中朝事実 / 武德章・将帥を撰ぶ・節度を授ける
高皇產靈尊更會諸神。選當遣於葦原中國者。僉曰。磐裂根裂神之子。磐筒男磐筒女所生之子。經津主神。是將佳也。時有天石窟所住神稜威雄走神之子甕速日神。甕速日神之子熯速日神。熯速日神之子武甕槌神。此神進曰。豈唯經津主神獨爲丈夫而吾非丈夫者哉。其辭氣慷慨。故以卽配經津主神。令平葦原中國。云云。故大巳貴神乃以平國時所杖之廣矛授二神曰。吾以此矛卒有治功。天孫若用此矛治國者。必當平安。 謹按。是天神撰將之義也。蓋用兵之要。一在軍將。將者軍之司命勝敗之源也。天神三會群臣。以得此二將。終遂其功。所撰所任。共得其道也。二神平順。天孫臨降。以開萬億世之皇系。其武威。吁愁哉。懿哉矣。大巳貴所奉之廣矛亦靈器也。凡兵以律興。以策立。以器械爲用。兵武之字皆以其器。況中國初有瓊矛。以成此洲。天神以賚劒備神器乎。宜哉。二神有不血刃之勳乎。 神武帝東征。大伴氏之遠祖日臣命。帥大來目。督將元戎。蹈山啓行。 先人曰。神武天皇東征之日。物部氏祖道臣命爲軍帥。〔物部氏者恐誤乎。大伴氏也。道臣命者。乃日臣命之名也。〕 謹按。是人皇撰將之始也。蓋將才足以將物之稱。帥智以帥人之名也。危急草屯之時。其用最在將帥。滔滔武夫。非好謀挫機之精。未中其任。故將帥之爲用。不必以攻戰。要折衝屈敵之智。本誠信撫敵之實。其任重。其撰豈易得乎。道臣命殆其斯也。上有神武之聖。下有賢才之應。其制區宇。弘功業。所以無所不利。無所不成也。〔以上撰將帥〕 高皇產靈尊。賜天稚彥天鹿兒弓及天羽羽矢。以遣之。 謹按。是天神授將於節刀之義也。及人皇。景行帝以鉄鉞授日本武尊。自是連綿修飾。而有立將之禮。凡節度者。所以示其信也。斧鉞者。所以專刑戮也。軍旅之制。不可以私。人臣又無專制之義。故樹風聲於四方。著天表於所愾。將帥一受閫外之寄。適時中之宜。於是三軍之任歸于此。無二三其倚付也。蓋將相者天下之師也。其才其德不並行。則不得其實。天下安注意相。天下危注意將。然安常不安。一人有齟齬杌隉。卽轉危矣。人君當無事之日。人才彙集之時。儲其器以備急難。令隆天寵之優。布懷綏之德。則凡事無不成也。將有將兵將將。將相兼任。有知信仁勇忠。有禮將嚴將。然其本在知仁勇之三。若擧兵討不逞不精其撰將。則自招傾覆。以鏖三軍也。古來重其任。不亦宜乎。〔以上賜節度〕
新字:高皇産霊尊更会諸神。選当遣於葦原中国者。僉曰。磐裂根裂神之子。磐筒男磐筒女所生之子。経津主神。是将佳也。時有天石窟所住神稜威雄走神之子甕速日神。甕速日神之子熯速日神。熯速日神之子武甕槌神。此神進曰。豈唯経津主神独為丈夫而吾非丈夫者哉。其辞気慷慨。故以即配経津主神。令平葦原中国。云云。故大巳貴神乃以平国時所杖之広矛授二神曰。吾以此矛卒有治功。天孫若用此矛治国者。必当平安。 謹按。是天神撰将之義也。蓋用兵之要。一在軍将。将者軍之司命勝敗之源也。天神三会群臣。以得此二将。終遂其功。所撰所任。共得其道也。二神平順。天孫臨降。以開万億世之皇系。其武威。吁愁哉。懿哉矣。大巳貴所奉之広矛亦霊器也。凡兵以律興。以策立。以器械為用。兵武之字皆以其器。況中国初有瓊矛。以成此洲。天神以賚劒備神器乎。宜哉。二神有不血刃之勲乎。 神武帝東征。大伴氏之遠祖日臣命。帥大来目。督将元戎。蹈山啓行。 先人曰。神武天皇東征之日。物部氏祖道臣命為軍帥。〔物部氏者恐誤乎。大伴氏也。道臣命者。乃日臣命之名也。〕 謹按。是人皇撰将之始也。蓋将才足以将物之称。帥智以帥人之名也。危急草屯之時。其用最在将帥。滔滔武夫。非好謀挫機之精。未中其任。故将帥之為用。不必以攻戦。要折衝屈敵之智。本誠信撫敵之実。其任重。其撰豈易得乎。道臣命殆其斯也。上有神武之聖。下有賢才之応。其制区宇。弘功業。所以無所不利。無所不成也。〔以上撰将帥〕 高皇産霊尊。賜天稚彦天鹿児弓及天羽羽矢。以遣之。 謹按。是天神授将於節刀之義也。及人皇。景行帝以鉄鉞授日本武尊。自是連綿修飾。而有立将之礼。凡節度者。所以示其信也。斧鉞者。所以専刑戮也。軍旅之制。不可以私。人臣又無専制之義。故樹風声於四方。著天表於所愾。将帥一受閫外之寄。適時中之宜。於是三軍之任帰于此。無二三其倚付也。蓋将相者天下之師也。其才其徳不並行。則不得其実。天下安注意相。天下危注意将。然安常不安。一人有齟齬杌隉。即転危矣。人君当無事之日。人才彙集之時。儲其器以備急難。令隆天寵之優。布懐綏之徳。則凡事無不成也。将有将兵将将。将相兼任。有知信仁勇忠。有礼将厳将。然其本在知仁勇之三。若挙兵討不逞不精其撰将。則自招傾覆。以鏖三軍也。古来重其任。不亦宜乎。〔以上賜節度〕
書き下し
高皇產靈尊、更に諸神を會し、當に葦原中國に遣はすべき者を選ぶ。僉曰く、磐裂根裂神の子、磐筒男・磐筒女の生む所の子、經津主神、是れ將に佳からんとす、と。時に天石窟に住む所の神、稜威雄走神の子甕速日神、甕速日神の子熯速日神、熯速日神の子武甕槌神有り。此の神進みて曰く、豈に唯だ經津主神のみ獨り丈夫爲りて、吾は丈夫に非ざる者ならんや、と。其の辭氣慷慨たり。故に卽ち經津主神に配して、葦原中國を平らげしむ、云云。故に大巳貴神、乃ち平國の時に杖つく所の廣矛を以て二神に授けて曰く、吾、此の矛を以て卒に治功有り。天孫若し此の矛を用ゐて國を治めば、必ず當に平安なるべし、と。 謹んで按ずるに、是れ天神の將を撰ぶの義なり。蓋し兵を用ゐるの要は、一に軍將に在り。將は軍の司命、勝敗の源なり。天神三たび群臣を會して、以て此の二將を得、終に其の功を遂ぐ。撰ぶ所任ずる所、共に其の道を得たり。二神平順して、天孫臨降し、以て萬億世の皇系を開く。其の武威、吁、愁かなるかな、懿なるかな。大巳貴の奉る所の廣矛も亦た靈器なり。凡そ兵は律を以て興り、策を以て立ち、器械を以て用を爲す。兵武の字、皆其の器を以てす。況んや中國の初めに瓊矛有り、以て此の洲を成す。天神、以て劒を賚ひ神器に備ふるをや。宜なるかな。二神に血刃せざるの勳有ること。 神武帝東征に、大伴氏の遠祖日臣命、大來目を帥ゐ、將元戎を督し、山を蹈みて行を啓く。 先人曰く、神武天皇東征の日、物部氏の祖道臣命、軍帥と爲る。〔物部氏は恐らく誤りか。大伴氏なり。道臣命は、乃ち日臣命の名なり。〕 謹んで按ずるに、是れ人皇將を撰ぶの始めなり。蓋し將は才以て物を將ゐるに足るの稱、帥は智以て人を帥ゐるの名なり。危急草屯の時、其の用最も將帥に在り。滔滔たる武夫、好謀挫機の精に非ざれば、未だ其の任に中らず。故に將帥の用爲る、必ずしも攻戰を以てせず。折衝屈敵の智を要し、誠信撫敵の實に本づく。其の任重く、其の撰豈に易く得んや。道臣命、殆ど其れ斯くの如きか。上に神武の聖有り、下に賢才の應有り。其の區宇を制し、功業を弘むる所以、利あらざる所無く、成らざる所無きなり。〔以上、將帥を撰ぶ。〕 高皇產靈尊、天稚彥に天鹿兒弓及び天羽羽矢を賜ひ、以て遣はす。 謹んで按ずるに、是れ天神、將に節刀を授くるの義なり。人皇に及び、景行帝、鉄鉞を以て日本武尊に授く。是れより連綿修飾して、將を立つるの禮有り。凡そ節度は、其の信を示す所以なり。斧鉞は、刑戮を專らにする所以なり。軍旅の制は、私を以てすべからず。人臣又た專制の義無し。故に風聲を四方に樹て、天表を愾む所に著はす。將帥一たび閫外の寄を受くれば、時中の宜しきに適ふ。是に三軍の任此に歸し、其の倚付を二三にすること無し。蓋し將相は天下の師なり。其の才・其の德並び行はれざれば、則ち其の實を得ず。天下安ければ相に注意し、天下危ふければ將に注意す。然れども安きこと常に安からず、一人の齟齬杌隉有れば卽ち轉じて危ふし。人君は無事の日、人才彙集の時に當たりて、其の器を儲け以て急難に備へ、天寵の優を隆くし、懷綏の德を布けば、則ち凡そ事成らざる無し。將に兵を將ゐるもの有り、將を將ゐるもの有り、將相兼任するもの有り。知・信・仁・勇・忠有り。禮將・嚴將有り。然れども其の本は知・仁・勇の三に在り。若し兵を擧げて不逞を討つに、其の撰將を精しくせざれば、則ち自ら傾覆を招き、以て三軍を鏖にす。古來其の任を重んずること、亦た宜ならずや。〔以上、節度を賜ふ。〕
現代語訳
高皇産霊尊はさらに諸神を集め、葦原中国に遣わすべき者を選んだ。皆が言った。磐裂根裂神の子、磐筒男・磐筒女の生んだ子の経津主神が適任でしょう、と。そのとき天の石窟に住む神の稜威雄走神の子の甕速日神、甕速日神の子の熯速日神、熯速日神の子の武甕槌神がいた。この神が進み出て言った。どうして経津主神だけが丈夫で、私は丈夫ではないというのか、と。その言葉つきは意気盛んであった。そこで経津主神に配して、葦原中国を平らげさせた、云々。そこで大己貴神は、国を平らげたときに杖としていた広矛を二神に授けて言った。私はこの矛でついに治める功をあげた。天孫がもしこの矛を用いて国を治めれば、必ず平安になるだろう、と。 素行はこう考える。これは天神が将を選ぶ義である。兵を用いる要は、第一に軍の将にある。将は軍の司命であり、勝敗の源である。天神は三度群臣を集めて、この二人の将を得て、ついにその功を遂げた。選ぶところ任ずるところ、ともにその道を得た。二神が平らげて従わせ、天孫が降臨し、万億世の皇統を開いた。その武威は、ああ、遠くまで及び、麗しいことよ。大己貴が奉った広矛も霊器である。およそ兵は律によって興り、策によって立ち、器械によって用いる。兵や武の字は、みな器物に関わる。まして中国(日本)の初めに瓊矛があり、この洲を成した。天神が剣を贈って神器に備えたことは、なおさらである。まことに、二神が刃に血を塗らずに勲をあげたのは当然である。 神武天皇の東征に、大伴氏の遠祖の日臣命が、大来目を率い、大将や兵を督して、山を踏み分けて道を開いた。 先人(『日本書紀』を説く先人)は言う。神武天皇の東征のとき、物部氏の祖の道臣命が軍帥となった。(物部氏というのはおそらく誤りか。大伴氏である。道臣命は日臣命の名である。) 素行はこう考える。これは人皇が将を選んだ始めである。将とは、才があって物を率いるに足る者の名、帥とは、智があって人を率いる者の名である。危急で草創のときは、その働きは最も将帥にかかる。ただの武夫は、謀を好み機を挫く精妙さがなければ、その任に当たれない。だから将帥の働きは、必ずしも攻めて戦うことではない。折衝して敵を屈する智が必要で、誠信をもって敵を慰める実に基づく。その任は重く、その選びはどうして容易に得られようか。道臣命はまさにその人であったろう。上には神武の聖があり、下には賢才の応えがあった。区宇を制し、功業を広め、利のないところはなく、成らないところはなかった。(以上、将帥を選ぶ。) 高皇産霊尊は、天稚彦に天鹿児弓と天羽羽矢を賜い、遣わした。 素行はこう考える。これは天神が将に節刀を授ける義である。人皇の時代になって、景行天皇が鉄鉞を日本武尊に授けた。これ以来、連綿と形が整えられ、将を立てる礼ができた。節度は信を示す所以である。斧鉞は刑罰を専決する所以である。軍旅の制は私情でしてはならない。臣下には専制の義もない。だから名声を四方に樹て、天の表れを怒りの向かう所に著す。将帥は一たび閫外(都の外)の任を受ければ、時に応じた適切な処置をする。そこで三軍の任はここに帰し、その寄りかかり先を二つ三つにしない。思うに将相は天下の師である。その才と徳が並び行われなければ、その実を得られない。天下が安らかなときは相に注意し、天下が危ういときは将に注意する。しかし安らかなことは常に安らかではなく、一人の不和や動揺があればたちまち危うくなる。君主は無事の日、人才が集まる時に、その器を蓄えて急難に備え、天の寵愛を厚くし、懐柔の徳を布けば、あらゆる事が成らないことはない。将には兵を率いる将、将を率いる将、将と相を兼ねる者がある。知・信・仁・勇・忠がある。礼将・厳将がある。しかしその本は知・仁・勇の三つにある。もし兵を挙げて不届き者を討つのに、将を選ぶのが精密でなければ、自ら傾覆を招き、三軍を皆殺しにする。古来その任を重んじてきたのは、もっともではないか。(以上、節度を賜う。)
解説

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