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中朝事実 / 附錄・中国の名と聖徳太子論

或疑。本朝稱中國者。直以稱美之乎。又有其所以之名歟。 愚謂。二神以磤馭盧島爲國中之柱。是乃本朝爲天地之中也。天照大神。在於天上曰。聞。葦原中國。有保食神。又高皇產靈尊。欲立天津彥火瓊瓊杵尊以爲葦原中國之主。是天神皆以此地爲中國。自是歷代稱中國。蓋地在天之中。而中國又得其中。是乃中之又中也。土得天地之中。則人物必精秀。而事義又無過不及之差。本朝太祖天御中主尊。國常立尊。其尊號名義。既有常中之言。以建國中之柱。故所以其爲中國。乃天然之勢也。竊按。外朝之聖禮。論諸此。則殆幾過厚。所謂衣之有裘毳。食之有牛羊。居之有楊牀。釁廟以牲。誓盟殺牛。喪有含歛。婚媵娣姪之類是也。西蕃之釋敎。論諸此。則太甚漓薄而不及也。其髡髮食菜。運水搬柴。以爲道。祭用蔬麵。喪有火葬。及其大。終薄無君蔑父亂倫之類是也。唯本朝神聖相續。大賢英才日興。把其宜。制其禮。是乃天地人物事義之中。至誠無息之道也。故皇統與天壤無窮。禮儀因循。天下由之。惜哉。舊紀之詳。厄入鹿之火。然世世不乏于人。若因其遺風餘烈。以斟酌禮樂之實。亦不難乎矣。是中國之稱。唯本朝所以不虛名也。 或疑。八耳王子號聖德。殆無其實歟。不能討馬子之弑逆。信西敎。而熾浮屠之法。其本大違聖德乎。 愚謂。馬子弑逆之罪。太子之聰明。未曾不知其機。良史書太子八耳弑天王而不隱。太子又爲法可受其惡。太子因蘇我之勸引浹洽。以信異敎。尤不可之大也。竊按。太子攝政於推古帝。而所其行。所其施。治道之休善。皆神聖之道。而非西域之敎。其述作憲章也。以禮爲人民之本。其通好外國也。以天皇抗稱而不屈。其聰明度量。可謂睿知寬仁。故天下大化。其薨也。少壯若喪考妣。哭泣之聲。盈于道路。耕春釋耒杵。然乃其功化。以聖德不亦宜乎哉。蓋此時釋氏之敎雖專熾。未至弄心性。彫空虛之太甚。唯專信篤敬。以祈福尙奇而已。故太子所建之憲章。以禮制道。可幷按也。俗儒皆疑。憲章有三寶之說。然乃不足信之。 愚謂。憲法之內。一條有三寶之敬篤。以一非掩十六條之是者。非君子之志。其建寺度僧者。皆西敎之染習也。如憲章者。尤治世之要戒。豈可不信乎。後世尊信於太子之過誇。悉銷其實。以附會牽合其私記臆說。更不足言論。唯據日本紀。可證見之也。

新字:或疑。本朝称中国者。直以称美之乎。又有其所以之名歟。 愚謂。二神以磤馭盧島為国中之柱。是乃本朝為天地之中也。天照大神。在於天上曰。聞。葦原中国。有保食神。又高皇産霊尊。欲立天津彦火瓊瓊杵尊以為葦原中国之主。是天神皆以此地為中国。自是歴代称中国。蓋地在天之中。而中国又得其中。是乃中之又中也。土得天地之中。則人物必精秀。而事義又無過不及之差。本朝太祖天御中主尊。国常立尊。其尊号名義。既有常中之言。以建国中之柱。故所以其為中国。乃天然之勢也。窃按。外朝之聖礼。論諸此。則殆幾過厚。所謂衣之有裘毳。食之有牛羊。居之有楊牀。釁廟以牲。誓盟殺牛。喪有含歛。婚媵娣姪之類是也。西蕃之釈教。論諸此。則太甚漓薄而不及也。其髡髪食菜。運水搬柴。以為道。祭用蔬麺。喪有火葬。及其大。終薄無君蔑父乱倫之類是也。唯本朝神聖相続。大賢英才日興。把其宜。制其礼。是乃天地人物事義之中。至誠無息之道也。故皇統与天壤無窮。礼儀因循。天下由之。惜哉。旧紀之詳。厄入鹿之火。然世世不乏于人。若因其遺風余烈。以斟酌礼楽之実。亦不難乎矣。是中国之称。唯本朝所以不虚名也。 或疑。八耳王子号聖徳。殆無其実歟。不能討馬子之弑逆。信西教。而熾浮屠之法。其本大違聖徳乎。 愚謂。馬子弑逆之罪。太子之聰明。未曽不知其機。良史書太子八耳弑天王而不隠。太子又為法可受其悪。太子因蘇我之勧引浹洽。以信異教。尤不可之大也。窃按。太子摂政於推古帝。而所其行。所其施。治道之休善。皆神聖之道。而非西域之教。其述作憲章也。以礼為人民之本。其通好外国也。以天皇抗称而不屈。其聰明度量。可謂睿知寛仁。故天下大化。其薨也。少壮若喪考妣。哭泣之声。盈于道路。耕春釈耒杵。然乃其功化。以聖徳不亦宜乎哉。蓋此時釈氏之教雖専熾。未至弄心性。彫空虚之太甚。唯専信篤敬。以祈福尚奇而已。故太子所建之憲章。以礼制道。可幷按也。俗儒皆疑。憲章有三宝之説。然乃不足信之。 愚謂。憲法之内。一条有三宝之敬篤。以一非掩十六条之是者。非君子之志。其建寺度僧者。皆西教之染習也。如憲章者。尤治世之要戒。豈可不信乎。後世尊信於太子之過誇。悉銷其実。以附会牽合其私記臆説。更不足言論。唯拠日本紀。可証見之也。

書き下し

或ひと疑ふ、本朝を中国と称するは、直に称美するなるか。又其の所以の名有るかと。 愚謂へらく、二神、磤馭盧島を以て国中の柱と為す。是れ乃ち本朝の天地の中たるなり。天照大神、天上に在りて曰はく、「聞く、葦原中国に保食神有りと」。又高皇産霊尊、天津彦火瓊瓊杵尊を立てて、以て葦原中国の主と為さむと欲す。是れ天神皆此の地を以て中国と為す。是より歴代、中国と称す。蓋し地は天の中に在りて、中国又其の中を得たり。是れ乃ち中の又中なり。土の天地の中を得れば、則ち人物必ず精秀にして、事義も又過不及の差無し。本朝の太祖天御中主尊、国常立尊、其の尊号の名義に、既に常中の言有り。以て国中の柱を建つ。故に其の中国たる所以は、乃ち天然の勢なり。竊かに按ずるに、外朝の聖礼は、諸を此に論ずれば、殆ど過厚に幾し。所謂衣に裘毳有り、食に牛羊有り、居に楊牀有り、廟に釁るに牲を以てし、盟を誓ふに牛を殺し、喪に含斂有り、婚に媵娣姪の類是れなり。西蕃の釈教は、諸を此に論ずれば、太甚だ漓薄にして及ばざるなり。其の髡髪食菜、運水搬柴を以て道と為し、祭に蔬麺を用ゐ、喪に火葬有り、其の大に及びては、終に君を薄くし父を蔑し倫を乱すの類是れなり。唯だ本朝は神聖相続ぎ、大賢英才日に興り、其の宜しきを把り、其の礼を制す。是れ乃ち天地人物事義の中、至誠息む無きの道なり。故に皇統は天壌と窮まり無く、礼儀は因循して、天下之に由る。惜しいかな、旧紀の詳らかなるは、入鹿の火に厄す。然れども世世人に乏しからず。若し其の遺風余烈に因りて、以て礼楽の実を斟酌せば、亦難からざらむ。是れ中国の称は、唯だ本朝の名を虚しからざる所以なり。 或ひと疑ふ、八耳王子を聖徳と号するは、殆ど其の実無からむか。馬子を討つ能はずして弑逆を信じ、西教を信じて浮屠の法を熾んにす、其の本大いに聖徳に違ふかと。 愚謂へらく、馬子弑逆の罪、太子の聡明、未だ嘗て其の機を知らずんばあらず。良史は太子八耳、天王を弑するを書して隠さず。太子又法を為して其の悪を受くべし。太子、蘇我の勧引浹洽に因りて、以て異教を信ず。尤も不可なること大なり。竊かに按ずるに、太子は推古帝に摂政して、其の行ふ所、其の施す所、治道の休善、皆神聖の道にして、西域の教に非ず。其の憲章を述作するや、礼を以て人民の本と為す。其の外国に通好するや、天皇を以て抗称して屈せず。其の聡明度量は、睿知寛仁と謂ふべし。故に天下大いに化す。其の薨ずるや、少壮も考妣を喪ふがごとく、哭泣の声、道路に盈つ。耕す者は耒を釈き、春く者は杵を釈く。然れば乃ち其の功化は、聖徳を以てするも亦宜なるかな。蓋し此の時、釈氏の教は専ら熾んなりと雖も、未だ心性を弄び、空虚を彫ること太甚だしきに至らず。唯だ専ら信じ篤く敬ひ、以て福を祈り奇を尚ぶのみ。故に太子の建つる所の憲章は、礼を以て道を制す。並び按ずべし。俗儒皆疑ふ、憲章に三宝の説有りと。然れば乃ち之を信ずるに足らず。 愚謂へらく、憲法の内、一条に三宝の敬篤き有り。一の非を以て十六条の是を掩ふは、君子の志に非ず。其の寺を建て僧を度するは、皆西教の染習なり。憲章の如きは、尤も治世の要戒なり。豈に信ぜざるべけむや。後世、太子を尊信すること過誇にして、悉く其の実を銷し、其の私記臆説を附会牽合す。更に言論するに足らず。唯だ日本紀に拠りて、以て之を証見すべきなり。

現代語訳

ある人は疑う。本朝(日本)を中国と称するのは、ただ褒め称えてのことか。それとも、そう呼ぶ理由のある名か。 私が思うに、伊弉諾・伊弉冉の二神は磤馭盧島を国の中の柱とした。これこそ本朝が天地の中にあるということである。天照大神は天上で言った。「聞くところでは、葦原中国に保食神がいる。」また高皇産霊尊は、天津彦火瓊瓊杵尊を立てて、葦原中国の主にしようとした。このように天神はみなこの地を中国とした。これより歴代、中国と称してきた。地は天の中にあり、中国はさらにその中を得ている。これは中のまた中である。土地が天地の中を得れば、人や物は必ず精秀であり、事や義にも過不足の差がない。本朝の太祖の天御中主尊や国常立尊は、その尊号の名の意味に、すでに常と中の言葉がある。それによって国の中の柱を建てた。だからその中国である所以は、天然の勢いである。ひそかに考えるに、外朝(中国)の聖人の礼は、これと比べると、やや厚すぎるのに近い。いわゆる衣には毛皮や毛織物があり、食には牛や羊があり、居には楊の寝台があり、廟の落成には牲を用い、盟を誓うには牛を殺し、喪には含斂があり、婚には媵・娣・姪を伴う類である。西蕃(インド)の釈教は、これと比べると、きわめて薄情で及ばない。髪をそり菜食し、水を運び薪を担ぐことを道とし、祭には野菜や麺を用い、喪には火葬があり、その極まるところは、ついに君を軽んじ父を侮り倫を乱す類である。ただ本朝は神聖が相次ぎ、大賢や英才が日々興り、その宜しきを取って礼を制した。これこそ天地人物事義の中、至誠息むことのない道である。それゆえ皇統は天地と共に窮まりなく、礼儀は古来のままに受け継がれ、天下がそれに従っている。惜しいことに、旧記の詳しいものは、蘇我入鹿の火で失われた。しかし代々人材に乏しくない。もしその遺風と余烈に基づいて礼楽の実を斟酌するなら、それも難しくない。中国の称は、ただ本朝にだけ名が虚しくない理由がある。 ある人は疑う。八耳王子(厩戸皇子)を聖徳と号するのは、実がないのではないか。蘇我馬子を討てず、弑逆を信じ、西の教えを信じて仏法を盛んにした。その根本は聖徳に大きく違うのではないかと。 私が思うに、馬子の弑逆の罪を、太子の聡明がその兆しを知らなかったはずはない。良い史官は太子八耳が天王を弑逆したことを書いて隠さなかった。太子もまた法を定めてその悪を受けるべきだった。太子は蘇我氏の勧誘に染まり、異教を信じた。これはとりわけ大いに誤っている。ひそかに考えるに、太子は推古帝の摂政として、行い施したこと、治道の善いことは、みな神聖の道であって、西域の教えではない。憲章を著したときは、礼を人民の本とした。外国と通好したときは、天皇と対等に称して屈しなかった。その聡明と度量は、英明で寛仁といえる。だから天下は大いに感化された。薨じたときは、若者も父母を亡くしたようで、泣く声が道路に満ちた。耕す者は耒を置き、搗く者は杵を置いた。その功と化は、聖徳と呼ぶのもふさわしい。このとき釈氏の教えはもっぱら盛んだったが、まだ心性をもてあそび空虚を飾ることまではひどくなかった。ただひたすら信じて篤く敬い、福を祈り奇を尊ぶだけであった。だから太子が建てた憲章は、礼によって道を制した。並べて考えるべきである。俗儒はみな、憲章に三宝の説があると疑う。だがそれは信じるに足りない。 私が思うに、憲法の中で、一条に三宝を篤く敬うとある。一つの誤りで十六条の正しさを覆い隠すのは、君子の志ではない。寺を建て僧を度するのは、みな西教の染まりである。憲章のようなものは、治世の最も重要な戒めである。どうして信じないでよかろうか。後世は太子を過度に尊信し、その実をことごとく損ない、私記や臆説をこじつけ結びつけた。これはもう論じるに足りない。ただ日本紀に拠ってこれを検証すべきである。

解説

日本を「中国」と呼ぶ理由と、聖徳太子の評価について素行が答える段です。前半で素行は、神話に天神が葦原中国と呼んだ例を引き、天地の中という位置から日本が中国だと論じます。これは素行の独自の主張です。後半は聖徳太子を、馬子との関係と仏教信仰を認めたうえで、憲法による治世を評価します。一つの欠点で全体を否定せず、功と過を分けて見る姿勢は、人物評価の参考になります。ただし、日本中心の語り方は、江戸前期の時代の文脈で読む必要があります。
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この章句が説くこと

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