中朝事実 / 武德章・天孫降臨の護衛と神武東征
高皇產靈尊。以眞床覆衾。裹天津彥國光彥火瓊瓊杵尊。則引開天磐戶。排分天八重雲。以奉降之。于時大伴連遠祖天忍日命。帥來目部遠祖天穗津大來目。背負天磐靱。臂著稜威高鞆。手捉天櫨弓天羽羽矢。及副持八目鳴鏑。又帶頭槌劒而立天孫之前。遊行降來。 謹按。草昧之際。非常之戒。不可忽之。故天忍日命備軍裝。以前驅。敵其所愾。威武之道。設而不怠。克終之戒也。況天孫初降乎。 神武帝甲寅冬十月丁巳朔辛酉。天皇親帥諸皇子舟師東征。戊午年春二月丁酉朔丁未。皇師遂東。舳艫相接。方到難波之碕。夏四月丙申朔甲辰。皇師勒兵。步趣龍田。而其路狹嶮。人不得並行。乃還更欲東踰膽駒山而入中洲。時長髓彥聞之曰。夫天神子等所以來者。必將奪我國。則盡起屬兵。徼之於孔舍衞坂。與之會戰。 謹按。是人皇東征定中州之武威也。有舟師。有步兵。有會戰。有神策。有神瑞。有凱歌。有祭齋。戰勝而存戒。以徙營於別處。聊以爲御謠。慰將卒之勞焉。練士卒。示誠信。建功於六年。其兵律之制。神謀之略。陳營器械之用法。元將偏帥之撰任。無不備。故井光之有尾。土蜘蛛之手足長。不能著其術。況長髓彥之愎很。菟田兄猾之逆謀。竟裂殺。而區宇安定。中州初平。其策。其兵。皆出於神。神乃天也。天以授之。人以與之。是帝所以爲神武也。或疑。天授人與。神武而不殺者。聖人之兵也。然乃何有此許多誅戮乎。愚謂。草昧之間。草木咸言。邪鬼爲繩聲。各自建封境。占其有。非神兵。終不可得速成之功。流血沒踝。僵屍枕臂者。會戰誅殺之制也。桀犬吠堯。何時無黨奸之賊徒。況屯蒙乎。其死神兵者。所天討之。其他不易民以治之。東征六年之間。鳴其兵僅一年。〔自戊午年春二月至己未年春二月〕而中國絶風塵。神武不殺之大兵。天授人與之至德。可併考也。〔以上神聖之武〕
新字:高皇産霊尊。以真床覆衾。裹天津彦国光彦火瓊瓊杵尊。則引開天磐戸。排分天八重雲。以奉降之。于時大伴連遠祖天忍日命。帥来目部遠祖天穂津大来目。背負天磐靱。臂著稜威高鞆。手捉天櫨弓天羽羽矢。及副持八目鳴鏑。又帯頭槌劒而立天孫之前。遊行降来。 謹按。草昧之際。非常之戒。不可忽之。故天忍日命備軍装。以前駆。敵其所愾。威武之道。設而不怠。克終之戒也。況天孫初降乎。 神武帝甲寅冬十月丁巳朔辛酉。天皇親帥諸皇子舟師東征。戊午年春二月丁酉朔丁未。皇師遂東。舳艫相接。方到難波之碕。夏四月丙申朔甲辰。皇師勒兵。歩趣竜田。而其路狭嶮。人不得並行。乃還更欲東踰胆駒山而入中洲。時長髄彦聞之曰。夫天神子等所以来者。必将奪我国。則尽起属兵。徼之於孔舎衛坂。与之会戦。 謹按。是人皇東征定中州之武威也。有舟師。有歩兵。有会戦。有神策。有神瑞。有凱歌。有祭斎。戦勝而存戒。以徙営於別処。聊以為御謡。慰将卒之労焉。練士卒。示誠信。建功於六年。其兵律之制。神謀之略。陳営器械之用法。元将偏帥之撰任。無不備。故井光之有尾。土蜘蛛之手足長。不能著其術。況長髄彦之愎很。菟田兄猾之逆謀。竟裂殺。而区宇安定。中州初平。其策。其兵。皆出於神。神乃天也。天以授之。人以与之。是帝所以為神武也。或疑。天授人与。神武而不殺者。聖人之兵也。然乃何有此許多誅戮乎。愚謂。草昧之間。草木咸言。邪鬼為縄声。各自建封境。占其有。非神兵。終不可得速成之功。流血没踝。僵屍枕臂者。会戦誅殺之制也。桀犬吠堯。何時無党奸之賊徒。況屯蒙乎。其死神兵者。所天討之。其他不易民以治之。東征六年之間。鳴其兵僅一年。〔自戊午年春二月至己未年春二月〕而中国絶風塵。神武不殺之大兵。天授人与之至徳。可併考也。〔以上神聖之武〕
書き下し
高皇產靈尊、眞床覆衾を以て、天津彥國光彥火瓊瓊杵尊を裹み、則ち天磐戶を引き開き、天八重雲を排ひ分けて、以て奉り降らしむ。于時、大伴連の遠祖天忍日命、來目部の遠祖天穗津大來目を帥ゐ、背に天磐靱を負ひ、臂に稜威の高鞆を著け、手に天櫨弓・天羽羽矢を捉り、及び八目鳴鏑を副へ持ち、又た頭槌劒を帶びて、天孫の前に立ち、遊行して降り來る。 謹んで按ずるに、草昧の際、非常の戒めは忽にすべからず。故に天忍日命、軍裝を備へて以て前驅し、其の愾む所に敵す。威武の道、設けて怠らざるは、克く終はるの戒めなり。況んや天孫初めて降るをや。 神武帝甲寅の冬十月丁巳朔辛酉、天皇親ら諸皇子の舟師を帥ゐて東征す。戊午年春二月丁酉朔丁未、皇師遂に東す。舳艫相接し、方に難波の碕に到る。夏四月丙申朔甲辰、皇師兵を勒し、步みて龍田に趣く。而るに其の路狹く嶮しく、人並び行くを得ず。乃ち還りて更に東のかた膽駒山を踰えて中洲に入らんと欲す。時に長髓彥聞きて曰く、夫れ天神の子等の來る所以は、必ず將に我が國を奪はんとす、と。則ち盡く屬兵を起こし、孔舍衞坂に徼ち、與に會戰す。 謹んで按ずるに、是れ人皇東征して中州の武威を定むるなり。舟師有り、步兵有り、會戰有り、神策有り、神瑞有り、凱歌有り、祭齋有り。戰勝ちて戒めを存し、以て營を別處に徙し、聊か御謠を爲して、將卒の勞を慰む。士卒を練り、誠信を示し、功を六年に建つ。其の兵律の制、神謀の略、陳營器械の用法、元將偏帥の撰任、備はらざる無し。故に井光の尾有る、土蜘蛛の手足の長きも、其の術を著はす能はず。況んや長髓彥の愎很、菟田兄猾の逆謀、竟に裂殺せられて、區宇安定し、中州初めて平らぐ。其の策、其の兵、皆神に出づ。神は乃ち天なり。天以て之を授け、人以て之を與ふ。是れ帝の神武爲る所以なり。或ひと疑ふ、天授人與、神武にして殺さざるは、聖人の兵なり。然れば乃ち何ぞ此の許多の誅戮有るや、と。愚謂へらく、草昧の間、草木咸く言ひ、邪鬼繩聲を爲し、各々自ら封境を建て、其の有を占む。神兵に非ざれば、終に速やかに功を成すを得ず。血を流して踝を沒し、屍を僵して臂を枕とする者は、會戰誅殺の制なり。桀の犬、堯に吠ゆ。何れの時か黨奸の賊徒無からん。況んや屯蒙をや。其の神兵に死する者は、天の討つ所なり。其の他は民を易へずして以て之を治む。東征六年の間、其の兵を鳴らすは僅かに一年。〔戊午年春二月より己未年春二月に至る。〕而して中國風塵を絕つ。神武不殺の大兵、天授人與の至德、并せ考ふべきなり。〔以上、神聖の武。〕
現代語訳
高皇産霊尊は真床覆衾で天津彦国光彦火瓊瓊杵尊を包み、天の磐戸を引き開け、天の八重雲を押し分けて、お降しになった。そのとき大伴連の遠祖の天忍日命が、来目部の遠祖の天穂津大来目を率い、背に天磐靫を負い、肘に勇ましい高鞆をつけ、手に天櫨弓と天羽羽矢をとり、さらに八目鳴鏑を添え持ち、また頭槌剣を帯びて、天孫の前に立ち、先導して降ってきた。 素行はこう考える。草昧(天地開闢のはじめ)の時には、尋常でない戒めを軽んじてはならない。だから天忍日命は軍装を備えて先駆けし、怒りを向ける相手に当たった。威武の道は、設けて怠らないのが、終わりを全うする戒めである。まして天孫が初めて降るときはなおさらである。 神武天皇の甲寅の年冬十月五日、天皇は自ら諸皇子と水軍を率いて東征した。戊午の年春二月十一日、皇軍はついに東へ進んだ。舳先と艫が相接して、ちょうど難波の碕に着いた。夏四月九日、皇軍は兵を整え、歩いて竜田に向かった。しかしその道は狭くて険しく、人が並んで行くことができなかった。そこで引き返し、東へ生駒山を越えて中洲に入ろうとした。このとき長髄彦はそれを聞いて言った。そもそも天神の子らが来るのは、必ず我が国を奪おうとするためだ、と。そこで配下の兵をことごとく起こし、孔舎衛坂に待ち構えて、会戦した。 素行はこう考える。これは人皇が東征して中州の武威を定めたことである。水軍があり、歩兵があり、会戦があり、神の策があり、神の瑞があり、凱歌があり、祭祀と斎戒があった。戦いに勝っても戒めを持ち、陣営を別の所に移し、御謡をつくって、将兵の労を慰めた。士卒を訓練し、誠信を示し、六年で功を建てた。その兵律の制、神謀の略、陣営や器械の使い方、元将や副将の選任において、備わらないものはなかった。だから井光の尾があり、土蜘蛛の手足が長いという奇怪な者たちも、その術を発揮できなかった。まして長髄彦の頑固さ、菟田の兄猾の謀反は、ついに切り裂かれて殺され、天地四方が安定し、中州は初めて平らいだ。その策も、その兵も、みな神から出た。神とはすなわち天である。天がこれを授け、人がこれに与えた。これが帝が神武と称される所以である。ある人は疑う。天が授け人が与えた神武の兵は、人を殺さないのが聖人の兵だ。それならなぜこれほど多くの誅殺があるのか、と。私は考える。草昧の間は、草木までものを言い、邪鬼が騒ぎ、それぞれが勝手に境を築いて領有を占めた。神の兵でなければ、速やかな功を成すことはできなかった。血が流れて踝を没し、屍が倒れて臂を枕にするのは、会戦で誅殺する制である。桀の犬が堯に吠えるように、いつの時代も党をなして奸をなす賊徒がいなかったことはない。まして屯蒙(物事の始まりで混沌とした時)はなおさらである。神の兵に死んだ者は、天が討つところである。その他の者は、民を変えずにこれを治めた。東征の六年間のうち、兵を鳴らしたのはわずかに一年。(戊午年春二月から己未年春二月まで。)そして中国(日本)は風塵を絶った。神武にして殺さざる大兵、天授人与の至徳を、あわせて考えるべきである。(以上、神聖の武。)
解説

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