中朝事実 / 自序・自国の美を知らず外を慕う反省
恒觀蒼海之無窮者。不知其大。常居原野之無畦者。不識其廣。是久而狙也。豈唯海野乎。愚生中華文明之土。未知其美。專嗜外朝之經典。嘐嘐慕其人物。何其放心乎。何其喪志乎。抑好奇乎。將尙異乎。夫中國之水土。卓爾於萬邦而人物精秀于八紘。故神明之洋洋聖治之縣縣煥乎文物。赫乎武德。以可比天壤也。今歲冬十有一月。編皇統之實事。令兒童誦焉。不忘其本云爾。龍集己酉山鹿高興謹誌
新字:恒観蒼海之無窮者。不知其大。常居原野之無畦者。不識其広。是久而狙也。豈唯海野乎。愚生中華文明之土。未知其美。専嗜外朝之経典。嘐嘐慕其人物。何其放心乎。何其喪志乎。抑好奇乎。将尚異乎。夫中国之水土。卓爾於万邦而人物精秀于八紘。故神明之洋洋聖治之県県煥乎文物。赫乎武徳。以可比天壤也。今歳冬十有一月。編皇統之実事。令児童誦焉。不忘其本云爾。竜集己酉山鹿高興謹誌
書き下し
恒に蒼海の窮まり無きを観る者は、その大なるを知らず。常に原野の畦無きに居る者は、その広きを識らず。これ久しくして狎るるなり。あに唯だ海野のみならんや。愚、中華文明の土に生まれて、未だその美を知らず、専ら外朝の経典を嗜み、嘐嘐としてその人物を慕う。何ぞ其れ心を放てるや。何ぞ其れ志を喪えるや。抑も奇を好むか、将た異を尚ぶか。夫れ中国の水土は、万邦に卓爾として、人物は八紘に精秀なり。故に神明の洋洋たる、聖治の縣縣たる、文物に煥乎として、武徳に赫乎たること、以て天壌に比すべきなり。今歳冬十有一月、皇統の実事を編み、児童をして誦せしむ。その本を忘れずと云爾。龍集己酉、山鹿高興謹んで誌す。
現代語訳
いつも果てしない青海原を眺めている者は、その大きさに気づかない。いつも畦のない野原に暮らしている者は、その広さを意識しない。これは長く慣れてしまうからである。どうして海や野原だけのことであろうか。私は中華文明の国(日本)に生まれながら、その美しさを知らず、もっぱら外朝(中国)の経典を好み、声高にその人物を慕ってきた。なんと心をよそへ放ち、なんと志を失っていたことか。珍しいものを好んだのか、それとも異なるものを尊んだのか。そもそもこの中国(日本)の風土は万国の中で抜きん出ており、人物は天下の隅々まで優れている。だから神々の盛んなこと、聖人の治めの連綿と続くことは、文物において輝き、武徳において赫々として、天地にも比べられるほどである。今年の冬十一月、皇統の確かな事跡を編み、子どもたちに暗誦させる。その根本を忘れないためである。己酉の年、山鹿高興が謹んで記す。
解説

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