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中朝事実 / 神治章・保食神と稲作・養蚕の始まり

天照太神在於天上曰。聞葦原中國有保食神。宜爾月夜見尊就候之。月夜見尊受勅而降。已到于保食神許。保食神乃廻首嚮國。則自口出飯。又嚮海。則鰭廣鰭狹亦自口出。又嚮山則毛鹿毛柔亦自口出。夫品物悉備。貯之百机而饗之。是時月夜見尊忿然作色曰。穢矣鄙矣。寧可以口吐之物敢養我乎。廼拔劒擊殺。然後復命。具言其事。時天照太神怒甚之曰。汝是惡神。不須相見。乃與月夜見尊一日一夜隔離而住。是後天照太神復遣天熊人往看之。是時保食神實已死矣。唯有其神之頂化爲牛馬。顱上生粟。眉上生繭。眼中生稗。腹中生稻。陰生麥及大豆小豆。天熊人悉取持去而奉進之。于時天照太神喜之曰。是物者則顯見蒼生可食而活之也。乃以粟稗麥豆爲陸田種子。以稻爲水田種子。又因定天邑君。卽以其稻種始植于天狹田及長田。其秋垂頴八握。莫莫然甚快也。又口裏含繭。便得抽絲。自此始有養蠶之道焉。 謹按。是播百穀之始也。蓋中州本有秋瑞穗之稱。則水土之美。嘉禾之瑞。固有之地也。天神因保食神之敎。大成稼穡養蠶之道。自是天下之人民。食以給。衣以防。皆是神之洪德也。〔以上。播穀初。〕 天照太神以天狹田長田爲御田。又方織神衣居齋服殿。 謹按。是天神重民之事也。夫天神之尊。非無可織之人也。而所以躬其事者。非但親致其誠信以爲神衣而已。先之勞之。備蠶織之艱難。嘗盤中之辛苦。以帥天下之農桑也。蓋人君躬耕。后妃親蠶。供上帝之粢盛。爲祭祀之禮服者。建皇極之無逸示王業之大本也。〔繼體詔曰。帝王躬耕而勸農業。后妃親蠶而勉桑序。況厥百寮曁千萬族。廢農績而至殷富者乎。然乃上古有王后親耕蠶之義也。〕及後世。祈年穀〔二月八月〕神衣祭〔四月九月〕神今食〔六月〕新嘗會及大嘗會。皆以農事行朝政也。往古重其事盡其誠。可以鑒焉。 神武帝詔曰。恭臨寶位。以鎭元元。上則答乾靈授國之德。下則弘皇孫養正之心。 崇神帝六年。百姓流離。或有背叛。其勢難以德治之。是以晨興夕惕。請罪神祇。 謹按。國以民爲體。民勞則國衰。民安則國興。乾靈所授者。則此蒼生也。二帝所恭惕至哉。民惟國本。本固邦寧。故或制中國。或垂民敎。其德大哉。〔以上。重民之事。〕

新字:天照太神在於天上曰。聞葦原中国有保食神。宜爾月夜見尊就候之。月夜見尊受勅而降。已到于保食神許。保食神乃廻首嚮国。則自口出飯。又嚮海。則鰭広鰭狭亦自口出。又嚮山則毛鹿毛柔亦自口出。夫品物悉備。貯之百机而饗之。是時月夜見尊忿然作色曰。穢矣鄙矣。寧可以口吐之物敢養我乎。廼抜劒撃殺。然後復命。具言其事。時天照太神怒甚之曰。汝是悪神。不須相見。乃与月夜見尊一日一夜隔離而住。是後天照太神復遣天熊人往看之。是時保食神実已死矣。唯有其神之頂化為牛馬。顱上生粟。眉上生繭。眼中生稗。腹中生稲。陰生麦及大豆小豆。天熊人悉取持去而奉進之。于時天照太神喜之曰。是物者則顕見蒼生可食而活之也。乃以粟稗麦豆為陸田種子。以稲為水田種子。又因定天邑君。即以其稲種始植于天狭田及長田。其秋垂頴八握。莫莫然甚快也。又口裏含繭。便得抽糸。自此始有養蠶之道焉。 謹按。是播百穀之始也。蓋中州本有秋瑞穂之称。則水土之美。嘉禾之瑞。固有之地也。天神因保食神之教。大成稼穡養蠶之道。自是天下之人民。食以給。衣以防。皆是神之洪徳也。〔以上。播穀初。〕 天照太神以天狭田長田為御田。又方織神衣居斎服殿。 謹按。是天神重民之事也。夫天神之尊。非無可織之人也。而所以躬其事者。非但親致其誠信以為神衣而已。先之労之。備蠶織之艱難。嘗盤中之辛苦。以帥天下之農桑也。蓋人君躬耕。后妃親蠶。供上帝之粢盛。為祭祀之礼服者。建皇極之無逸示王業之大本也。〔継体詔曰。帝王躬耕而勧農業。后妃親蠶而勉桑序。況厥百寮曁千万族。廃農績而至殷富者乎。然乃上古有王后親耕蠶之義也。〕及後世。祈年穀〔二月八月〕神衣祭〔四月九月〕神今食〔六月〕新嘗会及大嘗会。皆以農事行朝政也。往古重其事尽其誠。可以鑒焉。 神武帝詔曰。恭臨宝位。以鎮元元。上則答乾霊授国之徳。下則弘皇孫養正之心。 崇神帝六年。百姓流離。或有背叛。其勢難以徳治之。是以晨興夕惕。請罪神祇。 謹按。国以民為体。民労則国衰。民安則国興。乾霊所授者。則此蒼生也。二帝所恭惕至哉。民惟国本。本固邦寧。故或制中国。或垂民教。其徳大哉。〔以上。重民之事。〕

書き下し

天照太神、天上に在して曰く、聞く、葦原中国に保食神有り、と。宜しく爾月夜見尊、就きて候へ、と。月夜見尊、勅を受けて降る。已に保食神の許に到る。保食神乃ち首を廻らして国に嚮へば、則ち口より飯を出す。又海に嚮へば、則ち鰭の広物・鰭の狭物、亦口より出づ。又山に嚮へば、則ち毛の鹿物・毛の柔物、亦口より出づ。夫れ品物悉く備へ、百机に貯へて之を饗す。是の時、月夜見尊、忿然として色を作して曰く、穢らはしきかな、鄙しきかな。寧ぞ口より吐く物を以て、敢へて我を養ふべけんや、と。廼ち剣を抜きて撃ち殺す。然して後に復命し、具に其の事を言す。時に天照太神、怒ること甚しくして曰く、汝は是れ悪しき神なり。相見るべからず、と。乃ち月夜見尊と一日一夜隔て離れて住む。是の後、天照太神、復た天熊人を遣はして往きて之を看しむ。是の時、保食神実に已に死せり。唯だ其の神の頂に牛馬化為り、顱の上に粟生り、眉の上に繭生り、眼の中に稗生り、腹の中に稲生り、陰に麦及び大豆・小豆生る。天熊人悉く取り持ち去りて奉進る。時に天照太神喜びて曰く、是の物は則ち顕見蒼生の食ひて活くべきものなり、と。乃ち粟・稗・麦・豆を以て陸田の種子とし、稲を以て水田の種子とす。又因りて天邑君を定む。即ち其の稲種を以て始めて天狭田及び長田に植う。其の秋、垂穎八握にして、莫莫然として甚だ快し。又口の裏に繭を含みて、便ち糸を抽くこと得たり。此より始めて養蚕の道有り。 謹んで按ずるに、是れ百穀を播くの始めなり。蓋し中州は本より秋瑞穂の称有り。則ち水土の美、嘉禾の瑞、固より有るの地なり。天神、保食神の教に因りて、大いに稼穡養蚕の道を成す。是より天下の人民、食は以て給し、衣は以て防ぐ。皆是れ神の洪徳なり。〔以上、穀を播く初め。〕 天照太神、天狭田・長田を以て御田とし、又神衣を織り、斎服殿に居ます。 謹んで按ずるに、是れ天神、民の事を重んずるなり。夫れ天神の尊き、織るべきの人無きに非ず。而るに躬ら其の事をする所以は、但だ親ら其の誠信を致して以て神衣と為すのみに非ず。之に先んじ之を労し、蚕織の艱難を備へ、盤中の辛苦を嘗め、以て天下の農桑を帥ゐるなり。蓋し人君躬耕し、后妃親蚕し、上帝に粢盛を供し、祭祀の礼服を為るは、皇極の無逸を建て、王業の大本を示すなり。〔継体の詔に曰く、帝王躬ら耕して農業を勧め、后妃親ら蚕して桑序に勉む。況んや厥の百寮、千万族に曁びて、農績を廃して殷富に至る者あらんや、と。然れば乃ち上古、王后親ら耕蚕するの義有るなり。〕後世に及び、祈年穀〔二月・八月〕、神衣祭〔四月・九月〕、神今食〔六月〕、新嘗会及び大嘗会は、皆農事を以て朝政を行ふなり。往古、其の事を重んじ其の誠を尽くす。以て鑑みるべし。 神武帝詔して曰く、恭みて宝位に臨み、以て元元を鎮め、上は則ち乾霊の国を授けたまひし徳に答へ、下は則ち皇孫の正を養ひたまひし心を弘めん、と。 崇神帝六年、百姓流離し、或いは背叛する有り。其の勢ひ徳を以て之を治め難し。是を以て晨に興き夕に惕れ、罪を神祇に請ふ。 謹んで按ずるに、国は民を以て体と為す。民労すれば国衰へ、民安んずれば国興る。乾霊の授けたまふ所は、則ち此の蒼生なり。二帝の恭み惕れたまふこと、至れり。民は惟れ国の本、本固ければ邦寧し。故に或いは中国を制し、或いは民教を垂る。其の徳大なるかな。〔以上、民の事を重んず。〕

現代語訳

天照太神は天上にいて言った。「葦原中国に保食神がいると聞く。月夜見尊よ、行って様子を見てきなさい」。月夜見尊は勅を受けて降り、保食神のもとに到った。保食神は首をめぐらせて国の方に向くと、口から飯が出た。また海に向くと、鰭の広い魚・鰭の狭い魚が口から出た。また山に向くと、毛の粗い獣・毛の柔らかい獣が口から出た。そうしてあらゆる品が揃い、たくさんの机に並べてもてなした。その時、月夜見尊は怒って顔色を変え、言った。「汚らわしい、卑しい。口から吐いた物で私を養おうとするのか」。そこで剣を抜いて撃ち殺した。そして復命して、事の次第を詳しく述べた。その時、天照太神はたいへん怒って言った。「おまえは悪い神である。もう会いたくない」。そして月夜見尊と一日一夜ずつ隔てて住むことになった。その後、天照太神はまた天熊人を遣わして様子を見に行かせた。その時、保食神は実際にすでに死んでいた。ただ、その神の頭頂に牛や馬が生まれ、額の上に粟が生まれ、眉の上に繭が生まれ、眼の中に稗が生まれ、腹の中に稲が生まれ、陰部に麦と大豆・小豆が生まれていた。天熊人はそれをすべて取って持ち帰り、献上した。その時、天照太神は喜んで言った。「これらの物は、現世の人々が食べて生きていける物である」。そこで粟・稗・麦・豆を畑の種とし、稲を水田の種とした。そして天邑君を定めた。そして、その稲種を初めて天の狭田と長田に植えた。その秋、穂が八握の長さに垂れ、盛んに実ってたいそう喜ばしかった。また、口の中に繭を含み、糸を引き出すことができた。これから養蚕の道が始まった。 素行はこう考える。これが百穀を播いた始まりである。中州にはもともと「秋の瑞穂」という呼び名があるので、水や土が良く、よい稲の瑞祥のある土地である。天神は保食神の教えによって、稼穡(農耕)と養蚕の道を大きく成した。それ以来、天下の人民は、食は満たされ、衣は身を守るようになった。すべて神の大きな徳である。(以上、穀を播く初め。) 天照太神は天の狭田・長田を御田とし、また自ら神衣を織って斎服殿におられた。 素行はこう考える。これは天神が民の事を重んじたということである。天神の尊さでは、織る人がいないわけではない。それでも自らその事を行ったのは、ただ自ら誠と信を尽くして神衣を作るためだけではない。まず自ら動いて民をねぎらい、養蚕や機織りの艱難を身をもって知り、食事の辛苦をなめて、天下の農業と養蚕を率いるためである。人君が自ら耕し、后妃が自ら蚕を飼って、上帝に粢盛(供え物の穀物)を供え、祭祀の礼服を作るのは、皇極(君主の準則)として怠らないことを打ち立て、王業の大本を示すものである。(継体天皇の詔にいう。帝王が自ら耕して農業を勧め、后妃が自ら蚕を飼って桑の仕事に励む。まして多くの役人、千万の氏族の者が、農事を廃して豊かになることがあろうか、と。だから上古には王后が自ら耕し蚕を飼う義があった。)後世になって、祈年祭〔二月・八月〕、神衣祭〔四月・九月〕、神今食〔六月〕、新嘗会、大嘗会は、みな農事によって朝廷の政を行うものである。往古に、その事を重んじその誠を尽くしたことは、手本にすべきである。 神武天皇は詔して言った。「恭しく皇位に就いて民を鎮め、上は天の霊が国を授けてくださった徳に答え、下は皇孫が正しさを養われた心を広めよう」。 崇神天皇の六年、百姓が流浪し、背く者もあった。その勢いでは徳で治めることが難しかった。そこで朝早く起き夕べに慎み、罪を神祇に請うた。 素行はこう考える。国は民を体とする。民が疲れれば国は衰え、民が安らかなら国は興る。天の霊が授けたのは、この民である。二人の帝(神武と崇神)が恭しく慎んだことは、行き届いている。民は国の本であり、本が固ければ国は安らぐ。だからある時は国の制度を作り、ある時は民への教えを垂れた。その徳は大きい。(以上、民の事を重んず。)

解説

保食神の死から五穀と蚕が生じ、天照太神が稲作と養蚕を定めたという『日本書紀』の記述を引き、素行は神が自ら田を作り神衣を織ったのは民の事を重んじ、農桑を率いるためだと読みます。さらに神武天皇や崇神天皇の詔を並べ、民は国の本だと論じます。素行はここで、君主自身が現場の苦労を知ることを教えとします。これは現代の経営者にも当てはまり、現場の仕事を自分で体験し、数字の裏にいる人の苦労を知ることが、組織を支える判断の土台になります。
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この章句が説くこと

保食神稲作養蚕御田民の事新嘗

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