中朝事実 / 祭祀章・神衣と宗廟・祭祀の始まり
天照太神。方織神衣。居齋服殿。 謹按。是祭祀天神之義也。雖無祭祀之說。既曰神衣。既曰齋服殿。則神自織之。以供神明也。大神之靈。親營其機巧。事於天神。其至誠可竊按也。朝廷終有神衣祭。以參河赤引神調系。織作神衣。以供伊勢太神宮。〔此神服部等〕是乃往古以至誠事神之遺則也。〔孟夏季秋有神衣祭。謂伊勢神宮祭也。齋戒潔清織成也。或疑。神書所謂神衣者。大神之親服乎。愚謂。自服豈曰神衣乎。令義解云。以供神明也。曰神衣。是神織供天神之服。故素戔鳴尊之惡最可惡也。以上祭天神。〕 高皇產靈尊因勅曰。吾則起樹天津神籬及天津磐境。當爲吾孫奉齋矣。汝天兒屋命太玉命。宜持天津神籬。降於葦原中國。亦爲吾孫奉齋焉。乃使二神陪從天忍穗耳尊以降之。是時天照太神手持寶鏡。授天忍穗耳尊。而祝之曰。吾兒視此寶鏡。當猶見吾。可與同床共殿。以爲齋鏡。復勅天兒屋命太玉命。惟爾二神亦同侍殿內。善爲防護。又勅曰。以吾高天原所御齋庭之穗。亦當御於吾兒。 謹按。是建宗廟而祭祀於祖考之禮也。神籬者乃宗廟也。寶鏡者乃宗廟之主也。故曰齋鏡矣。夫天祖之靈體物而不遺。然無宗廟之設神主之寄。汎乎不可一定。故宗廟以萃之。神主以寄之。而後神人之靈氣相集。至誠可通。齋戒可致。是天祖因勅起樹神籬以爲齋鏡也。夫天子以天地爲父母。故祭祀天神地祇以報其本。建立宗廟以貴其始者。人君之大禮也。況中國之生成。直在天神地祇也乎。〔令曰。凡天皇卽位。總祭天神地祇。散齋一月。致齋三日。義解云。天神。伊勢山城鴨住吉出雲國造齋神等類是也。地祇。大神大倭葛木鴨出雲大汝神等類是也。皆依常典祭之。〕蓋人未嘗無思其父祖。既有念其父祖。則未嘗無念所其由出。故遠乃思其本始。近乃慕其父祖。而祭祀之禮起。況本始之有大功。父祖之有大敎乎。既有祭祀之禮。則其道不不致之。祭必有時。祭必有地。祭必有祠部。祭必有器用奉物。祭必有齋戒。祭必有其事。以紀其禮。以盡其誠。是祭祀之道也。祭祀不致其禮。則神不可享之。禮儀不以其誠。則神不可格焉。禮致誠至。而後可得祭祀之實。凡人之誠莫大於祭祀。祭祀之大莫如天地。萬物之生成歸於天地。子孫之綿續歸於祖宗。是所以天地祖宗一其本也。蓋人者萬物之長也。人君者爲億兆之長。人君祭祀於天地。令萬類之散氣咸歸諸於天。報本反始。以親盡其至誠莫大於祭祀也。齋者何。齊其不齊之謂也。祭祀之議。以齋戒可交之。故天神詳勅其禮也。〔以上宗廟祭祀之義〕
新字:天照太神。方織神衣。居斎服殿。 謹按。是祭祀天神之義也。雖無祭祀之説。既曰神衣。既曰斎服殿。則神自織之。以供神明也。大神之霊。親営其機巧。事於天神。其至誠可窃按也。朝廷終有神衣祭。以参河赤引神調系。織作神衣。以供伊勢太神宮。〔此神服部等〕是乃往古以至誠事神之遺則也。〔孟夏季秋有神衣祭。謂伊勢神宮祭也。斎戒潔清織成也。或疑。神書所謂神衣者。大神之親服乎。愚謂。自服豈曰神衣乎。令義解云。以供神明也。曰神衣。是神織供天神之服。故素戔鳴尊之悪最可悪也。以上祭天神。〕 高皇産霊尊因勅曰。吾則起樹天津神籬及天津磐境。当為吾孫奉斎矣。汝天児屋命太玉命。宜持天津神籬。降於葦原中国。亦為吾孫奉斎焉。乃使二神陪従天忍穂耳尊以降之。是時天照太神手持宝鏡。授天忍穂耳尊。而祝之曰。吾児視此宝鏡。当猶見吾。可与同床共殿。以為斎鏡。復勅天児屋命太玉命。惟爾二神亦同侍殿内。善為防護。又勅曰。以吾高天原所御斎庭之穂。亦当御於吾児。 謹按。是建宗廟而祭祀於祖考之礼也。神籬者乃宗廟也。宝鏡者乃宗廟之主也。故曰斎鏡矣。夫天祖之霊体物而不遺。然無宗廟之設神主之寄。汎乎不可一定。故宗廟以萃之。神主以寄之。而後神人之霊気相集。至誠可通。斎戒可致。是天祖因勅起樹神籬以為斎鏡也。夫天子以天地為父母。故祭祀天神地祇以報其本。建立宗廟以貴其始者。人君之大礼也。況中国之生成。直在天神地祇也乎。〔令曰。凡天皇即位。総祭天神地祇。散斎一月。致斎三日。義解云。天神。伊勢山城鴨住吉出雲国造斎神等類是也。地祇。大神大倭葛木鴨出雲大汝神等類是也。皆依常典祭之。〕蓋人未嘗無思其父祖。既有念其父祖。則未嘗無念所其由出。故遠乃思其本始。近乃慕其父祖。而祭祀之礼起。況本始之有大功。父祖之有大教乎。既有祭祀之礼。則其道不不致之。祭必有時。祭必有地。祭必有祠部。祭必有器用奉物。祭必有斎戒。祭必有其事。以紀其礼。以尽其誠。是祭祀之道也。祭祀不致其礼。則神不可享之。礼儀不以其誠。則神不可格焉。礼致誠至。而後可得祭祀之実。凡人之誠莫大於祭祀。祭祀之大莫如天地。万物之生成帰於天地。子孫之綿続帰於祖宗。是所以天地祖宗一其本也。蓋人者万物之長也。人君者為億兆之長。人君祭祀於天地。令万類之散気咸帰諸於天。報本反始。以親尽其至誠莫大於祭祀也。斎者何。斉其不斉之謂也。祭祀之議。以斎戒可交之。故天神詳勅其礼也。〔以上宗廟祭祀之義〕
書き下し
天照太神、方に神衣を織りたまふ。斎服殿に居ます。 謹按。是れ天神を祭祀するの義なり。祭祀の説無しと雖も、既に神衣と曰ひ、既に斎服殿と曰へば、則ち神自ら之を織りて、以て神明に供ふるなり。大神の霊、親ら其の機巧を営み、天神に事へたまふ。其の至誠は竊かに按ずべきなり。朝廷終に神衣祭有り。参河の赤引の神調糸を以て、神衣を織り作り、以て伊勢太神宮に供ふ。〔此れ神服部等なり〕是れ乃ち往古の至誠を以て神に事へし遺則なり。〔孟夏・季秋に神衣祭有り。伊勢神宮の祭を謂ふなり。斎戒潔清して織り成すなり。或ひと疑ふ、神書に謂ふ所の神衣とは、大神の親服ならむかと。愚謂へらく、自ら服するを豈に神衣と曰はむや。令義解に云ふ、以て神明に供ふるなりと。神衣と曰ふは、是れ神の織りて天神に供ふる服なり。故に素戔嗚尊の悪は最も悪むべきなり。以上、天神を祭る。〕 高皇産霊尊、因りて勅して曰はく、「吾は則ち天津神籬及び天津磐境を起こし樹てて、当に吾が孫の為に奉斎せむ。汝天児屋命・太玉命、宜しく天津神籬を持ちて、葦原中国に降りて、亦吾が孫の為に奉斎すべし」と。乃ち二神をして天忍穂耳尊に陪従して以て降らしむ。是の時、天照太神、手に宝鏡を持ちて、天忍穂耳尊に授けて、祝ひて曰はく、「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に猶ほ吾を見るがごとくすべし。与に床を同じくし殿を共にして、以て斎鏡と為したまへ」と。復た天児屋命・太玉命に勅したまはく、「惟れ爾二神も亦同に殿の内に侍ひて、善く防護を為せ」と。又勅して曰はく、「吾が高天原に御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし」と。 謹按。是れ宗廟を建てて祖考を祭祀するの礼なり。神籬は乃ち宗廟なり。宝鏡は乃ち宗廟の主なり。故に斎鏡と曰ふ。夫れ天祖の霊は物に体して遺さず。然れども宗廟の設け、神主の寄る無ければ、汎として一に定むべからず。故に宗廟以て之を萃め、神主以て之を寄す。而る後に神人の霊気相集まり、至誠通ずべく、斎戒致すべし。是れ天祖因りて勅して神籬を起こし樹てて、以て斎鏡と為したまふなり。夫れ天子は天地を以て父母と為す。故に天神地祇を祭祀して以て其の本に報い、宗廟を建立して以て其の始めを貴ぶは、人君の大礼なり。況んや中国の生成は、直に天神地祇に在るをや。〔令に曰はく、凡そ天皇即位したまはば、総べて天神地祇を祭る。散斎一月、致斎三日。義解に云ふ、天神とは、伊勢・山城の鴨・住吉・出雲国造の斎く神等の類是れなり。地祇とは、大神・大倭・葛木の鴨・出雲の大汝神等の類是れなり。皆常典に依りて之を祭ると。〕蓋し人は未だ嘗て其の父祖を思ふこと無くんばあらず。既に其の父祖を念ふこと有れば、則ち未だ嘗て由りて出づる所を念ふこと無くんばあらず。故に遠くは乃ち其の本始を思ひ、近くは乃ち其の父祖を慕ひて、祭祀の礼起こる。況んや本始に大功有り、父祖に大教有るをや。既に祭祀の礼有れば、則ち其の道、之を致さざるべからず。祭に必ず時有り、祭に必ず地有り、祭に必ず祠部有り、祭に必ず器用奉物有り、祭に必ず斎戒有り、祭に必ず其の事有り。以て其の礼を紀し、以て其の誠を尽くす。是れ祭祀の道なり。祭祀其の礼を致さざれば、則ち神は享くべからず。礼儀誠を以てせざれば、則ち神は格るべからず。礼致り誠至りて、而る後に祭祀の実を得べし。凡そ人の誠は祭祀より大なるは莫し。祭祀の大なるは天地に如くは莫し。万物の生成は天地に帰し、子孫の綿続は祖宗に帰す。是れ天地祖宗の其の本を一にする所以なり。蓋し人は万物の長なり。人君は億兆の長たり。人君、天地を祭祀して、万類の散気をして咸く天に帰せしめ、本に報い始めに反り、親ら其の至誠を尽くすこと、祭祀より大なるは莫きなり。斎とは何ぞ。其の斉しからざるを斉しくするの謂なり。祭祀の議は、斎戒を以て交はるべし。故に天神詳らかに其の礼を勅したまふなり。〔以上、宗廟祭祀の義〕
現代語訳
天照太神は、神の衣を織っておられた。斎服殿にいらした。 素行はこう考える。これは天神を祭る義である。祭祀という言葉はないが、神衣といい、斎服殿というからには、神が自ら織って神明にお供えしたのである。大神の霊が自ら機織りのわざを営み、天神にお仕えになった。その至誠は、ひそかに推し量ることができる。朝廷には後に神衣祭がある。三河の赤引の神調糸で神衣を織り、伊勢太神宮に供える。(これは神服部らが行う。)これは昔の、至誠をもって神に仕えた遺則である。(孟夏と季秋に神衣祭がある。伊勢神宮の祭をいう。斎戒して清めて織り上げる。ある人は疑う。神書にいう神衣とは大神自らの衣服ではないかと。私が思うに、自ら着る衣をどうして神衣というだろうか。令義解に、神明に供えるものとある。神衣というのは、神が織って天神に供える衣である。だから素戔嗚尊の悪は最も憎むべきである。以上、天神を祭る。) 高皇産霊尊はそこで勅して言った。「私は天津神籬と天津磐境を起こし立てて、私の孫のために奉斎しよう。お前たち天児屋命と太玉命は、天津神籬を持って葦原中国に降り、また私の孫のために奉斎せよ。」そこで二神を天忍穂耳尊に付き従わせて降らせた。このとき天照太神は手に宝鏡を持ち、天忍穂耳尊に授け、祝って言った。「わが子よ、この宝鏡を見ることは、私を見るのと同じようにしなさい。床を同じくし、殿を共にして、斎鏡としなさい。」また天児屋命と太玉命に勅した。「お前たち二神も同じく殿の内に侍して、よく守り護れ。」さらに勅して言った。「私が高天原で作る斎庭の稲穂を、わが子に与えよ。」 素行はこう考える。これは宗廟を建てて祖先を祭る礼である。神籬は宗廟であり、宝鏡は宗廟の神主である。だから斎鏡という。そもそも天祖の霊は万物に宿って漏らさない。しかし宗廟の設けや神主の寄る所がなければ、漠然としていて定まらない。だから宗廟によって霊を集め、神主によって寄らせる。その後に神と人との霊気が集まり、至誠が通じ、斎戒が行える。これは天祖が勅して神籬を立て、斎鏡としたからである。天子は天地を父母とする。だから天神地祇を祭って本に報い、宗廟を建てて始めを貴ぶのは、人君の大礼である。まして中国の成り立ちは、まさに天神地祇にある。(令にいう。天皇が即位すれば、すべての天神地祇を祭る。散斎は一か月、致斎は三日。義解にいう。天神とは、伊勢、山城の鴨、住吉、出雲国造が斎く神などの類である。地祇とは、大神、大倭、葛木の鴨、出雲の大汝神などの類である。みな常典によって祭る。)思えば、人は父祖を思わないことがない。父祖を思えば、その出どころを思わないことがない。だから遠くはその本始を思い、近くはその父祖を慕って、祭祀の礼が起こった。まして本始に大功があり、父祖に大きな教えがあればなおさらである。祭祀の礼がある以上、その道を尽くさないわけにはいかない。祭には必ず時があり、場所があり、祠を司る部署があり、器と供え物があり、斎戒があり、その行事がある。これによって礼を記し、誠を尽くす。これが祭祀の道である。祭祀で礼を尽くさなければ、神は供物を受けない。礼を誠をもって行わなければ、神は降りて来ない。礼が尽くされ誠が至って、はじめて祭祀の実が得られる。およそ人の誠は祭祀より大きなものはなく、祭祀の大きなものは天地を祭るに及ぶものはない。万物の生成は天地に帰し、子孫の連なりは祖先に帰する。これが天地と祖先とが本を一つにするゆえんである。人は万物の長であり、君主は億兆の民の長である。君主が天地を祭り、万物の散る気をことごとく天に帰らせ、本に報い始めに返り、自ら至誠を尽くすこと、祭祀より大きなものはない。斎とは何か。揃わないものを揃えることをいう。祭祀の議は、斎戒によって神と交わるべきである。だから天神は詳しくその礼を勅されたのである。(以上、宗廟祭祀の義)
解説

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