中朝事実 / 聖政章・民心と習俗を察する政教の始め
神武帝己未年春三月辛酉朔丁卯。下令曰。今運屬此屯蒙。民心朴素。巢棲穴住。習俗惟常。夫大人立制。義必隨時。苟有利民。何妨聖造。 謹按。是政令之始也。民心者天下之人心也。習俗者人皆習以爲俗也。言天下屯蒙。而人心不與詐僞。穴居野處。以爲習俗。今帝繼天建極。以欲正天下之禮。新其舊俗。故有此詔也。人心之朴素。如易染善政。而習俗之舊汚又難變。時義是革之時又大也。非聖英之天縱。不可得之也。蓋政之要在察民心與習俗。人心必與俗化。善惡以成。人君立政明敎率之。則民心化。而風俗成。風俗成在習熟之久。習熟久則民不識其然。故曰。政之要在察民心與習俗。此章可謂盡政敎之大體也。〔以上政敎之大體。〕 四年春二月壬戌朔甲申。詔曰。我皇祖之靈也。自天降鑒。光助朕躬。今諸虜已平。海內無事。可以郊祀天神。用申大孝者也。乃立靈畤於鳥見山中。其地號曰上小野榛原下小野榛原。用祭皇祖天神焉。 先人曰。神武天皇定都於大和國橿原。時以三種神寶。安置大殿。同床而坐給。蓋如往古神勅。由此皇居神宮無差別。宮中立庫藏。〔此云齋藏。〕宮物神物無分。此時天兒屋根命孫天種子命。專主祭祀事。是乃執朝政之儀也。 謹按。天下之政事莫大於郊社宗廟之祭祀。夫人君以天地爲父母。況帝承乾靈天孫之統。以臨於四海乎。蓋交神之道在誠。至誠以祭祀。則鬼神之幽冥亦可格思矣。蕞爾黎民。至誠以求之。則無不感。故往古神祇之祭祀。朝廷之政事。不二其義。深哉。〔俗政訓以祭事是也。〕凡主祭祀者。皆執朝政。如天種子命神八井耳命。〔神八井耳命者。神武帝皇子。綏靖帝之兄也。神八井耳命曰。吾是乃兄。而懦弱不能致果。今汝特挺神武。自誅元惡。宜哉乎。汝之光臨天位。以承皇祖之業。吾當爲汝輔之奉典神祇者。是卽多臣之始祖也。〕是也。帝守神勅。以敬靈器。且郊祀天神。用申大孝。其兢兢業業而愼政敎。萬世之規戒也。〔以上祭政之實。〕 崇神帝十年秋七月丙戌朔己酉。詔群卿曰。導民之本。在於敎化也。今旣禮神祇。災害皆耗。然遠荒人等。猶不受正朔。是未習王化耳。其選群卿遣于四方。令知朕憲。 謹按。是發行人以施敎於四方之始也。導者啓迪也。敎不至化。則民與敎別也。民情化適而敎成。之謂敎化。正朔者王曆也。天下皆受正朔。同其事天也。正朔不受則民殊俗。王化者天下皆守其敎令而正其三綱也。王化未習則民異意也。憲者法也。憲章以示人也。言民皆有此心。敎化不明故不盡其性。啓迪之在敎之化。敬鬼神與敎化民。其本不出至誠。而鬼神者幽而信。人民者習而駁。故事鬼神在致敬。治人民在盡敎。帝既晨興夕惕。齊明盛服。以敬鬼神。災害既耗。然天下未一軌。四方未均俗。今建憲章。以考時月。同禮樂制度。以節民性。一道德以同俗。及十二年敎化流行。衆庶樂業。富庶既滿。人民皆知長幼之序課役之制。宜哉稱其至德乎。蓋迄後世有巡察按察宣撫之法。以正革風俗制度。及推古帝。聖德太子定憲法。孝德帝詳天下之政制。天武帝定律令法式。文武帝朝。淡海公奉勅撰律令。終爲萬世政令之準標。其本皆基于此。帝之功不亦大哉。〔以上憲章之敎。〕
新字:神武帝己未年春三月辛酉朔丁卯。下令曰。今運属此屯蒙。民心朴素。巣棲穴住。習俗惟常。夫大人立制。義必随時。苟有利民。何妨聖造。 謹按。是政令之始也。民心者天下之人心也。習俗者人皆習以為俗也。言天下屯蒙。而人心不与詐偽。穴居野処。以為習俗。今帝継天建極。以欲正天下之礼。新其旧俗。故有此詔也。人心之朴素。如易染善政。而習俗之旧汚又難変。時義是革之時又大也。非聖英之天縦。不可得之也。蓋政之要在察民心与習俗。人心必与俗化。善悪以成。人君立政明教率之。則民心化。而風俗成。風俗成在習熟之久。習熟久則民不識其然。故曰。政之要在察民心与習俗。此章可謂尽政教之大体也。〔以上政教之大体。〕 四年春二月壬戌朔甲申。詔曰。我皇祖之霊也。自天降鑒。光助朕躬。今諸虜已平。海内無事。可以郊祀天神。用申大孝者也。乃立霊畤於鳥見山中。其地号曰上小野榛原下小野榛原。用祭皇祖天神焉。 先人曰。神武天皇定都於大和国橿原。時以三種神宝。安置大殿。同床而坐給。蓋如往古神勅。由此皇居神宮無差別。宮中立庫蔵。〔此云斎蔵。〕宮物神物無分。此時天児屋根命孫天種子命。専主祭祀事。是乃執朝政之儀也。 謹按。天下之政事莫大於郊社宗廟之祭祀。夫人君以天地為父母。況帝承乾霊天孫之統。以臨於四海乎。蓋交神之道在誠。至誠以祭祀。則鬼神之幽冥亦可格思矣。蕞爾黎民。至誠以求之。則無不感。故往古神祇之祭祀。朝廷之政事。不二其義。深哉。〔俗政訓以祭事是也。〕凡主祭祀者。皆執朝政。如天種子命神八井耳命。〔神八井耳命者。神武帝皇子。綏靖帝之兄也。神八井耳命曰。吾是乃兄。而懦弱不能致果。今汝特挺神武。自誅元悪。宜哉乎。汝之光臨天位。以承皇祖之業。吾当為汝輔之奉典神祇者。是即多臣之始祖也。〕是也。帝守神勅。以敬霊器。且郊祀天神。用申大孝。其兢兢業業而慎政教。万世之規戒也。〔以上祭政之実。〕 崇神帝十年秋七月丙戌朔己酉。詔群卿曰。導民之本。在於教化也。今既礼神祇。災害皆耗。然遠荒人等。猶不受正朔。是未習王化耳。其選群卿遣于四方。令知朕憲。 謹按。是発行人以施教於四方之始也。導者啓迪也。教不至化。則民与教別也。民情化適而教成。之謂教化。正朔者王暦也。天下皆受正朔。同其事天也。正朔不受則民殊俗。王化者天下皆守其教令而正其三綱也。王化未習則民異意也。憲者法也。憲章以示人也。言民皆有此心。教化不明故不尽其性。啓迪之在教之化。敬鬼神与教化民。其本不出至誠。而鬼神者幽而信。人民者習而駁。故事鬼神在致敬。治人民在尽教。帝既晨興夕惕。斉明盛服。以敬鬼神。災害既耗。然天下未一軌。四方未均俗。今建憲章。以考時月。同礼楽制度。以節民性。一道徳以同俗。及十二年教化流行。衆庶楽業。富庶既満。人民皆知長幼之序課役之制。宜哉称其至徳乎。蓋迄後世有巡察按察宣撫之法。以正革風俗制度。及推古帝。聖徳太子定憲法。孝徳帝詳天下之政制。天武帝定律令法式。文武帝朝。淡海公奉勅撰律令。終為万世政令之準標。其本皆基于此。帝之功不亦大哉。〔以上憲章之教。〕
書き下し
神武帝己未の年春三月辛酉朔丁卯、令を下して曰く、「今、運此の屯蒙に屬し、民心朴素なり。巢に棲み穴に住み、習俗惟れ常なり。夫れ大人の制を立つるは、義必ず時に隨ふ。苟くも民を利する有らば、何ぞ聖造を妨げん」と。 謹んで按ずるに、是れ政令の始めなり。民心は天下の人心なり。習俗は人皆習ひて以て俗と爲すなり。言ふこころは、天下屯蒙にして、人心詐僞に與せず、穴居野處して以て習俗と爲す。今帝天を繼ぎ極を建て、以て天下の禮を正さんと欲し、其の舊俗を新たにす。故に此の詔有るなり。人心の朴素は、善政に染まり易きが如く、而して習俗の舊汚は又變じ難し。時義、是れ革むるの時、又大なり。聖英の天縱に非ざれば、之を得べからざるなり。蓋し政の要は民心と習俗とを察するに在り。人心は必ず俗と與に化し、善惡以て成る。人君政を立て敎率を明らかにすれば、則ち民心化して風俗成る。風俗の成るは習熟の久しきに在り。習熟久しければ則ち民其の然るを識らず。故に曰く、政の要は民心と習俗とを察するに在り、と。此の章、政敎の大體を盡くすと謂ふべし。〔以上、政敎の大體。〕 四年春二月壬戌朔甲申、詔して曰く、「我が皇祖の靈や、天より降り鑒み、光りて朕が躬を助けたまふ。今諸々の虜已に平らぎ、海内事無し。以て天神を郊祀し、用て大孝を申ぶべし」と。乃ち靈畤を鳥見山の中に立つ。其の地を號して上小野榛原・下小野榛原と曰ふ。用て皇祖天神を祭る。 先人曰く、神武天皇、都を大和國橿原に定む。時に三種の神寶を以て大殿に安置し、床を同じくして坐したまふ。蓋し往古の神勅の如し。此れに由りて皇居と神宮と差別無し。宮中に庫藏〔此に齋藏と云ふ。〕を立て、宮物・神物分かつ無し。此の時天兒屋根命の孫天種子命、專ら祭祀の事を主る。是れ乃ち朝政を執るの儀なり。 謹んで按ずるに、天下の政事は郊社宗廟の祭祀より大なるは莫し。夫れ人君は天地を以て父母と爲す。況んや帝は乾靈天孫の統を承け、以て四海に臨むをや。蓋し神に交はるの道は誠に在り。至誠以て祭祀すれば、則ち鬼神の幽冥も亦格思すべし。蕞爾たる黎民も、至誠以て之を求むれば、則ち感ぜざる無し。故に往古は神祇の祭祀と朝廷の政事と、其の義を二にせず。深いかな。〔俗に政を訓みて祭事とするは是れなり。〕凡そ祭祀を主る者は、皆朝政を執る。天種子命・神八井耳命の如きは是れなり。〔神八井耳命は、神武帝の皇子、綏靖帝の兄なり。神八井耳命曰く、「吾は是れ乃の兄なり。而るに懦弱にして果を致す能はず。今汝特に神武を挺し、自ら元惡を誅す。宜なるかな。汝の天位に光臨し、以て皇祖の業を承くること。吾當に汝の爲に輔けて神祇を典り奉るべし」と。是れ卽ち多臣の始祖なり。〕帝、神勅を守り、以て靈器を敬ふ。且つ天神を郊祀し、用て大孝を申ぶ。其の兢兢業業として政敎を愼むは、萬世の規戒なり。〔以上、祭政の實。〕 崇神帝十年秋七月丙戌朔己酉、群卿に詔して曰く、「民を導くの本は、敎化に在り。今既に神祇を禮し、災害皆耗せり。然れども遠荒の人等、猶ほ正朔を受けず。是れ未だ王化に習はざるのみ。其れ群卿を選びて四方に遣はし、朕が憲を知らしめよ」と。 謹んで按ずるに、是れ行人を發して以て敎を四方に施すの始めなり。導は啓迪なり。敎化に至らざれば、則ち民と敎と別なり。民情化適して敎成る、之を敎化と謂ふ。正朔は王曆なり。天下皆正朔を受くるは、其の天に事ふるを同じくするなり。正朔を受けざれば則ち民俗を殊にす。王化は天下皆其の敎令を守りて其の三綱を正すなり。王化未だ習はざれば則ち民意を異にするなり。憲は法なり。憲章以て人に示すなり。言ふこころは、民皆此の心有り、敎化明らかならず故に其の性を盡くさず。之を啓迪するは敎の化に在り。鬼神を敬ふと民を敎化するとは、其の本至誠に出でず、而して鬼神は幽にして信、人民は習にして駁なり。故に鬼神に事ふるは致敬に在り、人民を治むるは敎を盡くすに在り。帝既に晨に興き夕に惕れ、齊明盛服して以て鬼神を敬ふ。災害既に耗す。然れども天下未だ軌を一にせず、四方未だ俗を均しくせず。今憲章を建て、以て時月を考へ、禮樂制度を同じくし、以て民性を節し、道德を一にして以て俗を同じくす。十二年に及び敎化流行し、衆庶業を樂しみ、富庶既に滿つ。人民皆長幼の序、課役の制を知る。宜なるかな其の至德を稱せらるること。蓋し後世に迄びて巡察・按察・宣撫の法有り、以て風俗制度を正し革む。推古帝に及び、聖德太子憲法を定め、孝德帝天下の政制を詳にし、天武帝律令法式を定め、文武帝の朝、淡海公勅を奉りて律令を撰び、終に萬世政令の準標と爲る。其の本は皆此に基づく。帝の功、亦大ならずや。〔以上、憲章の敎。〕
現代語訳
神武帝は己未の年の春三月辛酉朔丁卯、令を下していわれた。「今、時運はこの草創の混沌に当たり、民の心は素朴である。巣に棲み穴に住み、その習俗がふつうになっている。そもそも大人(聖人)が制度を立てるときは、その義は必ず時に従う。もし民に利益があるなら、聖人の創作をどうして妨げようか。」 素行はこう考える。これは政令の始めである。民心とは天下の人の心であり、習俗とは人が皆習ってそれを俗とするものである。つまり、天下が草創の混沌にあり、人の心は偽りに染まらず、穴に住み野に居ることを習俗としていた。今、帝は天を継いで基準を建て、天下の礼を正そうとして、その旧い俗を新たにしようとした。だからこの詔があるのである。人心の素朴さは善政に染まりやすいが、習俗の古い汚れはなお変えにくい。時の義として、革める時であり、これは大きなことである。聖英の天与の資質がなければ、できないことである。思うに政の要は民心と習俗を察することにある。人心は必ず俗とともに変わり、善悪が成る。君主が政を立てて教え導く方向を明らかにすれば、民心は変わって風俗が成る。風俗が成るには習熟の久しさが要る。習熟が久しければ、民はそうなったことを意識しない。だから政の要は民心と習俗を察することにある、というのである。この章は政治と教化の大体を尽くしているといえる。〔以上、政教の大体。〕 四年の春二月壬戌朔甲申、詔していわれた。「わが皇祖の霊が、天から降って見守り、光りかがやいて私を助けてくださった。今、諸々の賊はすでに平らぎ、国内は無事である。天神を郊で祀り、大孝を述べるのがよい。」そこで霊畤を鳥見山の中に立てた。その地を上小野榛原・下小野榛原と名づけた。ここで皇祖と天神を祭った。 先人はいう。神武天皇は都を大和国の橿原に定めた。このとき三種の神宝を大殿に安置し、床を同じくして座された。それは昔の神勅のとおりである。これによって皇居と神宮に区別がなかった。宮中に庫蔵〔これを斎蔵という。〕を立て、宮の物と神の物を分けなかった。このとき天児屋根命の孫の天種子命は、もっぱら祭祀を司った。これが朝政を執る形であった。 素行はこう考える。天下の政事は、郊社宗廟の祭祀より大きなものはない。そもそも君主は天地を父母とする。まして帝は天の霊を受けた天孫の統を継いで四海に臨むのである。思うに神と交わる道は誠にある。至誠をもって祭れば、幽冥の鬼神も来臨するだろう。小さな民であっても、至誠をもって求めれば、感応しないものはない。だから昔は神祇の祭祀と朝廷の政事は、その義を二つにしなかった。深いことである。〔世俗で「まつりごと」を祭事と訓むのはこれである。〕祭祀を司る者は、皆朝政を執る。天種子命や神八井耳命のようなのがそれである。〔神八井耳命は神武帝の皇子で、綏靖帝の兄である。神八井耳命はいった。「私はおまえの兄だが、臆病で決断できなかった。今おまえは特に武勇に優れ、自ら元凶の悪を誅した。もっともである。おまえが天位に就き、皇祖の業を継ぐのは。私はおまえのために助けて神祇を司り奉ろう。」これが多臣の始祖である。〕帝は神勅を守って霊器(三種の神器)を敬い、天神を郊祀して大孝を述べた。その慎み深く政教を慎重に行ったことは、万世の戒めである。〔以上、祭政の実。〕 崇神帝十年の秋七月丙戌朔己酉、群卿に詔していわれた。「民を導く本は、教化にある。今すでに神祇を礼拝し、災害はみな消えた。しかし遠い辺境の人々は、なお正朔(暦)を受けていない。これはまだ王化に習っていないだけである。群卿を選んで四方に遣わし、朕の法を知らしめよ。」 素行はこう考える。これは使者を発して教えを四方に施す始めである。導とは啓き導くことである。教えが化にまで至らなければ、民と教えは別のままである。民の情が教えに和し適って教えが成ること、これを教化という。正朔とは王の暦である。天下がみな正朔を受けるのは、天に仕えることを同じくするのである。正朔を受けなければ、民の俗は異なる。王化とは天下がみなその教令を守って三綱を正すことである。王化に習わなければ民の心は異なる。憲とは法である。憲章を人に示すのである。つまり、民はみなこの心を持つが、教化が明らかでないためにその本性を尽くせない。これを啓き導くのは、教えによる化にある。鬼神を敬うことと民を教化することは、その本は至誠に出る。ただ鬼神は幽にして信ぜられ、人民は習慣に染まって雑多である。だから鬼神に仕えるには敬を尽くし、人民を治めるには教えを尽くす。帝はすでに朝早く起き夕に慎み、身を清め盛装して鬼神を敬った。災害はすでに消えた。しかし天下はまだ軌を一にせず、四方はまだ俗を均しくしていない。そこで憲章を建て、暦で時月を考え、礼楽制度を同じくし、民の性を調え、道徳を一つにして俗を同じくした。十二年に及んで教化が行き渡り、人々は業を楽しみ、富み栄えた。人民はみな長幼の序と課役の制を知った。至徳と称されるのももっともである。後世に至って巡察・按察・宣撫の法ができ、風俗制度を正し改めた。推古帝に及んで聖徳太子が憲法を定め、孝徳帝が天下の政制を詳しくし、天武帝が律令法式を定め、文武帝の朝に淡海公(藤原不比等)が勅を奉じて律令を撰び、ついに万世の政令の規準となった。その本はみなここに基づく。帝の功もまた大きいではないか。〔以上、憲章の教え。〕
解説

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『中朝事実』神治章・民を制し農を盡くし害を除く政崇神帝十二年春三月丁丑朔丁亥、詔す、朕、初めて天位を承け、宗廟を保つを獲たり。明は蔽ふ所有り、徳は綏んずる能はず。是を以て陰陽謬錯し、寒暑序を失ひ、疫病多く起こり、百姓災を蒙る。然るに今、罪を解き過ちを改め、神祇を敦礼し、亦敎を垂れて荒俗を綏んじ、兵を挙げて不服を討つ。是を以て官に廃事無く、下に逸民無く、教化流行し、衆庶業を楽しむ。異俗は重訳して来り、海外既に帰化す。宜しく此の時に当りて更に人民を校べ、長幼の次第、及び課役の先後を知らしむべし、と。秋九月甲辰朔己丑、始めて人民を校べ、更に調役を科す。此れを男の弭調、女の手末調と謂ふ。是を以て天神地祇共に和享し、風雨時に順ひ、百穀用て成り、家給ち人足り、天下大いに平らかなり。故に称へて御肇国天皇と謂ふ。 謹んで按ずるに、是れ民の産を制するなり。既に庶く既に富めば、未だ嘗て教ふるに以てせずんばあらず。人皆欲有り。民とは其れ蠢爾なり。情有りて節を知らず、欲有りて制を知らず。故に唯だ之を養ひて制を加へざれば、則ち其の身を保つを得べからず。専ら之を戒めて養ふに以てせざれば、則ち恒心を得べからず。撫育教導互ひに持して、而る後に家に於いて給りて恥を知る所以なり。帝は養民を以て心とし、導民を以て教とす。始めて調賦の先後を制し、長幼の次序を教ふ。其の化大なるかな。〔以上、民の産を制す。〕 六十二年秋七月乙卯朔丙辰、詔して曰く、農は天下の大本なり。民の恃みて以て生くる所なり。今、河内の狭山の埴田は水少なし。是を以て其の国の百姓、農事に怠れり。其れ多く池溝を開きて以て民業を寛くせよ、と。冬十月、依網池を造る。十一月、苅坂池・反折池を作る。〔一に云ふ、天皇桑間宮に居し、是の三池を造ると。〕 謹んで按ずるに、是れ農の利を尽くすなり。百穀を利するは水より大なるは莫し。今、狭山及び三池を浚ふ。力を溝洫に尽くすこと此の如し。是より歴代因循し、水利を開き非常に備ふ。垂仁帝は池を諸国に作り、景行帝は相続きて力を竭し、百姓大いに富み、天下大いに平らかなり。竊かに按ずるに、外朝の周は農を以て国を為せし後、此れを重んずること、漢の文・景二帝に如くは莫し。文帝曰く、農は天下の大本なり、と。景帝曰く、農は天下の本なり、と。先儒曰く、文帝此の詔有ること凡そ三。景帝・武帝も亦皆是の言を以て詔の先に冠す、と。漢人は古を去ること未だ遠からず、猶ほ重んずる所を知るなり。今、帝の詔と更に異ならず。国に中外有りと雖も、民事を惓惓とするに至りては一なり。〔以上、農の利を尽くす。〕 仁徳帝十一年夏四月戊寅朔甲午、群臣に詔して曰く、今、朕、是の国を視るに、郊沢曠遠にして、田圃少乏し。且つ河水横に逝きて、流末駛からず。聊か霖雨に逢へば、海潮逆ひ上りて、巷里船に乗り、道路亦泥ぬ。故に群臣共に之を視て、横源を決めて海に通じ、逆流を塞ぎて以て田宅を全うせよ、と。冬十月、宮の北の郊原を掘り、南水を引きて西海に入る。因りて其の水を号けて掘江と曰ふ。又北河の澇を防がんとして、以て茨田堤を築く。是の時、両処の築有りて、乃ち壊れて塞ぎ難し。時に天皇、夢に神の誨ふる有り。其の堤を塞ぎ且つ成すを獲たり。 謹んで按ずるに、是れ民の害を除くなり。天地の間、民の害を為す者は、天に旱潦の災有り、地に河海の暴有り。人君、民の為にする有るに志せば、予め備へ先に謀りて、以て之が制を為せば、則ち其の災ひ殆ど遏むべし。是れ人心の精一にする所、物の以て勝つべき無し。既に其の害を除けば、則ち民の利は百倍なり。帝甚だ民生を以て要とし、河を開きて以て之を疏し、堤を築きて以て之を塞ぐ。民は子のごとく来たり、神は以て之を佑く。故に隄岸の崩るる無く、泉源の涸るる無く、沙土の淤る無く、畛域の失ふ無し。吁、其の徳大なるかな。其の後、大いに溝洫に力を尽くし、百姓寛饒にして、凶年の患無し。況んや橋路を為りて以て人民を利し、氷室を以て其の政を規改するをや。大いに乾霊の国を授けたまふ徳に答ふるなり。〔以上、民の害を除く。〕
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『中朝事実』聖政章・殉死の禁止と風俗を正す施策垂仁帝二十八年、詔して曰く、「夫れ生くる所の愛する者を以て亡き者に殉はしむるは、甚だ傷なり。其れ古の風と雖も、良からずんば何ぞ從はん。今より以後、議りて殉を止めよ」と。 謹んで按ずるに、殉とは人を以て亡き者に殉ふなり。夫れ人君は民の父母なり。未だ父母にして其の子を愛せざる有らず。亡き者に殉はしむるは、哀しみの過ぎて愛の溢るるなり。聖人の政、豈に之を用ゐんや。此の時、古を去ること未だ遠からず、人民情に從ひ俗に習ひ、上下以て行ふ。帝、制を建て法を改め、殉を止むるの詔有り。三十二年、野見宿禰、明器の土梗を作りて之に易ふ。帝大いに其の德を稱し、以て土師の姓を賜ふ。是れ民の父母たるの誠を擴充する所以なり。此れより朝廷の殉亡の制、亦行はれず。帝の德、大なるかな。竊かに按ずるに、外朝は始め俑有り、以て殉に至る。其の弊、國を亂すに及ぶ。中國は始め殉有り、以て土物を作るに至り、竟に殉を止む。其の風俗の渾厚、以て之を見るべきなり。〔以上、殉を禁ず。〕 景行帝十二年秋八月乙未朔己酉、筑紫に幸す。 謹んで按ずるに、是れ巡狩の始めなり。此の時熊襲反きて朝貢せず。故に此の幸有り。而して大いに西方の諸侯に覲え、以て風俗を正し、制度を明らかにするなり。後又東方を巡守し、以て政事を定む。此の時天下大いに定まり、封域以て建つ。成務帝に迄び、國郡縣邑の制、長・首・渠を造るの法、竟に定まる。天下猶ほ一家のごとく、敎化俗を同じくす。巡守の道、大なるかな。〔以上、巡狩。〕 仁德帝十一年、武藏の人强頸、河内の人茨田連衫子の二人、以て河神に禱る。 謹んで按ずるに、妖神、人を殺して牲と爲すは、夷狄の習俗なり。是れ天孫未降の前、惡鬼妖怪の餘政なり。蓋し堤を爲り溝洫を設くるは、人を愛するの道なり。神の神たる、豈に非禮の祭を享けんや。帝、夢寐の妖を信じ、以て人を用ゐて河伯を祭る。噫、何ぞ是れ惑へるや。夫れ帝の聰明儉德、天下の太平無事なること、後世の企望する所に非ず。猶ほ鬼神を信じ、衫子の淺謀もて神の妖僞を知るに如かず。此の失、爰に處るは、唯だ思辨の道、其の誠を盡くさざるのみ。人君政敎の要、豈に愼まざるべけんや。今此の一事を擧げて以て帝の政弊と爲すは、未だ嘗て隱惡の戒めに懼れずんばあらず。然れども帝の仁德爲る、天下知らざる無し。猶ほ習俗の以て德を漬すこと有り。後世執政の道、最も以て鑑みるべし。〔以上、弊を改む。〕 履中帝四年秋八月辛卯朔戊戌、始めて諸國に國史を置き、言事を記し、四方の志を達せしむ。 謹んで按ずるに、是れ國史を置くの始めなり。史は事を記すの官なり。言ふこころは、諸國に此の官を立て、上は以て天子の敎令を記し、下は以て國郡の事を記す。是れ國俗を正し人情を達するの政なり。凡そ五方各々其の俗有り、民又其の習を異にす。故に人君其の事物を知らざれば、則ち政令必ず乖く。今國史を置き言事を記し、其の制度を正し、國俗の化を知り、以て其の政を致すなり。後世、國守の外、目・史等の官有り、皆國の事を記し、以て其の政を正す。是れなり。〔以上、國史。〕 清寧帝三年秋九月壬子朔癸丑、臣・連を遣はし風俗を巡省せしむ。冬十月壬午朔乙酉、詔して曰く、「犬馬器翫、獻上することを得ざれ」と。 謹んで按ずるに、使臣の巡察は、政の恒なり。而して風俗を巡省するは、是れ敎化の繫る所其の俗の大なればなり。且つ翫器・犬馬を獻ずるを得ざらしむるは、乃ち其の風俗を正すなり。人君、物を翫べば則ち志を喪ふ。物は至微にして、志は至大なり。至微を愼まざれば、則ち至大制すべからず。人君の好む所に天下歸す。豈に忽にすべけんや。帝、其の俗を正さんと欲す。故に此の詔有り。而して又人情を寬くせんと欲し、宴を群臣に賜ひ、大酺すること五日。是れ儉にして寬なり。宜なるかな。海表諸蕃、調を進め、海内安康なり。〔以上、風俗を正す。〕
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『中朝事実』禮儀章・朝賀の儀と誓約・盟神探湯の礼神武帝辛酉の年春正月庚辰朔、天皇帝位に橿原宮に卽く。是の歲を天皇の元年と爲す。故に古語に之を稱して曰く、「畝傍の橿原に、太く宮柱を底磐の根に立て、峻く搏風を高天の原に峙てて、始めて天下を馭す天皇」と。號して神日本磐余彥火火出見天皇と曰ふ。初め天皇天基を草創するの日なり。大伴氏の遠祖道臣命、大來目部を帥ゐ、密策を奉承し、能く諷歌・倒語を以て、妖氣を掃蕩す。倒語の用、玆に始起す。 謹んで按ずるに、是れ朝儀賀正旦の始めなり。是の歲は卽位の元年、故に正月の賀有り。後世の歲首に朝賀の禮を行ふに同じからずと雖も、賀正旦、此に始まる。是れ乃ち朝儀の禮なり。凡そ朝儀は朝廷の禮儀なり。朝廷は天地を以て其の基を立て、天下は朝廷を以て標準と爲す。朝廷の威儀は以て嚴正なるに在り。凡そ王朝の禮に、年中行事有り、恒例有り、臨時有り、每月の禮有り、公侯朝聘の禮有り、饗燕の禮有り、巡守・田獵・大射の禮有り、神社祭禮有り。而して歲首慶賀の禮を以て大儀と爲す。正月は一年の始め、歲序端を更め、萬物惟れ新たなるの節なり。臣子畢く朝會拜賀し、其の慶びを奉ずるは、信義の當然なり。蓋し朝儀は一ならず、代代の聖主、或いは其の例を追ひ其の風を慕ひ、或いは新たに其の儀を立て、其の制を斟酌して、而る後に悉く備はる。其の間多く習俗の儀有りて、以て因循し來たる。又以て禮の大意を存するに足る。竊かに惟ふに、朝賀は臣子、宸儀を拜慶するの禮なり。否らざれば乃ち臣子の情安んずべからず。故に一月に朔・望・晦の禮有り、其の間又大朝賀の節有り。群臣悉く敬を君上に致し、以て祝頌を奉る。是れ臣子の分定まるなり。宴會は君上、宴を群臣に賜ふなり。饗有り、食有り、燕有り。此れ上下交はり、君臣德を和し業を成し、相親愛する所以なり。故に朝賀を以て尊卑の禮を嚴にし、燕會を以て上下の情を和す。朝賀に由りて其の威儀を正し、燕會に因りて其の風雅を作す。外は則ち以て禮容を觀、内は則ち以て恩惠を廣む。然れば乃ち徒に之を威し之を儀するに非ず、徒に之を飮ませ之を食はしむるに非ず、皆恭儉を訓へ惠慈を示す所以なり。夫れ王朝の儀は舊紀に粲然として載す。然れども能く其の事物を致して以て其の儀を正せば、乃ち其の禮大成し、朝儀の實を啓くべし。後世必ず外朝の例を以て附會するは、中國の禮、尤も正しからざるの至りなり。〔以上、王朝の禮を謂ふ。〕 素戔鳴尊昇天の時、溟渤以て鼓盪し、山岳之が爲に鳴呴す。此れ則ち神性雄健にして之をして然らしむるなり。天照太神、素より其の神の暴惡なるを知り、徑ちに詰問す。素戔鳴尊對へて曰く、「吾元より黑心無し」と。時に天照太神復た問ひて曰く、「若し然らば、將に何を以て爾の赤心を明らかにせんや」と。對へて曰く、「請ふ、姉と共に誓はん。夫れ誓約の中〔誓約の中、此に宇氣譬能美難箇と云ふ。〕必ず當に子を生むべし。如し吾が生む所是れ女ならば、則ち以て濁き心有りと爲すべし。若し是れ男ならば、則ち以て清き心有りと爲すべし」と。 謹んで按ずるに、是れ神代の誓約、乃ち後世誓盟の禮なり。凡そ誓は、己が信を明らかにし、人の疑ひを解く所以なり。事物の間、或いは未だ嘗て其の疑ひ無くんばあらず。疑ひを解くの道は誓約に在り。鬼神に祈り、信を幽冥に期す。故に天神、誓を許して以て其の清濁の心を明らかにす。後世之に因り、終に誓盟の禮有り。蓋し誓は唯だ言辭を以て神祇に請ひて其の信を約するなり。盟は物を以て其の事を證し、直ちに其の信僞を決するなり。遠く神明に請ひ、血を瀝りて之を書に載す。其の禮、誓より嚴なり。猶ほ埿を釜に納れて煮沸し、手を攘ひて湯埿を探り、斧を燒きて火色にして掌に置くがごとし。是を盟神探湯と曰ふ。〔盟神探湯、此に區訶陀智と云ふ。〕後世に及び、載書を作り血を瀝り神祇に告ぐるの禮有り。〔孝德帝卽位し、群臣を召集し、天神地祇に盟ひ告げて曰く、「天は覆ひ地は載せ、帝道は唯だ一なり。而るに末代澆薄にして、君臣序を失ふ。皇天手を我に假し、暴逆を誅珍す。今共に心血を瀝り、今より以後、君に二政無く、臣に貳朝無し。若し此の盟に貳せば、天災地妖、鬼誅人伐せん。皎として日月の如し」と。〕人皆聖賢に非ず、信有り僞有り、直有り曲有り。正は疑ふべからざる有り、奸は疑ひ無かるべからざる有り。是れ天下の通情なり。神聖の敎、人情事變に通じ、詳らかに其の道を致す。故に端を此に起し、戒めを後に垂る。言以て之を結び、明神以て之を要す。天下の疑惑忽ち解けて、事物の大義決行すべし。否らざれば乃ち人人疑ひを存すべく、戸戸各々辨ずべし。今、誓盟の禮を襲ひ、信僞曲直、一擧に道に歸す。其の禮たる大なるかな。或ひと疑ふ、君子屢々盟へば、亂是を以て長ず。誓を作して民始めて畔き、會を作して民始めて疑ふ、と。愚謂へらく、聖人の道、能く天下の人情に從ふ。故に偏無く倚無し。徒杠と梁と成りて、而る後に民水を涉るに病まず。盟誓以て約して、而る後に民其の疑ひを免るべし。人毎に之を試みるも、亦足らず。然れども盟誓は必ず禮有り。之を用ゐるに禮を以てせざれば、民畔きて恥ぢず。何ぞ必ずしも誓盟を用ゐんや。凡そ知や仁や其の道を致さざれば、猶ほ荑稗に如かず。專ら神屢々盟ふを要するは、是れ之を用ゐるに禮を以てせざるなり。周豐の言の如く、過ちて徴無し、何ぞ之を取るに足らんや。〔以上、誓盟の禮を論ず。〕
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『中朝事実』神治章・天壌無窮の勅と人皇の建極の詔天照太神、皇孫に勅して曰く、葦原千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫、就きて治らせ。行矣。宝祚の隆えまさんこと、当に天壌と窮り無かるべし、と。 一書に曰く、大己貴尊と少彦名命と、力を戮せ心を一にして、天下を経営す。嘗て大己貴命、少彦名命に謂ひて曰く、吾等が造れる国、豈に善く成れりと謂はんや、と。少彦名命対へて曰く、或いは成れる所有り、或いは成らざる有り、と。是の談や、蓋し幽深の致有り。大己貴神興言して曰く、夫れ葦原中国は本より荒芒なり。磐石草木に至るまで、咸く能く強暴なり。然れども吾已に摧き伏せ、和順せざる莫し。遂に因りて言ふ、今此の国を理むるは、唯だ吾が一身のみ。其れ吾と共に天下を理むべき者、蓋し有らんか、と。時に神光海を照らし、忽然として浮び来る者有り。曰く、如し吾在らずは、汝何ぞ能く此の国を平らげんや。吾在るに由りての故に、汝其の大造の績を建つるを得たり、と。是の時、大己貴神問ひて曰く、然らば則ち汝は是れ誰ぞ、と。対へて曰く、吾は是れ汝が幸魂奇魂なり、と。大己貴神曰く、唯、然り。廼ち知りぬ。汝は是れ吾が幸魂奇魂なり。今何処に住まんと欲するや、と。対へて曰く、吾れ日本国の三諸山に住まんと欲す、と。故れ即ち宮を彼処に営み、就きて居らしむ。此れ大三輪の神なり。 謹んで按ずるに、是れ天神治道の始めなり。天壌と窮り無しの五字は、宝祚を祝ひて以て治平の道を尽くすなり。夫れ天地の至誠は息む無く、悠遠博厚にして、物を覆ひ物を載せ、而して此の無窮を得。君子以て自ら彊め、以て徳を厚くすれば、則ち往きて利あらざる無し。人君之を体して四海を御すれば、則ち万国咸く寧し。是れ天壌と窮り無き所以なり。天道は盈てるを虧き、地道は盈てるを変じ、鬼神は盈てるを害し、人道は盈てるを悪む。故に緩めば必ず失ふ所有り、升りて已まざれば必ず困しむ。亨れば則ち尽く。是れ謙徳の其の終りを保つ所以なり。大己貴命・少彦名命の共に言ふ所は、謙亨の謂か。然れば乃ち聖主、乾坤の徳に法りて以て六龍に乗り、下に居りて済すの謙に居りて以て四海を御すれば、則ち治教の道、天壌無窮に応ずるなり。 神武帝己未年春三月辛酉朔丁卯、令を下して曰く、我が東征せしより、是に六年なり。皇天の威に頼りて、凶徒戮に就く。辺土未だ清まらず、余妖尚ほ梗ると雖も、中洲の地には復た風塵無し。誠に宜しく皇都を恢廓し、規摹宏壮なるべし。而るに今、運は此の屯蒙に属し、民心朴素なり。巣棲穴住し、習俗惟れ常なり。夫れ大人制を立つるは、義必ず時に随ふ。苟くも民を利する有らば、何ぞ聖造を妨げん。且つ当に山林を披き払ひ、宮室を経営して、恭みて宝位に臨み、以て元元を鎮むべし。上は則ち乾霊の国を授けたまひし徳に答へ、下は則ち皇孫の正を養ひたまひし心を弘めん。然る後に六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩ひて宇と為さんこと、亦可ならずや、と。 謹んで按ずるに、是れ人皇、中国を定め、極を建て、治道を詔するの始めなり。大人とは聖人位に居るの称なり。制とは礼楽刑政の制なり。義とは損益沿革し其の道を品節するなり。民を利するとは、人民其の楽を楽しみ其の利を利とするなり。聖造とは天祖皇孫の建てたまふ所の道なり。蓋し天下の治は必ず時有り。時を知らざれば、則ち大人の道に非ず。天祖皇孫の永悠の際、土中既に定まり天下の大造ありと雖も、運は洪荒に在り、唯だ西偏に正を養ひて、以て皇系嗣ぎ興るの時を待つのみ。帝勃起して之を経綸す。初めて中州を制するに、此の時に当りて、義は必ず時に随ふに非ざれば、急務の実を得ず。故に詔を下して宝位に臨む。時に随ふの義、大なるかな。帝、恒に拳拳として国を授け正を養ふの志あり。民の心を以て心と為す、是れ乃ち民の父母たり。万世此の聖詔を以て制を立つれば、乃ち天下の蒼生を謬らざるか。
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『中朝事実』禮儀章・即位の礼と皇后を立てる礼の意味神武帝辛酉の年春正月庚辰朔、天皇帝位に橿原宮に卽く。是の歲を天皇の元年と爲す。 謹んで按ずるに、卽位は人君の大禮なり。天は人君の宗とする所にして、人君は庶人の天とする所なり。天高く上にして文明四海を照らす。人君大寶に位して明德天下に周し。故に卽位の禮を行ひ、以て天下萬機の道を始むるなり。帝東征の功大いに成り、中國を定め、以て卽位の禮を始め、是の歲を以て元年と爲し、王正月を以て時を授け、天地の氣候を一にし、人君の大禮を著すなり。是れより歷代因循して此の儀有り。大臣は北面して以て神器を捧げ、天子は南面して以て萬國に詔す。上下尊卑の禮を正し、道德聖明の政を布く。繫る所太だ重きかな。蓋し此の時未だ外朝の三統を知らずして、人統自ら立つ。四時以て宜し。是れ乃ち神聖の靈妙なり。爾來正朔終に失はず、授時相正して、天下其の俗を一にす。中華の渾厚、大なるかな。〔以上、卽位の禮を論ず。〕 神武帝庚申の年秋八月癸丑朔戊辰、天皇正妃を立つべし。改めて廣く華胄を求む。九月壬午朔己巳、媛蹈鞴五十鈴媛命を納れて以て正妃と爲す。辛酉春正月庚辰朔、天皇卽位す。正妃を尊びて皇后と爲す。 謹んで按ずるに、是れ后妃選立の始めなり。蓋し聖人聖匹を得れば、則ち聖子有り。聖子聖孫相續げば、則ち百代も猶ほ一日のごとし。是れ人君の天下を愛する至りなる所以なり。凡そ帝王の匹は、風化の本、禮儀の大なり。選立其の道を以てせざれば、則ち唯だ欲を縱にし情に從ひ、其の始めに克つと雖も、其の終りを保つべからず。帝正妃を立てんとするに當たり、廣く族姓を議し、女德を詳にす。卽位に及び、乃ち皇后と爲す。其の禮を隆くし、以て男女の別を序し、媵妾の品を辨じ、戒めを萬世に垂る。然れども猶ほ後世未だ嘗て淫亂・德を黷し、嫡妾相妄し、廢奪相行はるるの失無くんばあらず。夫れ男女有りて後に父子有り。然れば乃ち國家の大事、福祚の繫る所、妃匹の際に在り。其の禮豈に苟もすべけんや。 繼體帝元年三月庚申朔、詔して曰く、「神祇は主を乏しくすべからず。宇宙は君無かるべからず。天、黎庶を生じ、元首を樹てて、司り助け養はしめ、性命を全うせしむ。大連、朕の息無きを憂へ、誠款を披き、國家のために世世忠を盡くす。豈に唯だ朕が日のみならんや。宜しく禮儀を備へ、手白香皇女を奉迎して皇后と爲し、敎を内に修めしむべし」と。 謹んで按ずるに、是れ皇后を立て、禮儀を備へ、敎を内に修むるの詳しきなり。蓋し人君恒に九重の深きに居り、萬乘の富を御す。近臣媚を進め、佞臣惡を逆ふ。少しく怠り情を縱にすれば、鴆毒其の衷に根ざさざる無し。故に外には諫議を設け、史官を置き、其の言行を正す。猶ほ未だ嘗て其の闕遺無くんばあらず。妃匹の親、皇后の睦、内助の益、規警の戒めに賴り、以て此に拾ひ補ふ。是れ良匹賢配の尙ばるる所以なり。此の後立后の禮世世相續き、以て皇統連綿に至る。凡そ女德の撰其の道を以てせざれば、則ち淫婦妖女必ず其の心を蠱す。族姓の戒め嚴ならざれば、則ち外戚權を專らにし威を竊み、必ず天下の害を構ふ。立后の禮正しからざれば、則ち男女の別明らかならずして、内修の戒め行はれず。皇妃の道、之を規するに其の禮を以てせざれば、則ち宮闈朝に臨み、簾を垂れて政に預かり、嗣主をして虎位に擁せられしむるに至る。故に禮は夫婦に本づき、治亂之に因り、興亡之に繫る。往古の令典、舊紀の載する所、監みざるべけんや。〔以上、立后の禮を論ず。〕