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中朝事実 / 神器章・宝鏡の神勅・同殿共床から神器の遷座へ

天照太神。手持寶鏡授天忍穗耳尊而祝之曰。吾兒視此寶鏡。當猶視吾。可與同床共殿以爲齋鏡。 一書曰。日神入于天石窟之時。從思兼神議。令石凝姥神鑄日像之鏡。初度所鑄。少不合意。〔是紀伊國日前神也。〕次度所鑄。其狀美麗。〔是伊勢太神也。〕 一書云。乃使鏡作部遠祖天糠戶者造鏡。日神開磐戶而出焉。是時以鏡入其石窟者。觸戶小瑕。其瑕於今猶存。此卽伊勢崇祕之大神也。 謹按。神代之靈器不一。而天祖唯以三種神寶。爲天孫之表物。大神唯以寶鏡詳神勅如此。蓋鏡者本有可明之象。琢之磨之而不息。則日新不暗。襲藏深祕以不顧。則日暗不新。猶人君有可明之質。致之盡之而不止。則其知日新。高威遠下以不規。則其德不正也。夫人君之道。要在明其知。其知不明則云寛仁。云果斷。共不中其節。知至而後云德云勇。可以行之。振古稱人君以明晤。其寄重哉。大神手持寶鏡。別示神勅。以同床共殿。是乃日新日强以無息之實也。治敎之義大哉。凡二神既以白銅鏡。大神鎭坐於伊勢州。亦鏡劒惟從。則乾靈大神之神慮。唯寶鏡而已。其重非劒璽之類。故代代之聖主。旦暮敬拜賢所爲事。是乃因神勅也。〔以上神鏡。〕 崇神帝六年。百姓流離。或有背叛。其勢難以德治之。是以晨興夕惕。請罪神祇。先是天照太神和大國魂二神。並祭於天皇大殿之內。然畏其神勢。共住不安。故以天照太神託豐鍬入姬命。祭於倭笠縫邑。仍立磯堅城神籬。〔神籬。此云比菲呂岐。〕亦以日本大國魂神託淳名城入姬命祭。然淳名城入姬髮落體瘦。而不能祭。 一書曰。神武帝時。天富命率諸齋部。捧持天璽鏡劒。奉安正殿。當此之時。帝之與神其際未遠。同殿共床。以此爲常。故神物宮物亦未分別。宮內立藏號齋藏。令齋部氏永任其職。至于磯城瑞垣朝。漸畏神威。同殿不安。故更令齋部氏率石凝姥神裔天目一神裔二氏。更鑄鏡造劒。以爲護身御璽。是今踐祚之日所獻神璽·鏡·劒也。仍就於倭笠縫邑。殊立磯城神籬。奉遷天照太神及草薙劒。令皇女豐鍬入姬命奉齋焉。

新字:天照太神。手持宝鏡授天忍穂耳尊而祝之曰。吾児視此宝鏡。当猶視吾。可与同床共殿以為斎鏡。 一書曰。日神入于天石窟之時。従思兼神議。令石凝姥神鋳日像之鏡。初度所鋳。少不合意。〔是紀伊国日前神也。〕次度所鋳。其状美麗。〔是伊勢太神也。〕 一書云。乃使鏡作部遠祖天糠戸者造鏡。日神開磐戸而出焉。是時以鏡入其石窟者。触戸小瑕。其瑕於今猶存。此即伊勢崇秘之大神也。 謹按。神代之霊器不一。而天祖唯以三種神宝。為天孫之表物。大神唯以宝鏡詳神勅如此。蓋鏡者本有可明之象。琢之磨之而不息。則日新不暗。襲蔵深秘以不顧。則日暗不新。猶人君有可明之質。致之尽之而不止。則其知日新。高威遠下以不規。則其徳不正也。夫人君之道。要在明其知。其知不明則云寛仁。云果断。共不中其節。知至而後云徳云勇。可以行之。振古称人君以明晤。其寄重哉。大神手持宝鏡。別示神勅。以同床共殿。是乃日新日強以無息之実也。治教之義大哉。凡二神既以白銅鏡。大神鎮坐於伊勢州。亦鏡劒惟従。則乾霊大神之神慮。唯宝鏡而已。其重非劒璽之類。故代代之聖主。旦暮敬拝賢所為事。是乃因神勅也。〔以上神鏡。〕 崇神帝六年。百姓流離。或有背叛。其勢難以徳治之。是以晨興夕惕。請罪神祇。先是天照太神和大国魂二神。並祭於天皇大殿之内。然畏其神勢。共住不安。故以天照太神託豊鍬入姫命。祭於倭笠縫邑。仍立磯堅城神籬。〔神籬。此云比菲呂岐。〕亦以日本大国魂神託淳名城入姫命祭。然淳名城入姫髪落体痩。而不能祭。 一書曰。神武帝時。天富命率諸斎部。捧持天璽鏡劒。奉安正殿。当此之時。帝之与神其際未遠。同殿共床。以此為常。故神物宮物亦未分別。宮内立蔵号斎蔵。令斎部氏永任其職。至于磯城瑞垣朝。漸畏神威。同殿不安。故更令斎部氏率石凝姥神裔天目一神裔二氏。更鋳鏡造劒。以為護身御璽。是今践祚之日所献神璽·鏡·劒也。仍就於倭笠縫邑。殊立磯城神籬。奉遷天照太神及草薙劒。令皇女豊鍬入姫命奉斎焉。

書き下し

天照太神、手に宝鏡を持ちて天忍穂耳尊に授けて祝ぎて曰く、吾が児、此の宝鏡を視ること当に猶お吾を視るがごとくすべし。与に床を同じくし殿を共にして、以て斎鏡と為すべし、と。 一書に曰く、日神、天石窟に入りたまう時、思兼神の議に従い、石凝姥神をして日像の鏡を鋳しむ。初度に鋳る所は、少しく意に合わず。〔是れ紀伊国の日前神なり。〕次度に鋳る所は、其の状美麗なり。〔是れ伊勢太神なり。〕 一書に云う、乃ち鏡作部の遠祖天糠戸をして鏡を造らしむ。日神、磐戸を開きて出でたまう。是の時、鏡を以て其の石窟に入るるに、戸に触れて小瑕つく。其の瑕、今に猶お存す。此れ即ち伊勢崇祕の大神なり。 謹んで按ずるに、神代の霊器は一ならず。而して天祖は唯だ三種の神宝を以て、天孫の表物と為す。大神は唯だ宝鏡を以て、神勅を詳らかにすること此の如し。蓋し鏡とは本より明らかなるべきの象有り。之を琢き之を磨きて息まざれば、則ち日に新たにして暗からず。襲め蔵め深く祕して以て顧みざれば、則ち日に暗くして新たならず。猶お人君に明らかなるべきの質有り、之を致し之を尽くして止まざれば、則ち其の知日に新たなり。高威遠下して以て規らざれば、則ち其の徳正しからざるがごとし。夫れ人君の道は、要は其の知を明らかにするに在り。其の知明らかならざれば、寛仁と云い、果断と云うも、共に其の節に中らず。知至りて後、徳と云い勇と云う、以て之を行うべし。振古、人君を称するに明晤を以てす。其の寄せ重きかな。大神、手に宝鏡を持ち、別に神勅を示して、同床共殿を以てす。是れ乃ち日に新たに日に強くして息む無きの実なり。治教の義、大なるかな。凡そ二神は既に白銅鏡を以てす。大神は伊勢州に鎮坐し、亦た鏡剣惟れ従う。則ち乾霊大神の神慮は、唯だ宝鏡のみ。其の重きこと剣璽の類に非ず。故に代代の聖主、旦暮に賢所を敬拝することを事と為す。是れ乃ち神勅に因るなり。〔以上、神鏡。〕 崇神帝六年、百姓流離し、或いは背叛有り。其の勢い、徳を以て之を治め難し。是を以て晨に興き夕に惕れ、罪を神祇に請う。是より先、天照太神・倭大国魂の二神を、並びに天皇の大殿の内に祭る。然れども其の神勢を畏れ、共に住みて安からず。故に天照太神を豊鍬入姫命に託け、倭の笠縫邑に祭る。仍りて磯堅城の神籬を立つ。〔神籬、此れを比莒呂岐と云う。〕亦た日本大国魂神を淳名城入姫命に託けて祭らしむ。然れども淳名城入姫、髪落ち体痩せて、祭ること能わず。 一書に曰く、神武帝の時、天富命、諸の斎部を率いて、天璽の鏡剣を捧げ持ち、正殿に奉安す。此の時に当たりて、帝と神との際、未だ遠からず。殿を同じくし床を共にすること、此を以て常と為す。故に神物・宮物も亦た未だ分別せず。宮内に蔵を立て、斎蔵と号す。斎部氏をして永く其の職に任ぜしむ。磯城瑞垣の朝に至りて、漸く神威を畏れ、殿を同じくして安からず。故に更に斎部氏をして石凝姥神の裔、天目一神の裔二氏を率いて、更に鏡を鋳、剣を造らしめ、以て護身の御璽と為す。是れ今の践祚の日に献ずる所の神璽・鏡・剣なり。仍りて倭の笠縫邑に就き、殊に磯城の神籬を立て、天照太神及び草薙剣を奉遷して、皇女豊鍬入姫命をして奉斎せしむ。

現代語訳

天照太神は手に宝鏡を持って天忍穂耳尊に授け、言祝いで言った。わが子よ、この宝鏡を見ることは、わたしを見るようにしなさい。床を同じくし殿を共にして、斎鏡としなさい、と。 一書に言う。日神が天の岩屋に入られたとき、思兼神の議に従い、石凝姥神に日の像の鏡を鋳させた。最初に鋳たものは、少し意に合わなかった。(これは紀伊国の日前神である。)二度目に鋳たものは、その姿が美しかった。(これが伊勢の太神である。) 一書に言う。そこで鏡作部の遠祖の天糠戸に鏡を造らせた。日神は岩戸を開いて出てこられた。この時、鏡をその石窟に入れたところ、戸に触れて小さな傷がついた。その傷は今もなお残っている。これがつまり伊勢の崇め秘する大神である。 素行はこう考える。神代の霊器は一つではない。しかし天祖はただ三種の神宝だけを、天孫の証しの物とした。大神はただ宝鏡によって、神勅をこのように詳しく示した。思うに、鏡とはもともと明らかになるべき性質を持っている。これを琢き磨き続ければ、日に新しく暗くならない。しまい込んで深く秘して顧みなければ、日に暗くなり新しくならない。人君に明らかになるべき素質があり、これを尽くして止まなければ、その知は日に新たになる。高い威を振るって下を顧みず規範を考えなければ、その徳は正しくならないのと同じである。人君の道は、その知を明らかにするところに要点がある。その知が明らかでなければ、寛仁といい、果断といっても、どちらもその節度に当たらない。知が至って後に、徳といい勇といって、これを行うことができる。昔から人君を称えるのに明晤(聡明)をもってしてきた。その寄せられる重みよ。大神が手に宝鏡を持ち、別に神勅を示して、同床共殿とした。これが日に新たに日に強くして休まないことの実である。治教の意義は大きい。そもそも二神はすでに白銅鏡を用いた。大神は伊勢国に鎮座し、また鏡と剣が従っている。すると天霊の大神の神慮は、ただ宝鏡にある。その重さは剣や璽の類ではない。だから代々の聖主は、朝夕に賢所を敬拝することを務めとしている。これは神勅によるのである。(以上、神鏡。) 崇神帝六年、民が流離し、背く者もいた。その勢いは徳によって治めがたかった。そこで朝早く起き夕べに慎み、罪を神祇に詫びた。これより前、天照太神・倭大国魂の二神を、並べて天皇の大殿の内に祭っていた。しかしその神の勢いを畏れ、一緒に住んで安らかでなかった。そこで天照太神を豊鍬入姫命に託して、倭の笠縫邑に祭った。そして磯堅城の神籬を立てた。(神籬は「ひもろき」と読む。)また日本大国魂神を淳名城入姫命に託して祭らせた。しかし淳名城入姫は、髪が抜け体が痩せて、祭ることができなかった。 一書に言う。神武帝の時、天富命が諸の斎部を率いて、天璽の鏡と剣を捧げ持ち、正殿に奉安した。この時、帝と神との間はまだ遠くなかった。殿を同じくし床を共にすることが常だった。だから神の物と宮の物もまだ区別しなかった。宮内に蔵を建て、斎蔵と名づけた。斎部氏に永くその職を任せた。磯城の瑞垣の朝(崇神朝)に至って、次第に神威を畏れ、殿を同じくして安らかでなくなった。そこで改めて斎部氏に、石凝姥神の子孫と天目一神の子孫の二氏を率いさせ、新たに鏡を鋳て剣を造らせ、護身の御璽とした。これが現在、践祚の日に献じる神璽・鏡・剣である。そして倭の笠縫邑に赴き、特に磯城の神籬を立て、天照太神および草薙剣を遷し奉って、皇女の豊鍬入姫命に奉斎させた。

解説

鏡を日々磨き続けなければ暗くなるという比喩を使い、人君の知を磨く大切さを説く箇所です。『日本書紀』にある宝鏡の神勅と、崇神朝に天照太神を宮中の外に祭った伝承などが引かれます。素行は、人君にとって最も大切なのは知を明らかにすることで、それが欠ければ寛仁も果断も節に当たらないと論じます。現代の仕事に置き換えると、リーダーが自分を映す鏡を持ち、学びと内省を止めないことの意味に重なります。また、近すぎて安らがない関係を適切な距離に置き直した崇神朝の判断は、組織の関係や仕組みを見直す参考にもなるでしょう。
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この章句が説くこと

宝鏡同床共殿神勅石凝姥神崇神帝笠縫邑

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