中朝事実 / 神知章・五神配侍と文武の大臣
一書曰。天照太神。手持寶鏡。授天忍穗耳尊。而祝之曰。吾兒視此寶鏡。當猶視吾。可與同床共殿。以爲齋鏡。復勅天兒屋命太玉命。惟爾二神。亦同侍殿內。善爲防護。 一書曰。高皇產靈尊。以眞床覆衾。裹天津彥國光彥火瓊瓊杵尊。則引開天磐戶。排分天八重雲。以奉降之。于時大伴連遠祖天忍日命。帥來目部遠祖天穗津大來目。背負天磐靱。臂著稜威高鞆。手捉天梔弓天羽羽矢。及副持八目鳴鏑。又帶頭槌劒。而立天孫之前。遊行降來。到於日向襲之高千穗槵日二上峯天浮橋。 一書曰。天孫降給時。天兒屋根命〔津速產靈神孫。中臣氏祖也。〕天太玉命〔高皇產靈神子。齋部氏祖也。〕奉天照太神勅。爲左右之扶翼。如今世左右相歟。〔親房記。〕 謹按。是撰臣才之始也。爲治之道。在於用人。況草味屯難之時乎。凡此五神。旣有功於中國。今又防護配侍。蓋世臣舊德。功業已見於時。聞望已孚於世。如高山巨海。其風采足以具瞻。初無運動之勞。而功之及人也厚矣。天神得此才。而付皇孫依賴之任。以正皇統。以養其正。垂衣拱手。以仰其成。何强暴之不服。雅俗之不敦哉。凡臣有文武。有大小。有親疏。一闕焉不全。文武之大臣。經綸康濟。近親之侍臣。董陶涵養。雖職重者有安危之寄。職親者有習染之移。其繫天下之本一也。此章有五神配侍之事。別有二神同殿之勅。是敬大臣也。又天忍日命立天孫之前。天鈿目命以近衞。是披雲路駈山蹕之時。右武左文。而鳴威武之義也。吁得其人。正其禮。致其道之至。後世非可企望也。此時既有輔弼大臣近衞之職。以天工人其代之。後立官任人可忽乎。 神武帝甲寅年東征。以莵狹津媛賜妻之於侍臣天種子命。天種子命。是中臣氏之遠祖也。戊午年夏六月。大伴氏之遠祖日臣命。帥大來目督將元戎。踏山啓行。乃尋島所向。于時勅譽日臣命曰。汝忠而且勇。加能有導之功。是以改汝名爲道臣。辛酉年春正月。天皇卽位。道臣命帥大來目部。奉承密策。能以諷歌。二年春二月甲辰朔乙巳。天皇定功行賞。賜道臣命宅地。以寵異之。 謹按。一書以天種子命天富命。爲左右臣。又曰。宇麻志麻治命櫛日方命。爲食國政申大夫。是皆大臣執政之儀也。此時以文武臣相並也。凡文與武猶左右手。陰陽相對。不可偏廢。唯以時宜爲先後也。天孫臨降。及神武帝之時。皆草味屯蒙之難。非武臣不可得其創業。故所其先之賞之。可幷見也。至後世重文臣輕武臣。是殆異上古之神制也。外朝聖人立政。以虎賁並論三事。以樞密並稱中書。況中州自往古以威武建皇統乎。〔以上。重文武之大臣。〕
新字:一書曰。天照太神。手持宝鏡。授天忍穂耳尊。而祝之曰。吾児視此宝鏡。当猶視吾。可与同床共殿。以為斎鏡。復勅天児屋命太玉命。惟爾二神。亦同侍殿内。善為防護。 一書曰。高皇産霊尊。以真床覆衾。裹天津彦国光彦火瓊瓊杵尊。則引開天磐戸。排分天八重雲。以奉降之。于時大伴連遠祖天忍日命。帥来目部遠祖天穂津大来目。背負天磐靱。臂著稜威高鞆。手捉天梔弓天羽羽矢。及副持八目鳴鏑。又帯頭槌劒。而立天孫之前。遊行降来。到於日向襲之高千穂槵日二上峯天浮橋。 一書曰。天孫降給時。天児屋根命〔津速産霊神孫。中臣氏祖也。〕天太玉命〔高皇産霊神子。斎部氏祖也。〕奉天照太神勅。為左右之扶翼。如今世左右相歟。〔親房記。〕 謹按。是撰臣才之始也。為治之道。在於用人。況草味屯難之時乎。凡此五神。既有功於中国。今又防護配侍。蓋世臣旧徳。功業已見於時。聞望已孚於世。如高山巨海。其風采足以具瞻。初無運動之労。而功之及人也厚矣。天神得此才。而付皇孫依頼之任。以正皇統。以養其正。垂衣拱手。以仰其成。何強暴之不服。雅俗之不敦哉。凡臣有文武。有大小。有親疏。一闕焉不全。文武之大臣。経綸康済。近親之侍臣。董陶涵養。雖職重者有安危之寄。職親者有習染之移。其繋天下之本一也。此章有五神配侍之事。別有二神同殿之勅。是敬大臣也。又天忍日命立天孫之前。天鈿目命以近衛。是披雲路駈山蹕之時。右武左文。而鳴威武之義也。吁得其人。正其礼。致其道之至。後世非可企望也。此時既有輔弼大臣近衛之職。以天工人其代之。後立官任人可忽乎。 神武帝甲寅年東征。以莵狭津媛賜妻之於侍臣天種子命。天種子命。是中臣氏之遠祖也。戊午年夏六月。大伴氏之遠祖日臣命。帥大来目督将元戎。踏山啓行。乃尋島所向。于時勅誉日臣命曰。汝忠而且勇。加能有導之功。是以改汝名為道臣。辛酉年春正月。天皇即位。道臣命帥大来目部。奉承密策。能以諷歌。二年春二月甲辰朔乙巳。天皇定功行賞。賜道臣命宅地。以寵異之。 謹按。一書以天種子命天富命。為左右臣。又曰。宇麻志麻治命櫛日方命。為食国政申大夫。是皆大臣執政之儀也。此時以文武臣相並也。凡文与武猶左右手。陰陽相対。不可偏廃。唯以時宜為先後也。天孫臨降。及神武帝之時。皆草味屯蒙之難。非武臣不可得其創業。故所其先之賞之。可幷見也。至後世重文臣軽武臣。是殆異上古之神制也。外朝聖人立政。以虎賁並論三事。以枢密並称中書。況中州自往古以威武建皇統乎。〔以上。重文武之大臣。〕
書き下し
一書に曰く、天照太神、手に寶鏡を持ち、天忍穗耳尊に授けて、祝ひて曰く、「吾が兒、此の寶鏡を視ること、當に猶ほ吾を視るがごとくすべし。與に床を同じくし殿を共にして、以て齋鏡と爲せ」と。復た天兒屋命・太玉命に勅したまはく、「惟れ爾二神、亦た同じく殿内に侍ひて、善く防護を爲せ」と。 一書に曰く、高皇產靈尊、眞床覆衾を以て、天津彥國光彥火瓊瓊杵尊を裹み、則ち天磐戶を引き開き、天八重雲を排し分けて、以て奉り降す。時に大伴連の遠祖天忍日命、來目部の遠祖天穗津大來目を帥ゐ、背に天磐靱を負ひ、臂に稜威の高鞆を著け、手に天梔弓・天羽羽矢を捉り、及び八目鳴鏑を副へ持ち、又頭槌の劒を帶びて、天孫の前に立ち、遊行して降り來たる。日向の襲の高千穗の槵日の二上の峯の天浮橋に到る。 一書に曰く、天孫降りたまふ時、天兒屋根命〔津速產靈神の孫、中臣氏の祖なり。〕天太玉命〔高皇產靈神の子、齋部氏の祖なり。〕天照太神の勅を奉り、左右の扶翼と爲る。今の世の左右の相のごときか。〔親房記。〕 謹んで按ずるに、是れ臣の才を撰ぶの始めなり。治を爲すの道は、人を用ゐるに在り。況んや草味屯難の時をや。凡そ此の五神、既に中國に功有り、今又防護し配侍す。蓋し世臣の舊德、功業已に時に見はれ、聞望已に世に孚あり、高山巨海の如く、其の風采以て具瞻するに足る。初めより運動の勞無くして、功の人に及ぶや厚し。天神此の才を得て、皇孫に依賴の任を付し、以て皇統を正し、以て其の正を養ふ。衣を垂れ手を拱きて、以て其の成るを仰ぐ。何の强暴の服せざらん、雅俗の敦からざらんや。凡そ臣に文武有り、大小有り、親疏有り、一も闕けて全からず。文武の大臣は經綸康濟し、近親の侍臣は董陶涵養す。職の重き者は安危の寄有り、職の親しき者は習染の移り有りと雖も、其の天下の本に繫ること一なり。此の章に五神配侍の事有り、別に二神同殿の勅有り。是れ大臣を敬ふなり。又天忍日命天孫の前に立ち、天鈿目命以て近衞す。是れ雲路を披き山を駈りて蹕ふ時、右に武左に文ありて、威武の義を鳴らすなり。吁、其の人を得、其の禮を正し、其の道の至りを致すこと、後世企望すべきに非ざるなり。此の時既に輔弼大臣近衞の職有り、天工人其れ之に代はる。後に官を立て人を任ずること、忽にすべけんや。 神武帝甲寅の年東征し、莵狹津媛を以て侍臣天種子命に賜ひて妻とす。天種子命は是れ中臣氏の遠祖なり。戊午の年夏六月、大伴氏の遠祖日臣命、大來目を帥ゐて將を督し元戎し、山を踏み行を啓き、乃ち島の向ふ所を尋ぬ。時に勅して日臣命を譽めて曰く、「汝は忠にして且つ勇あり、加へて能く導の功有り。是を以て汝が名を改めて道臣と爲す」と。辛酉の年春正月、天皇位に卽く。道臣命大來目部を帥ゐ、密策を奉承し、能く諷歌を以てす。二年春二月甲辰朔乙巳、天皇功を定め賞を行ひ、道臣命に宅地を賜ひ、以て寵異す。 謹んで按ずるに、一書に天種子命・天富命を以て左右の臣と爲す。又曰く、宇麻志麻治命・櫛日方命を食國の政申す大夫と爲す、と。是れ皆大臣執政の儀なり。此の時文武の臣を以て相並ぶなり。凡そ文と武とは猶ほ左右の手のごとく、陰陽相對し、偏廢すべからず。唯だ時宜を以て先後と爲すのみ。天孫臨降、及び神武帝の時は、皆草味屯蒙の難にして、武臣に非ざれば其の創業を得べからず。故に之を先にし之を賞する所、幷せ見るべきなり。後世に至りて文臣を重んじ武臣を輕んずるは、是れ殆ど上古の神制に異なれり。外朝の聖人政を立つるや、虎賁を以て三事に並べ論じ、樞密を以て中書に並べ稱す。況んや中州は往古より威武を以て皇統を建つるをや。〔以上。文武の大臣を重んず。〕
現代語訳
ある書にいう。天照大神は手に宝鏡を持ち、天忍穂耳尊に授けて祝っていった。「わが子よ、この宝鏡を見ることは、私を見るのと同じようにせよ。ともに床を同じくし、殿を共にして、斎の鏡とせよ。」またさらに天児屋命と太玉命に命じた。「おまえたち二神も同じく殿内に侍して、よく守り護れ。」 ある書にいう。高皇産霊尊は真床覆衾で天津彦国光彦火瓊瓊杵尊をくるみ、天の磐戸を引き開き、天の八重雲をおし分けて、降し奉った。そのとき大伴連の遠祖天忍日命が、来目部の遠祖天穂津大来目を率い、背に天の磐靱を負い、腕に威力ある高鞆をつけ、手に天梔弓と天羽羽矢を取り、さらに八目鳴鏑を添え持ち、また頭槌の剣を帯びて、天孫の前に立ち、進み行きながら降ってきた。そして日向の襲の高千穂の槵日の二上の峰の天浮橋に到った。 ある書にいう。天孫が降られたとき、天児屋根命〔津速産霊神の孫で、中臣氏の祖である。〕と天太玉命〔高皇産霊神の子で、斎部氏の祖である。〕は、天照大神の勅命を受けて、左右の助け役となった。今の世の左右の大臣のようなものであろうか。〔『親房記』にいう。〕 素行はこう考える。これは臣下の才を選ぶことの始まりである。国を治める道は人を用いることにある。まして草創の困難な時はなおさらである。この五神は、すでに国に功があり、いま守り仕えて付き従った。思うに代々仕える臣の昔からの徳であり、功績はすでに世に現れ、名望はすでに世に信じられ、高山大海のようで、その風采は仰ぎ見るに足る。はじめから動き回る苦労がなくても、その功が人に及ぶことは厚い。天つ神はこの人材を得て、皇孫に頼りとなる任を与え、皇統を正し、その正しさを養った。衣を垂れ手を組んでいても、成就を仰ぎ待てる。どんな強暴な者が服さず、風俗が厚くならないことがあろうか。およそ臣には文と武があり、大小があり、親疎があり、一つでも欠ければ完全ではない。文武の大臣は国を経営し世を救い、近親の侍臣は人格を養い育てる。職の重い者には安危がかかり、職の近い者には感化の影響があるが、天下の根本にかかわることは同じである。この章には五神が配し侍した事があり、別に二神を同じ殿に侍らせる勅命がある。これは大臣を敬うことである。また天忍日命が天孫の前に立ち、天鈿目命が近衛をつとめた。これは雲の道を開き山を駆けて先払いする時に、右に武、左に文があって、威武の義を鳴り響かせたのである。ああ、適任の人を得て、その礼を正し、その道を尽くすことは、後世には望めないほどである。この時すでに輔弼の大臣と近衛の職があり、天の働きを人がこれに代わった。後に官を立て人を任ずることを、おろそかにしてよいだろうか。 神武帝は甲寅の年に東征し、莵狭津媛を侍臣の天種子命に妻として賜った。天種子命は中臣氏の遠祖である。戊午の年の夏六月、大伴氏の遠祖日臣命が、大来目を率いて将軍たちを督し先鋒となり、山を踏み分けて道を開き、島の向かう所を尋ねた。そのとき勅して日臣命を褒めていわれた。「おまえは忠義で勇もあり、そのうえよく道案内の功がある。それゆえ名を改めて道臣とする。」辛酉の年の春正月、天皇が即位された。道臣命は大来目部を率い、秘められた計略を承り、うまく諷歌を用いた。二年の春二月甲辰朔乙巳、天皇は功を定めて賞を行い、道臣命に宅地を賜って、特別に寵愛した。 素行はこう考える。ある書では天種子命と天富命を左右の臣としている。また宇麻志麻治命と櫛日方命を食国の政を申す大夫とするともいう。これらはみな大臣が政を執る形である。この時は文の臣と武の臣が並び立っていた。そもそも文と武は左右の手のようなもので、陰陽が向かい合い、どちらも欠かせない。ただ時宜によって先後が決まるだけである。天孫の降臨と神武帝の時は、いずれも草創の困難の時で、武臣でなければ創業は成し得なかった。だから武臣を先にし、これを賞したことが、あわせて分かる。後世になって文臣を重んじ武臣を軽んじるのは、ほとんど上古の神の定めと異なる。外朝(中国)の聖人が政を立てるときは、虎賁を三公の職と並べて論じ、枢密を中書と並べて称した。まして中国(日本)は、昔から威武によって皇統を建てた国であるからなおさらである。〔以上、文武の大臣を重んずる。〕
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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『中朝事実』武德章・天孫降臨の護衛と神武東征高皇產靈尊、眞床覆衾を以て、天津彥國光彥火瓊瓊杵尊を裹み、則ち天磐戶を引き開き、天八重雲を排ひ分けて、以て奉り降らしむ。于時、大伴連の遠祖天忍日命、來目部の遠祖天穗津大來目を帥ゐ、背に天磐靱を負ひ、臂に稜威の高鞆を著け、手に天櫨弓・天羽羽矢を捉り、及び八目鳴鏑を副へ持ち、又た頭槌劒を帶びて、天孫の前に立ち、遊行して降り來る。 謹んで按ずるに、草昧の際、非常の戒めは忽にすべからず。故に天忍日命、軍裝を備へて以て前驅し、其の愾む所に敵す。威武の道、設けて怠らざるは、克く終はるの戒めなり。況んや天孫初めて降るをや。 神武帝甲寅の冬十月丁巳朔辛酉、天皇親ら諸皇子の舟師を帥ゐて東征す。戊午年春二月丁酉朔丁未、皇師遂に東す。舳艫相接し、方に難波の碕に到る。夏四月丙申朔甲辰、皇師兵を勒し、步みて龍田に趣く。而るに其の路狹く嶮しく、人並び行くを得ず。乃ち還りて更に東のかた膽駒山を踰えて中洲に入らんと欲す。時に長髓彥聞きて曰く、夫れ天神の子等の來る所以は、必ず將に我が國を奪はんとす、と。則ち盡く屬兵を起こし、孔舍衞坂に徼ち、與に會戰す。 謹んで按ずるに、是れ人皇東征して中州の武威を定むるなり。舟師有り、步兵有り、會戰有り、神策有り、神瑞有り、凱歌有り、祭齋有り。戰勝ちて戒めを存し、以て營を別處に徙し、聊か御謠を爲して、將卒の勞を慰む。士卒を練り、誠信を示し、功を六年に建つ。其の兵律の制、神謀の略、陳營器械の用法、元將偏帥の撰任、備はらざる無し。故に井光の尾有る、土蜘蛛の手足の長きも、其の術を著はす能はず。況んや長髓彥の愎很、菟田兄猾の逆謀、竟に裂殺せられて、區宇安定し、中州初めて平らぐ。其の策、其の兵、皆神に出づ。神は乃ち天なり。天以て之を授け、人以て之を與ふ。是れ帝の神武爲る所以なり。或ひと疑ふ、天授人與、神武にして殺さざるは、聖人の兵なり。然れば乃ち何ぞ此の許多の誅戮有るや、と。愚謂へらく、草昧の間、草木咸く言ひ、邪鬼繩聲を爲し、各々自ら封境を建て、其の有を占む。神兵に非ざれば、終に速やかに功を成すを得ず。血を流して踝を沒し、屍を僵して臂を枕とする者は、會戰誅殺の制なり。桀の犬、堯に吠ゆ。何れの時か黨奸の賊徒無からん。況んや屯蒙をや。其の神兵に死する者は、天の討つ所なり。其の他は民を易へずして以て之を治む。東征六年の間、其の兵を鳴らすは僅かに一年。〔戊午年春二月より己未年春二月に至る。〕而して中國風塵を絕つ。神武不殺の大兵、天授人與の至德、并せ考ふべきなり。〔以上、神聖の武。〕
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『中朝事実』武德章・将帥を撰ぶ・節度を授ける高皇產靈尊、更に諸神を會し、當に葦原中國に遣はすべき者を選ぶ。僉曰く、磐裂根裂神の子、磐筒男・磐筒女の生む所の子、經津主神、是れ將に佳からんとす、と。時に天石窟に住む所の神、稜威雄走神の子甕速日神、甕速日神の子熯速日神、熯速日神の子武甕槌神有り。此の神進みて曰く、豈に唯だ經津主神のみ獨り丈夫爲りて、吾は丈夫に非ざる者ならんや、と。其の辭氣慷慨たり。故に卽ち經津主神に配して、葦原中國を平らげしむ、云云。故に大巳貴神、乃ち平國の時に杖つく所の廣矛を以て二神に授けて曰く、吾、此の矛を以て卒に治功有り。天孫若し此の矛を用ゐて國を治めば、必ず當に平安なるべし、と。 謹んで按ずるに、是れ天神の將を撰ぶの義なり。蓋し兵を用ゐるの要は、一に軍將に在り。將は軍の司命、勝敗の源なり。天神三たび群臣を會して、以て此の二將を得、終に其の功を遂ぐ。撰ぶ所任ずる所、共に其の道を得たり。二神平順して、天孫臨降し、以て萬億世の皇系を開く。其の武威、吁、愁かなるかな、懿なるかな。大巳貴の奉る所の廣矛も亦た靈器なり。凡そ兵は律を以て興り、策を以て立ち、器械を以て用を爲す。兵武の字、皆其の器を以てす。況んや中國の初めに瓊矛有り、以て此の洲を成す。天神、以て劒を賚ひ神器に備ふるをや。宜なるかな。二神に血刃せざるの勳有ること。 神武帝東征に、大伴氏の遠祖日臣命、大來目を帥ゐ、將元戎を督し、山を蹈みて行を啓く。 先人曰く、神武天皇東征の日、物部氏の祖道臣命、軍帥と爲る。〔物部氏は恐らく誤りか。大伴氏なり。道臣命は、乃ち日臣命の名なり。〕 謹んで按ずるに、是れ人皇將を撰ぶの始めなり。蓋し將は才以て物を將ゐるに足るの稱、帥は智以て人を帥ゐるの名なり。危急草屯の時、其の用最も將帥に在り。滔滔たる武夫、好謀挫機の精に非ざれば、未だ其の任に中らず。故に將帥の用爲る、必ずしも攻戰を以てせず。折衝屈敵の智を要し、誠信撫敵の實に本づく。其の任重く、其の撰豈に易く得んや。道臣命、殆ど其れ斯くの如きか。上に神武の聖有り、下に賢才の應有り。其の區宇を制し、功業を弘むる所以、利あらざる所無く、成らざる所無きなり。〔以上、將帥を撰ぶ。〕 高皇產靈尊、天稚彥に天鹿兒弓及び天羽羽矢を賜ひ、以て遣はす。 謹んで按ずるに、是れ天神、將に節刀を授くるの義なり。人皇に及び、景行帝、鉄鉞を以て日本武尊に授く。是れより連綿修飾して、將を立つるの禮有り。凡そ節度は、其の信を示す所以なり。斧鉞は、刑戮を專らにする所以なり。軍旅の制は、私を以てすべからず。人臣又た專制の義無し。故に風聲を四方に樹て、天表を愾む所に著はす。將帥一たび閫外の寄を受くれば、時中の宜しきに適ふ。是に三軍の任此に歸し、其の倚付を二三にすること無し。蓋し將相は天下の師なり。其の才・其の德並び行はれざれば、則ち其の實を得ず。天下安ければ相に注意し、天下危ふければ將に注意す。然れども安きこと常に安からず、一人の齟齬杌隉有れば卽ち轉じて危ふし。人君は無事の日、人才彙集の時に當たりて、其の器を儲け以て急難に備へ、天寵の優を隆くし、懷綏の德を布けば、則ち凡そ事成らざる無し。將に兵を將ゐるもの有り、將を將ゐるもの有り、將相兼任するもの有り。知・信・仁・勇・忠有り。禮將・嚴將有り。然れども其の本は知・仁・勇の三に在り。若し兵を擧げて不逞を討つに、其の撰將を精しくせざれば、則ち自ら傾覆を招き、以て三軍を鏖にす。古來其の任を重んずること、亦た宜ならずや。〔以上、節度を賜ふ。〕
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『中朝事実』皇統章・不肖の子の疑いと天孫降臨二神の聖、何ぞ此の二の不肖を生まんや、と。愚謂えらく、噫、是れ何の言ぞや。二気五行の変は、未だ嘗て過不及無くんばあらず。天地の大、其の精は日月星辰と為り、名山大川と為り、其の粗は風雲雷雨と為り、横汙丘陵と為る。精粗相因りて、而して後に万物遂ぐ。天は共に之を覆い、地は共に之を載す。是れ其の至大なり、至公なり。人物の天地に在る亦た然り。故に明暗・曲直・柔剛・弱強並び行われ、各おの其の性を尽くす。是れ神聖の其の化を賛くるなり。二神とは是れ天地なり。此の明暗柔猛を生みて、以て万物に主たらしむ。万物各おの其の性を尽くす。其の道、亦た偉ならずや。子に因るの説に因れば、則ち上を取りて下を遺し、桑麻を貴びて菅蒯を棄つるなり。此の四神を生みて、天下始めて安く、万民所を得たり。 二神の共に議る所、俗学の以て疑うべき無し。〔以上、本朝の主を定む。〕 天照太神の子、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、高皇産霊尊の女栲幡千千姫を娶り、天津彦火瓊瓊杵尊を生む。故に皇祖高皇産霊尊、遂に皇孫を立てて、以て葦原中国の主と為さんと欲す。八十諸神を召集して問いて曰く、吾、葦原中国の邪鬼を撥い平げしめんと欲す。当に誰を遣わすべきか。惟れ爾ら諸神、知る所を隠すこと勿れ、と。僉曰く、天穂日命は是れ神の傑なり。試みざるべけんや、と。是に於いて衆言に俯順い、即ち天穂日命を以て往きて平げしむ。然れども此の神、大己貴神に侫媚し、三年に比ぶまで尚お報聞せず。是の後、高皇産霊尊、更めて諸神を会し、当に葦原中国に遣わすべき者を選ぶ。経津主神・武甕槌神、諸の不順鬼神等を誅し、果たして以て復命す。時に高皇産霊尊、真床追衾を以て皇孫に覆いて降らしむ。天降りて日向の襲の高千穂峯に至る。吾田の長屋の笠狭の碕に到る。 一書に云う、天照太神、乃ち天津彦火瓊瓊杵尊に八坂瓊曲玉及び八咫鏡・草薙剣の三種の宝物を賜う。又た中臣の上祖天児屋命・忌部の上祖太玉命・猿女の上祖天鈿女命・鏡作の上祖石凝姥命・玉作の上祖玉屋命、凡そ五部の神を以て、配え侍らしむ。因りて皇孫に勅して曰く、葦原千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫就きて治せ。行きませ。宝祚の隆えまさんこと、当に天壌と窮まり無かるべし、と。
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『中朝事実』神器章・宝鏡の神勅・同殿共床から神器の遷座へ天照太神、手に宝鏡を持ちて天忍穂耳尊に授けて祝ぎて曰く、吾が児、此の宝鏡を視ること当に猶お吾を視るがごとくすべし。与に床を同じくし殿を共にして、以て斎鏡と為すべし、と。 一書に曰く、日神、天石窟に入りたまう時、思兼神の議に従い、石凝姥神をして日像の鏡を鋳しむ。初度に鋳る所は、少しく意に合わず。〔是れ紀伊国の日前神なり。〕次度に鋳る所は、其の状美麗なり。〔是れ伊勢太神なり。〕 一書に云う、乃ち鏡作部の遠祖天糠戸をして鏡を造らしむ。日神、磐戸を開きて出でたまう。是の時、鏡を以て其の石窟に入るるに、戸に触れて小瑕つく。其の瑕、今に猶お存す。此れ即ち伊勢崇祕の大神なり。 謹んで按ずるに、神代の霊器は一ならず。而して天祖は唯だ三種の神宝を以て、天孫の表物と為す。大神は唯だ宝鏡を以て、神勅を詳らかにすること此の如し。蓋し鏡とは本より明らかなるべきの象有り。之を琢き之を磨きて息まざれば、則ち日に新たにして暗からず。襲め蔵め深く祕して以て顧みざれば、則ち日に暗くして新たならず。猶お人君に明らかなるべきの質有り、之を致し之を尽くして止まざれば、則ち其の知日に新たなり。高威遠下して以て規らざれば、則ち其の徳正しからざるがごとし。夫れ人君の道は、要は其の知を明らかにするに在り。其の知明らかならざれば、寛仁と云い、果断と云うも、共に其の節に中らず。知至りて後、徳と云い勇と云う、以て之を行うべし。振古、人君を称するに明晤を以てす。其の寄せ重きかな。大神、手に宝鏡を持ち、別に神勅を示して、同床共殿を以てす。是れ乃ち日に新たに日に強くして息む無きの実なり。治教の義、大なるかな。凡そ二神は既に白銅鏡を以てす。大神は伊勢州に鎮坐し、亦た鏡剣惟れ従う。則ち乾霊大神の神慮は、唯だ宝鏡のみ。其の重きこと剣璽の類に非ず。故に代代の聖主、旦暮に賢所を敬拝することを事と為す。是れ乃ち神勅に因るなり。〔以上、神鏡。〕 崇神帝六年、百姓流離し、或いは背叛有り。其の勢い、徳を以て之を治め難し。是を以て晨に興き夕に惕れ、罪を神祇に請う。是より先、天照太神・倭大国魂の二神を、並びに天皇の大殿の内に祭る。然れども其の神勢を畏れ、共に住みて安からず。故に天照太神を豊鍬入姫命に託け、倭の笠縫邑に祭る。仍りて磯堅城の神籬を立つ。〔神籬、此れを比莒呂岐と云う。〕亦た日本大国魂神を淳名城入姫命に託けて祭らしむ。然れども淳名城入姫、髪落ち体痩せて、祭ること能わず。 一書に曰く、神武帝の時、天富命、諸の斎部を率いて、天璽の鏡剣を捧げ持ち、正殿に奉安す。此の時に当たりて、帝と神との際、未だ遠からず。殿を同じくし床を共にすること、此を以て常と為す。故に神物・宮物も亦た未だ分別せず。宮内に蔵を立て、斎蔵と号す。斎部氏をして永く其の職に任ぜしむ。磯城瑞垣の朝に至りて、漸く神威を畏れ、殿を同じくして安からず。故に更に斎部氏をして石凝姥神の裔、天目一神の裔二氏を率いて、更に鏡を鋳、剣を造らしめ、以て護身の御璽と為す。是れ今の践祚の日に献ずる所の神璽・鏡・剣なり。仍りて倭の笠縫邑に就き、殊に磯城の神籬を立て、天照太神及び草薙剣を奉遷して、皇女豊鍬入姫命をして奉斎せしむ。
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『古事記』上巻・猿田毘古神と天孫降臨故、専ら汝往きて問はむは、吾が御子の天降りする道を、誰ぞかくて居る、と問ひ賜ひし時、答へ白ししく、「僕は国つ神、名は猨田毘古神なり。出で居る所以は、天つ神の御子天降り坐すと聞きし故に、御前に仕へ奉らむとして、参向ひて侍ふ」とまをしき。ここに天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命、并せて五伴緒を支ち加へて天降らしめき。ここにその遠岐斯(この三字は音を以ちてす)八尺の勾璁、鏡、及び草那芸剣、また常世思金神、手力男神、天石門別神を副へ賜ひて、詔りたまひしく、「この鏡は、専ら我が御魂として、吾が前を拝くが如く、いつき奉れ。次に思金神は、前の事を取り持ちて、政を為よ」とのりたまひき。この二柱の神は、さくくしろ伊須受能宮(さより能までは音を以ちてす)を拝み祭る。次に登由宇気神、こは外宮の度相に坐す神なり。次に天石戸別神、またの名は櫛石窓神と謂ひ、またの名は豊石窓神と謂ふ。この神は御門の神なり。次に天手力男神は、佐那県に坐すなり。故、その天児屋命は(中臣連らの祖)、布刀玉命は(忌部首らの祖)、天宇受売命は(猨女君らの祖)、伊斯許理度売命は(鏡作連らの祖)、玉祖命は(玉祖連らの祖)なり。ここに天津日子番能邇邇芸命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重たな雲を押し分けて、いつのちわきちわきて、(いより以下十字は音を以ちてす)天の浮橋に、うきじまり、そりたたして、(うより以下十一字もまた音を以ちてす)筑紫の日向の高千穂のくじふるたけ(くより六字は音を以ちてす)に天降り坐しき。ここに天忍日命、天津久米命の二人、天の石靱を取り負ひ、頭椎の大刀を取り佩き、天の波士弓を取り持ち、