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中朝事実 / 武德章・景行帝の東夷征伐と日本武尊

景行帝二十五年秋七月庚辰朔壬午。遣武內宿禰。令察北陸及東方諸國之地形。且百姓之消息也。二十七年春二月辛丑朔壬子。武內宿禰自東國還之奏言。東夷之中有日高見國。其國人男女並推結文身。爲人勇悍。是惣曰蝦夷。亦土地沃壤而曠之。擊可取也。四十年夏六月。東夷多叛。邊境騷動。秋七月癸未朔戊戌。天皇持斧鉞以授日本武尊曰。朕聞。其東夷也。識性暴强。凌犯爲宗。村之無長。邑之勿首。各貪封堺。並相盜略。亦山有邪神。郊有姦鬼。遮衢塞徑。多令苦人。其東夷之中。蝦夷是尤强焉。男女交居。父子無別。冬則宿穴。夏則住樔。衣毛飮血。昆弟相疑。登山如飛禽。行草如走獸。承恩則忘。見怨必報。是以箭藏頭髻。刀佩衣中。或聚黨類而犯邊界。或伺農桑以略人民。擊則隱草。追則入山。故往古以來未染王化。今朕察汝爲人也。身體長大。容姿端正。力能扛鼎。猛如雷電。所向無前。所攻必勝。卽知之。形則我子。實則神人。是寔天愍朕不叡。且國不平。令經綸天業不絕宗廟乎。亦是天下則汝天下也。是位則汝位也。願深謀遠慮。探姦伺變。示之以威。懷之以德。不煩兵甲。自令臣隷。卽巧言調暴神。振武以攘姦鬼。於是日本武尊乃受斧鉞。以再拜奏之曰。嘗西征之年。賴皇靈之威。提三尺劒。擊熊襲國。未經決辰。賊首伏罪。今亦賴神祇之靈。借天皇之威。往臨其境。示以德敎。猶有不服。卽擧兵擊。仍重再拜之。冬十月壬子朔癸丑。日本武尊發路之。爰日本武尊則從上總轉入陸奧國。時大鏡懸於王船。從海路廻於葦浦。橫渡玉浦。至蝦夷境。蝦夷賊首島津神國津神等。屯於竹水門而欲距。然遙視王船。豫怖其威勢。而心裏知之不可勝。悉捨弓矢。望拜之曰。仰視君容。秀於人倫。若神之乎。欲知姓名。王對之曰。吾是現人神之子也。於是蝦夷等悉慄。則寒裳披波。自扶王船而著岸。仍面縛服罪。故免其罪。因以俘其首帥。而令從身也。蝦夷旣平。 謹按。是東夷征伐之始也。自是蝦夷朝貢不怠。敎化大行于東方。綿綿以至今日。武內宿禰之知機也。日本武尊之雄武也。神劔之發威也。靈鏡之明光也。殆武德之盛矣。故帝終至錄其功名。以定武部。示諸後世也。凡少碓王之用兵也。于西于東。所向無寇。勤王而無息。此時邊鄙之反人悉平。夷賊從服。四海大寧。皆是王之功也。惜哉。癘之害而夭其命乎。〔以上征東夷〕

新字:景行帝二十五年秋七月庚辰朔壬午。遣武内宿祢。令察北陸及東方諸国之地形。且百姓之消息也。二十七年春二月辛丑朔壬子。武内宿祢自東国還之奏言。東夷之中有日高見国。其国人男女並推結文身。為人勇悍。是惣曰蝦夷。亦土地沃壤而曠之。撃可取也。四十年夏六月。東夷多叛。辺境騷動。秋七月癸未朔戊戌。天皇持斧鉞以授日本武尊曰。朕聞。其東夷也。識性暴強。凌犯為宗。村之無長。邑之勿首。各貪封堺。並相盗略。亦山有邪神。郊有姦鬼。遮衢塞径。多令苦人。其東夷之中。蝦夷是尤強焉。男女交居。父子無別。冬則宿穴。夏則住樔。衣毛飲血。昆弟相疑。登山如飛禽。行草如走獣。承恩則忘。見怨必報。是以箭蔵頭髻。刀佩衣中。或聚党類而犯辺界。或伺農桑以略人民。撃則隠草。追則入山。故往古以来未染王化。今朕察汝為人也。身体長大。容姿端正。力能扛鼎。猛如雷電。所向無前。所攻必勝。即知之。形則我子。実則神人。是寔天愍朕不叡。且国不平。令経綸天業不絶宗廟乎。亦是天下則汝天下也。是位則汝位也。願深謀遠慮。探姦伺変。示之以威。懐之以徳。不煩兵甲。自令臣隷。即巧言調暴神。振武以攘姦鬼。於是日本武尊乃受斧鉞。以再拝奏之曰。嘗西征之年。頼皇霊之威。提三尺劒。撃熊襲国。未経決辰。賊首伏罪。今亦頼神祇之霊。借天皇之威。往臨其境。示以徳教。猶有不服。即挙兵撃。仍重再拝之。冬十月壬子朔癸丑。日本武尊発路之。爰日本武尊則従上総転入陸奥国。時大鏡懸於王船。従海路廻於葦浦。横渡玉浦。至蝦夷境。蝦夷賊首島津神国津神等。屯於竹水門而欲距。然遥視王船。予怖其威勢。而心裏知之不可勝。悉捨弓矢。望拝之曰。仰視君容。秀於人倫。若神之乎。欲知姓名。王対之曰。吾是現人神之子也。於是蝦夷等悉慄。則寒裳披波。自扶王船而著岸。仍面縛服罪。故免其罪。因以俘其首帥。而令従身也。蝦夷既平。 謹按。是東夷征伐之始也。自是蝦夷朝貢不怠。教化大行于東方。綿綿以至今日。武内宿祢之知機也。日本武尊之雄武也。神剣之発威也。霊鏡之明光也。殆武徳之盛矣。故帝終至録其功名。以定武部。示諸後世也。凡少碓王之用兵也。于西于東。所向無寇。勤王而無息。此時辺鄙之反人悉平。夷賊従服。四海大寧。皆是王之功也。惜哉。癘之害而夭其命乎。〔以上征東夷〕

書き下し

景行帝二十五年秋七月庚辰朔壬午、武內宿禰を遣はして、北陸及び東方諸國の地形、且つ百姓の消息を察せしむ。二十七年春二月辛丑朔壬子、武內宿禰、東國より還りて奏言す、東夷の中に日高見國有り。其の國人は男女並びに推結文身し、人と爲り勇悍なり。是れ惣べて蝦夷と曰ふ。亦た土地沃壤にして曠し。擊ちて取るべし、と。四十年夏六月、東夷多く叛き、邊境騷動す。秋七月癸未朔戊戌、天皇、斧鉞を持ちて以て日本武尊に授けて曰く、朕聞く、其の東夷や、識性暴强、凌犯を宗と爲す。村に長無く、邑に首無く、各々封堺を貪り、並びに相盜略す。亦た山に邪神有り、郊に姦鬼有り、衢を遮り徑を塞ぎ、多く人をして苦しましむ。其の東夷の中に、蝦夷は是れ尤も强し。男女交居し、父子別無し。冬は則ち穴に宿り、夏は則ち樔に住む。毛を衣て血を飮み、昆弟相疑ふ。山に登ること飛禽の如く、草を行くこと走獸の如し。恩を承くれば則ち忘れ、怨みを見れば必ず報ゆ。是を以て箭を頭髻に藏し、刀を衣の中に佩ぶ。或いは黨類を聚めて邊界を犯し、或いは農桑を伺ひて人民を略む。擊てば則ち草に隱れ、追へば則ち山に入る。故に往古以來、未だ王化に染まらず。今、朕、汝の人と爲りを察するに、身體長大、容姿端正、力は能く鼎を扛げ、猛きこと雷電の如し。向かふ所前無く、攻むる所必ず勝つ。卽ち之を知るに、形は則ち我が子、實は則ち神人なり。是れ寔に天、朕が不叡を愍み、且つ國の平らかならざるを、天業を經綸して宗廟を絕えざらしむるなり。亦た是れ天下は則ち汝の天下なり、是の位は則ち汝の位なり。願はくは深謀遠慮し、姦を探り變を伺ひ、之に示すに威を以てし、之を懷くるに德を以てし、兵甲を煩はさず、自ら臣隷たらしめよ。卽ち巧言して暴神を調へ、武を振ひて姦鬼を攘へ、と。是に日本武尊、乃ち斧鉞を受け、再拜して奏して曰く、嘗て西征の年、皇靈の威に賴り、三尺の劒を提げて、熊襲國を擊つ。未だ旬日を經ずして、賊首罪に伏す。今亦た神祇の靈に賴り、天皇の威を借り、往きて其の境に臨み、示すに德敎を以てす。猶ほ服せざる有らば、卽ち兵を擧げて擊たん、と。仍りて重ねて再拜す。冬十月壬子朔癸丑、日本武尊、路に發つ。爰に日本武尊、則ち上總より轉じて陸奧國に入る。時に大鏡を王船に懸け、海路より葦浦に廻り、玉浦を橫渡して、蝦夷の境に至る。蝦夷の賊首、島津神・國津神等、竹水門に屯して距がんと欲す。然れども遙かに王船を視て、豫め其の威勢に怖ぢ、心裏に勝つべからざるを知る。悉く弓矢を捨て、望み拜して曰く、君の容を仰ぎ視るに、人倫より秀でたり。神か、と。姓名を知らんと欲す。王、之に對へて曰く、吾は是れ現人神の子なり、と。是に蝦夷等悉く慄れ、則ち裳を寒げ波を披き、自ら王船を扶けて岸に著く。仍りて面縛して罪に服す。故に其の罪を免し、因りて其の首帥を俘とし、身に從はしむ。蝦夷旣に平らぐ。 謹んで按ずるに、是れ東夷征伐の始めなり。是れより蝦夷の朝貢怠らず、敎化大いに東方に行はれ、綿綿として以て今日に至る。武內宿禰の機を知れる、日本武尊の雄武、神劒の威を發し、靈鏡の明光、殆ど武德の盛なるかな。故に帝、終に其の功名を錄し、以て武部を定め、諸を後世に示すに至る。凡そ少碓王の兵を用ゐるや、西に東に、向かふ所寇無し。王に勤めて息まず。此の時、邊鄙の反人悉く平らぎ、夷賊從服し、四海大いに寧らかなり。皆是れ王の功なり。惜しいかな、癘の害にして其の命を夭せしこと。〔以上、東夷を征す。〕

現代語訳

景行天皇二十五年秋七月三日、武内宿禰を遣わして、北陸および東方の諸国の地形、ならびに民の様子を視察させた。二十七年春二月十二日、武内宿禰は東国から戻って奏上した。東夷の中に日高見国があります。その国の人は男女ともに髪を結い、入れ墨をしており、人柄は勇ましく荒々しい。これらを総じて蝦夷といいます。土地も肥えて広い。攻めれば取れます、と。四十年夏六月、東夷が多く背き、辺境が騒がしくなった。秋七月十六日、天皇は斧鉞を持って日本武尊に授けて言った。朕は聞いている。その東夷は、性質が荒々しく、侵し犯すことを第一とする。村に長がなく、邑に首がなく、各々が境を貪り、互いに盗み奪い合う。また山には邪神がおり、野には姦鬼がいて、道を遮り小径を塞ぎ、多くの人を苦しめている。その東夷の中でも、蝦夷が特に強い。男女が入り交じって暮らし、父子の区別がない。冬は穴に寝て、夏は樹上の巣に住む。毛皮を着て血を飲み、兄弟も互いに疑う。山に登ることは飛ぶ鳥のようで、草を行くことは走る獣のようである。恩を受けても忘れ、恨みを見れば必ず報いる。そのため矢を髻に隠し、刀を衣の中に帯びている。あるいは仲間を集めて辺境を犯し、あるいは農事・養蚕の時をうかがって民を略奪する。攻めれば草に隠れ、追えば山に入る。だから昔から王化に染まったことがない。今、朕はお前の人柄を見るに、身体は大きく、容姿は端正で、力は鼎を持ち上げ、猛きことは雷電のようである。向かうところ敵はなく、攻めれば必ず勝つ。思うに、形は我が子だが、実は神人である。これはまことに天が朕の不明を憐れみ、国の平らかでないことを、天の業を治めて宗廟を絶やさぬようにさせるものである。また、これは天下はお前の天下であり、この位はお前の位である。願わくは深く謀り遠く慮り、奸を探り変をうかがい、威を示し、徳で懐かせて、兵を煩わさずに自ら臣下となるようにせよ。巧みな言葉で暴れる神を整え、武を振るって姦鬼を払え、と。そこで日本武尊は斧鉞を受け、再拝して奏上した。かつて西征の年、皇霊の威に頼り、三尺の剣を提げて熊襲国を撃ちました。十日もたたないうちに賊の首領は罪に服しました。今もまた神祇の霊に頼り、天皇の威を借りて、その境に臨み、徳の教えを示します。それでもなお服さない者があれば、兵を挙げて撃ちます、と。そして重ねて再拝した。冬十月二日、日本武尊は路に出発した。さて日本武尊は上総から転じて陸奥国に入った。そのとき大鏡を王船に掛け、海路から葦浦を巡り、玉浦を横切って、蝦夷の境に至った。蝦夷の賊の首領の島津神・国津神らは、竹水門に屯して防ごうとした。しかし遠くから王船を見て、あらかじめその威勢を恐れ、心の中で勝てないことを知った。そこで弓矢をすべて捨て、望み拝して言った。君のお姿を仰ぎ見ると、人並み以上に秀でている。神でいらっしゃるか、と。姓名を知りたがった。王は答えて言った。私は現人神の子である、と。そこで蝦夷らはみな恐れおののき、裳をからげて波をかき分け、自ら王船を助けて岸に着けた。そして面縛して罪に服した。そこでその罪を許し、その首領を捕虜として、身に従わせた。蝦夷はすでに平らいだ。 素行はこう考える。これは東夷征伐の始めである。これ以来、蝦夷の朝貢は怠りなく、教化は大いに東方に行われ、連綿として今日に至る。武内宿禰が機を知っていたこと、日本武尊の雄武、神剣の威の発揮、霊鏡の明光は、まさに武徳の盛んなることである。だから帝はついにその功名を記録して、武部を定め、後世に示すに至った。少碓王の兵の用い方は、西に東に、向かうところ敵がなかった。王に勤めて休まなかった。このとき辺境の反逆者はことごとく平らぎ、夷賊は服し従い、四海は大いに安らかであった。みなこれは王の功である。惜しいことに、病でその命を短くしたことよ。(以上、東夷を征す。)

解説

景行天皇が日本武尊に斧鉞を授けて蝦夷の平定に遣わす『日本書紀』の記事で、素行は武徳の盛んな例として論じます。天皇の言葉に出る蝦夷の描写は、中央側の偏見に満ちた記述であり、現代の感覚や研究とは相容れません。ここは素行の主張以前に、史料自体が征服する側の視点で書かれていることに注意して読む必要があります。それでも、威と徳を併せて兵を煩わせずに従わせよという命や、将に全権を授ける形は、現代の組織が外へ展開する際の使命の与え方として参照できます。
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この章句が説くこと

日本武尊蝦夷斧鉞武内宿祢威と徳東夷征伐

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