中朝事実 / 祭祀章・鳥見山の郊祀と崇神天皇の憂い
神武帝四年春二月壬戌朔甲申。詔曰。我皇祖之靈也。自天降鑒。光助朕躬。今諸虜已平。海內無事。可以郊祀天神。用申大孝者也。乃立靈畤於鳥見山中。其地號曰上小野榛原下小野榛原。用祭皇祖天神焉。 一書曰。神武天皇從皇天二祖之詔。建樹神籬。所謂高皇產靈神產靈魂留產靈生產靈足產靈大宮賣神事代主神御膳神。〔巳上今御巫所奉齋〕櫛磐間戶神豐磐間戶神。〔巳上今御門巫所奉齋〕生島。〔是大八洲之靈。今生島巫所奉齋〕坐摩。〔是大宮地之靈。今坐摩巫所奉齋〕日臣命帥來目部。衞護宮門。其開闔。饒速日命帥內物部。造備矛盾。其物既備。天富命率諸齋部。捧持天璽鏡劒。奉安正殿。并懸瓊玉。陳其幣物。殿祭祝詞。次祭宮門。然後物部乃立矛盾。大伴來目建仗開門。令朝四方之國。以觀天位之貴。當此之時。帝之與神。其際未遠。同殿共床。以此爲常。故神物官物。亦未分明。宮內立藏。號齋藏。令齋部氏永任其職。又令天富命率供作諸氏。造作大幣訖。令天種子〔天兒屋命之孫〕解除天罪國罪事。所謂天罪者上既設訖。國罪者國中人民所犯之罪。爾乃立靈畤於鳥見山中。天富命陳幣祝詞。禮祀皇天。徧秩群望。以答神祇之思焉。是以中臣齋部二氏。倶掌祠祀之職。猨女君氏。供神樂之事。自餘諸氏各有其職也。 謹按。是祭祀社稷宗廟之始也。中州既平。先建社稷宗廟。以萃天地鬼神之靈。報其本追其遠。其禮之盡然矣。夫人君出于神。而又爲神人之主。有人民社稷之寄。故郊時以事天地。宗廟以祭鬼神。大臣司其禮。重臣相其事。至誠之道如此。以此臨天下。則人人豈有遺親後君薄瀉乎。帝制天下。先及此。其聖德之厚至哉。 崇神帝六年。百姓流離。或有背叛。其勢難以德治之。是以晨興夕惕。請罪神祇。先是。天照太神和大國魂二神。並祭於天皇大殿之內。然畏其神勢。共住不安。故以天照太神託豐鍬入姬命。祭於倭笠縫邑。仍立磯堅城神籬。〔神籬此云比莽呂岐〕亦以日本大國魂神。託淳名城入姬命。祭。然淳名城入姬髮落體痩而不能祭。
新字:神武帝四年春二月壬戌朔甲申。詔曰。我皇祖之霊也。自天降鑒。光助朕躬。今諸虜已平。海内無事。可以郊祀天神。用申大孝者也。乃立霊畤於鳥見山中。其地号曰上小野榛原下小野榛原。用祭皇祖天神焉。 一書曰。神武天皇従皇天二祖之詔。建樹神籬。所謂高皇産霊神産霊魂留産霊生産霊足産霊大宮売神事代主神御膳神。〔巳上今御巫所奉斎〕櫛磐間戸神豊磐間戸神。〔巳上今御門巫所奉斎〕生島。〔是大八洲之霊。今生島巫所奉斎〕坐摩。〔是大宮地之霊。今坐摩巫所奉斎〕日臣命帥来目部。衛護宮門。其開闔。饒速日命帥内物部。造備矛盾。其物既備。天富命率諸斎部。捧持天璽鏡劒。奉安正殿。并懸瓊玉。陳其幣物。殿祭祝詞。次祭宮門。然後物部乃立矛盾。大伴来目建仗開門。令朝四方之国。以観天位之貴。当此之時。帝之与神。其際未遠。同殿共床。以此為常。故神物官物。亦未分明。宮内立蔵。号斎蔵。令斎部氏永任其職。又令天富命率供作諸氏。造作大幣訖。令天種子〔天児屋命之孫〕解除天罪国罪事。所謂天罪者上既設訖。国罪者国中人民所犯之罪。爾乃立霊畤於鳥見山中。天富命陳幣祝詞。礼祀皇天。遍秩群望。以答神祇之思焉。是以中臣斎部二氏。倶掌祠祀之職。猨女君氏。供神楽之事。自余諸氏各有其職也。 謹按。是祭祀社稷宗廟之始也。中州既平。先建社稷宗廟。以萃天地鬼神之霊。報其本追其遠。其礼之尽然矣。夫人君出于神。而又為神人之主。有人民社稷之寄。故郊時以事天地。宗廟以祭鬼神。大臣司其礼。重臣相其事。至誠之道如此。以此臨天下。則人人豈有遺親後君薄瀉乎。帝制天下。先及此。其聖徳之厚至哉。 崇神帝六年。百姓流離。或有背叛。其勢難以徳治之。是以晨興夕惕。請罪神祇。先是。天照太神和大国魂二神。並祭於天皇大殿之内。然畏其神勢。共住不安。故以天照太神託豊鍬入姫命。祭於倭笠縫邑。仍立磯堅城神籬。〔神籬此云比莽呂岐〕亦以日本大国魂神。託淳名城入姫命。祭。然淳名城入姫髪落体痩而不能祭。
書き下し
神武帝四年春二月壬戌朔甲申、詔して曰はく、「我が皇祖の霊や、天より降り鑒て、朕が躬を光し助けたまふ。今諸の虜已に平ぎ、海内事無し。以て天神を郊祀し、用て大孝を申ぶべし」と。乃ち霊畤を鳥見山の中に立つ。其の地を号けて上小野榛原・下小野榛原と曰ふ。用て皇祖天神を祭りたまふ。 一書に曰はく、神武天皇、皇天二祖の詔に従ひ、神籬を建樹したまふ。所謂高皇産霊・神産霊・魂留産霊・生産霊・足産霊・大宮売神・事代主神・御膳神なり。〔已上、今御巫の奉斎する所〕櫛磐間戸神・豊磐間戸神。〔已上、今御門巫の奉斎する所〕生島。〔是れ大八洲の霊なり。今生島巫の奉斎する所〕坐摩。〔是れ大宮地の霊なり。今坐摩巫の奉斎する所〕日臣命は来目部を帥ゐて、宮門を衛護し、其の開闔を司る。饒速日命は内物部を帥ゐて、矛盾を造り備ふ。其の物既に備はる。天富命は諸の斎部を率ゐて、天璽の鏡・剣を捧げ持ち、正殿に奉安し、并せて瓊玉を懸け、其の幣物を陳ぶ。殿祭の祝詞あり。次に宮門を祭る。然して後に、物部乃ち矛盾を立て、大伴・来目、杖を建てて門を開き、四方の国に朝せしめ、以て天位の貴きを観しむ。此の時に当たり、帝と神と、其の際未だ遠からず、殿を同じくし床を共にすること、此を以て常と為す。故に神物・官物も亦未だ分明ならず。宮内に蔵を立て、斎蔵と号す。斎部氏をして永く其の職に任ぜしむ。又天富命をして諸の氏を率ゐ供作らしめ、大幣を造作ること訖りて、天種子〔天児屋命の孫〕をして天罪・国罪を解除ふる事を為さしむ。所謂天罪は上に既に設け訖る。国罪は国中の人民の犯す所の罪なり。爾して乃ち霊畤を鳥見山の中に立つ。天富命、幣を陳べて祝詞し、皇天を礼祀し、群望に徧く秩して、以て神祇の思に答ふ。是を以て中臣・斎部の二氏、倶に祠祀の職を掌り、猨女君氏は神楽の事を供ふ。自余の諸氏、各々其の職有り。 謹按。是れ社稷宗廟を祭祀するの始めなり。中州既に平らぎ、先づ社稷宗廟を建て、以て天地鬼神の霊を萃め、其の本に報い其の遠きを追ふ。其の礼の尽くせること然り。夫れ人君は神より出で、又神人の主たり。人民社稷の寄有り。故に郊畤以て天地に事へ、宗廟以て鬼神を祭る。大臣其の礼を司り、重臣其の事を相く。至誠の道、此の如し。此を以て天下に臨めば、則ち人人豈に親を遺れ君を後にして薄瀉する者有らむや。帝、天下を制するに、先づ此に及ぶ。其の聖徳の厚きこと至れるかな。 崇神帝六年、百姓流離し、或いは背叛有り。其の勢ひ徳を以て治め難し。是を以て晨に興き夕に惕れ、罪を神祇に請ひたまふ。是より先、天照太神・倭大国魂の二神、並びに天皇の大殿の内に祭る。然れども其の神の勢ひを畏れ、共に住みたまふこと安からず。故に天照太神を豊鍬入姫命に託け、倭の笠縫邑に祭らしむ。仍りて磯堅城の神籬を立つ。〔神籬は此に比莽呂岐と云ふ〕亦日本大国魂神を渟名城入姫命に託けて祭らしむ。然るに渟名城入姫、髪落ち体痩せて祭ること能はず。
現代語訳
神武帝四年の春二月の壬戌朔の甲申の日、詔して言った。「わが皇祖の霊は、天から降って見守り、私を輝かせ助けてくださった。いま、もろもろの敵はすでに平らぎ、国内は無事である。郊で天神を祭り、大いなる孝を申し述べよう。」そこで霊畤を鳥見山の中に立てた。その地を上小野榛原、下小野榛原と名づけた。ここで皇祖と天神を祭った。 一書にいう。神武天皇は、皇祖天照大神と高皇産霊尊の二祖の詔に従い、神籬を建て立てた。いわゆる高皇産霊、神産霊、魂留産霊、生産霊、足産霊、大宮売神、事代主神、御膳神である。(以上は今、御巫が奉斎する神々。)櫛磐間戸神、豊磐間戸神。(以上は今、御門巫が奉斎する神々。)生島。(これは大八洲の霊で、今、生島巫が奉斎する。)坐摩。(これは大宮地の霊で、今、坐摩巫が奉斎する。)日臣命は来目部を率いて宮門を守り、その開け閉めを司った。饒速日命は内物部を率いて矛と盾を作り備えた。それらがすでに備わった。天富命は斎部の諸氏を率い、天璽の鏡と剣を捧げ持って正殿に安置し、あわせて瓊玉を懸け、幣物を並べた。殿祭の祝詞があった。次に宮門を祭った。その後、物部が矛と盾を立て、大伴と来目が杖を立てて門を開き、四方の国の者に朝見させて、天位の尊さを見せた。このころは、帝と神との間がまだ遠くなく、殿を同じくし床を共にするのが常であった。だから神の物と官の物もまだはっきり分かれていなかった。宮内に蔵を立てて斎蔵と名づけ、斎部氏に永くその職を任せた。また天富命に諸氏を率いて供え物を作らせ、大幣を作り終えると、天種子(天児屋命の孫)に天罪と国罪を祓わせた。天罪は上にすでに述べた。国罪は国中の人民が犯した罪である。そうして霊畤を鳥見山の中に立てた。天富命は幣を並べて祝詞を述べ、皇天を礼拝して祭り、もろもろの望祭の神々に順に及び、神祇の思いに応えた。こうして中臣と斎部の二氏はともに祭祀の職を掌り、猨女君氏は神楽のことを担当した。そのほかの諸氏にも、それぞれの職があった。 素行はこう考える。これは社稷と宗廟を祭る始まりである。中つ国がすでに平らぎ、まず社稷と宗廟を建て、天地と鬼神の霊を集め、その本に報い、遠い始めを追慕した。礼の尽くし方はこのようであった。そもそも君主は神から出て、また神と人との主である。人民と社稷を預かっている。だから郊の霊畤で天地に仕え、宗廟で鬼神を祭る。大臣はその礼を司り、重臣はその事を助ける。至誠の道はこのとおりである。これをもって天下に臨めば、どうして親を忘れ、君を後にして、人情が薄れる者が出ようか。帝が天下を治めるにあたり、まずここに及んだ。その聖徳の厚いことは至れり尽くせりである。 崇神帝の六年、民は流浪し、あるいは背く者がいた。その勢いは徳をもって治めがたいほどであった。そこで朝に起き夕べに慎み、罪を神祇に請うた。これより先、天照太神と倭大国魂の二神を、ともに天皇の大殿の内に祭っていた。しかしその神の勢いを畏れ、ともに住むのが落ち着かなかった。そこで天照太神を豊鍬入姫命に託し、倭の笠縫邑に祭らせた。そして磯堅城の神籬を立てた。(神籬は古語でひもろきという。)また日本大国魂神を渟名城入姫命に託して祭らせた。しかし渟名城入姫は髪が抜け、体がやせて、祭ることができなかった。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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『中朝事実』聖政章・民心と習俗を察する政教の始め神武帝己未の年春三月辛酉朔丁卯、令を下して曰く、「今、運此の屯蒙に屬し、民心朴素なり。巢に棲み穴に住み、習俗惟れ常なり。夫れ大人の制を立つるは、義必ず時に隨ふ。苟くも民を利する有らば、何ぞ聖造を妨げん」と。 謹んで按ずるに、是れ政令の始めなり。民心は天下の人心なり。習俗は人皆習ひて以て俗と爲すなり。言ふこころは、天下屯蒙にして、人心詐僞に與せず、穴居野處して以て習俗と爲す。今帝天を繼ぎ極を建て、以て天下の禮を正さんと欲し、其の舊俗を新たにす。故に此の詔有るなり。人心の朴素は、善政に染まり易きが如く、而して習俗の舊汚は又變じ難し。時義、是れ革むるの時、又大なり。聖英の天縱に非ざれば、之を得べからざるなり。蓋し政の要は民心と習俗とを察するに在り。人心は必ず俗と與に化し、善惡以て成る。人君政を立て敎率を明らかにすれば、則ち民心化して風俗成る。風俗の成るは習熟の久しきに在り。習熟久しければ則ち民其の然るを識らず。故に曰く、政の要は民心と習俗とを察するに在り、と。此の章、政敎の大體を盡くすと謂ふべし。〔以上、政敎の大體。〕 四年春二月壬戌朔甲申、詔して曰く、「我が皇祖の靈や、天より降り鑒み、光りて朕が躬を助けたまふ。今諸々の虜已に平らぎ、海内事無し。以て天神を郊祀し、用て大孝を申ぶべし」と。乃ち靈畤を鳥見山の中に立つ。其の地を號して上小野榛原・下小野榛原と曰ふ。用て皇祖天神を祭る。 先人曰く、神武天皇、都を大和國橿原に定む。時に三種の神寶を以て大殿に安置し、床を同じくして坐したまふ。蓋し往古の神勅の如し。此れに由りて皇居と神宮と差別無し。宮中に庫藏〔此に齋藏と云ふ。〕を立て、宮物・神物分かつ無し。此の時天兒屋根命の孫天種子命、專ら祭祀の事を主る。是れ乃ち朝政を執るの儀なり。 謹んで按ずるに、天下の政事は郊社宗廟の祭祀より大なるは莫し。夫れ人君は天地を以て父母と爲す。況んや帝は乾靈天孫の統を承け、以て四海に臨むをや。蓋し神に交はるの道は誠に在り。至誠以て祭祀すれば、則ち鬼神の幽冥も亦格思すべし。蕞爾たる黎民も、至誠以て之を求むれば、則ち感ぜざる無し。故に往古は神祇の祭祀と朝廷の政事と、其の義を二にせず。深いかな。〔俗に政を訓みて祭事とするは是れなり。〕凡そ祭祀を主る者は、皆朝政を執る。天種子命・神八井耳命の如きは是れなり。〔神八井耳命は、神武帝の皇子、綏靖帝の兄なり。神八井耳命曰く、「吾は是れ乃の兄なり。而るに懦弱にして果を致す能はず。今汝特に神武を挺し、自ら元惡を誅す。宜なるかな。汝の天位に光臨し、以て皇祖の業を承くること。吾當に汝の爲に輔けて神祇を典り奉るべし」と。是れ卽ち多臣の始祖なり。〕帝、神勅を守り、以て靈器を敬ふ。且つ天神を郊祀し、用て大孝を申ぶ。其の兢兢業業として政敎を愼むは、萬世の規戒なり。〔以上、祭政の實。〕 崇神帝十年秋七月丙戌朔己酉、群卿に詔して曰く、「民を導くの本は、敎化に在り。今既に神祇を禮し、災害皆耗せり。然れども遠荒の人等、猶ほ正朔を受けず。是れ未だ王化に習はざるのみ。其れ群卿を選びて四方に遣はし、朕が憲を知らしめよ」と。 謹んで按ずるに、是れ行人を發して以て敎を四方に施すの始めなり。導は啓迪なり。敎化に至らざれば、則ち民と敎と別なり。民情化適して敎成る、之を敎化と謂ふ。正朔は王曆なり。天下皆正朔を受くるは、其の天に事ふるを同じくするなり。正朔を受けざれば則ち民俗を殊にす。王化は天下皆其の敎令を守りて其の三綱を正すなり。王化未だ習はざれば則ち民意を異にするなり。憲は法なり。憲章以て人に示すなり。言ふこころは、民皆此の心有り、敎化明らかならず故に其の性を盡くさず。之を啓迪するは敎の化に在り。鬼神を敬ふと民を敎化するとは、其の本至誠に出でず、而して鬼神は幽にして信、人民は習にして駁なり。故に鬼神に事ふるは致敬に在り、人民を治むるは敎を盡くすに在り。帝既に晨に興き夕に惕れ、齊明盛服して以て鬼神を敬ふ。災害既に耗す。然れども天下未だ軌を一にせず、四方未だ俗を均しくせず。今憲章を建て、以て時月を考へ、禮樂制度を同じくし、以て民性を節し、道德を一にして以て俗を同じくす。十二年に及び敎化流行し、衆庶業を樂しみ、富庶既に滿つ。人民皆長幼の序、課役の制を知る。宜なるかな其の至德を稱せらるること。蓋し後世に迄びて巡察・按察・宣撫の法有り、以て風俗制度を正し革む。推古帝に及び、聖德太子憲法を定め、孝德帝天下の政制を詳にし、天武帝律令法式を定め、文武帝の朝、淡海公勅を奉りて律令を撰び、終に萬世政令の準標と爲る。其の本は皆此に基づく。帝の功、亦大ならずや。〔以上、憲章の敎。〕
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『中朝事実』祭祀章・神鏡の遷座と伊勢内宮の鎮座一書に曰はく、崇神帝六年乙丑秋九月、倭国笠縫邑に磯城の神籬を立て、天照太神及び草薙剣を奉遷し、皇女豊鍬入姫をして奉斎せしむ。更に斎部氏をして石凝姥の神の裔、天目一神の裔の二氏を率ゐ、更に鏡を鋳り剣を造りて、以て護御の璽と為さしむ。是れ今の践祚の日に献る所の神璽の鏡・剣なり。仍りて其の遷祭の夕、宮人皆参り、終夜宴楽す。歌ひて曰はく、「美夜比登能。於保与須我良爾。伊佐登保志。由伎能与呂志茂」と。〔今の俗歌に曰はく、「美夜比止乃。於保与曽許侶茂。比佐止保志。由伎乃与保志茂。於保与曽許侶茂」と。詞の転ずるなり。〕 謹按。是れ別に神籬を建つるの始めなり。神籬は乃ち神社の義にして、宗廟の制なり。〔以上、天地宗廟を祭祀す〕 七年冬十一月、別に八十万神を祭る。仍りて天社・国社及び神地・神戸を定む。 謹按。是れ群臣を祭るの始めなり。天社とは、社稷宗廟の名なり。国社とは、郡国の名山大川の由りて祭る所の神社なり。神地・神戸とは、神に事ふる祠官の祭祠を奉る田園なり。国家事有れば、則ち徧く群神に告げ、以て其の誠を致す。是れ礼の恒なり。〔以上、群神を祭る〕 垂仁帝二十五年春三月丁亥朔丙申、天照太神を豊耜姫命より離ち、倭姫命に託く。爰に倭姫命、大神を鎮め坐せまつる処を求めて、菟田の筱幡に詣る。〔筱は此に佐佐と云ふ〕更に還りて近江国に入り、東のかた美濃を廻りて伊勢国に到る。時に天照太神、倭姫命に誨へて曰はく、「是の神風の伊勢国は、則ち常世の浪の重浪帰する国なり。傍国の可怜国なり。是の国に居らむと欲ふ」と。故に太神の教に隨ひて、其の祠を伊勢国に立てたまふ。因りて斎宮を五十鈴川の上に興つ。是を磯宮と謂ふ。則ち天照太神の始めて天より降ります処なり。 一書に曰はく、天皇、倭姫命を以て御杖と為し、天照太神に貢奉す。是を以て倭姫命、天照太神を磯城の厳橿の本に鎮め坐せて祠る。然して後に神の誨に隨ひて、丁巳の年の冬十月甲子を取りて、伊勢国の渡遇宮に遷す。〔旧記に云ふ、内宮の号は、内とは宇犀郷の本名なり。因りて内宮と称す。〕 謹按。是れ伊勢国内宮鎮座の始めなり。蓋し神とは天下を以て体と為し、黎元を以て本と為す。天の覆ふこと明らかに、地の載すること厚し。人物の人物たる所以は、神皆之を体して遺さず。其の霊を神鏡に移し、以て皇統の化を照らし、其の迹を渡遇に垂れ、以て億世の敬を存す。茅屋の大廟、粢食を鑿らざるは、以て令徳を示す。仰げば弥高く、崇むれば弥霊なり。朝廷既に内侍所を置き、天子旦暮に拝恭して、往古の道を改めず。僧尼を禁じ、梵釈を絶ち、聖教の人倫に在ることを顕す。懸象著明にして、其の道の知徳に在ることを示す。其の洋洋乎として四海に弥綸し、巍巍乎として万物に経緯するは、是れ神の徳なり。然れば乃ち人倫日用の道を明らかにし、五典惟れ秩し、三徳惟れ致さば、則ち当に猶ほ吾を視るがごとくすべし。神勅は豈に空しからむや。〔以上、内宮鎮座〕
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『中朝事実』祭祀章・神衣と宗廟・祭祀の始まり天照太神、方に神衣を織りたまふ。斎服殿に居ます。 謹按。是れ天神を祭祀するの義なり。祭祀の説無しと雖も、既に神衣と曰ひ、既に斎服殿と曰へば、則ち神自ら之を織りて、以て神明に供ふるなり。大神の霊、親ら其の機巧を営み、天神に事へたまふ。其の至誠は竊かに按ずべきなり。朝廷終に神衣祭有り。参河の赤引の神調糸を以て、神衣を織り作り、以て伊勢太神宮に供ふ。〔此れ神服部等なり〕是れ乃ち往古の至誠を以て神に事へし遺則なり。〔孟夏・季秋に神衣祭有り。伊勢神宮の祭を謂ふなり。斎戒潔清して織り成すなり。或ひと疑ふ、神書に謂ふ所の神衣とは、大神の親服ならむかと。愚謂へらく、自ら服するを豈に神衣と曰はむや。令義解に云ふ、以て神明に供ふるなりと。神衣と曰ふは、是れ神の織りて天神に供ふる服なり。故に素戔嗚尊の悪は最も悪むべきなり。以上、天神を祭る。〕 高皇産霊尊、因りて勅して曰はく、「吾は則ち天津神籬及び天津磐境を起こし樹てて、当に吾が孫の為に奉斎せむ。汝天児屋命・太玉命、宜しく天津神籬を持ちて、葦原中国に降りて、亦吾が孫の為に奉斎すべし」と。乃ち二神をして天忍穂耳尊に陪従して以て降らしむ。是の時、天照太神、手に宝鏡を持ちて、天忍穂耳尊に授けて、祝ひて曰はく、「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に猶ほ吾を見るがごとくすべし。与に床を同じくし殿を共にして、以て斎鏡と為したまへ」と。復た天児屋命・太玉命に勅したまはく、「惟れ爾二神も亦同に殿の内に侍ひて、善く防護を為せ」と。又勅して曰はく、「吾が高天原に御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし」と。 謹按。是れ宗廟を建てて祖考を祭祀するの礼なり。神籬は乃ち宗廟なり。宝鏡は乃ち宗廟の主なり。故に斎鏡と曰ふ。夫れ天祖の霊は物に体して遺さず。然れども宗廟の設け、神主の寄る無ければ、汎として一に定むべからず。故に宗廟以て之を萃め、神主以て之を寄す。而る後に神人の霊気相集まり、至誠通ずべく、斎戒致すべし。是れ天祖因りて勅して神籬を起こし樹てて、以て斎鏡と為したまふなり。夫れ天子は天地を以て父母と為す。故に天神地祇を祭祀して以て其の本に報い、宗廟を建立して以て其の始めを貴ぶは、人君の大礼なり。況んや中国の生成は、直に天神地祇に在るをや。〔令に曰はく、凡そ天皇即位したまはば、総べて天神地祇を祭る。散斎一月、致斎三日。義解に云ふ、天神とは、伊勢・山城の鴨・住吉・出雲国造の斎く神等の類是れなり。地祇とは、大神・大倭・葛木の鴨・出雲の大汝神等の類是れなり。皆常典に依りて之を祭ると。〕蓋し人は未だ嘗て其の父祖を思ふこと無くんばあらず。既に其の父祖を念ふこと有れば、則ち未だ嘗て由りて出づる所を念ふこと無くんばあらず。故に遠くは乃ち其の本始を思ひ、近くは乃ち其の父祖を慕ひて、祭祀の礼起こる。況んや本始に大功有り、父祖に大教有るをや。既に祭祀の礼有れば、則ち其の道、之を致さざるべからず。祭に必ず時有り、祭に必ず地有り、祭に必ず祠部有り、祭に必ず器用奉物有り、祭に必ず斎戒有り、祭に必ず其の事有り。以て其の礼を紀し、以て其の誠を尽くす。是れ祭祀の道なり。祭祀其の礼を致さざれば、則ち神は享くべからず。礼儀誠を以てせざれば、則ち神は格るべからず。礼致り誠至りて、而る後に祭祀の実を得べし。凡そ人の誠は祭祀より大なるは莫し。祭祀の大なるは天地に如くは莫し。万物の生成は天地に帰し、子孫の綿続は祖宗に帰す。是れ天地祖宗の其の本を一にする所以なり。蓋し人は万物の長なり。人君は億兆の長たり。人君、天地を祭祀して、万類の散気をして咸く天に帰せしめ、本に報い始めに反り、親ら其の至誠を尽くすこと、祭祀より大なるは莫きなり。斎とは何ぞ。其の斉しからざるを斉しくするの謂なり。祭祀の議は、斎戒を以て交はるべし。故に天神詳らかに其の礼を勅したまふなり。〔以上、宗廟祭祀の義〕
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『古語拾遺』鳥見山の霊畤又天富命をして供作の諸氏を率いて、大幣を造作せしむること訖りて、天種子命をして天罪・国罪の事を解除せしむ。所謂る天罪は、上に既に説き訖る。国罪は、国中の人民の犯す所の罪なり。其の事、具さに中臣の祓詞に在り。爾に乃ち霊畤を鳥見山の中に立て、天富命幣を陳ね、祝詞して皇天を禋祀し、徧く群望を秩して、以て神祇の恩に答う。是を以て中臣・斎部の二氏、倶に祠祀の職を掌り、猨女君氏は神楽の事に供す。自余の諸氏も各々其の職有り。
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『中朝事実』神器章・宝鏡の神勅・同殿共床から神器の遷座へ天照太神、手に宝鏡を持ちて天忍穂耳尊に授けて祝ぎて曰く、吾が児、此の宝鏡を視ること当に猶お吾を視るがごとくすべし。与に床を同じくし殿を共にして、以て斎鏡と為すべし、と。 一書に曰く、日神、天石窟に入りたまう時、思兼神の議に従い、石凝姥神をして日像の鏡を鋳しむ。初度に鋳る所は、少しく意に合わず。〔是れ紀伊国の日前神なり。〕次度に鋳る所は、其の状美麗なり。〔是れ伊勢太神なり。〕 一書に云う、乃ち鏡作部の遠祖天糠戸をして鏡を造らしむ。日神、磐戸を開きて出でたまう。是の時、鏡を以て其の石窟に入るるに、戸に触れて小瑕つく。其の瑕、今に猶お存す。此れ即ち伊勢崇祕の大神なり。 謹んで按ずるに、神代の霊器は一ならず。而して天祖は唯だ三種の神宝を以て、天孫の表物と為す。大神は唯だ宝鏡を以て、神勅を詳らかにすること此の如し。蓋し鏡とは本より明らかなるべきの象有り。之を琢き之を磨きて息まざれば、則ち日に新たにして暗からず。襲め蔵め深く祕して以て顧みざれば、則ち日に暗くして新たならず。猶お人君に明らかなるべきの質有り、之を致し之を尽くして止まざれば、則ち其の知日に新たなり。高威遠下して以て規らざれば、則ち其の徳正しからざるがごとし。夫れ人君の道は、要は其の知を明らかにするに在り。其の知明らかならざれば、寛仁と云い、果断と云うも、共に其の節に中らず。知至りて後、徳と云い勇と云う、以て之を行うべし。振古、人君を称するに明晤を以てす。其の寄せ重きかな。大神、手に宝鏡を持ち、別に神勅を示して、同床共殿を以てす。是れ乃ち日に新たに日に強くして息む無きの実なり。治教の義、大なるかな。凡そ二神は既に白銅鏡を以てす。大神は伊勢州に鎮坐し、亦た鏡剣惟れ従う。則ち乾霊大神の神慮は、唯だ宝鏡のみ。其の重きこと剣璽の類に非ず。故に代代の聖主、旦暮に賢所を敬拝することを事と為す。是れ乃ち神勅に因るなり。〔以上、神鏡。〕 崇神帝六年、百姓流離し、或いは背叛有り。其の勢い、徳を以て之を治め難し。是を以て晨に興き夕に惕れ、罪を神祇に請う。是より先、天照太神・倭大国魂の二神を、並びに天皇の大殿の内に祭る。然れども其の神勢を畏れ、共に住みて安からず。故に天照太神を豊鍬入姫命に託け、倭の笠縫邑に祭る。仍りて磯堅城の神籬を立つ。〔神籬、此れを比莒呂岐と云う。〕亦た日本大国魂神を淳名城入姫命に託けて祭らしむ。然れども淳名城入姫、髪落ち体痩せて、祭ること能わず。 一書に曰く、神武帝の時、天富命、諸の斎部を率いて、天璽の鏡剣を捧げ持ち、正殿に奉安す。此の時に当たりて、帝と神との際、未だ遠からず。殿を同じくし床を共にすること、此を以て常と為す。故に神物・宮物も亦た未だ分別せず。宮内に蔵を立て、斎蔵と号す。斎部氏をして永く其の職に任ぜしむ。磯城瑞垣の朝に至りて、漸く神威を畏れ、殿を同じくして安からず。故に更に斎部氏をして石凝姥神の裔、天目一神の裔二氏を率いて、更に鏡を鋳、剣を造らしめ、以て護身の御璽と為す。是れ今の践祚の日に献ずる所の神璽・鏡・剣なり。仍りて倭の笠縫邑に就き、殊に磯城の神籬を立て、天照太神及び草薙剣を奉遷して、皇女豊鍬入姫命をして奉斎せしむ。
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『中朝事実』神治章・天壌無窮の勅と人皇の建極の詔天照太神、皇孫に勅して曰く、葦原千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫、就きて治らせ。行矣。宝祚の隆えまさんこと、当に天壌と窮り無かるべし、と。 一書に曰く、大己貴尊と少彦名命と、力を戮せ心を一にして、天下を経営す。嘗て大己貴命、少彦名命に謂ひて曰く、吾等が造れる国、豈に善く成れりと謂はんや、と。少彦名命対へて曰く、或いは成れる所有り、或いは成らざる有り、と。是の談や、蓋し幽深の致有り。大己貴神興言して曰く、夫れ葦原中国は本より荒芒なり。磐石草木に至るまで、咸く能く強暴なり。然れども吾已に摧き伏せ、和順せざる莫し。遂に因りて言ふ、今此の国を理むるは、唯だ吾が一身のみ。其れ吾と共に天下を理むべき者、蓋し有らんか、と。時に神光海を照らし、忽然として浮び来る者有り。曰く、如し吾在らずは、汝何ぞ能く此の国を平らげんや。吾在るに由りての故に、汝其の大造の績を建つるを得たり、と。是の時、大己貴神問ひて曰く、然らば則ち汝は是れ誰ぞ、と。対へて曰く、吾は是れ汝が幸魂奇魂なり、と。大己貴神曰く、唯、然り。廼ち知りぬ。汝は是れ吾が幸魂奇魂なり。今何処に住まんと欲するや、と。対へて曰く、吾れ日本国の三諸山に住まんと欲す、と。故れ即ち宮を彼処に営み、就きて居らしむ。此れ大三輪の神なり。 謹んで按ずるに、是れ天神治道の始めなり。天壌と窮り無しの五字は、宝祚を祝ひて以て治平の道を尽くすなり。夫れ天地の至誠は息む無く、悠遠博厚にして、物を覆ひ物を載せ、而して此の無窮を得。君子以て自ら彊め、以て徳を厚くすれば、則ち往きて利あらざる無し。人君之を体して四海を御すれば、則ち万国咸く寧し。是れ天壌と窮り無き所以なり。天道は盈てるを虧き、地道は盈てるを変じ、鬼神は盈てるを害し、人道は盈てるを悪む。故に緩めば必ず失ふ所有り、升りて已まざれば必ず困しむ。亨れば則ち尽く。是れ謙徳の其の終りを保つ所以なり。大己貴命・少彦名命の共に言ふ所は、謙亨の謂か。然れば乃ち聖主、乾坤の徳に法りて以て六龍に乗り、下に居りて済すの謙に居りて以て四海を御すれば、則ち治教の道、天壌無窮に応ずるなり。 神武帝己未年春三月辛酉朔丁卯、令を下して曰く、我が東征せしより、是に六年なり。皇天の威に頼りて、凶徒戮に就く。辺土未だ清まらず、余妖尚ほ梗ると雖も、中洲の地には復た風塵無し。誠に宜しく皇都を恢廓し、規摹宏壮なるべし。而るに今、運は此の屯蒙に属し、民心朴素なり。巣棲穴住し、習俗惟れ常なり。夫れ大人制を立つるは、義必ず時に随ふ。苟くも民を利する有らば、何ぞ聖造を妨げん。且つ当に山林を披き払ひ、宮室を経営して、恭みて宝位に臨み、以て元元を鎮むべし。上は則ち乾霊の国を授けたまひし徳に答へ、下は則ち皇孫の正を養ひたまひし心を弘めん。然る後に六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩ひて宇と為さんこと、亦可ならずや、と。 謹んで按ずるに、是れ人皇、中国を定め、極を建て、治道を詔するの始めなり。大人とは聖人位に居るの称なり。制とは礼楽刑政の制なり。義とは損益沿革し其の道を品節するなり。民を利するとは、人民其の楽を楽しみ其の利を利とするなり。聖造とは天祖皇孫の建てたまふ所の道なり。蓋し天下の治は必ず時有り。時を知らざれば、則ち大人の道に非ず。天祖皇孫の永悠の際、土中既に定まり天下の大造ありと雖も、運は洪荒に在り、唯だ西偏に正を養ひて、以て皇系嗣ぎ興るの時を待つのみ。帝勃起して之を経綸す。初めて中州を制するに、此の時に当りて、義は必ず時に随ふに非ざれば、急務の実を得ず。故に詔を下して宝位に臨む。時に随ふの義、大なるかな。帝、恒に拳拳として国を授け正を養ふの志あり。民の心を以て心と為す、是れ乃ち民の父母たり。万世此の聖詔を以て制を立つれば、乃ち天下の蒼生を謬らざるか。