中朝事実 / 跋文・神勅を祖述する志
此一編。仁德朝以下。舉其尤者。而餘姑舍是。蓋三韓來服之後。外朝之典籍相通。故嘉言善行。亦有蹈襲之嫌。況異敎之太熾。神聖之道。竟雜而不醇。今祖述往古之神勅。憲章人皇之聖敎。唯懸象中華之文物。與天地參。非萬邦可並比而已。
新字:此一編。仁徳朝以下。舉其尤者。而余姑舎是。蓋三韓来服之後。外朝之典籍相通。故嘉言善行。亦有蹈襲之嫌。況異教之太熾。神聖之道。竟雑而不醇。今祖述往古之神勅。憲章人皇之聖教。唯懸象中華之文物。与天地参。非万邦可並比而已。
書き下し
此の一編、仁徳朝以下、其の尤なる者を挙げて、余は姑く是を舎く。蓋し三韓来服の後、外朝の典籍相通じ、故に嘉言善行も、亦蹈襲の嫌有り。況んや異教の太だ熾んなるをや。神聖の道、竟に雑はりて醇ならず。今、往古の神勅を祖述し、人皇の聖教を憲章し、唯だ中華の文物を懸象して、天地と参はる。万邦の並び比すべきに非ざるのみ。
現代語訳
この一編は、仁徳朝以下については、特に優れたものだけを挙げ、残りはしばらく置いた。思うに、三韓が来服した後、外朝(中国)の典籍が通じ入ってきたため、美しい言葉や善い行いにも、外の書物を踏襲した疑いが生じた。まして異教(仏教)が極めて盛んになったために、神聖の道はついに雑わって純粋でなくなった。いま、昔の神勅を祖述し、人皇の聖なる教えを手本とし、ただ中華(日本)の文物を天に懸かる象のように示して、天地と並び立つことを明らかにする。これはあらゆる国々が並び比べることのできるものではない。
解説
本書全体の末尾に置かれた短い跋文です。素行は、仁徳朝以降の記事は特に優れたものだけを挙げたと述べ、その理由として、三韓が従った後に中国の書物が入り、日本の美しい言行にも中国からの踏襲の疑いが生じたこと、仏教の盛行で神聖の道が雑わったことを挙げます。ここには、日本固有の道を示したいという執筆の意図がよく出ています。万邦と比べられないとする断定は素行の主張で、当時の儒学の中国一辺倒への強い反発を背景に読む必要があります。自分の出自や強みを言葉にする姿勢の大切さが伝わります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
跋文祖述神勅憲章異教中華
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