中朝事実 / 武德章・武備と文教は車の両輪
凡內有好惡之情。以外興其狀。耳目視聽之。手足防護之。筋骨剛中之。爪齒把囓之者。人之天險也。君子以內備宮禁之衞。外固國郡之護。密四邊之藩。練士卒。利兵器。撰將帥。制陣營。審戰策。常戒盜賊之機。奮威武之嚴。是所以警不虞昭文德也。夫征者正其不正也。彼不正。輙興師侵伐之士卒無罪而入死地。故征伐者人君之大權也。豈容易之窮黷之乎。而遠之疏之。乃國勢日衰。天下大弱。是所以兵爲大事也。或疑。兵者霸主之業。而非聖人之道。愚謂。陰萠其根於陽。故火以有烈烈之威。陽交其元於陰。故水以有嫋嫋之柔。天生五材。民並用之。廢一不可。誰能去兵。乃武乃文賛堯之德也。以聖武稱湯。以武功歌文王。以神武不殺賛周易。禮樂征伐並言者。孔夫子之聖戒也。國家常以武備與文敎並行。先事而爲之備。無事而爲之防。所以遏暴亂乎將萠。護治安乎長久也。外國之聖主未嘗不左右於文武。況中國者。所其興在瓊矛。而天神以天征。賜天孫以寶劒。況神武帝之東征。天賜以師靈。〔師靈此云赴居能瀰哆磨〕其武威所及。無不服乎。故中華之武。四海之廣。宇內之區。終不可議之。武之德惟神。而文之敎惟聖也。函陰陽生殺之機妙。致仁義生成之化矣。夫仁義者人之道。而或用之師敗。或因之國亡。然乃其要在其人。兵亦如此。廢興存亡全在其人。非有聖人覇者之名也。皇統綿綿之後。大修飾其制。崇神帝作一千之兵器。持統帝置陳法之博士。令天下之民練習之。雖安更不忘戰。神尙戒之。兵器祭神祇。〔垂仁二十七年。令祠官卜兵器爲神幣。吉之。故以弓矢橫刀祭之。〕所其由來。渾厚乎哉。
新字:凡内有好悪之情。以外興其状。耳目視聴之。手足防護之。筋骨剛中之。爪歯把囓之者。人之天険也。君子以内備宮禁之衛。外固国郡之護。密四辺之藩。練士卒。利兵器。撰将帥。制陣営。審戦策。常戒盗賊之機。奮威武之厳。是所以警不虞昭文徳也。夫征者正其不正也。彼不正。輙興師侵伐之士卒無罪而入死地。故征伐者人君之大権也。豈容易之窮黷之乎。而遠之疏之。乃国勢日衰。天下大弱。是所以兵為大事也。或疑。兵者覇主之業。而非聖人之道。愚謂。陰萠其根於陽。故火以有烈烈之威。陽交其元於陰。故水以有嫋嫋之柔。天生五材。民並用之。廃一不可。誰能去兵。乃武乃文賛堯之徳也。以聖武称湯。以武功歌文王。以神武不殺賛周易。礼楽征伐並言者。孔夫子之聖戒也。国家常以武備与文教並行。先事而為之備。無事而為之防。所以遏暴乱乎将萠。護治安乎長久也。外国之聖主未嘗不左右於文武。況中国者。所其興在瓊矛。而天神以天征。賜天孫以宝劒。況神武帝之東征。天賜以師霊。〔師霊此云赴居能瀰哆磨〕其武威所及。無不服乎。故中華之武。四海之広。宇内之区。終不可議之。武之徳惟神。而文之教惟聖也。函陰陽生殺之機妙。致仁義生成之化矣。夫仁義者人之道。而或用之師敗。或因之国亡。然乃其要在其人。兵亦如此。廃興存亡全在其人。非有聖人覇者之名也。皇統綿綿之後。大修飾其制。崇神帝作一千之兵器。持統帝置陳法之博士。令天下之民練習之。雖安更不忘戦。神尚戒之。兵器祭神祇。〔垂仁二十七年。令祠官卜兵器為神幣。吉之。故以弓矢横刀祭之。〕所其由来。渾厚乎哉。
書き下し
凡そ内に好悪の情有り、以て外に其の状を興す。耳目の之を視聴し、手足の之を防護し、筋骨の剛中の之、爪歯の把み囓む者は、人の天険なり。君子は内に宮禁の衛を備へ、外に国郡の護りを固め、四辺の藩を密にし、士卒を練り、兵器を利くし、将帥を撰び、陣営を制し、戦策を審らかにし、常に盗賊の機を戒め、威武の厳を奮ふ。是れ不虞を警めて文徳を昭らかにする所以なり。夫れ征とは其の不正を正すなり。彼不正なれば、輒ち師を興して之を侵伐すれば、士卒罪無くして死地に入る。故に征伐は人君の大権なり。豈に之を容易にし、之を窮黷せむや。而るに之を遠ざけ之を疎んずれば、乃ち国勢日に衰へ、天下大いに弱し。是れ兵を大事と為す所以なり。或ひと疑ふ、兵は覇主の業にして、聖人の道に非ずと。愚謂へらく、陰は其の根を陽に萌す。故に火は以て烈烈の威有り。陽は其の元を陰に交ふ。故に水は以て嫋嫋の柔有り。天は五材を生じ、民並びに之を用ゐ、一を廃すも不可なり。誰か能く兵を去らむ。乃武乃文は堯の徳を賛ふ。聖武を以て湯を称し、武功を以て文王を歌ひ、神武にして殺さざるを以て周易を賛ふ。礼楽征伐並び言ふは、孔夫子の聖戒なり。国家は常に武備と文教とを並び行ふ。事に先んじて之が備へを為し、事無くして之が防ぎを為す。暴乱を将に萌さむとするに遏め、治安を長久に護る所以なり。外国の聖主も未だ嘗て文武に左右せざるはあらず。況んや中国は、其の興る所は瓊矛に在り、而して天神は天征を以て、天孫に宝剣を賜ふ。況んや神武帝の東征に、天は賜ふに師霊を以てす。〔師霊は此に赴居能瀰哆磨と云ふ〕其の武威の及ぶ所、服せざる無し。故に中華の武は、四海の広き、宇内の区、終に之を議るべからず。武の徳は惟れ神にして、文の教は惟れ聖なり。陰陽生殺の機妙を函み、仁義生成の化を致す。夫れ仁義は人の道なり。而るに或いは之を用ゐて師敗れ、或いは之に因りて国亡ぶ。然れば乃ち其の要は其の人に在り。兵も亦此の如し。廃興存亡は全く其の人に在り、聖人覇者の名有るに非ず。皇統綿綿の後、大いに其の制を修飾す。崇神帝は一千の兵器を作り、持統帝は陳法の博士を置き、天下の民をして之を練習せしむ。安きに居りて更に戦を忘れず、神も尚ほ之を戒む。兵器を神祇に祭る。〔垂仁二十七年、祠官をして兵器を卜して神幣と為さしむ。之を吉とす。故に弓矢・横刀を以て之を祭る。〕其の由来する所、渾厚なるかな。
現代語訳
およそ人の内には好き嫌いの情があり、それが外に姿を現す。耳と目で見聞きし、手足で防ぎ守り、筋骨で内を強く保ち、爪と歯で掴み噛むもの、これらは人に備わった天然の守りである。君子はそれにならい、内には宮中を守る衛士を備え、外には国や郡の守りを固め、四方の境の守りを緊密にし、兵卒を鍛え、武器を鋭くし、将帥を選び、陣営の制を定め、戦いの策を詳しく調べ、常に盗賊の動きを警戒し、威武の厳しさを奮う。これは不測の事態に備え、文の徳を明らかにするためである。そもそも征伐とは、不正を正すことである。相手が不正だからといってすぐに軍を起こして攻めれば、兵卒は罪なくして死地に入る。だから征伐は君主の大権である。どうして軽々しく行い、武を濫用してよかろうか。しかし武を遠ざけ疎んじれば、国の勢いは日に衰え、天下は大いに弱まる。これが兵を大事とするゆえんである。ある人は疑う。兵は覇者の業であって、聖人の道ではないと。私が思うに、陰はその根を陽に萌し、だから火には烈しい威がある。陽はその元を陰に交え、だから水にはしなやかな柔がある。天は五つの材を生み、民はそれらを並べて用い、一つでも廃することはできない。誰が兵を除き去れようか。武にして文であることは堯の徳を称える言葉である。聖武をもって湯を称え、武功をもって文王を歌い、神武にして殺さないことをもって易を称える。礼楽と征伐を並べて言うのは、孔子の聖なる戒めである。国家は常に武備と文教を並び行う。事の起こる前に備えを作り、事の無いときにも防ぎを作る。暴乱がきざそうとするところで止め、治安を長く守るためである。外国の聖主もこれまで文武のどちらかに偏ったことはない。まして中国(日本)は、その興りが天の瓊矛にあり、天神は天の征伐をもって、天孫に宝剣を授けた。まして神武帝の東征では、天は師霊を賜った。(師霊は日本の古語でふつのみたまという。)その武威の及ぶところ、服さぬ者はなかった。だから中華の武は、四海の広さ、天下の隅々まで、ついに論じ尽くせない。武の徳は神であり、文の教えは聖である。陰陽の生殺の絶妙な働きを含み、仁義が万物を生み育てる化を行き渡らせる。そもそも仁義は人の道である。それなのに、これを用いて軍が敗れ、これによって国が滅ぶことがある。とすれば要は人にある。兵もまたこのとおりである。盛衰存亡は全くその人にあり、聖人や覇者という名にあるのではない。皇統が綿々と続いた後、その制度を大いに整えた。崇神帝は一千の兵器を作り、持統帝は陣法の博士を置いて、天下の民にこれを習わせた。安らかな世にあっても決して戦を忘れず、神でさえもこれを戒められた。兵器を神々に祭る。(垂仁二十七年、祠官に命じて兵器を神への捧げ物とすることを占わせた。吉と出た。そこで弓矢や横刀を祭った。)その由来するところは、なんと厚みがあることか。
解説

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