中朝事実 / 禮儀章・神武の来目歌と礼儀の総論
神武東征於莵田血原。以酒宍班賜軍卒。乃爲御謠之曰。〔謠此云字多預弱。〕宇儀能多伽〔莵田垣〕機珥。辭羂和奈破蘆。〔鷸羂張〕和餓未莵夜。〔我待〕辭藝破佐夜羅孺。〔鷸不寄〕伊殊區波辭。〔勇妙〕區裾羅佐夜離。〔鯨寄〕固奈瀰餓〔前妻〕那居波佐磨〔魚乞者〕多智曾麼能〔立抓稜〕未廼〔實〕那鷄句塢。〔無〕居氣辭被惠禰〔扱梓〕。宇破奈利餓〔後妻〕那居波佐磨〔魚乞者〕伊智佐介幾〔柃木〕未廼〔實多〕於朋鷄句塢。居氣儀被惠禰〔扱捽〕。是謂來目歌。今樂府奏此歌者。猶有手量大小及音聲巨細。此古之遺式也。 謹按。是謠歌之初也。夫謠者無章曲。而是又詠歌之一體也。凡神樂催馬樂風俗所歌皆是謠也。蓋外朝三百篇之詩者。中國之謠歌也。中州三十一字之歌者。外朝之律詩也。五言七言之詩者起於漢。康哉之歌出于唐虞。中朝之歌謠。共造端於神代。以隆風於後世。吁。和上下。通人情。事鬼神之道。太備哉。〔以上論樂聲之禮。〕 以上論禮儀之道。 謹按。禮者。則天地。順八情。考事物。致其至誠。省其始終之道也。儀者正威儀以修飾文章之謂也。禮立則儀行。故治平於國家不以禮。則猶無衡無繩墨無規矩。其輕重曲直方圓終不可知。定禮不以道。則猶衡之不正。繩墨規矩之不明。誣之以奸詐。亦不須得其實。五倫之大經。事物之周通。莫善於禮。禮不因儀不行。儀不本禮無誠。禮儀相因。而後本立文成矣。儀禮之經緯於天下。其品節甚多。其條目數繁。故制儀禮審修飾。非聖人不虔道。非天子不能盡其用也。人有親疎。有貴賤。有貧福。有男女。有長幼。有官位。有職掌。其事之吉也。凶也。軍也。賓也。嘉也。其物之云衣服。云飮食。云家宅。云用器。其威儀文章之隆殺。豈容易乎。故天之道。地之義。民之行。無不以禮。神聖垂其端以戒萬世。其旨不亦大哉。或疑。樂與禮相對。而今以樂屬禮何乎。愚謂。樂亦儀之禮也。禮立則樂行。猶天之在地。曰天則地在其中也。
新字:神武東征於莵田血原。以酒宍班賜軍卒。乃為御謡之曰。〔謡此云字多預弱。〕宇儀能多伽〔莵田垣〕機珥。辞羂和奈破蘆。〔鷸羂張〕和餓未莵夜。〔我待〕辞芸破佐夜羅孺。〔鷸不寄〕伊殊区波辞。〔勇妙〕区裾羅佐夜離。〔鯨寄〕固奈瀰餓〔前妻〕那居波佐磨〔魚乞者〕多智曽麼能〔立抓稜〕未廼〔実〕那鶏句塢。〔無〕居気辞被恵祢〔扱梓〕。宇破奈利餓〔後妻〕那居波佐磨〔魚乞者〕伊智佐介幾〔柃木〕未廼〔実多〕於朋鶏句塢。居気儀被恵祢〔扱捽〕。是謂来目歌。今楽府奏此歌者。猶有手量大小及音声巨細。此古之遺式也。 謹按。是謡歌之初也。夫謡者無章曲。而是又詠歌之一体也。凡神楽催馬楽風俗所歌皆是謡也。蓋外朝三百篇之詩者。中国之謡歌也。中州三十一字之歌者。外朝之律詩也。五言七言之詩者起於漢。康哉之歌出于唐虞。中朝之歌謡。共造端於神代。以隆風於後世。吁。和上下。通人情。事鬼神之道。太備哉。〔以上論楽声之礼。〕 以上論礼儀之道。 謹按。礼者。則天地。順八情。考事物。致其至誠。省其始終之道也。儀者正威儀以修飾文章之謂也。礼立則儀行。故治平於国家不以礼。則猶無衡無縄墨無規矩。其軽重曲直方円終不可知。定礼不以道。則猶衡之不正。縄墨規矩之不明。誣之以奸詐。亦不須得其実。五倫之大経。事物之周通。莫善於礼。礼不因儀不行。儀不本礼無誠。礼儀相因。而後本立文成矣。儀礼之経緯於天下。其品節甚多。其条目数繁。故制儀礼審修飾。非聖人不虔道。非天子不能尽其用也。人有親疎。有貴賤。有貧福。有男女。有長幼。有官位。有職掌。其事之吉也。凶也。軍也。賓也。嘉也。其物之云衣服。云飲食。云家宅。云用器。其威儀文章之隆殺。豈容易乎。故天之道。地之義。民之行。無不以礼。神聖垂其端以戒万世。其旨不亦大哉。或疑。楽与礼相対。而今以楽属礼何乎。愚謂。楽亦儀之礼也。礼立則楽行。猶天之在地。曰天則地在其中也。
書き下し
神武、東征して莵田の血原に於て、酒宍を以て軍卒に班ち賜ふ。乃ち御謠を爲りて曰く、〔謠、此には字多預弱と云ふ。〕宇儀能多伽〔莵田垣〕機珥。辭羂和奈破蘆。〔鷸羂張〕和餓未莵夜。〔我待〕辭藝破佐夜羅孺。〔鷸不寄〕伊殊區波辭。〔勇妙〕區裾羅佐夜離。〔鯨寄〕固奈瀰餓〔前妻〕那居波佐磨〔魚乞者〕多智曾麼能〔立抓稜〕未廼〔實〕那鷄句塢。〔無〕居氣辭被惠禰〔扱梓〕。宇破奈利餓〔後妻〕那居波佐磨〔魚乞者〕伊智佐介幾〔柃木〕未廼〔實多〕於朋鷄句塢。居氣儀被惠禰〔扱捽〕。是れ來目歌と謂ふ。今、樂府に此の歌を奏する者は、猶ほ手の量の大小及び音聲の巨細有り。此れ古の遺式なり。 謹んで按ずるに、是れ謠歌の初めなり。夫れ謠は章曲無し。而して是れ又た詠歌の一體なり。凡そ神樂・催馬樂・風俗に歌ふ所は皆是れ謠なり。蓋し外朝三百篇の詩は、中國の謠歌なり。中州三十一字の歌は、外朝の律詩なり。五言七言の詩は漢に起こり、康哉の歌は唐虞に出づ。中朝の歌謠は、共に端を神代に造り、以て風を後世に隆んにす。吁、上下を和し、人情に通じ、鬼神に事ふるの道、太だ備はれるかな。〔以上、樂聲の禮を論ず。〕 以上、禮儀の道を論ず。 謹んで按ずるに、禮は、天地に則り、八情に順ひ、事物を考へ、其の至誠を致し、其の始終を省るの道なり。儀は、威儀を正して以て文章を修飾するの謂なり。禮立てば則ち儀行はる。故に治平を國家に爲すに禮を以てせざれば、猶ほ衡無く繩墨無く規矩無きがごとし。其の輕重曲直方圓、終に知るべからず。禮を定むるに道を以てせざれば、猶ほ衡の正しからず、繩墨規矩の明らかならざるがごとし。誣ふるに奸詐を以てし、亦た其の實を得るを須たず。五倫の大經、事物の周通、禮より善きは莫し。禮は儀に因らざれば行はれず、儀は禮に本づかざれば誠無し。禮儀相因りて、而る後、本立ちて文成るなり。儀禮の天下に經緯する、其の品節甚だ多く、其の條目數繁し。故に儀禮を制し修飾を審らかにするは、聖人に非ざれば道を虔まず、天子に非ざれば其の用を盡くす能はざるなり。人に親疎有り、貴賤有り、貧福有り、男女有り、長幼有り、官位有り、職掌有り。其の事の吉なる、凶なる、軍なる、賓なる、嘉なる。其の物の衣服と云ひ、飮食と云ひ、家宅と云ひ、用器と云ふ。其の威儀文章の隆殺、豈に容易ならんや。故に天の道、地の義、民の行ひ、禮を以てせざる無し。神聖其の端を垂れて以て萬世を戒む。其の旨、亦た大ならずや。或ひと疑ふ、樂と禮とは相對す。而るに今、樂を以て禮に屬するは何ぞや、と。愚謂へらく、樂も亦た儀の禮なり。禮立てば則ち樂行はる。猶ほ天の地に在るがごとし。天と曰へば則ち地は其の中に在るなり。
現代語訳
神武天皇が東征し、莵田の血原で、酒と肉を兵士たちに分け与えた。そこで御謡を作って言った。(謡は「うたよみ」という。)宇陀の高い城に、鴫を捕る罠を張る。私が待っていると、鴫はかからず、鯨がかかった。古妻が肴を乞えば、立ちそばの木の実のような少ない所を削ぎ取って与えてやれ。新しい妻が肴を乞えば、いちさかきの実の多い所を、たっぷり削ぎ取って与えてやれ。(原文は万葉仮名とその注)これを来目歌という。今、雅楽寮でこの歌を奏する者には、手の量の大小や音声の大小の定めがある。これは古の遺式である。 素行はこう考える。これは謡歌の初めである。そもそも謡には章曲がない。ただしこれも詠歌の一体である。神楽・催馬楽・風俗で歌うものはみな謡である。外朝の三百篇の詩は、中国(外朝)の謡歌である。中州(日本)の三十一字の歌は、外朝の律詩に当たる。五言七言の詩は漢に起こり、「康哉の歌」は唐虞に出た。中朝(日本)の歌謡は、ともに神代に端を発し、後世に風を盛んにした。ああ、上下を和らげ、人情に通じ、鬼神に仕える道がなんとよく備わっていることか。(以上、楽声の礼を論じた。) 以上、礼儀の道を論じた。 素行はこう考える。礼とは、天地に則り、八情に従い、事物を考え、その至誠を尽くし、その始終を省みる道である。儀とは、威儀を正して文章を飾り整えることをいう。礼が立てば儀が行われる。だから国家の治平を礼によって行わなければ、はかりも墨縄も規矩もないのと同じである。その軽重・曲直・方円は、ついに知ることができない。礼を定めるのに道によらなければ、はかりが正しくなく、墨縄や規矩が明らかでないようなものである。それをいつわり欺きの手段にしても、その実を得ることは期待できない。五倫の大経、事物の周く通じることにおいて、礼より善いものはない。礼は儀によらなければ行われず、儀は礼に基づかなければ誠がない。礼と儀が互いに因ってこそ、本が立って文が成る。儀礼が天下に縦横に及ぶとき、その品節は非常に多く、条目も数多く繁い。だから儀礼を制し飾りを詳しく整えるのは、聖人でなければ道を慎重にできず、天子でなければその用を尽くすことができない。人には親しい疎い、貴い賤しい、貧しい福ある、男女、長幼、官位、職掌がある。その事には、吉・凶・軍・賓・嘉がある。その物には、衣服、飲食、家宅、用器がある。その威儀や文章の隆殺(厚薄)は、どうして容易であろうか。だから天の道、地の義、民の行いで、礼によらないものはない。神聖が端緒を垂れて万世を戒めた。その趣旨はなんと大きいことか。ある人は疑う。楽と礼とは相対する。それなのに今、楽を礼に属させるのはなぜか、と。私は考える。楽もまた儀の礼である。礼が立てば楽が行われる。ちょうど天が地の上にあるようなものである。天といえば地はその中にあるのである。
解説

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