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中朝事実 / 中國章・辺境の守りと四道将軍・蝦夷への備え

崇神帝十年冬十月乙卯朔。詔群臣曰。今返者悉伏誅。幾內無事。唯海外荒倍。騷動未止。其四道將軍等今忽發之。丙子將軍等共發路。十一年夏四月壬子朔己卯。四道將軍以平戎夷之狀奏焉。是歲異俗多歸。國內安寧。 謹按。二神定可守之境之後。鴻蒙草昧。而封疆未分。神武帝經綸天業。制中州之後。又未弘恢化德。帝識性聰敏。尤有雄謀。故大開四方。以規邊要。下無逸民。敎化流行。終正蒼生之課役。利船舶之運轉。天下大平也。 景行帝二十五年秋七月庚辰朔壬午。遣武內宿禰。令察北陸及東方諸國之地形且百姓之消息也。二十七年春二月辛酉朔壬子。武內宿禰自東國還之奏言。東夷之中有日高見國。其國人男女並椎結文身。爲人勇悍。是總曰蝦夷。四十年夏六月東夷多叛。邊境騷動。冬十月。命日本武尊征之。蝦夷服罪。五十三年巡狩于東海。 謹按。帝自征西州。巡狩東方。封建七十餘子。各令如其國。是乃定四方之邊境。爲王室之藩屏也。 成務帝四年春二月丙寅。國郡立長。縣邑置首。取當國之幹了者。任其國郡之首長。是爲中區之藩屏也。五年秋九月。隔山河而分國縣。隨阡陌以定邑里。因以東西爲日縱。南北爲日橫。山陽曰影面。山陰曰背面。 謹按。天下之邊要。逮帝其制相成。蓋邊要者天下之藩屏也。四邊唯以陸奧・出羽・佐渡・對島・多禰爲邊要國。以太宰府・鎭守府爲藩鎭所。鎭西府者。備異域之襲來。鎭守府者。征蝦夷之跋扈。異域竟不得侵邊境。蝦夷數寇東藩。故有國守。有將軍。有兩國按察使府・秋田城介。以信夫郡以南租稅。充國府之公廨。以苅田以北稻穀。充鎭府之兵粮。常置五千人兵。運送許多兵器。是愼邊要也。凡承平之治。王化之澤。無下浴。而邊境之廣。遠人之信。必異敎殊風。故其弊。或盜賊劫竊。入山據險。或因吏務之奸謀。邊民含恨之事。未嘗無之。故擇吏幹之才。詳巡察之使。以安邊疆。是上古之聖戒也。豈可忽乎。〔以上。守邊要之備。〕 以上論水土之規制。謹按。地在天之中中又不無四邊。而得其中曰中國。言得天地之中也。天地之中何。四時行。寒暑順。水土人物甚美。而無過不及之差是也。萬邦之衆。唯中州及外朝得天地之中。故人物事義大不異。其建極以致聖敎。殆如合節也。〔外朝鮮亦同水土。然朝鮮者與外朝同封域。唯在其東藩也。〕蓋有土地。則有國郡。有國郡則有都鄙之分。而設王畿。建都宮。制道路。四方以通之。四藩以屏之。故其規也。其制也。未嘗不盡其道。凡上法天象。下詳地勢。校人物之計會。察治亂之機。以致其禮用。以盡其至誠。則遠近・都鄙・內外・無不同其俗。通其利也。天下之大。國郡之區。雖不可一擧。自朝廷及邦畿。自王畿及四方。自四方至四疆。猶一元氣之周流營衞四支百骸。而以統諸於一胸臆。然乃朝廷王畿者。天下之規範。而兆民所具瞻也。豈縱一人之私。伐當時之治。而不致其規制乎。

新字:崇神帝十年冬十月乙卯朔。詔群臣曰。今返者悉伏誅。幾内無事。唯海外荒倍。騷動未止。其四道将軍等今忽発之。丙子将軍等共発路。十一年夏四月壬子朔己卯。四道将軍以平戎夷之状奏焉。是歳異俗多帰。国内安寧。 謹按。二神定可守之境之後。鴻蒙草昧。而封疆未分。神武帝経綸天業。制中州之後。又未弘恢化徳。帝識性聰敏。尤有雄謀。故大開四方。以規辺要。下無逸民。教化流行。終正蒼生之課役。利船舶之運転。天下大平也。 景行帝二十五年秋七月庚辰朔壬午。遣武内宿祢。令察北陸及東方諸国之地形且百姓之消息也。二十七年春二月辛酉朔壬子。武内宿祢自東国還之奏言。東夷之中有日高見国。其国人男女並椎結文身。為人勇悍。是総曰蝦夷。四十年夏六月東夷多叛。辺境騷動。冬十月。命日本武尊征之。蝦夷服罪。五十三年巡狩于東海。 謹按。帝自征西州。巡狩東方。封建七十余子。各令如其国。是乃定四方之辺境。為王室之藩屏也。 成務帝四年春二月丙寅。国郡立長。県邑置首。取当国之幹了者。任其国郡之首長。是為中区之藩屏也。五年秋九月。隔山河而分国県。随阡陌以定邑里。因以東西為日縦。南北為日横。山陽曰影面。山陰曰背面。 謹按。天下之辺要。逮帝其制相成。蓋辺要者天下之藩屏也。四辺唯以陸奥・出羽・佐渡・対島・多祢為辺要国。以太宰府・鎮守府為藩鎮所。鎮西府者。備異域之襲来。鎮守府者。征蝦夷之跋扈。異域竟不得侵辺境。蝦夷数寇東藩。故有国守。有将軍。有両国按察使府・秋田城介。以信夫郡以南租税。充国府之公廨。以苅田以北稲穀。充鎮府之兵粮。常置五千人兵。運送許多兵器。是慎辺要也。凡承平之治。王化之沢。無下浴。而辺境之広。遠人之信。必異教殊風。故其弊。或盗賊劫窃。入山拠険。或因吏務之奸謀。辺民含恨之事。未嘗無之。故択吏幹之才。詳巡察之使。以安辺疆。是上古之聖戒也。豈可忽乎。〔以上。守辺要之備。〕 以上論水土之規制。謹按。地在天之中中又不無四辺。而得其中曰中国。言得天地之中也。天地之中何。四時行。寒暑順。水土人物甚美。而無過不及之差是也。万邦之衆。唯中州及外朝得天地之中。故人物事義大不異。其建極以致聖教。殆如合節也。〔外朝鮮亦同水土。然朝鮮者与外朝同封域。唯在其東藩也。〕蓋有土地。則有国郡。有国郡則有都鄙之分。而設王畿。建都宮。制道路。四方以通之。四藩以屏之。故其規也。其制也。未嘗不尽其道。凡上法天象。下詳地勢。校人物之計会。察治乱之機。以致其礼用。以尽其至誠。則遠近・都鄙・内外・無不同其俗。通其利也。天下之大。国郡之区。雖不可一挙。自朝廷及邦畿。自王畿及四方。自四方至四疆。猶一元気之周流営衛四支百骸。而以統諸於一胸臆。然乃朝廷王畿者。天下之規範。而兆民所具瞻也。豈縦一人之私。伐当時之治。而不致其規制乎。

書き下し

崇神帝十年冬十月乙卯朔、群臣に詔して曰く、今返る者、悉く伏誅す。幾内事無し。唯だ海外荒倍し、騒動未だ止まず。其の四道将軍等、今忽ちに発て、と。丙子、将軍等共に路に発つ。十一年夏四月壬子朔己卯、四道将軍、戎夷を平らぐるの状を以て奏す。是の歳、異俗多く帰す。国内安寧なり。 謹んで按ずるに、二神、守るべきの境を定めて後、鴻蒙草昧にして封疆未だ分かたず。神武帝、天業を経綸し、中州を制して後も、又た未だ化徳を弘恢せず。帝は識性聡敏にして、尤も雄謀有り。故に大いに四方を開き、以て辺要を規る。下に逸民無く、教化流行す。終に蒼生の課役を正し、船舶の運転を利して、天下大平なり。 景行帝二十五年秋七月庚辰朔壬午、武内宿禰を遣わし、北陸及び東方の諸国の地形、且つ百姓の消息を察せしむ。二十七年春二月辛酉朔壬子、武内宿禰、東国より還りて奏して言う、東夷の中に日高見国有り。其の国人は男女並びに椎結文身し、人と為り勇悍なり。是れを総じて蝦夷と曰う、と。四十年夏六月、東夷多く叛き、辺境騒動す。冬十月、日本武尊に命じて之を征せしむ。蝦夷罪に服す。五十三年、東海に巡狩す。 謹んで按ずるに、帝、自ら西州を征し、東方を巡狩し、七十余子を封建し、各おの其の国の如くせしむ。是れ乃ち四方の辺境を定め、王室の藩屏と為すなり。 成務帝四年春二月丙寅、国郡に長を立て、県邑に首を置く。当国の幹了なる者を取りて、其の国郡の首長に任ず。是れ中区の藩屏と為すなり。五年秋九月、山河を隔てて国県を分かち、阡陌に随いて邑里を定む。因りて東西を以て日縦と為し、南北を日横と為し、山陽を影面と曰い、山陰を背面と曰う。 謹んで按ずるに、天下の辺要は、帝に逮びて其の制相成る。蓋し辺要とは天下の藩屏なり。四辺は唯だ陸奥・出羽・佐渡・対島・多禰を以て辺要国と為し、太宰府・鎮守府を以て藩鎮の所と為す。鎮西府とは、異域の襲来に備うるなり。鎮守府とは、蝦夷の跋扈を征するなり。異域は竟に辺境を侵すを得ず。蝦夷は数しば東藩を寇す。故に国守有り、将軍有り、両国按察使府・秋田城介有り。信夫郡以南の租税を以て国府の公廨に充て、苅田以北の稲穀を以て鎮府の兵粮に充つ。常に五千人の兵を置き、許多の兵器を運送す。是れ辺要を慎むなり。凡そ承平の治、王化の沢、下に浴さざる無し。而して辺境の広く、遠人の信は、必ず教えを異にし風を殊にす。故に其の弊、或いは盗賊劫窃し、山に入りて険に拠り、或いは吏務の奸謀に因りて、辺民恨みを含むの事、未だ嘗て無くんばあらず。故に吏幹の才を択び、巡察の使を詳らかにして、以て辺疆を安んず。是れ上古の聖戒なり。豈に忽せにすべけんや。〔以上、辺要を守るの備え。〕 以上、水土の規制を論ず。謹んで按ずるに、地は天の中に在り、中に又た四辺無くんばあらず。而して其の中を得るを中国と曰う。天地の中を得るを言うなり。天地の中とは何ぞ。四時行われ、寒暑順い、水土人物甚だ美にして、過不及の差無き、是れなり。万邦の衆、唯だ中州及び外朝のみ天地の中を得たり。故に人物事義、大いに異ならず。其の極を建て、以て聖教を致すこと、殆ど節を合わすが如し。〔外朝鮮も亦た水土を同じくす。然れども朝鮮とは外朝と封域を同じくす。唯だ其の東藩に在るのみ。〕蓋し土地有れば、則ち国郡有り。国郡有れば則ち都鄙の分有り。而して王畿を設け、都宮を建て、道路を制し、四方以て之に通じ、四藩以て之を屏る。故に其の規や、其の制や、未だ嘗て其の道を尽くさずんばあらず。凡そ上は天象に法り、下は地勢を詳らかにし、人物の計会を校べ、治乱の機を察して、以て其の礼用を致し、以て其の至誠を尽くせば、則ち遠近・都鄙・内外、同じく其の俗を同じくし、其の利を通ずるなり。天下の大、国郡の区、一々挙ぐべからずと雖も、朝廷より邦畿に及び、王畿より四方に及び、四方より四疆に至ること、猶お一元気の周流し、四支百骸を営衛して、以て諸を一胸臆に統ぶるがごとし。然れば乃ち朝廷・王畿は、天下の規範にして、兆民の具に瞻る所なり。豈に一人の私を縦にし、当時の治を伐ちて、其の規制を致さざるべけんや。

現代語訳

崇神帝十年冬十月乙卯朔、群臣に詔して言った。今や従わなかった者はことごとく誅に伏した。畿内は無事である。ただ海外は荒れて、騒動がまだ止まない。四道将軍らは今すぐ出発せよ、と。丙子の日、将軍らはそろって出発した。十一年夏四月壬子朔己卯、四道将軍が異民族を平らげた状況を報告した。この年、異俗の者が多く帰順し、国内は安らかだった。 素行はこう考える。二神が守るべき境を定めた後も、混沌として国境はまだ分かれていなかった。神武帝が天業を治め、中州を制した後も、なお教化と徳が広がっていなかった。崇神帝は聡明で、とりわけ雄大な謀があった。だから大いに四方を開いて辺境の要所を定めた。下には見捨てられた民がなく、教化は行き渡った。ついに人々の課役を正し、船舶の運送を便利にして、天下は太平となった。 景行帝二十五年秋七月庚辰朔壬午、武内宿禰を派遣して、北陸および東方の諸国の地形と人々の様子を調べさせた。二十七年春二月辛酉朔壬子、武内宿禰は東国から帰り、報告して言った。東夷の中に日高見国がある。その国の人は男女とも髪を椎の形に結い、入れ墨をしており、勇ましく強い。これらを総称して蝦夷という、と。四十年夏六月、東夷の多くが背き、辺境が騒がしくなった。冬十月、日本武尊に命じてこれを征討させた。蝦夷は罪に服した。五十三年、東海を巡幸した。 素行はこう考える。帝は自ら西州を征し、東方を巡幸し、七十余人の子を封じ、それぞれその国を治めさせた。これは四方の辺境を定め、王室の藩屏としたのである。 成務帝四年春二月丙寅、国・郡に長を立て、県・邑に首を置いた。その土地の有能な者を選んで、その国・郡の首長に任じた。これは中区の藩屏とするためである。五年秋九月、山河を隔てて国県を分け、あぜ道に従って村里を定めた。そして東西を日縦とし、南北を日横とし、山の南側を影面、山の北側を背面といった。 素行はこう考える。天下の辺境の要所は、帝の時代になって制度が整った。辺要とは天下の藩屏である。四辺では陸奥・出羽・佐渡・対馬・多禰を辺要の国とし、太宰府・鎮守府を藩鎮の所とした。鎮西府は異国の襲来に備え、鎮守府は蝦夷の横行を征する。異国はついに辺境を侵せなかった。蝦夷はしばしば東の藩を襲った。そのため国守がおり、将軍がおり、陸奥・出羽の按察使府と秋田城介がいた。信夫郡以南の租税を国府の公費にあて、苅田以北の稲穀を鎮守府の兵糧にあてた。常に五千人の兵を置き、多くの兵器を運び送った。これが辺境の要所を慎むということである。およそ平和な世の治めと、王化の恵みは、下の者にまで及ばないところはない。しかし辺境は広く、遠方の人は教えを異にし風俗も異なる。だからその弊害として、盗賊が略奪して山に入り険阻に拠ったり、役人の悪だくみで辺境の民が恨みを抱くことが、なかったわけではない。だから有能な官吏を選び、巡察使をきちんと派遣して、辺境を安んじた。これは上古の聖人の戒めである。軽んじてよいはずがない。(以上、辺境の要所を守る備え。) 以上、風土の制度を論じた。素行はこう考える。地は天の中にあり、その中にまた四辺がないわけではない。その中を得たものを中国という。天地の中を得たという意味である。天地の中とは何か。四季が巡り、寒暑が順当で、風土や人物が非常に優れ、過不足の差がないことである。万国の中で、ただ中州と外朝だけが天地の中を得た。だから人物や事柄、義はそれほど異ならない。その基準を建て、聖教を致すことは、ほとんど符節が合うようである。(外朝鮮もまた風土を同じくする。しかし朝鮮は外朝と国境を同じくする。ただその東の藩にあるだけである。)思うに、土地があれば国・郡があり、国・郡があれば都と田舎の区別がある。そこで王畿を設け、都宮を建て、道路を整え、四方に通じさせ、四方の藩で守る。だからその規則やその制度は、その道を尽くさないことはなかった。上は天象に則り、下は地勢を詳しくし、人と物の計算を比べ、治乱の機を察して、礼の用を尽くし、至誠を尽くすならば、遠近・都鄙・内外が同じく風俗を同じくし、利を通じ合うのである。天下は大きく、国郡の区分は一つ一つ挙げられないが、朝廷から畿内に及び、王畿から四方に及び、四方から四疆に至ることは、一つの元気が全身を巡って手足や全身を養い、すべてを一つの胸にまとめるようなものである。であれば朝廷・王畿は天下の規範であり、万民が仰ぎ見る所である。どうして一人の私を縦にし、当時の治めを損ねて、その規制を尽くさないでよいだろうか。

解説

辺境の守りと備えを論じた箇所です。『日本書紀』の崇神紀・景行紀・成務紀から、四道将軍の派遣、蝦夷への対処、国郡の長の任命を引きます。素行は、辺境ほど官吏の人選と巡察が大切で、役人の悪だくみは辺民の恨みを生むと指摘します。ここには中央の制度と末端の運用を結ぶ発想があります。現代の組織でも、支店や海外拠点、現場は本社から遠く、教えや風俗も異なります。人を得て巡り、現場の不満が積もる前に声を聞くことが、離反や不正を防ぐ備えになるという読み方ができます。
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この章句が説くこと

四道将軍辺要蝦夷国郡の長巡察藩屏

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