配所残筆 / 配所殘筆21
乍序我等存寄之學問之節少々記置候、我等事以前より異朝之書物を好、日夜勤候て、近年新渡之書物は不存、十ヶ年以前迄異朝より渡り候書物大方不殘令一覽候、依之不覺異朝之事を諸事宜存、本朝は小國故異朝には何事も不及、聖人も異朝にこそ出來候へと存候、此段は我等計に不限、古今之學者皆左樣に心得候て、異朝をしたひ學び候、近頃初而此存知入甚誤成りと知候、信耳不信目、棄近而取遠候事不及是非、誠に學者之通病に候、詳に中朝事實に記し候へば大概を爰に記置候、本朝者天照太神之御苗裔として、神代より今日迄其正統一代も違候事無之、藤原氏輔佐之臣迄世々不斷して、攝錄之臣相續候事、亂臣賊子之不義不道成事無之候故なり、是仁義之正德甚厚成故にあらずや、次に神代より人皇十七代迄は悉聖德之人君相續あり、賢聖の臣輔佐奉りて、天地之道を立、朝廷之政事國郡之制を定め、四民之作法日用衣食家宅冠婚喪祭之禮に至まで各其中庸を得て、民やすく國平に、萬代之規模立て、上下之道明成は、是聰明聖知之天德に達せるにあらずや、况武勇之道を以いはば、三韓を平げて本朝へ貢物をあげ、高麗を攻て其主城を落し入、日本の府を異朝に設て武威を四海にかゞやかす事、上代より近代迄然り、本朝武勇異國までも恐れ候得共、終に外國より本朝を攻取候事はさて置、一ヶ所も彼地へうばはるゝ事なし、されば武具馬具劍戟之制、兵法軍法戰略之品々、彼國の及處にあらず、是武勇之四海にまされるにあらずや、然者智仁勇の三は聖人之三德也、此三德一つもかけては聖人の道にあらず、今此三德を以本朝と異朝とを一々其印を立て校量せしむるに、本朝はるかに勝れり、誠にまさしく中國といふべき所分明なり、是更に私に云にあらず、天下之公論なり、上古に聖德太子ひとり異朝を貴びず、本朝之爲本朝事をしれり、然れども舊記は入鹿が亂に燒失せるにや、惜哉其全書世に顯れず、
新字:乍序我等存寄之学問之節少々記置候、我等事以前より異朝之書物を好、日夜勤候て、近年新渡之書物は不存、十ヶ年以前迄異朝より渡り候書物大方不残令一覧候、依之不覚異朝之事を諸事宜存、本朝は小国故異朝には何事も不及、聖人も異朝にこそ出来候へと存候、此段は我等計に不限、古今之学者皆左様に心得候て、異朝をしたひ学び候、近頃初而此存知入甚誤成りと知候、信耳不信目、棄近而取遠候事不及是非、誠に学者之通病に候、詳に中朝事実に記し候へば大概を爰に記置候、本朝者天照太神之御苗裔として、神代より今日迄其正統一代も違候事無之、藤原氏輔佐之臣迄世々不断して、摂録之臣相続候事、乱臣賊子之不義不道成事無之候故なり、是仁義之正徳甚厚成故にあらずや、次に神代より人皇十七代迄は悉聖徳之人君相続あり、賢聖の臣輔佐奉りて、天地之道を立、朝廷之政事国郡之制を定め、四民之作法日用衣食家宅冠婚喪祭之礼に至まで各其中庸を得て、民やすく国平に、万代之規模立て、上下之道明成は、是聰明聖知之天徳に達せるにあらずや、況武勇之道を以いはば、三韓を平げて本朝へ貢物をあげ、高麗を攻て其主城を落し入、日本の府を異朝に設て武威を四海にかゞやかす事、上代より近代迄然り、本朝武勇異国までも恐れ候得共、終に外国より本朝を攻取候事はさて置、一ヶ所も彼地へうばはるゝ事なし、されば武具馬具剣戟之制、兵法軍法戦略之品々、彼国の及処にあらず、是武勇之四海にまされるにあらずや、然者智仁勇の三は聖人之三徳也、此三徳一つもかけては聖人の道にあらず、今此三徳を以本朝と異朝とを一々其印を立て校量せしむるに、本朝はるかに勝れり、誠にまさしく中国といふべき所分明なり、是更に私に云にあらず、天下之公論なり、上古に聖徳太子ひとり異朝を貴びず、本朝之為本朝事をしれり、然れども旧記は入鹿が乱に焼失せるにや、惜哉其全書世に顕れず、
書き下し
乍序我等存寄之學問之節少々記置候、我等事以前より異朝之書物を好、日夜勤候て、近年新渡之書物は不存、十ヶ年以前迄異朝より渡り候書物大方不殘令一覽候、依之不覺異朝之事を諸事宜存、本朝は小國故異朝には何事も不及、聖人も異朝にこそ出來候へと存候、此段は我等計に不限、古今之學者皆左樣に心得候て、異朝をしたひ學び候、近頃初而此存知入甚誤成りと知候、信耳不信目、棄近而取遠候事不及是非、誠に學者之通病に候、詳に中朝事實に記し候へば大概を爰に記置候、本朝者天照太神之御苗裔として、神代より今日迄其正統一代も違候事無之、藤原氏輔佐之臣迄世々不斷して、攝錄之臣相續候事、亂臣賊子之不義不道成事無之候故なり、是仁義之正德甚厚成故にあらずや、次に神代より人皇十七代迄は悉聖德之人君相續あり、賢聖の臣輔佐奉りて、天地之道を立、朝廷之政事國郡之制を定め、四民之作法日用衣食家宅冠婚喪祭之禮に至まで各其中庸を得て、民やすく國平に、萬代之規模立て、上下之道明成は、是聰明聖知之天德に達せるにあらずや、况武勇之道を以いはば、三韓を平げて本朝へ貢物をあげ、高麗を攻て其主城を落し入、日本の府を異朝に設て武威を四海にかゞやかす事、上代より近代迄然り、本朝武勇異國までも恐れ候得共、終に外國より本朝を攻取候事はさて置、一ヶ所も彼地へうばはるゝ事なし、されば武具馬具劍戟之制、兵法軍法戰略之品々、彼國の及處にあらず、是武勇之四海にまされるにあらずや、然者智仁勇の三は聖人之三德也、此三德一つもかけては聖人の道にあらず、今此三德を以本朝と異朝とを一々其印を立て校量せしむるに、本朝はるかに勝れり、誠にまさしく中國といふべき所分明なり、是更に私に云にあらず、天下之公論なり、上古に聖德太子ひとり異朝を貴びず、本朝之爲本朝事をしれり、然れども舊記は入鹿が亂に燒失せるにや、惜哉其全書世に顯れず、
現代語訳
ついでに、私が考えている学問の次第を少し記しておきます。私は以前から異朝の書物を好み、日夜励んで、近年の新渡の書物は知りませんが、十年前までに異朝から渡った書物は、大方残らず一覧しました。そのため、知らず知らず異朝のことを何かとよく思い、本朝は小国なので異朝には何事も及ばず、聖人も異朝にこそ出るのだと思っていました。これは私だけでなく、古今の学者はみなそう心得て、異朝を慕い学んでいます。近頃になって初めて、この考えがまったくの誤りだと知りました。耳を信じて目を信じず、近いものを棄てて遠いものを取ることは、言うまでもなく、まことに学者の通病です。詳しくは『中朝事実』に記してありますので、そのあらましをここに記しておきます。本朝は、天照大神の御苗裔として、神代から今日まで、その正統が一代も違うことがなく、藤原氏の輔佐の臣に至るまで、世々絶えず摂録の臣が相続し、乱臣賊子の不義不道がないのは、これは仁義の正徳が甚だ厚いからではないでしょうか。次に、神代から人皇十七代までは、ことごとく聖徳の人君が相続し、賢聖の臣が輔佐し奉って、天地の道を立て、朝廷の政事や国郡の制を定め、四民の作法、日用の衣食・家宅・冠婚喪祭の礼に至るまで、各々その中庸を得て、民は安く国は平らかに、万代の規模が立ち、上下の道が明らかであったのは、聡明聖知の天徳に達していたからではないでしょうか。まして武勇の道で言えば、三韓を平らげて本朝に貢物を上げさせ、高麗を攻めてその主城を落とし、日本の府を異朝に設けて武威を四海に輝かせたことは、上代から近代まで同じです。本朝の武勇は異国までも恐れ、外国から本朝を攻め取ることはさておき、一か所もかの地に奪われたことがありません。ですから、武具・馬具・剣戟の制、兵法軍法・戦略の品々は、かの国の及ぶところではありません。これは武勇が四海に勝る証ではないでしょうか。そこで、智・仁・勇の三つは聖人の三徳です。この三徳は一つ欠けても聖人の道ではありません。いまこの三徳をもって、本朝と異朝を一つ一つ印を立てて比べさせれば、本朝がはるかに勝っています。まことに中国と言うべき所であることは明らかです。これはさらに私が言うことではなく、天下の公論です。上古には聖徳太子ひとりが、異朝を貴ばず、本朝が本朝であることを知っておられました。しかし旧記は入鹿の乱で焼失したのでしょうか、惜しいことに、その全書は世に現れておりません。
解説
この章句が説くこと
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『配所残筆』配所殘筆(23)或は慈悲を本に仕候得ば過去遠々の功德に成候と迄申候て、實は世間と學問とは別の事に成候、他人は存せず、我等は如斯存候故、是にては學問共至極と不被存候故、儒者佛者に右之所尋之、亦大德有之人と申候に右之品尋候而者、人の作略を見聞申候にも、世間とは不合、皆事物別に成候、神道は本朝之道に候へ共、舊記不分明事候、端斗知候て不全候、是に定て天下國家之要法も可有之候へ共、入鹿亂後舊記斷絶と相見え申候、依之我等事學に不審出來、廣く書を見、古の學者衆申置候儀共考候へ共、我等不審候條々埒明不申候間、定て我等料簡相違可有之存候て、數年此不審不分明候所、寛文之初我等存候は、漢唐宋明の學者之書を見候故合點不參候哉、直に周公孔子之書を見候て、是を手本に仕候て、學問の筋を正し可申存、夫より不通に後世の書物をば不用、聖人の書迄を晝夜勘候て、初て聖學之道筋分明得心仕候て、聖學之理を定候、たとへば紙を直にたつに、如何程細工能候ても、定規無之手に任候て立候へば、不殘ろくには不成候、又其身はろくに立候ても、人々に左樣に立せ候事は不成候所に、定規を當て裁候得は、大方幼若之者迄先其筋目の如くには裁之候、其間に尤上手下手有之候へ共、其筋目は一通りに參り候、然ば聖人の道筋は書を能得心仕候得ば、右之定規を知候故、
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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