中朝事実 / 附錄・中国の名と聖徳太子論
或疑。本朝稱中國者。直以稱美之乎。又有其所以之名歟。 愚謂。二神以磤馭盧島爲國中之柱。是乃本朝爲天地之中也。天照大神。在於天上曰。聞。葦原中國。有保食神。又高皇產靈尊。欲立天津彥火瓊瓊杵尊以爲葦原中國之主。是天神皆以此地爲中國。自是歷代稱中國。蓋地在天之中。而中國又得其中。是乃中之又中也。土得天地之中。則人物必精秀。而事義又無過不及之差。本朝太祖天御中主尊。國常立尊。其尊號名義。既有常中之言。以建國中之柱。故所以其爲中國。乃天然之勢也。竊按。外朝之聖禮。論諸此。則殆幾過厚。所謂衣之有裘毳。食之有牛羊。居之有楊牀。釁廟以牲。誓盟殺牛。喪有含歛。婚媵娣姪之類是也。西蕃之釋敎。論諸此。則太甚漓薄而不及也。其髡髮食菜。運水搬柴。以爲道。祭用蔬麵。喪有火葬。及其大。終薄無君蔑父亂倫之類是也。唯本朝神聖相續。大賢英才日興。把其宜。制其禮。是乃天地人物事義之中。至誠無息之道也。故皇統與天壤無窮。禮儀因循。天下由之。惜哉。舊紀之詳。厄入鹿之火。然世世不乏于人。若因其遺風餘烈。以斟酌禮樂之實。亦不難乎矣。是中國之稱。唯本朝所以不虛名也。 或疑。八耳王子號聖德。殆無其實歟。不能討馬子之弑逆。信西敎。而熾浮屠之法。其本大違聖德乎。 愚謂。馬子弑逆之罪。太子之聰明。未曾不知其機。良史書太子八耳弑天王而不隱。太子又爲法可受其惡。太子因蘇我之勸引浹洽。以信異敎。尤不可之大也。竊按。太子攝政於推古帝。而所其行。所其施。治道之休善。皆神聖之道。而非西域之敎。其述作憲章也。以禮爲人民之本。其通好外國也。以天皇抗稱而不屈。其聰明度量。可謂睿知寬仁。故天下大化。其薨也。少壯若喪考妣。哭泣之聲。盈于道路。耕春釋耒杵。然乃其功化。以聖德不亦宜乎哉。蓋此時釋氏之敎雖專熾。未至弄心性。彫空虛之太甚。唯專信篤敬。以祈福尙奇而已。故太子所建之憲章。以禮制道。可幷按也。俗儒皆疑。憲章有三寶之說。然乃不足信之。 愚謂。憲法之內。一條有三寶之敬篤。以一非掩十六條之是者。非君子之志。其建寺度僧者。皆西敎之染習也。如憲章者。尤治世之要戒。豈可不信乎。後世尊信於太子之過誇。悉銷其實。以附會牽合其私記臆說。更不足言論。唯據日本紀。可證見之也。
新字:或疑。本朝称中国者。直以称美之乎。又有其所以之名歟。 愚謂。二神以磤馭盧島為国中之柱。是乃本朝為天地之中也。天照大神。在於天上曰。聞。葦原中国。有保食神。又高皇産霊尊。欲立天津彦火瓊瓊杵尊以為葦原中国之主。是天神皆以此地為中国。自是歴代称中国。蓋地在天之中。而中国又得其中。是乃中之又中也。土得天地之中。則人物必精秀。而事義又無過不及之差。本朝太祖天御中主尊。国常立尊。其尊号名義。既有常中之言。以建国中之柱。故所以其為中国。乃天然之勢也。窃按。外朝之聖礼。論諸此。則殆幾過厚。所謂衣之有裘毳。食之有牛羊。居之有楊牀。釁廟以牲。誓盟殺牛。喪有含歛。婚媵娣姪之類是也。西蕃之釈教。論諸此。則太甚漓薄而不及也。其髡髪食菜。運水搬柴。以為道。祭用蔬麺。喪有火葬。及其大。終薄無君蔑父乱倫之類是也。唯本朝神聖相続。大賢英才日興。把其宜。制其礼。是乃天地人物事義之中。至誠無息之道也。故皇統与天壤無窮。礼儀因循。天下由之。惜哉。旧紀之詳。厄入鹿之火。然世世不乏于人。若因其遺風余烈。以斟酌礼楽之実。亦不難乎矣。是中国之称。唯本朝所以不虚名也。 或疑。八耳王子号聖徳。殆無其実歟。不能討馬子之弑逆。信西教。而熾浮屠之法。其本大違聖徳乎。 愚謂。馬子弑逆之罪。太子之聰明。未曽不知其機。良史書太子八耳弑天王而不隠。太子又為法可受其悪。太子因蘇我之勧引浹洽。以信異教。尤不可之大也。窃按。太子摂政於推古帝。而所其行。所其施。治道之休善。皆神聖之道。而非西域之教。其述作憲章也。以礼為人民之本。其通好外国也。以天皇抗称而不屈。其聰明度量。可謂睿知寛仁。故天下大化。其薨也。少壮若喪考妣。哭泣之声。盈于道路。耕春釈耒杵。然乃其功化。以聖徳不亦宜乎哉。蓋此時釈氏之教雖専熾。未至弄心性。彫空虚之太甚。唯専信篤敬。以祈福尚奇而已。故太子所建之憲章。以礼制道。可幷按也。俗儒皆疑。憲章有三宝之説。然乃不足信之。 愚謂。憲法之内。一条有三宝之敬篤。以一非掩十六条之是者。非君子之志。其建寺度僧者。皆西教之染習也。如憲章者。尤治世之要戒。豈可不信乎。後世尊信於太子之過誇。悉銷其実。以附会牽合其私記臆説。更不足言論。唯拠日本紀。可証見之也。
書き下し
或ひと疑ふ、本朝を中国と称するは、直に称美するなるか。又其の所以の名有るかと。 愚謂へらく、二神、磤馭盧島を以て国中の柱と為す。是れ乃ち本朝の天地の中たるなり。天照大神、天上に在りて曰はく、「聞く、葦原中国に保食神有りと」。又高皇産霊尊、天津彦火瓊瓊杵尊を立てて、以て葦原中国の主と為さむと欲す。是れ天神皆此の地を以て中国と為す。是より歴代、中国と称す。蓋し地は天の中に在りて、中国又其の中を得たり。是れ乃ち中の又中なり。土の天地の中を得れば、則ち人物必ず精秀にして、事義も又過不及の差無し。本朝の太祖天御中主尊、国常立尊、其の尊号の名義に、既に常中の言有り。以て国中の柱を建つ。故に其の中国たる所以は、乃ち天然の勢なり。竊かに按ずるに、外朝の聖礼は、諸を此に論ずれば、殆ど過厚に幾し。所謂衣に裘毳有り、食に牛羊有り、居に楊牀有り、廟に釁るに牲を以てし、盟を誓ふに牛を殺し、喪に含斂有り、婚に媵娣姪の類是れなり。西蕃の釈教は、諸を此に論ずれば、太甚だ漓薄にして及ばざるなり。其の髡髪食菜、運水搬柴を以て道と為し、祭に蔬麺を用ゐ、喪に火葬有り、其の大に及びては、終に君を薄くし父を蔑し倫を乱すの類是れなり。唯だ本朝は神聖相続ぎ、大賢英才日に興り、其の宜しきを把り、其の礼を制す。是れ乃ち天地人物事義の中、至誠息む無きの道なり。故に皇統は天壌と窮まり無く、礼儀は因循して、天下之に由る。惜しいかな、旧紀の詳らかなるは、入鹿の火に厄す。然れども世世人に乏しからず。若し其の遺風余烈に因りて、以て礼楽の実を斟酌せば、亦難からざらむ。是れ中国の称は、唯だ本朝の名を虚しからざる所以なり。 或ひと疑ふ、八耳王子を聖徳と号するは、殆ど其の実無からむか。馬子を討つ能はずして弑逆を信じ、西教を信じて浮屠の法を熾んにす、其の本大いに聖徳に違ふかと。 愚謂へらく、馬子弑逆の罪、太子の聡明、未だ嘗て其の機を知らずんばあらず。良史は太子八耳、天王を弑するを書して隠さず。太子又法を為して其の悪を受くべし。太子、蘇我の勧引浹洽に因りて、以て異教を信ず。尤も不可なること大なり。竊かに按ずるに、太子は推古帝に摂政して、其の行ふ所、其の施す所、治道の休善、皆神聖の道にして、西域の教に非ず。其の憲章を述作するや、礼を以て人民の本と為す。其の外国に通好するや、天皇を以て抗称して屈せず。其の聡明度量は、睿知寛仁と謂ふべし。故に天下大いに化す。其の薨ずるや、少壮も考妣を喪ふがごとく、哭泣の声、道路に盈つ。耕す者は耒を釈き、春く者は杵を釈く。然れば乃ち其の功化は、聖徳を以てするも亦宜なるかな。蓋し此の時、釈氏の教は専ら熾んなりと雖も、未だ心性を弄び、空虚を彫ること太甚だしきに至らず。唯だ専ら信じ篤く敬ひ、以て福を祈り奇を尚ぶのみ。故に太子の建つる所の憲章は、礼を以て道を制す。並び按ずべし。俗儒皆疑ふ、憲章に三宝の説有りと。然れば乃ち之を信ずるに足らず。 愚謂へらく、憲法の内、一条に三宝の敬篤き有り。一の非を以て十六条の是を掩ふは、君子の志に非ず。其の寺を建て僧を度するは、皆西教の染習なり。憲章の如きは、尤も治世の要戒なり。豈に信ぜざるべけむや。後世、太子を尊信すること過誇にして、悉く其の実を銷し、其の私記臆説を附会牽合す。更に言論するに足らず。唯だ日本紀に拠りて、以て之を証見すべきなり。
現代語訳
ある人は疑う。本朝(日本)を中国と称するのは、ただ褒め称えてのことか。それとも、そう呼ぶ理由のある名か。 私が思うに、伊弉諾・伊弉冉の二神は磤馭盧島を国の中の柱とした。これこそ本朝が天地の中にあるということである。天照大神は天上で言った。「聞くところでは、葦原中国に保食神がいる。」また高皇産霊尊は、天津彦火瓊瓊杵尊を立てて、葦原中国の主にしようとした。このように天神はみなこの地を中国とした。これより歴代、中国と称してきた。地は天の中にあり、中国はさらにその中を得ている。これは中のまた中である。土地が天地の中を得れば、人や物は必ず精秀であり、事や義にも過不足の差がない。本朝の太祖の天御中主尊や国常立尊は、その尊号の名の意味に、すでに常と中の言葉がある。それによって国の中の柱を建てた。だからその中国である所以は、天然の勢いである。ひそかに考えるに、外朝(中国)の聖人の礼は、これと比べると、やや厚すぎるのに近い。いわゆる衣には毛皮や毛織物があり、食には牛や羊があり、居には楊の寝台があり、廟の落成には牲を用い、盟を誓うには牛を殺し、喪には含斂があり、婚には媵・娣・姪を伴う類である。西蕃(インド)の釈教は、これと比べると、きわめて薄情で及ばない。髪をそり菜食し、水を運び薪を担ぐことを道とし、祭には野菜や麺を用い、喪には火葬があり、その極まるところは、ついに君を軽んじ父を侮り倫を乱す類である。ただ本朝は神聖が相次ぎ、大賢や英才が日々興り、その宜しきを取って礼を制した。これこそ天地人物事義の中、至誠息むことのない道である。それゆえ皇統は天地と共に窮まりなく、礼儀は古来のままに受け継がれ、天下がそれに従っている。惜しいことに、旧記の詳しいものは、蘇我入鹿の火で失われた。しかし代々人材に乏しくない。もしその遺風と余烈に基づいて礼楽の実を斟酌するなら、それも難しくない。中国の称は、ただ本朝にだけ名が虚しくない理由がある。 ある人は疑う。八耳王子(厩戸皇子)を聖徳と号するのは、実がないのではないか。蘇我馬子を討てず、弑逆を信じ、西の教えを信じて仏法を盛んにした。その根本は聖徳に大きく違うのではないかと。 私が思うに、馬子の弑逆の罪を、太子の聡明がその兆しを知らなかったはずはない。良い史官は太子八耳が天王を弑逆したことを書いて隠さなかった。太子もまた法を定めてその悪を受けるべきだった。太子は蘇我氏の勧誘に染まり、異教を信じた。これはとりわけ大いに誤っている。ひそかに考えるに、太子は推古帝の摂政として、行い施したこと、治道の善いことは、みな神聖の道であって、西域の教えではない。憲章を著したときは、礼を人民の本とした。外国と通好したときは、天皇と対等に称して屈しなかった。その聡明と度量は、英明で寛仁といえる。だから天下は大いに感化された。薨じたときは、若者も父母を亡くしたようで、泣く声が道路に満ちた。耕す者は耒を置き、搗く者は杵を置いた。その功と化は、聖徳と呼ぶのもふさわしい。このとき釈氏の教えはもっぱら盛んだったが、まだ心性をもてあそび空虚を飾ることまではひどくなかった。ただひたすら信じて篤く敬い、福を祈り奇を尊ぶだけであった。だから太子が建てた憲章は、礼によって道を制した。並べて考えるべきである。俗儒はみな、憲章に三宝の説があると疑う。だがそれは信じるに足りない。 私が思うに、憲法の中で、一条に三宝を篤く敬うとある。一つの誤りで十六条の正しさを覆い隠すのは、君子の志ではない。寺を建て僧を度するのは、みな西教の染まりである。憲章のようなものは、治世の最も重要な戒めである。どうして信じないでよかろうか。後世は太子を過度に尊信し、その実をことごとく損ない、私記や臆説をこじつけ結びつけた。これはもう論じるに足りない。ただ日本紀に拠ってこれを検証すべきである。
解説

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『配所残筆』配所殘筆(21)乍序我等存寄之學問之節少々記置候、我等事以前より異朝之書物を好、日夜勤候て、近年新渡之書物は不存、十ヶ年以前迄異朝より渡り候書物大方不殘令一覽候、依之不覺異朝之事を諸事宜存、本朝は小國故異朝には何事も不及、聖人も異朝にこそ出來候へと存候、此段は我等計に不限、古今之學者皆左樣に心得候て、異朝をしたひ學び候、近頃初而此存知入甚誤成りと知候、信耳不信目、棄近而取遠候事不及是非、誠に學者之通病に候、詳に中朝事實に記し候へば大概を爰に記置候、本朝者天照太神之御苗裔として、神代より今日迄其正統一代も違候事無之、藤原氏輔佐之臣迄世々不斷して、攝錄之臣相續候事、亂臣賊子之不義不道成事無之候故なり、是仁義之正德甚厚成故にあらずや、次に神代より人皇十七代迄は悉聖德之人君相續あり、賢聖の臣輔佐奉りて、天地之道を立、朝廷之政事國郡之制を定め、四民之作法日用衣食家宅冠婚喪祭之禮に至まで各其中庸を得て、民やすく國平に、萬代之規模立て、上下之道明成は、是聰明聖知之天德に達せるにあらずや、况武勇之道を以いはば、三韓を平げて本朝へ貢物をあげ、高麗を攻て其主城を落し入、日本の府を異朝に設て武威を四海にかゞやかす事、上代より近代迄然り、本朝武勇異國までも恐れ候得共、終に外國より本朝を攻取候事はさて置、一ヶ所も彼地へうばはるゝ事なし、されば武具馬具劍戟之制、兵法軍法戰略之品々、彼國の及處にあらず、是武勇之四海にまされるにあらずや、然者智仁勇の三は聖人之三德也、此三德一つもかけては聖人の道にあらず、今此三德を以本朝と異朝とを一々其印を立て校量せしむるに、本朝はるかに勝れり、誠にまさしく中國といふべき所分明なり、是更に私に云にあらず、天下之公論なり、上古に聖德太子ひとり異朝を貴びず、本朝之爲本朝事をしれり、然れども舊記は入鹿が亂に燒失せるにや、惜哉其全書世に顯れず、
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『中朝事実』附錄・功過の評価と礼の則、識語或ひと疑ふ、太子、先に弑逆の過有り、奚ぞ後の善を以て其の大罪を掩はむ。今論ずる所、最も其の短を護るに似たりと。 愚謂へらく、天地の道は、寛大にして克く容る。故に高明厚博にして息む無く、神聖法る。故に悠久にして疆り無し。嘗て聞く、伯夷の悪を悪むや、悪人と言ふこと、朝衣朝冠を以て塗炭に坐するが如しと。然れども夫子は旧悪を念はざるを以て之を称す。春秋の書たる、乱臣賊子を懲らさむが為なり。而るに楚の穆王、其の君父を弑す。夫子は厳しく其の罪を書す。修好に及びて、其の臣の名を書し、使と称し、其の爵を書す。管仲は其の讎を相く。九合に及びて、仁を以て与す。若し問ふ所の説ならば、乃ち君を弑し讎を相くるの罪、豈に修好・九合の後に掩ふべけむや。而るに夫子の筆の言、此の如し。蓋し馬子の弑逆、太子は討たず。猶ほ晏嬰、遂に援けて弑君の謀を与り聞くがごとし。而して其の礼を建て章を創め、以て天下の人心を化するは、豈に修好・九合の属ならむや。護其の短なる者は、一家の私言にして、公議に非ざるなり。 或ひと疑ふ、中華の礼儀の制は、一定の事無く、代代変易す、何ぞやと。 愚謂へらく、礼には一定の則有りて、一定の事無し。是れ乃ち礼の実なり。時に治乱有り、地に豊凶有り、人に長幼交代有り、事に倹奢有り、物に始終・新旧・有余・不足有り。豈に一定の事を以てせむや。故に一定の則を以て其の宜しきを制し、天地人物の性情に通ず。是れ神聖の礼なり。豈に唯だ中華のみならむや。外国の聖聖も亦然り。故に或いは賢を尚び、或いは文を尚び、或いは文質並び行ふ。周は農を以て興り、天子后妃必ず親ら耕蚕して、農桑を導く。漢は始めて元旦の賀礼を行ひ、君臣相和するを以てするの属は、皆一代の制なり。周礼は万代の模範にして、夫子は顔子に告ぐるに、夏の時を行ふを以てす。然れば乃ち事とは、今日の時物の通情に在るのみ。代代の変易、怪しむべからず。 蓋し当時、中朝事実の上梓するや、先づ上下の二巻を以て、将に跋文及び附録に刻まむとす。故有りて止む。此の書は、乃ち其の板下の筆工の書なり。而して今、附録の二枚を亡ふ。故に写本に従ひて書して以て補ふ。且つ写本は、跋文を附録の尾に附す。今や、板本の丁数に隨ひ、諸を附録の前に寘く。時に安政乙卯仲冬、長島元長謹みて誌す。
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『中朝事実』禮儀章・国史・憲法・詔書と文字の起こり其の後、中朝、遣唐使を置き、外朝に通信す。然れども外朝の書簡は、多く諸侯王を以てす。世衰へ人訛り、此を以て足れりと爲す。其の失は何にか在る。唯だ記誦文字の俗儒に造端し、以て我が國の我が國たるを知らざるに至る。噫、家雞を輕んじ野雉を愛す、何ぞ德の衰へたるや。〔以上、善隣の禮を論ず。〕 應神帝二十八年秋九月、高麗王、使を遣はして朝貢す。因りて以て表を上る。其の表に曰く、高麗王、日本國に敎ふ、と。時に太子菟道稚郞子、其の表を讀みて之を怒り、高麗の使を責む。表狀無禮なるを以て、則ち其の表を破る。 謹んで按ずるに、是れ表狀の禮を正すなり。凡そ太子、外朝の典籍を讀むこと此に十五年。然れども乃ち外朝の文字の相通ずること未だ遠からずして、太子の聰明、通達せざる莫しと雖も、中州は同氣相應ずるに非ず、如何ぞ速やかに弘文の盛を得んや。高麗は我が屬國にして、表狀無禮なれば、太子、表を破り使を責む。其の嚴なること此くの如し。志氣德量、并せ按ずべきなり。 履中帝四年秋八月辛卯朔戊戌、始めて諸國に國史を置く。言事を記し、四方の志を達す。 謹んで按ずるに、是れ國史を置くの禮なり。 推古帝十二年夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親ら肇めて憲法十七條を作る。 謹んで按ずるに、是れ憲章の書を作るの初めなり。 十六年、唐帝に聘す。其の辭に曰く、東の天皇、敬みて西の皇帝に白す、と。 謹んで按ずるに、是れ詔書の禮なり。此の後、公式の禮大いに行はる。〔詳しくは善隣の禮を論ずる條の上に見ゆ。〕新羅王・渤海王に璽書を賜ふに、天皇敬みて某國の王に問ふを以てす。是れ乃ち天子の諸侯王に賜ふ書の禮なり。凡そ文辭命令は、國家の大禮なり。文字言辭の褒貶に因りて、以て尊卑親疎の禮を存し、後世國史の例と爲す。草創・討論・潤色の義、更に忽にすべからざるなり。 二十八年、皇太子・島大臣共に議し、天皇記及び國記、臣・連・伴造・國造・百八十部并せて公民等の本記を錄す。〔蘇我稻目宿禰の子馬子、家を飛鳥河の傍に置き、乃ち庭中に小池を開き、仍りて小島を池の中に興す。故に時人曰く、島大臣、と。〕 謹んで按ずるに、是れ皇記・國記・本記の始めと爲す。孝德帝四年、鞍作の事有り。〔蘇我臣入鹿、更の名は鞍作。〕父の蘇我臣蝦夷、誅に臨みて、悉く天皇記・國記を燒く。船史惠尺、卽ち疾く燒かるる所の國記を取りて、中大兄に奉る。〔天智帝なり。〕此の時、往古の典籍悉く燒失す。其の後、天武帝詔して群臣に帝紀及び上古の諸事を記定せしめ、境部連石積等に命じて、更に肇めて新字一部四十四卷を造らしむ。是れより連綿として典籍日に造られ、文書大いに世に行はる。然れども中國往古の實記は火に入り、舊紀明らかならず。唯だ灰殘の燼竹を摘みて、以て間ま此の往事を存す。亦た萬世の戒と爲すに足る。吁、惜しいかな。或ひと言語文字を疑ふ。愚謂へらく、人旣に口舌有れば、則ち音聲有り。故に情の發する所、自ら言語有り。言語有れば、則ち終に文字の象有り。其の直ちに出づるを聲と曰ひ、曲節有るを音と曰ふ。其の形象の以て通ずべきを字と曰ひ、其の條理の節有るを文と曰ふ。共に是れ天地人物自然の勢ひなり。豈に唯だ中國外朝のみならんや。四夷の侏離、禽獸の嘷吼も亦た然り。直だ其の正を得ざるのみ。往古の神
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『中朝事実』附錄・神聖と修飾、自然と当然或ひと疑ふ、神聖の天縦、一挙を尽くして万目を備ふ。後世の修飾を待ちて、而る後に潤色せむやと。 愚謂へらく、事物の生成には、必ず時有り勢有り。機微の予め備はるも、時勢未だ及ばざれば、則ち著明に乗り行ふべからず。能く時勢と屈伸する者は、神聖なり。凡そ卵仁既に備はれば、時夜・棟梁の機あり、而るに卵仁に向かひて之を求むるは、太だ早計なる者は、時勢の然らしむるなり。卵仁に未だ嘗て其の機無くんばあらず。蓋し神聖の知なり、徳なり。既に太極含蓄し、草昧未だ遠からず、時勢屯蒙、未だ微を発すべからず。皇統連綿の後、人情の恒、事物の感、掩ふべからず。而して品節修飾して、此の道至らざる無し。紅藍に染むれば紅、線は藍より紅なり。青藍に染むれば青、色は藍より青きは、其の染練の久しきに在り。故に穴居野処より棟宇閣楼に至り、汙尊杯飲より簠簋罍爵に訖るまで、〔祭器〕結縄鳥跡より科斗篆隷に届るまで、〔書体の名〕皆其の初めは太だ疎にして、経歴の漸く、飾文潤色して、竟に善を尽くし美を尽くすに及ぶ。然れば乃ち太上は素樸を以て称す。若し修飾を求むれば、則ち太だ早計なるのみ。 或ひと疑ふ、後世修飾の礼は、殆ど神聖自然の誠に非ざるかと。 愚謂へらく、天地人物は、皆自然当然互ひに根とす。蓋し陰陽積累して距ること多くして、而る後に此の天地有り、此の人物有り。是れ当然の則なり。陰自ら降り、陽自ら昇るは、天地万物自然の道なり。若し必ず自然ならば、虚無に本づき、悲絲に薄れむ。若し専ら当然ならば、脩飾を要とし、驪黄に投ぜむ。神聖の道は、自然当然有り、其の事物に因りて、其の道を致すのみ。故に草業潤色相因りて、而る後に天下の礼行はる。 或ひと疑ふ、中華に典籍の証すべき無し、而るに今学教を以てするは、庶幾くは附会ならむかと。 愚謂へらく、学とは、授受効習の名なり。既に人物有れば、則ち未だ嘗て授受効習の義無くんばあらず。謹按。太古、天神に、宜しく汝往きて循ふべしの教有り、二神之を受けて業を伝へ、乃ち唱和の効有り。天孫又神勅を受けて其の志を継ぎ、人皇は殿を同じくし床を共にして、以て神霊の教に効習し、惕若として小心し、以て如在の誠を存す。皆是れ授受効習の義なり。典籍とは、史氏の其の事を記すのみ。何ぞ必ずしも書を読み簡を執るのみならむや。況んや入鹿の乱に、書厄有るをや。夫れ外朝は文を優ぶ水土にして、学の字は伊訓に始めて出づ。然れば乃ち五帝の盛、大夏の謨、学無しと為すや。俗学は未だ学を知らず、故に文書に蠢くを以て学と為す。是れ章句の末なり。 或ひと疑ふ、外朝及び高麗、中華の人材に比して、其の優劣如何と。 愚謂へらく、地に東西の阻有り、世に前後の差有り。而して中華の神聖と、外国の聖人とは、其の揆を一にする者は、上知の移らざるに、天地の秀気を同じくすればなり。夫れ往古の神勅は、以て堯・舜・禹の授受に比すべし。清廟の茅屋、粢食の鑿らざるは、以て神廟の制に比すべし。〔春秋伝に云ふ、清廟は茅屋、大路は越席、大羹は致せず、粢食は鑿らず、其の倹を昭らかにすと。〕人統の授時は、以て夏の時を用ゐるに比すべし。故に之を舎きて論ぜず。其の中人に逮びては、外朝の人材は、更に抗すべからず。中華なり。凡そ春秋伝に載する所の乱臣賊子、及び名家胄族の悪を冒し婬に沈む、中華に未だ曽て有らざるの属乏しからず。況んや伝の前後をや。詩賦章句の如きは、皆外国を祖とす。而して中華の文士、此に鳴る者、枚挙すべからず。仲満・円載・金蘭は、盛唐の李・王・皮・陸に於いて、唯だ此に鳴るのみに非ず。彼に愧ぢず。粟田・阿倍は、中朝の微臣にして、或いは麟徳に陪宴し、或いは粛宗に寵を禀く。唯だ文章に愧ぢざるのみに非ず。並び按ずべし。書画百工の技、剣刀器械の芸も、亦多く外国に愧ぢず。高麗とは、本は我が属国なり。文と云ひ武と云ひ、又外朝に比すべからず。況んや中華に於いてをや。故に表を慢りて愧ぢを受け、鉄楯・的并びに羽表を献じて、共に恐懼す。中華の文武は、後世の橘正通、少くして硯席に事へ、対馬守親光は虎を射る。而して麗王各々美官厚禄を授くるの属は、其の人物、言はずして知るべきなり。