道と儒道とに、ことごとく奪われ果てたるは、又なげかしき事なり。大かた天下の人、上中下、さかしき愚かなる、おしなべて、奥山の山賤までも、仏を信ぜざるは一人も無く、その中に、角なる字をもいささか読むほどの者は、又なかば儒意をまじえて、万ずの事を思い定むめり。されば、神のまことの道を思う人は、千万人の中に、ただ一人二人にて、その余は神社につかうる人の中に、稀れ稀れさすがに己が家の業と思い得て、神の道を尊ぶもあれど、さる人も、多くは仏意儒意なり。又神の道と云うも、皆儒仏によりて説きまげたる物なれば、まことの道は、大かた絶えはてたるも同じ事なり。
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『中朝事実』聖政章・勧農の詔と政教の総論繼體帝元年、詔して曰く、「朕聞く、士の當年にして耕さざる者有れば、則ち天下或いは其の飢ゑを受けん。女の當年にして績まざる者有れば、天下或いは其の寒さを受けん、と。故に帝王は躬ら耕して農業を勸め、后妃は親ら蠶して桑序を勉む。況んや厥の百寮、萬族に曁るまで、農績を廢棄して殷富に至る者あらんや。有司普く天下に告げ、朕が懷を識らしめよ」と。 謹んで按ずるに、凡そ天下の人物、未だ嘗て其の事業無からず。既に事業有れば、則ち其の成敗必ず勤怠に繫る。農は以て天下の饑を養ひ、桑は以て天下の寒を防ぐ。人一日も之無ければ則ち苦しむ。故に聖主賢后、親ら耕し親ら蠶し、備に稼穡の艱難を嘗め、天下の黎元を勸勉す。是れ人君の民に父母たるの義なり。帝、政敎に志を錯き、卽位元年に此の詔有りて、以て天下に告ぐ。其の事業に勤むべし。百寮有司、豈に怠るべけんや。〔以上、民政を致す。〕 以上、政敎の道を論ず。謹んで按ずるに、政は誠を以てするに在り、敎は審を致すに在り。凡そ政敎の道は、能く其の時を察して以て沿革損益し、能く其の水土を知りて以て風俗を考へ、能く其の人情に通じて以て過不及を節し、能く其の事物を詳にして以て制度を定め、能く其の大倫を明らかにして以て禮用を序し、而る後に數々省みて以て之を化す。聖神功用の極と謂ふべきなり。否らざれば乃ち或いは煩碎にして厚からず、或いは敎へずして化を期し、竟に政敎の實を得べからざるなり。或ひと疑ふ、外朝の聖人は政を以て正と爲すなり。今解する所、多く政を以て誠と爲すに在るは何ぞや、と。愚謂へらく、中國は祭祀・郊社・宗廟を以て政の要と爲す。故に祭事を以て政の字を訓ず。是れ祭祀と政事と一義なり。蓋し祭祀は誠を主とし、政事も亦人君の誠に在り。政、誠を以てせざれば、則ち唯だ條目を存して綱領無く、日に煩はしく月に勞して、敎化の功無し。是れ民免れて恥無き所以なり。惟れ誠の至れば、鬼神も亦在すが如し。況んや人民をや。治道、其れ諸を掌に示すが如からんか。然らば乃ち正と誠の二字は更に間隔無きなり。或ひと疑ふ、政敎法令は、德の末にして形の下か、と。愚謂へらく、否。物有れば必ず則有り。天下國家有れば、必ず政敎法令有り。政敎法令の外に、豈に此の德有らんや。明聖の主も亦之を用ゐ、愚昧の君も亦之を用ゐる。其の利鈍煩簡して治亂相因る、共に此の四者に在り。四者正明なれば、猶ほ權衡設けて輕重を欺くべからず、繩墨設けて曲直を欺くべからざるがごとし。否らざれば平直・眞僞・邪正、何ぞ能く辨ぜんや。或ひと疑ふ、政敎法令は猶ほ器用のごとし。人君德を修むれば、則ち器用自ら利なり。否らざれば器用有りと雖も可ならず、と。愚謂へらく、良工と雖も、器用無ければ則ち工を施すの用無し。良工の良工たるは、器用利にして備はるなり。鈍器を用ゐるが如きは、筋を勞し骨を苦しめ、竟に功を遂げず。凡そ政敎法令の備はるは、猶ほ舟に乘りて大川を濟るがごとし。水を能くすると能くせざると、共に濟りて逸安なり。專ら修德を以て其の功を期するは、猶ほ水を能くする者の己の力を恃みて泅ぎ濟るがごとし。甚だ勞して功少なく、危ふくして濟ること寡し。況んや德を修めず、政敎法令を以てせず、唯だ私知を以て妄作し治平の功を要むるは、猶ほ舟の乘るべき無く、技の泅ぐべき無くして、力を恃み私を構へて水に入るがごとし。溺れずして何をか待たんや。故に國を治め天下を平らかにするの要は、身を修むるを離れて以て政敎を正すべからず。二者相持して、而る後に功化の實を談ずべし。中華往古の聖主、政敎の功、舊紀に著す所乏しからず。後世之を襲ひ之を律し、以て祖述憲章す。乃ち無爲過化の治、千萬世其の澤を蒙るべきなり。
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『中朝事実』附錄・化生説と泰伯説への答え或ひと疑ふ、天地開闢の始め、万物化生すること、太だ怪しみ疑ふべき有りと。 愚謂へらく、万物の始め、未だ嘗て化生せずんばあらず。陽昇りて天と為り、陰降りて地と為る。天地既に化生すれば、夫れ天地の間、往来屈伸して息むこと無し。其の交蒸する処に、万物自ら生ず。一たび生じて後、種類連綿として、以て天下に充塞す。人唯だ連続する底を見て、以て気化無しと為す。其の近きに凭りて其の遠きを忘るるなり。土壌の蒸すれば、必ず菌栭を生じ、水草の腐れば、必ず化虫有り。何ぞ又蒸腐のみならむや。物各々其の蠢きを化し、精を構へ細を蘊みて、以て此の人を生ず。亦気化に非ずや。万物は種を襲ひ連なり来ると雖も、気に因りて以て化せざる無し。気化の説は、更に疑ふべき無し。大凡そ草を開くの運、万物の資りて始まる、少し端を玆に造る。今を以て古を挹むは、猶ほ桃李の春の如く、一陽の微を言ふがごとし。怪しむこと勿かれ。俗学は必ず私臆に因り、知らざる所を知る。故に異端蜂起し、微言漸く隠れ、竟に上古の事を以て空渺の言と為し、己が眼の見る所に寓し、旧染の泥む所に附く。豈に是れ造化の測られざるならむや。 或ひと疑ふ、中華は呉の泰伯の苗裔なり。故に神廟に三譲を掲げて以て額と為す。嘗て東山の僧円月〔字は中巌。号は中正子。妙喜庵を創建す。〕日本紀を修め、以て泰伯の後と為す。朝儀協はずして、遂に其の書を火く。大概、中華の朝儀は、多く外国の制例を襲ふ。否かと。 愚謂へらく、中華の始め、旧紀に著す所、疑ふべき無し。而して呉の泰伯を以て祖と為すは、呉越の一葦に航すべきに因り、俗書の虚声に吠ゆ。文字の禅、章句の儒、奇を好み空を彫る所の致すなり。夫れ中華の万邦に精秀なるは、悉く神聖の知徳に出づ。故に国を称して神国と曰ひ、祚を称して神位と曰ひ、器を称して神器と曰ひ、其の教を神勅と曰ひ、其の兵を神兵と曰ふ。是れ神物に体して遺さざるなり。後世、仍りて其の虚を伝へ、無稽の言を為す。皆記誦の信耳にして、其の本とする所を忘るるなり。竊かに按ずるに、人の寿夭は、必ず世の渾漓に繋がる。上古の人は寿多し。人の度量は、必ず地の水土を襲ふ。中華の人は霊武多し。凡そ人皇より崇神帝に逮ぶまで、□世の年歴七百年、聖主の寿算は、各々百歳に向かふ。外朝の王者は、此の間に三十有余世。若し泰伯の苗末ならば、何ぞ外朝の寿に異ならむ。況んや帝の聖武雄才、果たして拱手して長く視るの属ならむや。蓋し我が土に居りて我が土を忘れ、其の国を食みて其の邦を忘れ、其の天下に生まれて其の天下を忘るる者は、猶ほ父母に生まれて父母を忘るるがごとし。豈に是れ人の道ならむや。唯だ未だ之を知らざるのみに非ず。附会牽合して、我が国を以て他国と為す者は、乱臣なり、賊子なり。朝儀の多く外朝の制を襲ふも、亦必ず此に効ふに非ず。自然の勢なり。且つ外国通好の後、多く留学生有り、以て外国の事儀を精しくす。故に其の美を摘み、其の嘉を茄ふは、是れ君子の知なり。況んや彼此同気の相通ずるをや。三譲の榜の如きは、皆附益の弊にして、因証に非ざるなり。 或ひと疑ふ、綏靖帝、其の姨五十鈴依姫を以て元妃と為す。〔母の姉妹を姨と曰ふ〕礼に於いて最も畏るべきかと。 愚謂へらく、礼とは、天地の道に本づき、人物の情に従ひ、数世の勢を監て、以て其の制を節す。故に草昧の始めは、礼の全備を之に求むべからず。外朝の伏羲・女媧は、兄妹にして以て夫婦と為り、堯・舜は同姓にして以て婚姻を為す。並び按ずべし。且つ礼には必ず一代の制有り、水土の差有り。故に礼とは、其の至誠を以て品節するなり。外朝の例を以て準ずべからず。
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うひ山ぶみ・注[ホ]此道は、古事記書紀の二典に記されたる輩も又、神道とても、仏の道の外なることなし、一致也とぞいふべき、これら共に、おのおの其道に惑へるから、然思ふ也、まことの神道は、儒仏の教ヘなどとは、いたく趣の異なる物にして、さらに一致なることなし、すべて近世の神学家は、件のごとくなれば、かの漢学者流の中の、宋学といふに似て、いさゝかもわきめをふらず、たゞ一すぢに道の事をのみ心がくめれども、ひたすら漢流の理窟にのみからめられて、古の意をば、尋ねんものとも思はず、其心を用るところ、みな儒意なれば、深く入ルほど、いよいよ道の意には遠き也、さて又かの仏の道によりて説るともがらは、その行法も、大かた仏家の行法にならひて、造れる物にして、さらに皇国の古ヘの行ひにあらず、又かの近世の儒意の神道家の、これこそ神道の行ひよとて、物する事共、葬喪祭祀等の式、其外も、世俗とかはりて、別に一種の式を立て行ふも、これ又儒意をまじへて、作れること多くして、全く古ヘの式にはあらず、すべて何事も、古ヘの御世に、漢風をしたひ用ひられて、