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中朝事実 / 禮儀章・皇太子を立てる礼と諭教の記述

神武帝四十有二年春正月壬子朔甲寅。立皇子神渟名川耳尊爲皇太子。 謹按。是立皇太子之始也。蓋建太子者。定國之本。所以重宗廟社稷也。凡立子必以長。是禮之恒也。然時有治亂屯蒙承久。地有新故大小。人有賢知愚不肖。故愼思明辨。以致其道。在人君之德。帝始定中州。建皇極。其間未嘗無强悍不律之賊。信是屯難之時。其建立可不愼乎。太子者帝之第三子。而風姿歧嶷。少有雄拔之氣。見子不可如父。竟立以爲皇太子。建立之禮一行。天下之大本定。自是連綿。以建儲之儀成。於乎懿哉。 崇神帝四十八年春正月己卯朔戊子。天皇勅豐城命・活目尊曰。汝等二子慈愛共齊。不知孰爲嗣。各宜夢。朕以夢占之。二皇子於是被命。淨沐而祈寐。各得夢也。會明。兄豐城命以夢辭奏于天皇曰。自登御諸山向東而八廻弄槍。八廻擊刀。弟活目尊以夢辭奏言。自登御諸山之嶺。繩組四方。逐食粟雀。則天皇相夢。謂二子曰。兄則一片向東。當治東國。弟是悉臨四方。宜繼朕位。四月戊申朔丙寅。立活目尊爲皇太子。以豐城命令治東。是上毛野君・下毛野君之始祖也。 謹按。建儲之禮者。天下之大本也。今以所其夢定其計。後世未無疑擬。此時去古未遠。人心朴素。而誠信感通。故有此議。二王子亦肯之。終永承帝詔不貳。是帝之聖德也。王子之渾厚也。非後世所可似效之。蓋帝位者大寶也。人誰不欲。況皇子乎。故建立之禮貴蚤定。不蚤定。則嫡庶之分不明。或以智求之。立功欲之。以力爭之。古今宗室之亂天秩。無不由焉。其禮蚤定。則衆望絕。而天下之勢定。宗室分極。而王家以固。人君豈可忽乎。 應神帝十五年秋八月壬戌朔丁卯。百濟王遣阿直岐貢良馬。阿直岐能讀經典。卽太子菟道稚郞子師焉。於是天皇問阿直岐曰。如勝汝博士亦有耶。對曰。有王仁者。是秀也。時遣上毛野君祖荒田別巫別於百濟。仍徵王仁也。十六年春二月。王仁來之。則太子菟道稚郞子師之。習諸典籍於王仁。莫不通達。 謹按。是太子諭敎之禮也。此時稚郞子未有皇太子之命。然帝旣建儲之計定於衷。故有此諭敎也。蓋諭敎之禮豫定。則其薰陶正明。變化氣質。不由其師・傳・保。以不可得其實也。太子聰明。天資謙讓。而又有雄武之俊才。能熟中國之事物。兼通外朝之經籍。其啓廸開悟。習貫如自然。故以表狀無禮。責高麗之使。讓大寶於仁德帝。存昆上而季下。聖君而愚臣之常典。其豪英也。其脫落也。皆繫敎諭之得矣。萬世法之以立師。置傅保。爲太子家令之官。可不愼乎。竊按。敎諭之道。多以外朝之書籍爲事。是後世之訛也。中國古今天下之興廢治亂。事物之制度。人民之禮儀。載在文獻。然乃日用言行脩改之暇。詳致其道。鑒其古。而後及外朝之經傳。以廣其知識。證其事迹。斟酌用捨。就有道以正之。可謂得敎諭之實也。〔以上論建儲之禮。〕

新字:神武帝四十有二年春正月壬子朔甲寅。立皇子神渟名川耳尊為皇太子。 謹按。是立皇太子之始也。蓋建太子者。定国之本。所以重宗廟社稷也。凡立子必以長。是礼之恒也。然時有治乱屯蒙承久。地有新故大小。人有賢知愚不肖。故慎思明弁。以致其道。在人君之徳。帝始定中州。建皇極。其間未嘗無強悍不律之賊。信是屯難之時。其建立可不慎乎。太子者帝之第三子。而風姿歧嶷。少有雄抜之気。見子不可如父。竟立以為皇太子。建立之礼一行。天下之大本定。自是連綿。以建儲之儀成。於乎懿哉。 崇神帝四十八年春正月己卯朔戊子。天皇勅豊城命・活目尊曰。汝等二子慈愛共斉。不知孰為嗣。各宜夢。朕以夢占之。二皇子於是被命。浄沐而祈寐。各得夢也。会明。兄豊城命以夢辞奏于天皇曰。自登御諸山向東而八廻弄槍。八廻撃刀。弟活目尊以夢辞奏言。自登御諸山之嶺。縄組四方。逐食粟雀。則天皇相夢。謂二子曰。兄則一片向東。当治東国。弟是悉臨四方。宜継朕位。四月戊申朔丙寅。立活目尊為皇太子。以豊城命令治東。是上毛野君・下毛野君之始祖也。 謹按。建儲之礼者。天下之大本也。今以所其夢定其計。後世未無疑擬。此時去古未遠。人心朴素。而誠信感通。故有此議。二王子亦肯之。終永承帝詔不貳。是帝之聖徳也。王子之渾厚也。非後世所可似効之。蓋帝位者大宝也。人誰不欲。況皇子乎。故建立之礼貴蚤定。不蚤定。則嫡庶之分不明。或以智求之。立功欲之。以力争之。古今宗室之乱天秩。無不由焉。其礼蚤定。則衆望絶。而天下之勢定。宗室分極。而王家以固。人君豈可忽乎。 応神帝十五年秋八月壬戌朔丁卯。百済王遣阿直岐貢良馬。阿直岐能読経典。即太子菟道稚郎子師焉。於是天皇問阿直岐曰。如勝汝博士亦有耶。対曰。有王仁者。是秀也。時遣上毛野君祖荒田別巫別於百済。仍徴王仁也。十六年春二月。王仁来之。則太子菟道稚郎子師之。習諸典籍於王仁。莫不通達。 謹按。是太子諭教之礼也。此時稚郎子未有皇太子之命。然帝既建儲之計定於衷。故有此諭教也。蓋諭教之礼予定。則其薫陶正明。変化気質。不由其師・伝・保。以不可得其実也。太子聰明。天資謙譲。而又有雄武之俊才。能熟中国之事物。兼通外朝之経籍。其啓廸開悟。習貫如自然。故以表状無礼。責高麗之使。譲大宝於仁徳帝。存昆上而季下。聖君而愚臣之常典。其豪英也。其脱落也。皆繋教諭之得矣。万世法之以立師。置傅保。為太子家令之官。可不慎乎。窃按。教諭之道。多以外朝之書籍為事。是後世之訛也。中国古今天下之興廃治乱。事物之制度。人民之礼儀。載在文献。然乃日用言行脩改之暇。詳致其道。鑒其古。而後及外朝之経伝。以広其知識。証其事迹。斟酌用捨。就有道以正之。可謂得教諭之実也。〔以上論建儲之礼。〕

書き下し

神武帝四十有二年春正月壬子朔甲寅、皇子神渟名川耳尊を立てて皇太子と爲す。 謹んで按ずるに、是れ皇太子を立つるの始めなり。蓋し太子を建つるは、國の本を定め、宗廟社稷を重んずる所以なり。凡そ子を立つるは必ず長を以てす。是れ禮の恒なり。然れども時に治亂・屯蒙・承久有り、地に新故・大小有り、人に賢知・愚不肖有り。故に愼思明辨して、以て其の道を致すは、人君の德に在り。帝始めて中州を定め、皇極を建つ。其の間未だ嘗て强悍不律の賊無くんばあらず。信に是れ屯難の時、其の建立愼まざるべけんや。太子は帝の第三子なり。而して風姿歧嶷、少くして雄拔の氣有り。子は父の如くならざるを見る。竟に立てて皇太子と爲す。建立の禮一たび行はれ、天下の大本定まる。是れより連綿として、建儲の儀成る。於乎、懿なるかな。 崇神帝四十八年春正月己卯朔戊子、天皇、豐城命・活目尊に勅して曰く、「汝等二子、慈愛共に齊し。孰れを嗣と爲すかを知らず。各々夢みよ。朕、夢を以て之を占はん」と。二皇子是に命を被り、淨め沐ひて祈りて寐ぬ。各々夢を得たり。會明、兄豐城命、夢の辭を以て天皇に奏して曰く、「自ら御諸山に登り、東に向ひて八廻槍を弄し、八廻刀を擊つ」と。弟活目尊、夢の辭を以て奏言す、「自ら御諸山の嶺に登り、繩を四方に組み、粟を食む雀を逐ふ」と。則ち天皇、夢を相て、二子に謂ひて曰く、「兄は則ち一片に東に向ふ。當に東國を治むべし。弟は是れ悉く四方に臨む。宜しく朕が位を繼ぐべし」と。四月戊申朔丙寅、活目尊を立てて皇太子と爲す。豐城命を以て東を治めしむ。是れ上毛野君・下毛野君の始祖なり。 謹んで按ずるに、建儲の禮は、天下の大本なり。今、夢の所を以て其の計を定むるは、後世疑擬無くんばあらず。此の時古を去ること未だ遠からず、人心朴素にして、誠信感通す。故に此の議有り。二王子も亦之を肯んず。終に永く帝詔を承けて貳つならず。是れ帝の聖德なり。王子の渾厚なり。後世の似效すべき所に非ず。蓋し帝位は大寶なり。人誰か欲せざらん。況んや皇子をや。故に建立の禮は蚤く定むるを貴ぶ。蚤く定めざれば、則ち嫡庶の分明らかならず。或いは智を以て之を求め、功を立てて之を欲し、力を以て之を爭ふ。古今宗室の天秩を亂すこと、由らざる無し。其の禮蚤く定まれば、則ち衆望絶えて天下の勢ひ定まり、宗室の分極まりて王家以て固し。人君豈に忽にすべけんや。 應神帝十五年秋八月壬戌朔丁卯、百濟王、阿直岐を遣はして良馬を貢ぐ。阿直岐能く經典を讀む。卽ち太子菟道稚郞子、師とす。是に天皇、阿直岐に問ひて曰く、「汝に勝る博士、亦有りや」と。對へて曰く、「王仁といふ者有り。是れ秀れたり」と。時に上毛野君の祖荒田別・巫別を百濟に遣はし、仍りて王仁を徵す。十六年春二月、王仁來る。則ち太子菟道稚郞子、之を師とし、諸典籍を王仁に習ひ、通達せずといふこと莫し。 謹んで按ずるに、是れ太子諭敎の禮なり。此の時稚郞子未だ皇太子の命有らず。然れども帝既に建儲の計を衷に定む。故に此の諭敎有るなり。蓋し諭敎の禮豫め定まれば、則ち其の薰陶正しく明らかにして、氣質を變化す。其の師・傅・保に由らずして、以て其の實を得べからず。太子は聰明にして、天資謙讓、而も又雄武の俊才有り。能く中國の事物に熟し、兼ねて外朝の經籍に通ず。其の啓廸開悟、習貫ること自然の如し。故に表狀無禮を以て、高麗の使を責め、大寶を仁德帝に讓り、昆を上にし季を下にするは、聖君にして愚臣の常典なり。其の豪英なること、其の脫落なること、皆敎諭の得るに繫る。萬世之に法りて師を立て、傅保を置き、太子家令の官と爲す。愼まざるべけんや。竊かに按ずるに、敎諭の道、多く外朝の書籍を以て事と爲すは、是れ後世の訛りなり。中國古今天下の興廢治亂、事物の制度、人民の禮儀、文獻に載せ在り。然れば乃ち日用言行脩改の暇に、詳らかに其の道を致し、其の古を鑒み、而る後に外朝の經傳に及び、以て其の知識を廣め、其の事迹を證し、斟酌用捨し、有道に就きて以て之を正す。敎諭の實を得たりと謂ふべきなり。〔以上、建儲の禮を論ず。〕

現代語訳

神武帝四十二年の春正月壬子朔甲寅、皇子の神渟名川耳尊を立てて皇太子とした。 素行はこう考える。これは皇太子を立てる始めである。思うに太子を立てることは、国の本を定め、宗廟社稷を重んじる所以である。子を立てるには必ず長子を用いる。これが礼の常である。しかし時には治乱・草創の混沌・長い継承があり、土地には新旧・大小があり、人には賢愚がある。だから慎み思い明らかに弁じて、その道を尽くすのは、君主の徳にある。帝ははじめて中州を定め、皇極を建てた。その間には強く荒々しい不法の賊がいなかったわけではない。まことに困難な時であり、その建立を慎まずにいられようか。太子は帝の第三子である。風姿は抜きん出て、若くして雄々しい気があった。子が必ず父に似るとは限らないことを見て、ついに立てて皇太子とした。建立の礼が一度行われ、天下の大本が定まった。以来連綿として、立太子の儀が成った。ああ、美しいことである。 崇神帝四十八年の春正月己卯朔戊子、天皇は豊城命と活目尊に勅していわれた。「おまえたち二人は慈愛が等しい。どちらを跡継ぎとするか決めかねる。各々夢を見よ。朕は夢で占おう。」二皇子はこの命を受け、身を清め沐浴して祈って寝た。それぞれ夢を得た。夜明けに、兄の豊城命は夢の言葉を天皇に奏した。「自ら御諸山に登り、東に向かって八たび槍を振り回し、八たび刀を打ちました。」弟の活目尊は夢の言葉を奏した。「自ら御諸山の頂に登り、縄を四方に張り、粟をついばむ雀を追い払いました。」天皇は夢を判じて、二人の子にいわれた。「兄はひたすら東に向かった。東国を治めるべきである。弟は四方にくまなく臨んだ。朕の位を継ぐべきである。」四月戊申朔丙寅、活目尊を立てて皇太子とした。豊城命には東を治めさせた。これが上毛野君・下毛野君の始祖である。 素行はこう考える。立太子の礼は天下の大本である。いま夢で計を定めたことには、後世には疑う人もいるだろう。この頃は古い時代から遠くなく、人心は素朴で、誠と信が通じた。だからこの議があった。二人の王子もこれを承服した。ついに永く帝の詔を承けて二心がなかった。これは帝の聖徳であり、王子の厚みである。後世がまねできることではない。思うに帝位は大宝である。誰が欲しないだろうか。まして皇子はなおさらである。だから立太子の礼は早く定めるのがよい。早く定めなければ嫡庶の分が明らかにならず、あるいは智をもって求め、功を立てて欲し、力で争う。古今の宗室が天の秩序を乱すのは、みなここに由る。礼が早く定まれば、期待が絶えて天下の勢いが定まり、宗室の分が極まって王家は固くなる。君主はおろそかにできようか。 応神帝十五年の秋八月壬戌朔丁卯、百済王が阿直岐を遣わして良馬を献上した。阿直岐はよく経典を読んだ。そこで太子の菟道稚郎子が師とした。天皇は阿直岐に問われた。「おまえに勝る博士はほかにいるか。」答えていった。「王仁という者がいます。優れています。」そこで上毛野君の祖の荒田別・巫別を百済に遣わし、王仁を召した。十六年の春二月、王仁が来た。太子の菟道稚郎子はこれを師とし、諸々の典籍を王仁に習い、通達しないものはなかった。 素行はこう考える。これは太子に諭し教える礼である。この時、稚郎子はまだ皇太子の命を受けていなかった。しかし帝はすでに立太子の計を心中で定めていた。だからこの諭教があった。思うに諭教の礼があらかじめ定まれば、その薫陶は正しく明らかで、気質を変化させる。師・傅・保によらなければ、その実を得ることはできない。太子は聡明で、天性が謙譲であり、そのうえ雄武の俊才があった。中国(日本)の事物に熟し、あわせて外朝(中国)の経籍に通じた。その啓き悟ることは自然に身についたようであった。だから無礼な表状を理由に高麗の使いを責め、大宝を仁徳帝に譲り、兄を上に弟を下にする、聖君であれ愚臣であれ守るべき常の典に従った。その傑出ぶりと潔さは、みな教諭の成果に関わる。万世がこれに倣い、師を立て、傅保を置き、太子家令の官とした。慎まずにいられようか。ひそかに考えるに、教諭の道が多く外朝の書物を事とするのは、後世の誤りである。中国(日本)の古今の興廃治乱、事物の制度、人民の礼儀は、文献に載っている。日々の言行を修める暇に、詳しくその道を尽くし、その古を鑑み、そのうえで外朝の経伝に及び、知識を広め、事跡を証し、取捨し、有道の人に就いて正す。それこそ教諭の実を得たといえる。〔以上、立太子の礼を論ずる。〕

解説

神武帝の立太子、崇神帝が夢で後継を決めた記述、応神帝の太子が王仁を師とした記述を引き、素行は後継の早い確定と教え導く師の設置を重んじます。日本の事跡を学んでから外朝の書へ進むべきだという主張も素行のものです。後継や次の世代を育てる場面では、候補を早く明らかにして争いの種を除くこと、そして肩書だけでなく育てる仕組みを用意することが、現代の企業にも通じる課題になります。
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この章句が説くこと

立太子建儲諭教王仁嫡長師傅

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