中朝事実 / 禮儀章・雄略帝の顧命と諒闇の礼
雄略帝二十三年秋八月庚午朔丙子。天皇疾彌甚。與百寮辭訣。握手歔欷。崩于大殿。遺詔於大伴室屋大連與東漢掬直曰。方今區宇一家。烟火萬里。百姓艾安。四夷賓服。此又天意欲寧區夏。所以小心勵己。日愼一日。蓋爲百姓故也。臣連伴造。每日朝參。國司・郡司隨時朝集。何不罄竭心府。誠勅慇懃。義乃君臣。情兼父子。庶藉臣連智力。內外歡心。欲令普天之下永保安樂。不謂遘疾彌留。至於大漸。此乃人生常分。何足言及。但朝野衣冠。未得鮮麗。敎化政刑猶未盡善。興言念此。唯以留恨。今年踰若干。不復稱天。筋力精神一時勞竭。如此之事本非爲。止欲安養百姓。所以致此。生子孫誰不屬念。旣爲天下。事須割情。今星川王。心懷悖惡。行闕支干。古人有言。知臣莫若君。知子莫若父。縱使星川得志。共治家國。必當戮辱遍於臣連。酷毒流於民庶。夫惡子孫已爲百姓所憚。好子孫足堪負荷大業。此雖朕家事。理不容隱。大連等民部廣大充盈於國。皇太子地居上嗣。仁孝著聞。以其行業堪成朕志。以此共治天下。朕瞑目何所復恨。 謹按。是顧命之禮也。凡人君崩于正殿者。禮之正也。況切切顧命。專以天下爲任。以百姓爲心。以死生爲常。歸功於大臣。爲億兆發其子之惡。以垂戒於後嗣。其義深哉。蓋死生之際者。人倫之所甚重也。故天神臨訣。以有拳拳之神勅。今帝垂絕之言。經遠保世之謀及此。以不崩於婦人女子之手。讀此章以至此。則未嘗不措卷歎之。吁。帝所以爲雄略。宜哉。〔以上謂顧命之禮。〕 神武帝七十有六年春三月甲午朔甲辰。天皇崩于橿原宮。時皇太子孝性純深。悲慕無已。特留心於哀葬之事焉。其庶兄手研耳命。行年已長。久歷朝機。故亦委事而親之。然其王立操曆懷。本乖仁義。遂以諒闇之際。盛福自由。苞藏禍心。圖害二弟。 謹按。是諒闇之禮也。夫父子者天性也。臨終者永訣也。以天性之親至永訣之期。是哀葬之情所以不得已也。以不得已之誠從其情。則無不至。故聖人立其制。中其過不及。是禮所以由行之也。此時未有喪哀之制。然神聖旣建其極。則此禮亦可類推之。故史官以諒闇書之也。手研耳命爲其貪。忘父子之親。失兄弟之友。竟至亡其身。不孝不義之至。父旣措之。天旣顚之。可不鑒乎。此後至孝德帝。葬哀之禮始定。及文武帝大定。天下皆因焉。蓋喪服之禮者。愼終之道。子弟所可盡其實。悉在此。可盡而不盡之者。孰不可忍也。然俗不正。敎不詳。則皆事於苟且。貴於異敎。各任其意。遂不得其中。故往古神聖所建之法。亦混淆以不明。豈不歎乎。〔以上謂大喪之禮。〕
新字:雄略帝二十三年秋八月庚午朔丙子。天皇疾弥甚。与百寮辞訣。握手歔欷。崩于大殿。遺詔於大伴室屋大連与東漢掬直曰。方今区宇一家。烟火万里。百姓艾安。四夷賓服。此又天意欲寧区夏。所以小心励己。日慎一日。蓋為百姓故也。臣連伴造。毎日朝参。国司・郡司随時朝集。何不罄竭心府。誠勅慇懃。義乃君臣。情兼父子。庶藉臣連智力。内外歓心。欲令普天之下永保安楽。不謂遘疾弥留。至於大漸。此乃人生常分。何足言及。但朝野衣冠。未得鮮麗。教化政刑猶未尽善。興言念此。唯以留恨。今年踰若干。不復称天。筋力精神一時労竭。如此之事本非為。止欲安養百姓。所以致此。生子孫誰不属念。既為天下。事須割情。今星川王。心懐悖悪。行闕支干。古人有言。知臣莫若君。知子莫若父。縦使星川得志。共治家国。必当戮辱遍於臣連。酷毒流於民庶。夫悪子孫已為百姓所憚。好子孫足堪負荷大業。此雖朕家事。理不容隠。大連等民部広大充盈於国。皇太子地居上嗣。仁孝著聞。以其行業堪成朕志。以此共治天下。朕瞑目何所復恨。 謹按。是顧命之礼也。凡人君崩于正殿者。礼之正也。況切切顧命。専以天下為任。以百姓為心。以死生為常。帰功於大臣。為億兆発其子之悪。以垂戒於後嗣。其義深哉。蓋死生之際者。人倫之所甚重也。故天神臨訣。以有拳拳之神勅。今帝垂絶之言。経遠保世之謀及此。以不崩於婦人女子之手。読此章以至此。則未嘗不措巻嘆之。吁。帝所以為雄略。宜哉。〔以上謂顧命之礼。〕 神武帝七十有六年春三月甲午朔甲辰。天皇崩于橿原宮。時皇太子孝性純深。悲慕無已。特留心於哀葬之事焉。其庶兄手研耳命。行年已長。久歴朝機。故亦委事而親之。然其王立操暦懐。本乖仁義。遂以諒闇之際。盛福自由。苞蔵禍心。図害二弟。 謹按。是諒闇之礼也。夫父子者天性也。臨終者永訣也。以天性之親至永訣之期。是哀葬之情所以不得已也。以不得已之誠従其情。則無不至。故聖人立其制。中其過不及。是礼所以由行之也。此時未有喪哀之制。然神聖既建其極。則此礼亦可類推之。故史官以諒闇書之也。手研耳命為其貪。忘父子之親。失兄弟之友。竟至亡其身。不孝不義之至。父既措之。天既顛之。可不鑒乎。此後至孝徳帝。葬哀之礼始定。及文武帝大定。天下皆因焉。蓋喪服之礼者。慎終之道。子弟所可尽其実。悉在此。可尽而不尽之者。孰不可忍也。然俗不正。教不詳。則皆事於苟且。貴於異教。各任其意。遂不得其中。故往古神聖所建之法。亦混淆以不明。豈不嘆乎。〔以上謂大喪之礼。〕
書き下し
雄略帝二十三年秋八月庚午朔丙子、天皇疾彌いよ甚し。百寮と辭訣し、手を握り歔欷す。大殿に崩ず。遺詔して大伴室屋大連と東漢掬直とに曰く、「方今、區宇一家、烟火萬里、百姓艾安、四夷賓服す。此れ又天意の區夏を寧んぜんと欲するなり。小心己を勵まし、日に愼むこと一日、蓋し百姓の爲の故なり。臣・連・伴造は、每日朝參し、國司・郡司は時に隨ひ朝集す。何ぞ心府を罄竭し、誠を勅ること慇懃ならざらん。義は乃ち君臣、情は父子を兼ぬ。庶はくは臣・連の智力に藉り、内外歡心し、普天の下をして永く安樂を保たしめんと欲す。謂はざりき、疾を遘し彌留し、大漸に至らんとは。此れ乃ち人生の常分、何ぞ言及するに足らん。但し朝野の衣冠、未だ鮮麗なるを得ず。敎化政刑、猶ほ未だ善を盡くさず。興言して此を念ふに、唯だ以て恨みを留む。今年若干を踰え、復た天を稱せず。筋力精神、一時に勞竭す。此の如きの事、本より爲にするに非ず。止だ百姓を安養せんと欲す。此を致す所以なり。子孫を生むは誰か念ひを屬せざらん。既に天下の爲なれば、事須く情を割くべし。今、星川王、心に悖惡を懷き、行ひ支干を闕く。古人言へる有り、臣を知るは君に若くは莫く、子を知るは父に若くは莫し、と。縱使ひ星川志を得て、共に家國を治めば、必ず當に戮辱は臣・連に遍く、酷毒は民庶に流れん。夫れ惡しき子孫は已に百姓の憚る所と爲る。好き子孫は以て大業を負荷するに堪ふ。此れ朕が家事と雖も、理として隱すを容れず。大連等の民部は、廣大にして國に充盈す。皇太子は地、上嗣に居り、仁孝著聞す。其の行業、以て朕が志を成すに堪ふ。此れを以て共に天下を治めよ。朕瞑目するも何ぞ復た恨む所あらん」と。 謹んで按ずるに、是れ顧命の禮なり。凡そ人君、正殿に崩ずるは、禮の正なり。況んや切切たる顧命は、專ら天下を以て任と爲し、百姓を以て心と爲し、死生を以て常と爲し、功を大臣に歸し、億兆の爲に其の子の惡を發き、以て戒めを後嗣に垂る。其の義深し。蓋し死生の際は、人倫の甚だ重んずる所なり。故に天神臨訣に、拳拳たる神勅有り。今帝垂絶の言、經遠保世の謀此に及ぶ。婦人女子の手に崩ぜざる所以なり。此の章を讀みて此に至れば、未だ嘗て卷を措きて之を歎ぜずんばあらず。吁、帝の雄略たる所以、宜なるかな。〔以上、顧命の禮を謂ふ。〕 神武帝七十有六年春三月甲午朔甲辰、天皇、橿原宮に崩ず。時に皇太子、孝性純深にして、悲慕已まず。特に哀葬の事に心を留む。其の庶兄手研耳命、行年已に長じ、久しく朝機を歷たり。故に亦事を委ねて之を親しむ。然れども其の王、操を立て曆を懷くこと、本より仁義に乖く。遂に諒闇の際を以て、盛福自由、禍心を苞藏し、二弟を害せんと圖る。 謹んで按ずるに、是れ諒闇の禮なり。夫れ父子は天性なり。臨終は永訣なり。天性の親を以て永訣の期に至る。是れ哀葬の情、已むを得ざる所以なり。已むを得ざるの誠を以て其の情に從へば、則ち至らざる無し。故に聖人其の制を立て、其の過不及を中す。是れ禮の由り行はるる所以なり。此の時未だ喪哀の制有らず。然れども神聖既に其の極を建つれば、則ち此の禮も亦類推すべし。故に史官、諒闇を以て之を書するなり。手研耳命、其の貪を爲し、父子の親を忘れ、兄弟の友を失ひ、竟に其の身を亡ぼすに至る。不孝不義の至りなり。父既に之を措き、天既に之を顚す。鑒みざるべけんや。此の後孝德帝に至り、葬哀の禮始めて定まり、文武帝に及び大いに定まり、天下皆焉に因る。蓋し喪服の禮は、終りを愼むの道、子弟の其の實を盡くすべき所、悉く此に在り。盡くすべくして之を盡くさざるは、孰れか忍ぶべからざらん。然れども俗正しからず、敎詳らかならざれば、則ち皆苟且を事とし、異敎を貴び、各々其の意に任せ、遂に其の中を得ず。故に往古神聖の建つる所の法も、亦混淆して明らかならず。豈に歎かざらんや。〔以上、大喪の禮を謂ふ。〕
現代語訳
雄略帝二十三年の秋八月庚午朔丙子、天皇の病はますます重くなった。百官と別れを告げ、手を握ってすすり泣いた。大殿で崩御された。大伴室屋大連と東漢掬直に遺詔していわれた。「今、国土は一家のようであり、煙はあまねく立ち上り、民は安らかに治まり、四方の異族も服している。これは天意が国を安んじようとするものである。小心にみずから励み、日ごとに慎みを重ねたのは、民のためであった。臣・連・伴造は毎日朝廷に参り、国司・郡司は時に応じて集まる。どうして心を尽くし、誠を込めて懇ろに戒めないことがあろうか。義は君臣、情は父子を兼ねる。願わくは臣・連の智力に頼り、内外が喜び、普天の下が永く安楽を保つようにしたい。思いもよらず病にかかり長引き、死に至ろうとは。これは人生の常で、言うに足らない。ただ朝野の衣冠はまだ立派にそろわず、教化・政刑もまだ善を尽くしていない。その思いに至ると、ただ恨みを残すばかりである。今年は若干の歳を越え、もはや天を称さない。筋力も精神も一時に疲れ果てた。このようなことは、もとより自分のためではなく、ただ民を安んじ養おうとしたため、ここに至ったのである。子孫を生めば誰が思いを寄せないことがあろう。だが天下のためである以上、情を断たねばならない。今、星川王は心に悖悪を抱き、行いは干支(人の道)を欠いている。昔の人は『臣を知るは君に若くはなく、子を知るは父に若くはない』と言った。たとえ星川が志を得て、ともに国家を治めれば、必ず殺戮と辱めは臣・連に及び、むごい毒は民に流れるだろう。悪い子孫は民に忌まれ、良い子孫は大業を担うに堪える。これは朕の家の事ではあるが、道理として隠すことはできない。大連らの民部は広大で国に満ちている。皇太子は上嗣の位置にあり、仁孝は世に聞こえている。その行いと業績は朕の志を成すに堪える。これを以てともに天下を治めよ。朕は目を閉じても何の恨みもない。」 素行はこう考える。これは顧命の礼である。君主が正殿で崩御するのは、礼の正しい形である。まして切々たる顧命は、もっぱら天下を任とし、民を心とし、死生を常とし、功を大臣に帰し、億兆のためにその子の悪を明かし、戒めを後継ぎに残した。その義は深い。思うに死生の際は人倫のきわめて重んじるところである。だから天神も訣別にあたり、丁寧な神勅を下した。いま帝の絶え入る間際の言葉にも、遠くを経営し世を保つ謀りが及んでいる。婦人女子の手の中で崩じなかった所以である。この章を読んでここに至ると、いつも巻を置いて嘆かずにいられない。ああ、帝が雄略と称されるのももっともである。〔以上、顧命の礼を述べる。〕 神武帝七十六年の春三月甲午朔甲辰、天皇は橿原宮に崩じた。そのとき皇太子は、孝心が純粋で深く、悲しみ慕うことがやまなかった。特に喪葬のことに心を留めた。庶兄の手研耳命は年齢がすでに長じ、久しく朝廷の機務を経ていた。そこで政事を委ねて親しんだ。しかしその王は、もともと仁義に背く人柄であった。ついに諒闇(喪中)のときをよいことに思うままに振る舞い、禍心を包み隠して、二人の弟を害そうとした。 素行はこう考える。これは諒闇の礼である。父子は天性である。臨終は永訣である。天性の親しみが永訣の時に至る。これが哀葬の情がやむを得ない理由である。やむを得ない誠をもって情に従えば、至らないところはない。そこで聖人は制度を立て、その過不足を中庸に合わせた。これが礼が行われる理由である。この時はまだ喪の制度はなかった。しかし神聖がすでにその極致を建てた以上、この礼も類推できる。だから史官は諒闇として書いたのである。手研耳命は貪りのために、父子の親を忘れ、兄弟の友愛を失い、ついに身を滅ぼすに至った。不孝不義の極みである。父がすでにこれを措き、天がすでにこれを倒した。鑑みずにいられようか。この後、孝徳帝に至って葬哀の礼が初めて定まり、文武帝に及んで大いに定まり、天下はみなこれに従った。喪服の礼は終わりを慎む道であり、子弟がその実を尽くすべきことのすべてがここにある。尽くせるのに尽くさないことは、誰にも耐えがたい。しかし風俗が正しくなく、教えが詳しくなければ、みな一時しのぎに流れ、異教を貴び、各自の意に任せ、ついに中庸を得ない。だから昔の神聖が建てた法も、混じって不明になる。嘆かずにいられようか。〔以上、大喪の礼を述べる。〕
解説

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『中朝事実』禮儀章・即位の礼と皇后を立てる礼の意味神武帝辛酉の年春正月庚辰朔、天皇帝位に橿原宮に卽く。是の歲を天皇の元年と爲す。 謹んで按ずるに、卽位は人君の大禮なり。天は人君の宗とする所にして、人君は庶人の天とする所なり。天高く上にして文明四海を照らす。人君大寶に位して明德天下に周し。故に卽位の禮を行ひ、以て天下萬機の道を始むるなり。帝東征の功大いに成り、中國を定め、以て卽位の禮を始め、是の歲を以て元年と爲し、王正月を以て時を授け、天地の氣候を一にし、人君の大禮を著すなり。是れより歷代因循して此の儀有り。大臣は北面して以て神器を捧げ、天子は南面して以て萬國に詔す。上下尊卑の禮を正し、道德聖明の政を布く。繫る所太だ重きかな。蓋し此の時未だ外朝の三統を知らずして、人統自ら立つ。四時以て宜し。是れ乃ち神聖の靈妙なり。爾來正朔終に失はず、授時相正して、天下其の俗を一にす。中華の渾厚、大なるかな。〔以上、卽位の禮を論ず。〕 神武帝庚申の年秋八月癸丑朔戊辰、天皇正妃を立つべし。改めて廣く華胄を求む。九月壬午朔己巳、媛蹈鞴五十鈴媛命を納れて以て正妃と爲す。辛酉春正月庚辰朔、天皇卽位す。正妃を尊びて皇后と爲す。 謹んで按ずるに、是れ后妃選立の始めなり。蓋し聖人聖匹を得れば、則ち聖子有り。聖子聖孫相續げば、則ち百代も猶ほ一日のごとし。是れ人君の天下を愛する至りなる所以なり。凡そ帝王の匹は、風化の本、禮儀の大なり。選立其の道を以てせざれば、則ち唯だ欲を縱にし情に從ひ、其の始めに克つと雖も、其の終りを保つべからず。帝正妃を立てんとするに當たり、廣く族姓を議し、女德を詳にす。卽位に及び、乃ち皇后と爲す。其の禮を隆くし、以て男女の別を序し、媵妾の品を辨じ、戒めを萬世に垂る。然れども猶ほ後世未だ嘗て淫亂・德を黷し、嫡妾相妄し、廢奪相行はるるの失無くんばあらず。夫れ男女有りて後に父子有り。然れば乃ち國家の大事、福祚の繫る所、妃匹の際に在り。其の禮豈に苟もすべけんや。 繼體帝元年三月庚申朔、詔して曰く、「神祇は主を乏しくすべからず。宇宙は君無かるべからず。天、黎庶を生じ、元首を樹てて、司り助け養はしめ、性命を全うせしむ。大連、朕の息無きを憂へ、誠款を披き、國家のために世世忠を盡くす。豈に唯だ朕が日のみならんや。宜しく禮儀を備へ、手白香皇女を奉迎して皇后と爲し、敎を内に修めしむべし」と。 謹んで按ずるに、是れ皇后を立て、禮儀を備へ、敎を内に修むるの詳しきなり。蓋し人君恒に九重の深きに居り、萬乘の富を御す。近臣媚を進め、佞臣惡を逆ふ。少しく怠り情を縱にすれば、鴆毒其の衷に根ざさざる無し。故に外には諫議を設け、史官を置き、其の言行を正す。猶ほ未だ嘗て其の闕遺無くんばあらず。妃匹の親、皇后の睦、内助の益、規警の戒めに賴り、以て此に拾ひ補ふ。是れ良匹賢配の尙ばるる所以なり。此の後立后の禮世世相續き、以て皇統連綿に至る。凡そ女德の撰其の道を以てせざれば、則ち淫婦妖女必ず其の心を蠱す。族姓の戒め嚴ならざれば、則ち外戚權を專らにし威を竊み、必ず天下の害を構ふ。立后の禮正しからざれば、則ち男女の別明らかならずして、内修の戒め行はれず。皇妃の道、之を規するに其の禮を以てせざれば、則ち宮闈朝に臨み、簾を垂れて政に預かり、嗣主をして虎位に擁せられしむるに至る。故に禮は夫婦に本づき、治亂之に因り、興亡之に繫る。往古の令典、舊紀の載する所、監みざるべけんや。〔以上、立后の禮を論ず。〕
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『中朝事実』禮儀章・皇太子を立てる礼と諭教の記述神武帝四十有二年春正月壬子朔甲寅、皇子神渟名川耳尊を立てて皇太子と爲す。 謹んで按ずるに、是れ皇太子を立つるの始めなり。蓋し太子を建つるは、國の本を定め、宗廟社稷を重んずる所以なり。凡そ子を立つるは必ず長を以てす。是れ禮の恒なり。然れども時に治亂・屯蒙・承久有り、地に新故・大小有り、人に賢知・愚不肖有り。故に愼思明辨して、以て其の道を致すは、人君の德に在り。帝始めて中州を定め、皇極を建つ。其の間未だ嘗て强悍不律の賊無くんばあらず。信に是れ屯難の時、其の建立愼まざるべけんや。太子は帝の第三子なり。而して風姿歧嶷、少くして雄拔の氣有り。子は父の如くならざるを見る。竟に立てて皇太子と爲す。建立の禮一たび行はれ、天下の大本定まる。是れより連綿として、建儲の儀成る。於乎、懿なるかな。 崇神帝四十八年春正月己卯朔戊子、天皇、豐城命・活目尊に勅して曰く、「汝等二子、慈愛共に齊し。孰れを嗣と爲すかを知らず。各々夢みよ。朕、夢を以て之を占はん」と。二皇子是に命を被り、淨め沐ひて祈りて寐ぬ。各々夢を得たり。會明、兄豐城命、夢の辭を以て天皇に奏して曰く、「自ら御諸山に登り、東に向ひて八廻槍を弄し、八廻刀を擊つ」と。弟活目尊、夢の辭を以て奏言す、「自ら御諸山の嶺に登り、繩を四方に組み、粟を食む雀を逐ふ」と。則ち天皇、夢を相て、二子に謂ひて曰く、「兄は則ち一片に東に向ふ。當に東國を治むべし。弟は是れ悉く四方に臨む。宜しく朕が位を繼ぐべし」と。四月戊申朔丙寅、活目尊を立てて皇太子と爲す。豐城命を以て東を治めしむ。是れ上毛野君・下毛野君の始祖なり。 謹んで按ずるに、建儲の禮は、天下の大本なり。今、夢の所を以て其の計を定むるは、後世疑擬無くんばあらず。此の時古を去ること未だ遠からず、人心朴素にして、誠信感通す。故に此の議有り。二王子も亦之を肯んず。終に永く帝詔を承けて貳つならず。是れ帝の聖德なり。王子の渾厚なり。後世の似效すべき所に非ず。蓋し帝位は大寶なり。人誰か欲せざらん。況んや皇子をや。故に建立の禮は蚤く定むるを貴ぶ。蚤く定めざれば、則ち嫡庶の分明らかならず。或いは智を以て之を求め、功を立てて之を欲し、力を以て之を爭ふ。古今宗室の天秩を亂すこと、由らざる無し。其の禮蚤く定まれば、則ち衆望絶えて天下の勢ひ定まり、宗室の分極まりて王家以て固し。人君豈に忽にすべけんや。 應神帝十五年秋八月壬戌朔丁卯、百濟王、阿直岐を遣はして良馬を貢ぐ。阿直岐能く經典を讀む。卽ち太子菟道稚郞子、師とす。是に天皇、阿直岐に問ひて曰く、「汝に勝る博士、亦有りや」と。對へて曰く、「王仁といふ者有り。是れ秀れたり」と。時に上毛野君の祖荒田別・巫別を百濟に遣はし、仍りて王仁を徵す。十六年春二月、王仁來る。則ち太子菟道稚郞子、之を師とし、諸典籍を王仁に習ひ、通達せずといふこと莫し。 謹んで按ずるに、是れ太子諭敎の禮なり。此の時稚郞子未だ皇太子の命有らず。然れども帝既に建儲の計を衷に定む。故に此の諭敎有るなり。蓋し諭敎の禮豫め定まれば、則ち其の薰陶正しく明らかにして、氣質を變化す。其の師・傅・保に由らずして、以て其の實を得べからず。太子は聰明にして、天資謙讓、而も又雄武の俊才有り。能く中國の事物に熟し、兼ねて外朝の經籍に通ず。其の啓廸開悟、習貫ること自然の如し。故に表狀無禮を以て、高麗の使を責め、大寶を仁德帝に讓り、昆を上にし季を下にするは、聖君にして愚臣の常典なり。其の豪英なること、其の脫落なること、皆敎諭の得るに繫る。萬世之に法りて師を立て、傅保を置き、太子家令の官と爲す。愼まざるべけんや。竊かに按ずるに、敎諭の道、多く外朝の書籍を以て事と爲すは、是れ後世の訛りなり。中國古今天下の興廢治亂、事物の制度、人民の禮儀、文獻に載せ在り。然れば乃ち日用言行脩改の暇に、詳らかに其の道を致し、其の古を鑒み、而る後に外朝の經傳に及び、以て其の知識を廣め、其の事迹を證し、斟酌用捨し、有道に就きて以て之を正す。敎諭の實を得たりと謂ふべきなり。〔以上、建儲の禮を論ず。〕
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『中朝事実』禮儀章・朝賀の儀と誓約・盟神探湯の礼神武帝辛酉の年春正月庚辰朔、天皇帝位に橿原宮に卽く。是の歲を天皇の元年と爲す。故に古語に之を稱して曰く、「畝傍の橿原に、太く宮柱を底磐の根に立て、峻く搏風を高天の原に峙てて、始めて天下を馭す天皇」と。號して神日本磐余彥火火出見天皇と曰ふ。初め天皇天基を草創するの日なり。大伴氏の遠祖道臣命、大來目部を帥ゐ、密策を奉承し、能く諷歌・倒語を以て、妖氣を掃蕩す。倒語の用、玆に始起す。 謹んで按ずるに、是れ朝儀賀正旦の始めなり。是の歲は卽位の元年、故に正月の賀有り。後世の歲首に朝賀の禮を行ふに同じからずと雖も、賀正旦、此に始まる。是れ乃ち朝儀の禮なり。凡そ朝儀は朝廷の禮儀なり。朝廷は天地を以て其の基を立て、天下は朝廷を以て標準と爲す。朝廷の威儀は以て嚴正なるに在り。凡そ王朝の禮に、年中行事有り、恒例有り、臨時有り、每月の禮有り、公侯朝聘の禮有り、饗燕の禮有り、巡守・田獵・大射の禮有り、神社祭禮有り。而して歲首慶賀の禮を以て大儀と爲す。正月は一年の始め、歲序端を更め、萬物惟れ新たなるの節なり。臣子畢く朝會拜賀し、其の慶びを奉ずるは、信義の當然なり。蓋し朝儀は一ならず、代代の聖主、或いは其の例を追ひ其の風を慕ひ、或いは新たに其の儀を立て、其の制を斟酌して、而る後に悉く備はる。其の間多く習俗の儀有りて、以て因循し來たる。又以て禮の大意を存するに足る。竊かに惟ふに、朝賀は臣子、宸儀を拜慶するの禮なり。否らざれば乃ち臣子の情安んずべからず。故に一月に朔・望・晦の禮有り、其の間又大朝賀の節有り。群臣悉く敬を君上に致し、以て祝頌を奉る。是れ臣子の分定まるなり。宴會は君上、宴を群臣に賜ふなり。饗有り、食有り、燕有り。此れ上下交はり、君臣德を和し業を成し、相親愛する所以なり。故に朝賀を以て尊卑の禮を嚴にし、燕會を以て上下の情を和す。朝賀に由りて其の威儀を正し、燕會に因りて其の風雅を作す。外は則ち以て禮容を觀、内は則ち以て恩惠を廣む。然れば乃ち徒に之を威し之を儀するに非ず、徒に之を飮ませ之を食はしむるに非ず、皆恭儉を訓へ惠慈を示す所以なり。夫れ王朝の儀は舊紀に粲然として載す。然れども能く其の事物を致して以て其の儀を正せば、乃ち其の禮大成し、朝儀の實を啓くべし。後世必ず外朝の例を以て附會するは、中國の禮、尤も正しからざるの至りなり。〔以上、王朝の禮を謂ふ。〕 素戔鳴尊昇天の時、溟渤以て鼓盪し、山岳之が爲に鳴呴す。此れ則ち神性雄健にして之をして然らしむるなり。天照太神、素より其の神の暴惡なるを知り、徑ちに詰問す。素戔鳴尊對へて曰く、「吾元より黑心無し」と。時に天照太神復た問ひて曰く、「若し然らば、將に何を以て爾の赤心を明らかにせんや」と。對へて曰く、「請ふ、姉と共に誓はん。夫れ誓約の中〔誓約の中、此に宇氣譬能美難箇と云ふ。〕必ず當に子を生むべし。如し吾が生む所是れ女ならば、則ち以て濁き心有りと爲すべし。若し是れ男ならば、則ち以て清き心有りと爲すべし」と。 謹んで按ずるに、是れ神代の誓約、乃ち後世誓盟の禮なり。凡そ誓は、己が信を明らかにし、人の疑ひを解く所以なり。事物の間、或いは未だ嘗て其の疑ひ無くんばあらず。疑ひを解くの道は誓約に在り。鬼神に祈り、信を幽冥に期す。故に天神、誓を許して以て其の清濁の心を明らかにす。後世之に因り、終に誓盟の禮有り。蓋し誓は唯だ言辭を以て神祇に請ひて其の信を約するなり。盟は物を以て其の事を證し、直ちに其の信僞を決するなり。遠く神明に請ひ、血を瀝りて之を書に載す。其の禮、誓より嚴なり。猶ほ埿を釜に納れて煮沸し、手を攘ひて湯埿を探り、斧を燒きて火色にして掌に置くがごとし。是を盟神探湯と曰ふ。〔盟神探湯、此に區訶陀智と云ふ。〕後世に及び、載書を作り血を瀝り神祇に告ぐるの禮有り。〔孝德帝卽位し、群臣を召集し、天神地祇に盟ひ告げて曰く、「天は覆ひ地は載せ、帝道は唯だ一なり。而るに末代澆薄にして、君臣序を失ふ。皇天手を我に假し、暴逆を誅珍す。今共に心血を瀝り、今より以後、君に二政無く、臣に貳朝無し。若し此の盟に貳せば、天災地妖、鬼誅人伐せん。皎として日月の如し」と。〕人皆聖賢に非ず、信有り僞有り、直有り曲有り。正は疑ふべからざる有り、奸は疑ひ無かるべからざる有り。是れ天下の通情なり。神聖の敎、人情事變に通じ、詳らかに其の道を致す。故に端を此に起し、戒めを後に垂る。言以て之を結び、明神以て之を要す。天下の疑惑忽ち解けて、事物の大義決行すべし。否らざれば乃ち人人疑ひを存すべく、戸戸各々辨ずべし。今、誓盟の禮を襲ひ、信僞曲直、一擧に道に歸す。其の禮たる大なるかな。或ひと疑ふ、君子屢々盟へば、亂是を以て長ず。誓を作して民始めて畔き、會を作して民始めて疑ふ、と。愚謂へらく、聖人の道、能く天下の人情に從ふ。故に偏無く倚無し。徒杠と梁と成りて、而る後に民水を涉るに病まず。盟誓以て約して、而る後に民其の疑ひを免るべし。人毎に之を試みるも、亦足らず。然れども盟誓は必ず禮有り。之を用ゐるに禮を以てせざれば、民畔きて恥ぢず。何ぞ必ずしも誓盟を用ゐんや。凡そ知や仁や其の道を致さざれば、猶ほ荑稗に如かず。專ら神屢々盟ふを要するは、是れ之を用ゐるに禮を以てせざるなり。周豐の言の如く、過ちて徴無し、何ぞ之を取るに足らんや。〔以上、誓盟の禮を論ず。〕
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『中朝事実』皇統章・神武天皇の即位と三綱・皇統無窮の論神日本磐余彦天皇、諱は彦火火出見。彦波瀲武鸕鷀葺不合尊の第四子なり。年四十五歳に及び、諸兄及び子等に謂いて曰く、昔、我が天神高皇産霊尊・大日孁尊、此の豊葦原瑞穂国を挙げて、我が天祖彦火瓊瓊杵尊に授けたまえり。是に於いて火瓊瓊杵尊、天関を闢き、雲路を披き、駈山躍りて以て戻止る。是の時、運は鴻荒に属し、時は草昧に鍾る。故に蒙にして以て正を養い、此の西偏を治めたまう。皇祖・皇考、乃ち神、乃ち聖、慶を積み暉を重ね、多くの年所を歴たり。天祖の降跡より以逮、今に于りて一百七十九万二千四百七十余歳なり。而して遼邈の地、猶お未だ王沢に霑わず。遂に邑に君有り、村に長有りて、各おの自ら疆を分かち、用て相凌躒せしむ。抑も又た塩土老翁に聞く、東に美地有り、青山四周せり。其の中に亦た天磐船に乗りて飛び降る者有り、と。余謂えらく、彼の地は必ず以て天業を恢弘し、天下に光宅するに足るべし、蓋し六合の中心か、と。遂に東征して中州を定む。 謹んで按ずるに、是れ人皇、中州を平らげ、天祖の降跡を続ぐの始めなり。 辛酉春正月庚辰朔、天皇、帝位に大倭州の橿原宮に即く。是の歳を天皇元年と為す。正妃を尊びて皇后と為す。皇子神淳名川耳尊を立てて皇太子と為す。 謹んで按ずるに、是れ天皇即位の始めなり。初め天神、磤馭廬島を以て国中の柱と為し、分巡りて国柱す。天孫は浮渚の平処に立ち、宮殿を立つ。皆な後世の即位の意なり。洪濛の間、悠久にして以て正を養う。帝は明達大雄にして、善く乾霊の志を継ぎ、善く皇孫の事を述ぶ。一たび戎衣して東方服す。故に人皇の洪基を建て、即位の大礼を開く。蓋し即位とは何ぞ。天子、大宝の位に即くなり。人君、天を継ぎ極を建て、万国以て朝し、元元以て仰ぎ、四海始めて知る。天子の以て崇ぶべき、明徳を中州に明らかにするの義を。即位の大礼は、人君、綱紀を其の始めに正す。豈に忽せにすべけんや。是れより代代の聖主、各おの此の儀を正殿に行う。〔大極殿、朝堂殿と謂う、是れなり。〕大臣、左右に扶翼す。〔大神勅す、天児屋命・太玉命、惟れ爾二神も亦た同じく殿内に侍いて、善く防護を為せ、と。是れ其の義なり。〕百官、囲み護りて、以て天儀を奉拝す。外国の所謂る正月元日、舜、文祖に格る、是れなり。元とは始めなり、本なり。元年とは即位の初年にして、根本を此に深くして傾かず抜けざるの謂なり。〔此の時既に暦数紀年有り。店暦本とは、百済の釈観勒、推古十年之を献ず。〕皇后を立つるとは、男女の別を正し、嫡媵の辨を明らかにし、廃奪の失を懲らすなり。太子を建つとは、〔神武帝の四十二年に在り。〕父子の親を著し、嫡庶の分を厳にし、宗廟の統を固くするなり。故に人君、即位の礼を厳にして後、天下の君臣其の分定まる。后妃の道を重くして後、天下の男女其の別正し。建立の法を定めて後、天下の父子親しむ。三者は人の大倫なり。三綱立ち行わるれば、則ち身修まり家斉い、治平の功、坐して以て俟つべし。帝、皇極を人皇の始めに建て、規模を万世の上に定む。而して中国明らかに三綱の遺すべからざるを知る。故に皇統一たび立ちて、億万世襲いて変ぜず。天下皆な正朔を受けて其の時を貳つにせず、万国王命を禀けて其の俗を異にせず。三綱終に沈淪せず、徳化塗炭に陥らず。異域の外国、豈に企望すべけんや。夫れ外朝は姓を易うること殆ど三十姓。戎狄入りて王たること数世。春秋二百四十余年、臣子其の国君を弑する者二十又五。況んや其の先後の乱臣賊子は枚挙すべからず。朝鮮は箕子命を受けて以後、姓を易うること四氏、其の国を滅ぼして或いは郡県と為し、或いは高氏滅絶すること凡そ二世。彼の李氏の二十八年の間、王を弑する者四。況んや其の先後の乱逆は禽獣の相残うに異ならず。唯だ中国は開闢より人皇に至るまで、二百万歳に垂とし、人皇より今日に迄るまで二千三百歳を過ぐ。而して天神の皇統は竟に違わず。其の間の弑逆の乱は、指を屈して数うべからず。況んや外国の賊は竟に吾が辺藩を窺うを得ざるをや。後白河帝の後、武家執権すること既に五百又た余年。其の間、未だ嘗て利皆長距以て擅場を得、冠猴封豕、縦火秋蓬の類無くんばあらず。而も猶お王室を貴び君臣の儀を存す。是れ天神人皇の知徳縣象著明にして、没世忘るべからざるなり。其の過化の功、綱紀の分、然く悠久に然く無窮なる者は、至誠より流出するなり。三綱既に立てば、則ち条目の著るる、治政の極致に在り。凡そ八紘の大、外国の汎、中州皇綱の化に如くは無し。文武の功、其の至徳、豈に大ならずや。〔以上、人皇の即位。〕 以上、皇統の無窮を論ず。謹んで按ずるに、天下とは神器にして、人君とは人物の命を繋ぐ者なり。其の与授の間、豈に一人の私を存せんや。皇統の初め、天神以て之を授け、天孫以て之を受く。然れば乃ち其の知徳、天地に愧じずして後、神器の与授と謂うべし。凡そ天は言わず、人之に代わりて言う。天下の人仰ぎ帰すれば、則ち天之に命ずるなり。天下の帰仰する所、更に他に非ず。唯だ天祖眷眷の命に在るのみ。
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『中朝事実』聖政章・殉死の禁止と風俗を正す施策垂仁帝二十八年、詔して曰く、「夫れ生くる所の愛する者を以て亡き者に殉はしむるは、甚だ傷なり。其れ古の風と雖も、良からずんば何ぞ從はん。今より以後、議りて殉を止めよ」と。 謹んで按ずるに、殉とは人を以て亡き者に殉ふなり。夫れ人君は民の父母なり。未だ父母にして其の子を愛せざる有らず。亡き者に殉はしむるは、哀しみの過ぎて愛の溢るるなり。聖人の政、豈に之を用ゐんや。此の時、古を去ること未だ遠からず、人民情に從ひ俗に習ひ、上下以て行ふ。帝、制を建て法を改め、殉を止むるの詔有り。三十二年、野見宿禰、明器の土梗を作りて之に易ふ。帝大いに其の德を稱し、以て土師の姓を賜ふ。是れ民の父母たるの誠を擴充する所以なり。此れより朝廷の殉亡の制、亦行はれず。帝の德、大なるかな。竊かに按ずるに、外朝は始め俑有り、以て殉に至る。其の弊、國を亂すに及ぶ。中國は始め殉有り、以て土物を作るに至り、竟に殉を止む。其の風俗の渾厚、以て之を見るべきなり。〔以上、殉を禁ず。〕 景行帝十二年秋八月乙未朔己酉、筑紫に幸す。 謹んで按ずるに、是れ巡狩の始めなり。此の時熊襲反きて朝貢せず。故に此の幸有り。而して大いに西方の諸侯に覲え、以て風俗を正し、制度を明らかにするなり。後又東方を巡守し、以て政事を定む。此の時天下大いに定まり、封域以て建つ。成務帝に迄び、國郡縣邑の制、長・首・渠を造るの法、竟に定まる。天下猶ほ一家のごとく、敎化俗を同じくす。巡守の道、大なるかな。〔以上、巡狩。〕 仁德帝十一年、武藏の人强頸、河内の人茨田連衫子の二人、以て河神に禱る。 謹んで按ずるに、妖神、人を殺して牲と爲すは、夷狄の習俗なり。是れ天孫未降の前、惡鬼妖怪の餘政なり。蓋し堤を爲り溝洫を設くるは、人を愛するの道なり。神の神たる、豈に非禮の祭を享けんや。帝、夢寐の妖を信じ、以て人を用ゐて河伯を祭る。噫、何ぞ是れ惑へるや。夫れ帝の聰明儉德、天下の太平無事なること、後世の企望する所に非ず。猶ほ鬼神を信じ、衫子の淺謀もて神の妖僞を知るに如かず。此の失、爰に處るは、唯だ思辨の道、其の誠を盡くさざるのみ。人君政敎の要、豈に愼まざるべけんや。今此の一事を擧げて以て帝の政弊と爲すは、未だ嘗て隱惡の戒めに懼れずんばあらず。然れども帝の仁德爲る、天下知らざる無し。猶ほ習俗の以て德を漬すこと有り。後世執政の道、最も以て鑑みるべし。〔以上、弊を改む。〕 履中帝四年秋八月辛卯朔戊戌、始めて諸國に國史を置き、言事を記し、四方の志を達せしむ。 謹んで按ずるに、是れ國史を置くの始めなり。史は事を記すの官なり。言ふこころは、諸國に此の官を立て、上は以て天子の敎令を記し、下は以て國郡の事を記す。是れ國俗を正し人情を達するの政なり。凡そ五方各々其の俗有り、民又其の習を異にす。故に人君其の事物を知らざれば、則ち政令必ず乖く。今國史を置き言事を記し、其の制度を正し、國俗の化を知り、以て其の政を致すなり。後世、國守の外、目・史等の官有り、皆國の事を記し、以て其の政を正す。是れなり。〔以上、國史。〕 清寧帝三年秋九月壬子朔癸丑、臣・連を遣はし風俗を巡省せしむ。冬十月壬午朔乙酉、詔して曰く、「犬馬器翫、獻上することを得ざれ」と。 謹んで按ずるに、使臣の巡察は、政の恒なり。而して風俗を巡省するは、是れ敎化の繫る所其の俗の大なればなり。且つ翫器・犬馬を獻ずるを得ざらしむるは、乃ち其の風俗を正すなり。人君、物を翫べば則ち志を喪ふ。物は至微にして、志は至大なり。至微を愼まざれば、則ち至大制すべからず。人君の好む所に天下歸す。豈に忽にすべけんや。帝、其の俗を正さんと欲す。故に此の詔有り。而して又人情を寬くせんと欲し、宴を群臣に賜ひ、大酺すること五日。是れ儉にして寬なり。宜なるかな。海表諸蕃、調を進め、海内安康なり。〔以上、風俗を正す。〕