中朝事実 / 禮儀章・即位の礼と皇后を立てる礼の意味
神武帝辛酉年春正月庚辰朔。天皇卽帝位於橿原宮。是歲爲天皇元年。 謹按。卽位者人君之大禮也。天者人君之所宗。而人君者庶人之所天也。天高于上。而文明照於四海。人君位于大寶。而明德周於天下。故行卽位之禮。以始天下萬機之道也。帝東征之功大成。定中國。以始卽位之禮。以是歲爲元年。以王正月授時。一天地之氣候。著人君之大禮也。自是歷代因循有此儀。大臣北面以捧神器。天子南面以詔萬國。正上下尊卑之禮。布道德聖明之政。所其繫太重哉乎。蓋此時未知外朝之三統。而人統自立。四時以宜。是乃神聖之靈妙也。爾來正朔終不失。授時相正。而天下一其俗。中華之渾厚大哉。〔以上論卽位之禮。〕 神武帝庚申年秋八月癸丑朔戊辰。天皇當立正妃。改廣求華胄。九月壬午朔己巳。納媛蹈鞴五十鈴媛命以爲正妃。辛酉春正月庚辰朔。天皇卽位。尊正妃爲皇后。 謹按。是后妃選立之始也。蓋聖人得聖匹。則有聖子。聖子聖孫相續。則百代猶一日。是人君所以愛天下之至也。凡帝王之匹。風化之本。禮儀之大也。選立不以其道。則唯縱欲從情。雖克其始。不可保其終。帝當立正妃。廣議正族姓。詳女德。及卽位。乃爲皇后。其隆禮。以序男女之別。辨媵妾之品。垂戒於萬世也。然猶後世未嘗無淫亂黷德。嫡妾相妄。廢奪相行之失矣。夫有男女。而後有父子。然乃國家大事。福祚所繫。在妃匹之際。其禮豈可苟乎。 繼體帝元年三月庚申朔。詔曰。神祇不可乏主。宇宙不可無君。天生黎庶。樹以元首。使司助養。令全性命。大連憂朕無息。披誠款。以國家世世盡忠。豈唯朕日歟。宜備禮儀。奉迎手白香皇女爲皇后。修敎于內。 謹按。是立皇后。備禮儀。修敎于內之詳也。蓋人君恒居九重之深。御萬乘之富。近臣進媚。侫臣逆惡。少怠縱情。則鴆毒無不根其衷。故外設諫議。置史官。正其言行。猶未嘗無其闕遺。妃匹之親。皇后之睦。與內助之益。賴規警之戒。以拾補於此。是良匹賢配所以尙之也。此後立后之禮世世相續。以至皇統連綿也。凡女德之撰不以其道。則淫婦妖女必蠱其心。族姓之戒不嚴。則外戚專權竊威。必構天下之害。立后之禮不正。則男女之別不明。而內修之戒不行。皇妃之道。不規之以其禮。則宮闈臨朝。垂簾預政。至使嗣主擁於虎位。故禮本夫婦。治亂因之。興亡繫焉。往古之令典。舊紀之所載。可不監乎。〔以上論立后之禮。〕
新字:神武帝辛酉年春正月庚辰朔。天皇即帝位於橿原宮。是歳為天皇元年。 謹按。即位者人君之大礼也。天者人君之所宗。而人君者庶人之所天也。天高于上。而文明照於四海。人君位于大宝。而明徳周於天下。故行即位之礼。以始天下万機之道也。帝東征之功大成。定中国。以始即位之礼。以是歳為元年。以王正月授時。一天地之気候。著人君之大礼也。自是歴代因循有此儀。大臣北面以捧神器。天子南面以詔万国。正上下尊卑之礼。布道徳聖明之政。所其繋太重哉乎。蓋此時未知外朝之三統。而人統自立。四時以宜。是乃神聖之霊妙也。爾来正朔終不失。授時相正。而天下一其俗。中華之渾厚大哉。〔以上論即位之礼。〕 神武帝庚申年秋八月癸丑朔戊辰。天皇当立正妃。改広求華胄。九月壬午朔己巳。納媛蹈鞴五十鈴媛命以為正妃。辛酉春正月庚辰朔。天皇即位。尊正妃為皇后。 謹按。是后妃選立之始也。蓋聖人得聖匹。則有聖子。聖子聖孫相続。則百代猶一日。是人君所以愛天下之至也。凡帝王之匹。風化之本。礼儀之大也。選立不以其道。則唯縦欲従情。雖克其始。不可保其終。帝当立正妃。広議正族姓。詳女徳。及即位。乃為皇后。其隆礼。以序男女之別。弁媵妾之品。垂戒於万世也。然猶後世未嘗無淫乱黷徳。嫡妾相妄。廃奪相行之失矣。夫有男女。而後有父子。然乃国家大事。福祚所繋。在妃匹之際。其礼豈可苟乎。 継体帝元年三月庚申朔。詔曰。神祇不可乏主。宇宙不可無君。天生黎庶。樹以元首。使司助養。令全性命。大連憂朕無息。披誠款。以国家世世尽忠。豈唯朕日歟。宜備礼儀。奉迎手白香皇女為皇后。修教于内。 謹按。是立皇后。備礼儀。修教于内之詳也。蓋人君恒居九重之深。御万乗之富。近臣進媚。侫臣逆悪。少怠縦情。則鴆毒無不根其衷。故外設諫議。置史官。正其言行。猶未嘗無其闕遺。妃匹之親。皇后之睦。与内助之益。頼規警之戒。以拾補於此。是良匹賢配所以尚之也。此後立后之礼世世相続。以至皇統連綿也。凡女徳之撰不以其道。則淫婦妖女必蠱其心。族姓之戒不厳。則外戚専権窃威。必構天下之害。立后之礼不正。則男女之別不明。而内修之戒不行。皇妃之道。不規之以其礼。則宮闈臨朝。垂簾預政。至使嗣主擁於虎位。故礼本夫婦。治乱因之。興亡繋焉。往古之令典。旧紀之所載。可不監乎。〔以上論立后之礼。〕
書き下し
神武帝辛酉の年春正月庚辰朔、天皇帝位に橿原宮に卽く。是の歲を天皇の元年と爲す。 謹んで按ずるに、卽位は人君の大禮なり。天は人君の宗とする所にして、人君は庶人の天とする所なり。天高く上にして文明四海を照らす。人君大寶に位して明德天下に周し。故に卽位の禮を行ひ、以て天下萬機の道を始むるなり。帝東征の功大いに成り、中國を定め、以て卽位の禮を始め、是の歲を以て元年と爲し、王正月を以て時を授け、天地の氣候を一にし、人君の大禮を著すなり。是れより歷代因循して此の儀有り。大臣は北面して以て神器を捧げ、天子は南面して以て萬國に詔す。上下尊卑の禮を正し、道德聖明の政を布く。繫る所太だ重きかな。蓋し此の時未だ外朝の三統を知らずして、人統自ら立つ。四時以て宜し。是れ乃ち神聖の靈妙なり。爾來正朔終に失はず、授時相正して、天下其の俗を一にす。中華の渾厚、大なるかな。〔以上、卽位の禮を論ず。〕 神武帝庚申の年秋八月癸丑朔戊辰、天皇正妃を立つべし。改めて廣く華胄を求む。九月壬午朔己巳、媛蹈鞴五十鈴媛命を納れて以て正妃と爲す。辛酉春正月庚辰朔、天皇卽位す。正妃を尊びて皇后と爲す。 謹んで按ずるに、是れ后妃選立の始めなり。蓋し聖人聖匹を得れば、則ち聖子有り。聖子聖孫相續げば、則ち百代も猶ほ一日のごとし。是れ人君の天下を愛する至りなる所以なり。凡そ帝王の匹は、風化の本、禮儀の大なり。選立其の道を以てせざれば、則ち唯だ欲を縱にし情に從ひ、其の始めに克つと雖も、其の終りを保つべからず。帝正妃を立てんとするに當たり、廣く族姓を議し、女德を詳にす。卽位に及び、乃ち皇后と爲す。其の禮を隆くし、以て男女の別を序し、媵妾の品を辨じ、戒めを萬世に垂る。然れども猶ほ後世未だ嘗て淫亂・德を黷し、嫡妾相妄し、廢奪相行はるるの失無くんばあらず。夫れ男女有りて後に父子有り。然れば乃ち國家の大事、福祚の繫る所、妃匹の際に在り。其の禮豈に苟もすべけんや。 繼體帝元年三月庚申朔、詔して曰く、「神祇は主を乏しくすべからず。宇宙は君無かるべからず。天、黎庶を生じ、元首を樹てて、司り助け養はしめ、性命を全うせしむ。大連、朕の息無きを憂へ、誠款を披き、國家のために世世忠を盡くす。豈に唯だ朕が日のみならんや。宜しく禮儀を備へ、手白香皇女を奉迎して皇后と爲し、敎を内に修めしむべし」と。 謹んで按ずるに、是れ皇后を立て、禮儀を備へ、敎を内に修むるの詳しきなり。蓋し人君恒に九重の深きに居り、萬乘の富を御す。近臣媚を進め、佞臣惡を逆ふ。少しく怠り情を縱にすれば、鴆毒其の衷に根ざさざる無し。故に外には諫議を設け、史官を置き、其の言行を正す。猶ほ未だ嘗て其の闕遺無くんばあらず。妃匹の親、皇后の睦、内助の益、規警の戒めに賴り、以て此に拾ひ補ふ。是れ良匹賢配の尙ばるる所以なり。此の後立后の禮世世相續き、以て皇統連綿に至る。凡そ女德の撰其の道を以てせざれば、則ち淫婦妖女必ず其の心を蠱す。族姓の戒め嚴ならざれば、則ち外戚權を專らにし威を竊み、必ず天下の害を構ふ。立后の禮正しからざれば、則ち男女の別明らかならずして、内修の戒め行はれず。皇妃の道、之を規するに其の禮を以てせざれば、則ち宮闈朝に臨み、簾を垂れて政に預かり、嗣主をして虎位に擁せられしむるに至る。故に禮は夫婦に本づき、治亂之に因り、興亡之に繫る。往古の令典、舊紀の載する所、監みざるべけんや。〔以上、立后の禮を論ず。〕
現代語訳
神武帝は辛酉の年の春正月庚辰朔、橿原宮で帝位に即かれた。この年を天皇の元年とした。 素行はこう考える。即位は君主の大礼である。天は君主が宗とするところであり、君主は庶民が天とするところである。天は高く上にあって文明が四海を照らす。君主は大宝に位して明徳が天下に行き渡る。だから即位の礼を行い、天下万機の道を始めるのである。帝は東征の功が大いに成り、中国(日本)を定めて、即位の礼を始め、この年を元年とし、王の正月によって暦を授け、天地の気候を一つにし、君主の大礼を著した。以来、歴代が受け継いでこの儀がある。大臣は北面して神器を捧げ、天子は南面して万国に詔する。上下尊卑の礼を正し、道徳聖明の政を布く。その関わるところは重い。思うにこの時はまだ外朝(中国)の三統(暦の三つの建て方)を知らないのに、人統(寅の月を歳首とする暦)がおのずと立ち、四季がよく合った。これこそ神聖の霊妙である。以来、正朔は失われず、暦を授け合い正し合って、天下の風俗が一つになった。中華の厚みは大きい。〔以上、即位の礼を論ずる。〕 神武帝は庚申の年の秋八月癸丑朔戊辰、天皇は正妃を立てるべきだとして、改めて広く名門の血筋を求めた。九月壬午朔己巳、媛蹈鞴五十鈴媛命を迎えて正妃とした。辛酉の春正月庚辰朔、天皇が即位し、正妃を尊んで皇后とした。 素行はこう考える。これは后妃を選び立てる始めである。思うに聖人が聖なる伴侶を得れば聖なる子が生まれる。聖子・聖孫が続けば、百代も一日のようである。これは君主が天下を愛する至りの表れである。帝王の伴侶は風化の本であり、礼儀の大事である。選び立てるのに道によらなければ、ただ欲を縦にし情に従い、始めはよくても終わりを保てない。帝は正妃を立てるにあたり、広く氏族の出自を議し、女性の徳を詳しく見た。即位に及んで皇后とした。その礼を盛んにして男女の別を序し、媵妾の格を弁別して、戒めを万世に残した。それでも後世には、淫乱や徳の汚れ、嫡妻と妾の乱れ、廃立の失がなかったわけではない。そもそも男女があって後に父子がある。国家の大事、福祚の関わるところは、妃匹の際にある。その礼をどうして軽んじてよかろうか。 継体帝元年三月庚申朔、詔していわれた。「神祇には主がなくてはならない。宇宙には君がなくてはならない。天は民を生み、元首を樹てて、治め助け養わせ、性命を全うさせる。大連は朕に子がないことを憂え、誠意を披瀝して、国家のために代々忠を尽くしてくれる。それは朕の代だけではない。礼儀を整えて、手白香皇女を迎えて皇后とし、教えを内に修めさせよう。」 素行はこう考える。これは皇后を立て、礼儀を備え、内に教えを修める様子の詳しい記述である。思うに君主は常に九重の奥深くにいて、万乗の富を御する。近臣は媚びを進め、佞臣は悪を迎える。少しでも怠り情を縦にすれば、鴆毒はその心中に根ざす。だから外には諫議の官を設け、史官を置いてその言行を正す。それでもなお欠けや漏れがないわけではない。伴侶の親しみ、皇后の睦まじさ、内助の益、戒めの助言によって、ここに拾い補う。これが良き伴侶・賢い配偶者が尊ばれる理由である。この後、立后の礼は代々続き、皇統が連綿と至った。女性の徳の選びが道によらなければ、淫婦や妖女が必ずその心を惑わす。氏族の戒めが厳しくなければ、外戚が権を専らにして威を盗み、必ず天下の害をなす。立后の礼が正しくなければ、男女の別が明らかでなく、内を修める戒めが行われない。皇妃の道を礼によって正さなければ、後宮が朝廷に臨み、簾を垂れて政に与かり、跡継ぎを虎の座に担ぎ上げられるに至る。だから礼は夫婦に本づき、治乱がこれによって生じ、興亡がこれに関わる。昔の令典と古い記録が載せることを、鑑みずにいられようか。〔以上、立后の礼を論ずる。〕
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『中朝事実』禮儀章・朝賀の儀と誓約・盟神探湯の礼神武帝辛酉の年春正月庚辰朔、天皇帝位に橿原宮に卽く。是の歲を天皇の元年と爲す。故に古語に之を稱して曰く、「畝傍の橿原に、太く宮柱を底磐の根に立て、峻く搏風を高天の原に峙てて、始めて天下を馭す天皇」と。號して神日本磐余彥火火出見天皇と曰ふ。初め天皇天基を草創するの日なり。大伴氏の遠祖道臣命、大來目部を帥ゐ、密策を奉承し、能く諷歌・倒語を以て、妖氣を掃蕩す。倒語の用、玆に始起す。 謹んで按ずるに、是れ朝儀賀正旦の始めなり。是の歲は卽位の元年、故に正月の賀有り。後世の歲首に朝賀の禮を行ふに同じからずと雖も、賀正旦、此に始まる。是れ乃ち朝儀の禮なり。凡そ朝儀は朝廷の禮儀なり。朝廷は天地を以て其の基を立て、天下は朝廷を以て標準と爲す。朝廷の威儀は以て嚴正なるに在り。凡そ王朝の禮に、年中行事有り、恒例有り、臨時有り、每月の禮有り、公侯朝聘の禮有り、饗燕の禮有り、巡守・田獵・大射の禮有り、神社祭禮有り。而して歲首慶賀の禮を以て大儀と爲す。正月は一年の始め、歲序端を更め、萬物惟れ新たなるの節なり。臣子畢く朝會拜賀し、其の慶びを奉ずるは、信義の當然なり。蓋し朝儀は一ならず、代代の聖主、或いは其の例を追ひ其の風を慕ひ、或いは新たに其の儀を立て、其の制を斟酌して、而る後に悉く備はる。其の間多く習俗の儀有りて、以て因循し來たる。又以て禮の大意を存するに足る。竊かに惟ふに、朝賀は臣子、宸儀を拜慶するの禮なり。否らざれば乃ち臣子の情安んずべからず。故に一月に朔・望・晦の禮有り、其の間又大朝賀の節有り。群臣悉く敬を君上に致し、以て祝頌を奉る。是れ臣子の分定まるなり。宴會は君上、宴を群臣に賜ふなり。饗有り、食有り、燕有り。此れ上下交はり、君臣德を和し業を成し、相親愛する所以なり。故に朝賀を以て尊卑の禮を嚴にし、燕會を以て上下の情を和す。朝賀に由りて其の威儀を正し、燕會に因りて其の風雅を作す。外は則ち以て禮容を觀、内は則ち以て恩惠を廣む。然れば乃ち徒に之を威し之を儀するに非ず、徒に之を飮ませ之を食はしむるに非ず、皆恭儉を訓へ惠慈を示す所以なり。夫れ王朝の儀は舊紀に粲然として載す。然れども能く其の事物を致して以て其の儀を正せば、乃ち其の禮大成し、朝儀の實を啓くべし。後世必ず外朝の例を以て附會するは、中國の禮、尤も正しからざるの至りなり。〔以上、王朝の禮を謂ふ。〕 素戔鳴尊昇天の時、溟渤以て鼓盪し、山岳之が爲に鳴呴す。此れ則ち神性雄健にして之をして然らしむるなり。天照太神、素より其の神の暴惡なるを知り、徑ちに詰問す。素戔鳴尊對へて曰く、「吾元より黑心無し」と。時に天照太神復た問ひて曰く、「若し然らば、將に何を以て爾の赤心を明らかにせんや」と。對へて曰く、「請ふ、姉と共に誓はん。夫れ誓約の中〔誓約の中、此に宇氣譬能美難箇と云ふ。〕必ず當に子を生むべし。如し吾が生む所是れ女ならば、則ち以て濁き心有りと爲すべし。若し是れ男ならば、則ち以て清き心有りと爲すべし」と。 謹んで按ずるに、是れ神代の誓約、乃ち後世誓盟の禮なり。凡そ誓は、己が信を明らかにし、人の疑ひを解く所以なり。事物の間、或いは未だ嘗て其の疑ひ無くんばあらず。疑ひを解くの道は誓約に在り。鬼神に祈り、信を幽冥に期す。故に天神、誓を許して以て其の清濁の心を明らかにす。後世之に因り、終に誓盟の禮有り。蓋し誓は唯だ言辭を以て神祇に請ひて其の信を約するなり。盟は物を以て其の事を證し、直ちに其の信僞を決するなり。遠く神明に請ひ、血を瀝りて之を書に載す。其の禮、誓より嚴なり。猶ほ埿を釜に納れて煮沸し、手を攘ひて湯埿を探り、斧を燒きて火色にして掌に置くがごとし。是を盟神探湯と曰ふ。〔盟神探湯、此に區訶陀智と云ふ。〕後世に及び、載書を作り血を瀝り神祇に告ぐるの禮有り。〔孝德帝卽位し、群臣を召集し、天神地祇に盟ひ告げて曰く、「天は覆ひ地は載せ、帝道は唯だ一なり。而るに末代澆薄にして、君臣序を失ふ。皇天手を我に假し、暴逆を誅珍す。今共に心血を瀝り、今より以後、君に二政無く、臣に貳朝無し。若し此の盟に貳せば、天災地妖、鬼誅人伐せん。皎として日月の如し」と。〕人皆聖賢に非ず、信有り僞有り、直有り曲有り。正は疑ふべからざる有り、奸は疑ひ無かるべからざる有り。是れ天下の通情なり。神聖の敎、人情事變に通じ、詳らかに其の道を致す。故に端を此に起し、戒めを後に垂る。言以て之を結び、明神以て之を要す。天下の疑惑忽ち解けて、事物の大義決行すべし。否らざれば乃ち人人疑ひを存すべく、戸戸各々辨ずべし。今、誓盟の禮を襲ひ、信僞曲直、一擧に道に歸す。其の禮たる大なるかな。或ひと疑ふ、君子屢々盟へば、亂是を以て長ず。誓を作して民始めて畔き、會を作して民始めて疑ふ、と。愚謂へらく、聖人の道、能く天下の人情に從ふ。故に偏無く倚無し。徒杠と梁と成りて、而る後に民水を涉るに病まず。盟誓以て約して、而る後に民其の疑ひを免るべし。人毎に之を試みるも、亦足らず。然れども盟誓は必ず禮有り。之を用ゐるに禮を以てせざれば、民畔きて恥ぢず。何ぞ必ずしも誓盟を用ゐんや。凡そ知や仁や其の道を致さざれば、猶ほ荑稗に如かず。專ら神屢々盟ふを要するは、是れ之を用ゐるに禮を以てせざるなり。周豐の言の如く、過ちて徴無し、何ぞ之を取るに足らんや。〔以上、誓盟の禮を論ず。〕
-
『中朝事実』皇統章・神武天皇の即位と三綱・皇統無窮の論神日本磐余彦天皇、諱は彦火火出見。彦波瀲武鸕鷀葺不合尊の第四子なり。年四十五歳に及び、諸兄及び子等に謂いて曰く、昔、我が天神高皇産霊尊・大日孁尊、此の豊葦原瑞穂国を挙げて、我が天祖彦火瓊瓊杵尊に授けたまえり。是に於いて火瓊瓊杵尊、天関を闢き、雲路を披き、駈山躍りて以て戻止る。是の時、運は鴻荒に属し、時は草昧に鍾る。故に蒙にして以て正を養い、此の西偏を治めたまう。皇祖・皇考、乃ち神、乃ち聖、慶を積み暉を重ね、多くの年所を歴たり。天祖の降跡より以逮、今に于りて一百七十九万二千四百七十余歳なり。而して遼邈の地、猶お未だ王沢に霑わず。遂に邑に君有り、村に長有りて、各おの自ら疆を分かち、用て相凌躒せしむ。抑も又た塩土老翁に聞く、東に美地有り、青山四周せり。其の中に亦た天磐船に乗りて飛び降る者有り、と。余謂えらく、彼の地は必ず以て天業を恢弘し、天下に光宅するに足るべし、蓋し六合の中心か、と。遂に東征して中州を定む。 謹んで按ずるに、是れ人皇、中州を平らげ、天祖の降跡を続ぐの始めなり。 辛酉春正月庚辰朔、天皇、帝位に大倭州の橿原宮に即く。是の歳を天皇元年と為す。正妃を尊びて皇后と為す。皇子神淳名川耳尊を立てて皇太子と為す。 謹んで按ずるに、是れ天皇即位の始めなり。初め天神、磤馭廬島を以て国中の柱と為し、分巡りて国柱す。天孫は浮渚の平処に立ち、宮殿を立つ。皆な後世の即位の意なり。洪濛の間、悠久にして以て正を養う。帝は明達大雄にして、善く乾霊の志を継ぎ、善く皇孫の事を述ぶ。一たび戎衣して東方服す。故に人皇の洪基を建て、即位の大礼を開く。蓋し即位とは何ぞ。天子、大宝の位に即くなり。人君、天を継ぎ極を建て、万国以て朝し、元元以て仰ぎ、四海始めて知る。天子の以て崇ぶべき、明徳を中州に明らかにするの義を。即位の大礼は、人君、綱紀を其の始めに正す。豈に忽せにすべけんや。是れより代代の聖主、各おの此の儀を正殿に行う。〔大極殿、朝堂殿と謂う、是れなり。〕大臣、左右に扶翼す。〔大神勅す、天児屋命・太玉命、惟れ爾二神も亦た同じく殿内に侍いて、善く防護を為せ、と。是れ其の義なり。〕百官、囲み護りて、以て天儀を奉拝す。外国の所謂る正月元日、舜、文祖に格る、是れなり。元とは始めなり、本なり。元年とは即位の初年にして、根本を此に深くして傾かず抜けざるの謂なり。〔此の時既に暦数紀年有り。店暦本とは、百済の釈観勒、推古十年之を献ず。〕皇后を立つるとは、男女の別を正し、嫡媵の辨を明らかにし、廃奪の失を懲らすなり。太子を建つとは、〔神武帝の四十二年に在り。〕父子の親を著し、嫡庶の分を厳にし、宗廟の統を固くするなり。故に人君、即位の礼を厳にして後、天下の君臣其の分定まる。后妃の道を重くして後、天下の男女其の別正し。建立の法を定めて後、天下の父子親しむ。三者は人の大倫なり。三綱立ち行わるれば、則ち身修まり家斉い、治平の功、坐して以て俟つべし。帝、皇極を人皇の始めに建て、規模を万世の上に定む。而して中国明らかに三綱の遺すべからざるを知る。故に皇統一たび立ちて、億万世襲いて変ぜず。天下皆な正朔を受けて其の時を貳つにせず、万国王命を禀けて其の俗を異にせず。三綱終に沈淪せず、徳化塗炭に陥らず。異域の外国、豈に企望すべけんや。夫れ外朝は姓を易うること殆ど三十姓。戎狄入りて王たること数世。春秋二百四十余年、臣子其の国君を弑する者二十又五。況んや其の先後の乱臣賊子は枚挙すべからず。朝鮮は箕子命を受けて以後、姓を易うること四氏、其の国を滅ぼして或いは郡県と為し、或いは高氏滅絶すること凡そ二世。彼の李氏の二十八年の間、王を弑する者四。況んや其の先後の乱逆は禽獣の相残うに異ならず。唯だ中国は開闢より人皇に至るまで、二百万歳に垂とし、人皇より今日に迄るまで二千三百歳を過ぐ。而して天神の皇統は竟に違わず。其の間の弑逆の乱は、指を屈して数うべからず。況んや外国の賊は竟に吾が辺藩を窺うを得ざるをや。後白河帝の後、武家執権すること既に五百又た余年。其の間、未だ嘗て利皆長距以て擅場を得、冠猴封豕、縦火秋蓬の類無くんばあらず。而も猶お王室を貴び君臣の儀を存す。是れ天神人皇の知徳縣象著明にして、没世忘るべからざるなり。其の過化の功、綱紀の分、然く悠久に然く無窮なる者は、至誠より流出するなり。三綱既に立てば、則ち条目の著るる、治政の極致に在り。凡そ八紘の大、外国の汎、中州皇綱の化に如くは無し。文武の功、其の至徳、豈に大ならずや。〔以上、人皇の即位。〕 以上、皇統の無窮を論ず。謹んで按ずるに、天下とは神器にして、人君とは人物の命を繋ぐ者なり。其の与授の間、豈に一人の私を存せんや。皇統の初め、天神以て之を授け、天孫以て之を受く。然れば乃ち其の知徳、天地に愧じずして後、神器の与授と謂うべし。凡そ天は言わず、人之に代わりて言う。天下の人仰ぎ帰すれば、則ち天之に命ずるなり。天下の帰仰する所、更に他に非ず。唯だ天祖眷眷の命に在るのみ。
-
『中朝事実』聖政章・民心と習俗を察する政教の始め神武帝己未の年春三月辛酉朔丁卯、令を下して曰く、「今、運此の屯蒙に屬し、民心朴素なり。巢に棲み穴に住み、習俗惟れ常なり。夫れ大人の制を立つるは、義必ず時に隨ふ。苟くも民を利する有らば、何ぞ聖造を妨げん」と。 謹んで按ずるに、是れ政令の始めなり。民心は天下の人心なり。習俗は人皆習ひて以て俗と爲すなり。言ふこころは、天下屯蒙にして、人心詐僞に與せず、穴居野處して以て習俗と爲す。今帝天を繼ぎ極を建て、以て天下の禮を正さんと欲し、其の舊俗を新たにす。故に此の詔有るなり。人心の朴素は、善政に染まり易きが如く、而して習俗の舊汚は又變じ難し。時義、是れ革むるの時、又大なり。聖英の天縱に非ざれば、之を得べからざるなり。蓋し政の要は民心と習俗とを察するに在り。人心は必ず俗と與に化し、善惡以て成る。人君政を立て敎率を明らかにすれば、則ち民心化して風俗成る。風俗の成るは習熟の久しきに在り。習熟久しければ則ち民其の然るを識らず。故に曰く、政の要は民心と習俗とを察するに在り、と。此の章、政敎の大體を盡くすと謂ふべし。〔以上、政敎の大體。〕 四年春二月壬戌朔甲申、詔して曰く、「我が皇祖の靈や、天より降り鑒み、光りて朕が躬を助けたまふ。今諸々の虜已に平らぎ、海内事無し。以て天神を郊祀し、用て大孝を申ぶべし」と。乃ち靈畤を鳥見山の中に立つ。其の地を號して上小野榛原・下小野榛原と曰ふ。用て皇祖天神を祭る。 先人曰く、神武天皇、都を大和國橿原に定む。時に三種の神寶を以て大殿に安置し、床を同じくして坐したまふ。蓋し往古の神勅の如し。此れに由りて皇居と神宮と差別無し。宮中に庫藏〔此に齋藏と云ふ。〕を立て、宮物・神物分かつ無し。此の時天兒屋根命の孫天種子命、專ら祭祀の事を主る。是れ乃ち朝政を執るの儀なり。 謹んで按ずるに、天下の政事は郊社宗廟の祭祀より大なるは莫し。夫れ人君は天地を以て父母と爲す。況んや帝は乾靈天孫の統を承け、以て四海に臨むをや。蓋し神に交はるの道は誠に在り。至誠以て祭祀すれば、則ち鬼神の幽冥も亦格思すべし。蕞爾たる黎民も、至誠以て之を求むれば、則ち感ぜざる無し。故に往古は神祇の祭祀と朝廷の政事と、其の義を二にせず。深いかな。〔俗に政を訓みて祭事とするは是れなり。〕凡そ祭祀を主る者は、皆朝政を執る。天種子命・神八井耳命の如きは是れなり。〔神八井耳命は、神武帝の皇子、綏靖帝の兄なり。神八井耳命曰く、「吾は是れ乃の兄なり。而るに懦弱にして果を致す能はず。今汝特に神武を挺し、自ら元惡を誅す。宜なるかな。汝の天位に光臨し、以て皇祖の業を承くること。吾當に汝の爲に輔けて神祇を典り奉るべし」と。是れ卽ち多臣の始祖なり。〕帝、神勅を守り、以て靈器を敬ふ。且つ天神を郊祀し、用て大孝を申ぶ。其の兢兢業業として政敎を愼むは、萬世の規戒なり。〔以上、祭政の實。〕 崇神帝十年秋七月丙戌朔己酉、群卿に詔して曰く、「民を導くの本は、敎化に在り。今既に神祇を禮し、災害皆耗せり。然れども遠荒の人等、猶ほ正朔を受けず。是れ未だ王化に習はざるのみ。其れ群卿を選びて四方に遣はし、朕が憲を知らしめよ」と。 謹んで按ずるに、是れ行人を發して以て敎を四方に施すの始めなり。導は啓迪なり。敎化に至らざれば、則ち民と敎と別なり。民情化適して敎成る、之を敎化と謂ふ。正朔は王曆なり。天下皆正朔を受くるは、其の天に事ふるを同じくするなり。正朔を受けざれば則ち民俗を殊にす。王化は天下皆其の敎令を守りて其の三綱を正すなり。王化未だ習はざれば則ち民意を異にするなり。憲は法なり。憲章以て人に示すなり。言ふこころは、民皆此の心有り、敎化明らかならず故に其の性を盡くさず。之を啓迪するは敎の化に在り。鬼神を敬ふと民を敎化するとは、其の本至誠に出でず、而して鬼神は幽にして信、人民は習にして駁なり。故に鬼神に事ふるは致敬に在り、人民を治むるは敎を盡くすに在り。帝既に晨に興き夕に惕れ、齊明盛服して以て鬼神を敬ふ。災害既に耗す。然れども天下未だ軌を一にせず、四方未だ俗を均しくせず。今憲章を建て、以て時月を考へ、禮樂制度を同じくし、以て民性を節し、道德を一にして以て俗を同じくす。十二年に及び敎化流行し、衆庶業を樂しみ、富庶既に滿つ。人民皆長幼の序、課役の制を知る。宜なるかな其の至德を稱せらるること。蓋し後世に迄びて巡察・按察・宣撫の法有り、以て風俗制度を正し革む。推古帝に及び、聖德太子憲法を定め、孝德帝天下の政制を詳にし、天武帝律令法式を定め、文武帝の朝、淡海公勅を奉りて律令を撰び、終に萬世政令の準標と爲る。其の本は皆此に基づく。帝の功、亦大ならずや。〔以上、憲章の敎。〕
-
『中朝事実』禮儀章・皇太子を立てる礼と諭教の記述神武帝四十有二年春正月壬子朔甲寅、皇子神渟名川耳尊を立てて皇太子と爲す。 謹んで按ずるに、是れ皇太子を立つるの始めなり。蓋し太子を建つるは、國の本を定め、宗廟社稷を重んずる所以なり。凡そ子を立つるは必ず長を以てす。是れ禮の恒なり。然れども時に治亂・屯蒙・承久有り、地に新故・大小有り、人に賢知・愚不肖有り。故に愼思明辨して、以て其の道を致すは、人君の德に在り。帝始めて中州を定め、皇極を建つ。其の間未だ嘗て强悍不律の賊無くんばあらず。信に是れ屯難の時、其の建立愼まざるべけんや。太子は帝の第三子なり。而して風姿歧嶷、少くして雄拔の氣有り。子は父の如くならざるを見る。竟に立てて皇太子と爲す。建立の禮一たび行はれ、天下の大本定まる。是れより連綿として、建儲の儀成る。於乎、懿なるかな。 崇神帝四十八年春正月己卯朔戊子、天皇、豐城命・活目尊に勅して曰く、「汝等二子、慈愛共に齊し。孰れを嗣と爲すかを知らず。各々夢みよ。朕、夢を以て之を占はん」と。二皇子是に命を被り、淨め沐ひて祈りて寐ぬ。各々夢を得たり。會明、兄豐城命、夢の辭を以て天皇に奏して曰く、「自ら御諸山に登り、東に向ひて八廻槍を弄し、八廻刀を擊つ」と。弟活目尊、夢の辭を以て奏言す、「自ら御諸山の嶺に登り、繩を四方に組み、粟を食む雀を逐ふ」と。則ち天皇、夢を相て、二子に謂ひて曰く、「兄は則ち一片に東に向ふ。當に東國を治むべし。弟は是れ悉く四方に臨む。宜しく朕が位を繼ぐべし」と。四月戊申朔丙寅、活目尊を立てて皇太子と爲す。豐城命を以て東を治めしむ。是れ上毛野君・下毛野君の始祖なり。 謹んで按ずるに、建儲の禮は、天下の大本なり。今、夢の所を以て其の計を定むるは、後世疑擬無くんばあらず。此の時古を去ること未だ遠からず、人心朴素にして、誠信感通す。故に此の議有り。二王子も亦之を肯んず。終に永く帝詔を承けて貳つならず。是れ帝の聖德なり。王子の渾厚なり。後世の似效すべき所に非ず。蓋し帝位は大寶なり。人誰か欲せざらん。況んや皇子をや。故に建立の禮は蚤く定むるを貴ぶ。蚤く定めざれば、則ち嫡庶の分明らかならず。或いは智を以て之を求め、功を立てて之を欲し、力を以て之を爭ふ。古今宗室の天秩を亂すこと、由らざる無し。其の禮蚤く定まれば、則ち衆望絶えて天下の勢ひ定まり、宗室の分極まりて王家以て固し。人君豈に忽にすべけんや。 應神帝十五年秋八月壬戌朔丁卯、百濟王、阿直岐を遣はして良馬を貢ぐ。阿直岐能く經典を讀む。卽ち太子菟道稚郞子、師とす。是に天皇、阿直岐に問ひて曰く、「汝に勝る博士、亦有りや」と。對へて曰く、「王仁といふ者有り。是れ秀れたり」と。時に上毛野君の祖荒田別・巫別を百濟に遣はし、仍りて王仁を徵す。十六年春二月、王仁來る。則ち太子菟道稚郞子、之を師とし、諸典籍を王仁に習ひ、通達せずといふこと莫し。 謹んで按ずるに、是れ太子諭敎の禮なり。此の時稚郞子未だ皇太子の命有らず。然れども帝既に建儲の計を衷に定む。故に此の諭敎有るなり。蓋し諭敎の禮豫め定まれば、則ち其の薰陶正しく明らかにして、氣質を變化す。其の師・傅・保に由らずして、以て其の實を得べからず。太子は聰明にして、天資謙讓、而も又雄武の俊才有り。能く中國の事物に熟し、兼ねて外朝の經籍に通ず。其の啓廸開悟、習貫ること自然の如し。故に表狀無禮を以て、高麗の使を責め、大寶を仁德帝に讓り、昆を上にし季を下にするは、聖君にして愚臣の常典なり。其の豪英なること、其の脫落なること、皆敎諭の得るに繫る。萬世之に法りて師を立て、傅保を置き、太子家令の官と爲す。愼まざるべけんや。竊かに按ずるに、敎諭の道、多く外朝の書籍を以て事と爲すは、是れ後世の訛りなり。中國古今天下の興廢治亂、事物の制度、人民の禮儀、文獻に載せ在り。然れば乃ち日用言行脩改の暇に、詳らかに其の道を致し、其の古を鑒み、而る後に外朝の經傳に及び、以て其の知識を廣め、其の事迹を證し、斟酌用捨し、有道に就きて以て之を正す。敎諭の實を得たりと謂ふべきなり。〔以上、建儲の禮を論ず。〕
-
『中朝事実』賞罰章・資を賜う・姓を賜う・尊号天神、葦原中國の邪鬼を撥ひ平げしめんと欲し、天國玉の子天稚彥に天鹿兒弓及び天羽羽矢を賜ひ、以て遣はす。 謹んで按ずるに、是れ其の臣に資するの始めなり。蓋し其の風聲を樹て、以て人の耳目を異にし、其の勸勤の意を鼓舞し、其の善忠の實を興動する者は、人君治平の要道なり。故に賞して以て之を厚くし、待つに深きを以てして、而る後、其の任ずる所甚だ重く、其の責むる所能く通ず。天神、此の神を賞すること此くの如し。而して此の神、忠誠ならず、忽ちに中り還る投げ矢に、命を隕す。其の責の速やかに通ずること以て見るべきなり。後世、將を立つるに鉄鉞を賜ひ、其の器服を異にするは、皆賢を賢とする所以にして、有德を崇獎し、人心を興起す。端を是に造るは、乃ち外朝の旌淑なり。 皇孫、天鈿女命に勅す、汝、宜しく顯せる所の神名を以て姓氏と爲せ、と。因りて猿女君の號を賜ふ。故に猿女君等、男女皆呼びて君と爲す。此れ其の緣なり。 謹んで按ずるに、是れ其の功に因りて姓號を賜ふの始めなり。神武帝東征の日、日臣命は忠にして且つ勇、加ふるに導の功有り、以て道臣の名を賜ふ。蓋し姓名の號は、百世に流芳し、其の善心を鼓動する所以なり。故に姓を賜ひ氏を命ずるに必ず道有り。人臣、時君に禀けざれば、則ち其の氏と爲るを得ず。其の分、嚴なるかな。凡そ物部・大伴の姓と爲るは、其の威武を以てなり。〔饒速日命は物部氏の遠祖なり。物部とは武夫の訓なり。道臣命は大伴氏の遠祖なり。日本武尊、靱部を以て武日に賜ひ、以て大伴氏と爲す。〕中臣・忌部の姓と爲るは、其の中直にして祭祀を主るに因る。況んや藤・橘・菅・江の分、源・平・紀・淸の派、未だ嘗て其の勳業を以てせずんばあらず。夫れ名は實の著なり。實無くして名有れば、則ち竟に虛名と爲る。虛名にして之を後世に傳ふるは、臭を子孫に遺すなり。其の賜ふ所、其の受くる所、愼まざるべけんや。〔以上、賜の義。〕 神武帝辛酉年春正月庚辰朔、天皇、帝位に橿原宮に卽く。是の歲を天皇元年と爲す。故に古語に之を稱へて曰く、畝傍の橿原に、底磐の根に宮柱太立て、高天の原に搏風峻りて、始めて天下を馭す天皇、號して神日本磐余彥火火出見天皇と曰ふ、と。 謹んで按ずるに、是れ人臣の尊號を奉るの始めなり。神代にも旣に尊・命の說有るなり。凡そ善惡の應は終に掩ふべからず。故に臣に善惡有れば君之を糺し、君の善惡は天必ず之を糺す。天言はずして人之に代はる。所謂尊號の善惡是れなり。後世に諡の制有るに至り、唯だ人君の其の臣を賞黜するに非ず、臣子も亦た其の君父を議す。臣子議するを非とせば、天下以て之を議す。天下の議は、天の命なり。君臣の道、愼まざるべけんや。夫れ一時の好惡を以て、百世の榮辱を蒙る。未だ其の履歷を知らずして、一たび其の號諡を聞けば則ち其の人を知る。故に人心を勸化し、善惡を興懲する所以の者は此に在り。然れば乃ち賞刑の實は人君に本づき、以て天下に流る。行ひの迹、功の表は、己より出でて、人に成る。是れ其の終に掩ふべからざるなり。〔以上、尊號の禮。〕
-
『中朝事実』禮儀章・官を立てる礼と文武の二職神武帝二年春二月甲辰朔乙巳、天皇功を定め賞を行ひ、道臣命に宅地を賜ひ、築坂邑に居らしめ、以て寵異す。亦大來目をして畝傍山以西の川邊の地に居らしむ。今、來目邑と號す。此れ其の緣なり。珍彥を以て倭國造と爲す〔珍彥、此に于磐毗故と云ふ。〕。又弟猾に猛田邑を給ふ。因りて猛田縣主と爲す。是れ菟田主水部の遠祖なり。弟磯城黑速を、磯城縣主と爲す。復た劒根といふ者を以て葛城國造と爲す。 一書に曰く、此の時天兒屋根命の孫天種子命、專ら祭祀の事を主る。是れ乃ち朝政を執るの儀なり。 謹んで按ずるに、是れ功臣を封じ官職を立つるの初めなり。 崇神帝十年秋九月、四道將軍に命ず。 謹んで按ずるに、是れ武官を立つるの初めなり。 景行帝五十一年秋八月己酉朔壬子、武内宿禰に命じて棟梁の臣と爲す。 謹んで按ずるに、是れ大臣を以て棟梁の臣と爲すなり。成務帝の朝に初めて大臣と號す。仲哀帝の朝に大連の號有り。大臣・大連相並びて天下の政を知る。 成務帝五年秋九月、諸國をして國郡を以て造長を立て、縣邑に稻置を置かしむ。 謹んで按ずるに、是れ國郡守司を立つるの始めなり。初め國造・縣主の號有りて、未だ其の職掌を致さず。此に及び其の器を撰びて以て其の官を授く。 推古帝十一年冬十二月戊辰朔壬申、始めて冠位十二階を行ふ。孝德帝大化五年春正月、始めて八省百官を置く。 謹んで按ずるに、是れ百官を立つるの始めなり。先に是れ群臣・百寮・諸卿・有司の名有りと雖も、未だ其の職掌を致さず。此に至りて八省百官を置き、始めて群臣の職分定まり、天下其の禮を知る。文武帝に及び、律令を撰び、大いに官位職員を定め、其の後損益相續ぎて、萬世之を襲ひ、以て準據と爲す。蓋し官を立つるは治平の道にして、其の事有れば則ち其の職無くんばあらず、其の職有れば則ち其の官無くんばあらず、其の官有れば則ち其の位無くんばあらず。是れ物有れば必ず則有るなり。既に官を立て位を設くれば、則ち其の道其の禮未だ嘗て之を正さずんばあらず。竊かに按ずるに、官は惟れ百なれども、其の統ぶる所は文武の二職に在り。文は以て禮を守り、武は以て違ひを糺す。故に草業には乃ち武臣を以て其の功を立て、守成には乃ち文臣を以て其の禮を正す。文武互ひに根とし、先後は時を以てし、而して一人を輔佐す。是れ乃ち往古の神聖、經津主神・建雷神を以て諸の不順を平らげしめ、二神に命じて天孫に侍らしめ、且つ天忍日命を先にせし所以なり。故に神武帝、道臣命・饒速日命を封賞し、天種子命・天富命をして以て左右と爲さしめ、歷代因循して此の二職を重んず。夫れ土地有れば則ち其の司を立て、人民有れば則ち其の長帥を建て、物有れば則ち其の司を設け、事有れば則ち其の職を令し、而して師を置きて以て其の道を敎へ、監を立てて以て其の務を省み、以て其の禮を糺し、其の事を記し、法を萬世に垂れ、治平を天下に期す。是れ乃ち官を立つるの禮なり。官立ち位定まれば、則ち百寮有司及び四民の制、其の禮自ら正し。官位の尊卑に因り、以て家宅衣服を制し、飮食器用を設け、交際言語の法を定め、冠婚喪祭の禮を正し、三綱を擧げて明德を明らかにす。立官の義、其の用大なるかな。否らざれば乃ち官は空しく設け位は虛名にして、其の人に非ずして其の職を貪り、其の功無くして其の高きに居る。玆に於て百官大いに紊れ、職掌日に違ふこと、猶ほ桃梗土偶の金蟬貂に附くが如し。故に天下の禮上に混じ、四民下に僭紊す。豈に往古神聖の心ならんや。〔以上、立官の禮を謂ふ。〕