中朝事実 / 神治章・保食神と稲作・養蚕の始まり
天照太神在於天上曰。聞葦原中國有保食神。宜爾月夜見尊就候之。月夜見尊受勅而降。已到于保食神許。保食神乃廻首嚮國。則自口出飯。又嚮海。則鰭廣鰭狹亦自口出。又嚮山則毛鹿毛柔亦自口出。夫品物悉備。貯之百机而饗之。是時月夜見尊忿然作色曰。穢矣鄙矣。寧可以口吐之物敢養我乎。廼拔劒擊殺。然後復命。具言其事。時天照太神怒甚之曰。汝是惡神。不須相見。乃與月夜見尊一日一夜隔離而住。是後天照太神復遣天熊人往看之。是時保食神實已死矣。唯有其神之頂化爲牛馬。顱上生粟。眉上生繭。眼中生稗。腹中生稻。陰生麥及大豆小豆。天熊人悉取持去而奉進之。于時天照太神喜之曰。是物者則顯見蒼生可食而活之也。乃以粟稗麥豆爲陸田種子。以稻爲水田種子。又因定天邑君。卽以其稻種始植于天狹田及長田。其秋垂頴八握。莫莫然甚快也。又口裏含繭。便得抽絲。自此始有養蠶之道焉。 謹按。是播百穀之始也。蓋中州本有秋瑞穗之稱。則水土之美。嘉禾之瑞。固有之地也。天神因保食神之敎。大成稼穡養蠶之道。自是天下之人民。食以給。衣以防。皆是神之洪德也。〔以上。播穀初。〕 天照太神以天狹田長田爲御田。又方織神衣居齋服殿。 謹按。是天神重民之事也。夫天神之尊。非無可織之人也。而所以躬其事者。非但親致其誠信以爲神衣而已。先之勞之。備蠶織之艱難。嘗盤中之辛苦。以帥天下之農桑也。蓋人君躬耕。后妃親蠶。供上帝之粢盛。爲祭祀之禮服者。建皇極之無逸示王業之大本也。〔繼體詔曰。帝王躬耕而勸農業。后妃親蠶而勉桑序。況厥百寮曁千萬族。廢農績而至殷富者乎。然乃上古有王后親耕蠶之義也。〕及後世。祈年穀〔二月八月〕神衣祭〔四月九月〕神今食〔六月〕新嘗會及大嘗會。皆以農事行朝政也。往古重其事盡其誠。可以鑒焉。 神武帝詔曰。恭臨寶位。以鎭元元。上則答乾靈授國之德。下則弘皇孫養正之心。 崇神帝六年。百姓流離。或有背叛。其勢難以德治之。是以晨興夕惕。請罪神祇。 謹按。國以民爲體。民勞則國衰。民安則國興。乾靈所授者。則此蒼生也。二帝所恭惕至哉。民惟國本。本固邦寧。故或制中國。或垂民敎。其德大哉。〔以上。重民之事。〕
新字:天照太神在於天上曰。聞葦原中国有保食神。宜爾月夜見尊就候之。月夜見尊受勅而降。已到于保食神許。保食神乃廻首嚮国。則自口出飯。又嚮海。則鰭広鰭狭亦自口出。又嚮山則毛鹿毛柔亦自口出。夫品物悉備。貯之百机而饗之。是時月夜見尊忿然作色曰。穢矣鄙矣。寧可以口吐之物敢養我乎。廼抜劒撃殺。然後復命。具言其事。時天照太神怒甚之曰。汝是悪神。不須相見。乃与月夜見尊一日一夜隔離而住。是後天照太神復遣天熊人往看之。是時保食神実已死矣。唯有其神之頂化為牛馬。顱上生粟。眉上生繭。眼中生稗。腹中生稲。陰生麦及大豆小豆。天熊人悉取持去而奉進之。于時天照太神喜之曰。是物者則顕見蒼生可食而活之也。乃以粟稗麦豆為陸田種子。以稲為水田種子。又因定天邑君。即以其稲種始植于天狭田及長田。其秋垂頴八握。莫莫然甚快也。又口裏含繭。便得抽糸。自此始有養蠶之道焉。 謹按。是播百穀之始也。蓋中州本有秋瑞穂之称。則水土之美。嘉禾之瑞。固有之地也。天神因保食神之教。大成稼穡養蠶之道。自是天下之人民。食以給。衣以防。皆是神之洪徳也。〔以上。播穀初。〕 天照太神以天狭田長田為御田。又方織神衣居斎服殿。 謹按。是天神重民之事也。夫天神之尊。非無可織之人也。而所以躬其事者。非但親致其誠信以為神衣而已。先之労之。備蠶織之艱難。嘗盤中之辛苦。以帥天下之農桑也。蓋人君躬耕。后妃親蠶。供上帝之粢盛。為祭祀之礼服者。建皇極之無逸示王業之大本也。〔継体詔曰。帝王躬耕而勧農業。后妃親蠶而勉桑序。況厥百寮曁千万族。廃農績而至殷富者乎。然乃上古有王后親耕蠶之義也。〕及後世。祈年穀〔二月八月〕神衣祭〔四月九月〕神今食〔六月〕新嘗会及大嘗会。皆以農事行朝政也。往古重其事尽其誠。可以鑒焉。 神武帝詔曰。恭臨宝位。以鎮元元。上則答乾霊授国之徳。下則弘皇孫養正之心。 崇神帝六年。百姓流離。或有背叛。其勢難以徳治之。是以晨興夕惕。請罪神祇。 謹按。国以民為体。民労則国衰。民安則国興。乾霊所授者。則此蒼生也。二帝所恭惕至哉。民惟国本。本固邦寧。故或制中国。或垂民教。其徳大哉。〔以上。重民之事。〕
書き下し
天照太神、天上に在して曰く、聞く、葦原中国に保食神有り、と。宜しく爾月夜見尊、就きて候へ、と。月夜見尊、勅を受けて降る。已に保食神の許に到る。保食神乃ち首を廻らして国に嚮へば、則ち口より飯を出す。又海に嚮へば、則ち鰭の広物・鰭の狭物、亦口より出づ。又山に嚮へば、則ち毛の鹿物・毛の柔物、亦口より出づ。夫れ品物悉く備へ、百机に貯へて之を饗す。是の時、月夜見尊、忿然として色を作して曰く、穢らはしきかな、鄙しきかな。寧ぞ口より吐く物を以て、敢へて我を養ふべけんや、と。廼ち剣を抜きて撃ち殺す。然して後に復命し、具に其の事を言す。時に天照太神、怒ること甚しくして曰く、汝は是れ悪しき神なり。相見るべからず、と。乃ち月夜見尊と一日一夜隔て離れて住む。是の後、天照太神、復た天熊人を遣はして往きて之を看しむ。是の時、保食神実に已に死せり。唯だ其の神の頂に牛馬化為り、顱の上に粟生り、眉の上に繭生り、眼の中に稗生り、腹の中に稲生り、陰に麦及び大豆・小豆生る。天熊人悉く取り持ち去りて奉進る。時に天照太神喜びて曰く、是の物は則ち顕見蒼生の食ひて活くべきものなり、と。乃ち粟・稗・麦・豆を以て陸田の種子とし、稲を以て水田の種子とす。又因りて天邑君を定む。即ち其の稲種を以て始めて天狭田及び長田に植う。其の秋、垂穎八握にして、莫莫然として甚だ快し。又口の裏に繭を含みて、便ち糸を抽くこと得たり。此より始めて養蚕の道有り。 謹んで按ずるに、是れ百穀を播くの始めなり。蓋し中州は本より秋瑞穂の称有り。則ち水土の美、嘉禾の瑞、固より有るの地なり。天神、保食神の教に因りて、大いに稼穡養蚕の道を成す。是より天下の人民、食は以て給し、衣は以て防ぐ。皆是れ神の洪徳なり。〔以上、穀を播く初め。〕 天照太神、天狭田・長田を以て御田とし、又神衣を織り、斎服殿に居ます。 謹んで按ずるに、是れ天神、民の事を重んずるなり。夫れ天神の尊き、織るべきの人無きに非ず。而るに躬ら其の事をする所以は、但だ親ら其の誠信を致して以て神衣と為すのみに非ず。之に先んじ之を労し、蚕織の艱難を備へ、盤中の辛苦を嘗め、以て天下の農桑を帥ゐるなり。蓋し人君躬耕し、后妃親蚕し、上帝に粢盛を供し、祭祀の礼服を為るは、皇極の無逸を建て、王業の大本を示すなり。〔継体の詔に曰く、帝王躬ら耕して農業を勧め、后妃親ら蚕して桑序に勉む。況んや厥の百寮、千万族に曁びて、農績を廃して殷富に至る者あらんや、と。然れば乃ち上古、王后親ら耕蚕するの義有るなり。〕後世に及び、祈年穀〔二月・八月〕、神衣祭〔四月・九月〕、神今食〔六月〕、新嘗会及び大嘗会は、皆農事を以て朝政を行ふなり。往古、其の事を重んじ其の誠を尽くす。以て鑑みるべし。 神武帝詔して曰く、恭みて宝位に臨み、以て元元を鎮め、上は則ち乾霊の国を授けたまひし徳に答へ、下は則ち皇孫の正を養ひたまひし心を弘めん、と。 崇神帝六年、百姓流離し、或いは背叛する有り。其の勢ひ徳を以て之を治め難し。是を以て晨に興き夕に惕れ、罪を神祇に請ふ。 謹んで按ずるに、国は民を以て体と為す。民労すれば国衰へ、民安んずれば国興る。乾霊の授けたまふ所は、則ち此の蒼生なり。二帝の恭み惕れたまふこと、至れり。民は惟れ国の本、本固ければ邦寧し。故に或いは中国を制し、或いは民教を垂る。其の徳大なるかな。〔以上、民の事を重んず。〕
現代語訳
天照太神は天上にいて言った。「葦原中国に保食神がいると聞く。月夜見尊よ、行って様子を見てきなさい」。月夜見尊は勅を受けて降り、保食神のもとに到った。保食神は首をめぐらせて国の方に向くと、口から飯が出た。また海に向くと、鰭の広い魚・鰭の狭い魚が口から出た。また山に向くと、毛の粗い獣・毛の柔らかい獣が口から出た。そうしてあらゆる品が揃い、たくさんの机に並べてもてなした。その時、月夜見尊は怒って顔色を変え、言った。「汚らわしい、卑しい。口から吐いた物で私を養おうとするのか」。そこで剣を抜いて撃ち殺した。そして復命して、事の次第を詳しく述べた。その時、天照太神はたいへん怒って言った。「おまえは悪い神である。もう会いたくない」。そして月夜見尊と一日一夜ずつ隔てて住むことになった。その後、天照太神はまた天熊人を遣わして様子を見に行かせた。その時、保食神は実際にすでに死んでいた。ただ、その神の頭頂に牛や馬が生まれ、額の上に粟が生まれ、眉の上に繭が生まれ、眼の中に稗が生まれ、腹の中に稲が生まれ、陰部に麦と大豆・小豆が生まれていた。天熊人はそれをすべて取って持ち帰り、献上した。その時、天照太神は喜んで言った。「これらの物は、現世の人々が食べて生きていける物である」。そこで粟・稗・麦・豆を畑の種とし、稲を水田の種とした。そして天邑君を定めた。そして、その稲種を初めて天の狭田と長田に植えた。その秋、穂が八握の長さに垂れ、盛んに実ってたいそう喜ばしかった。また、口の中に繭を含み、糸を引き出すことができた。これから養蚕の道が始まった。 素行はこう考える。これが百穀を播いた始まりである。中州にはもともと「秋の瑞穂」という呼び名があるので、水や土が良く、よい稲の瑞祥のある土地である。天神は保食神の教えによって、稼穡(農耕)と養蚕の道を大きく成した。それ以来、天下の人民は、食は満たされ、衣は身を守るようになった。すべて神の大きな徳である。(以上、穀を播く初め。) 天照太神は天の狭田・長田を御田とし、また自ら神衣を織って斎服殿におられた。 素行はこう考える。これは天神が民の事を重んじたということである。天神の尊さでは、織る人がいないわけではない。それでも自らその事を行ったのは、ただ自ら誠と信を尽くして神衣を作るためだけではない。まず自ら動いて民をねぎらい、養蚕や機織りの艱難を身をもって知り、食事の辛苦をなめて、天下の農業と養蚕を率いるためである。人君が自ら耕し、后妃が自ら蚕を飼って、上帝に粢盛(供え物の穀物)を供え、祭祀の礼服を作るのは、皇極(君主の準則)として怠らないことを打ち立て、王業の大本を示すものである。(継体天皇の詔にいう。帝王が自ら耕して農業を勧め、后妃が自ら蚕を飼って桑の仕事に励む。まして多くの役人、千万の氏族の者が、農事を廃して豊かになることがあろうか、と。だから上古には王后が自ら耕し蚕を飼う義があった。)後世になって、祈年祭〔二月・八月〕、神衣祭〔四月・九月〕、神今食〔六月〕、新嘗会、大嘗会は、みな農事によって朝廷の政を行うものである。往古に、その事を重んじその誠を尽くしたことは、手本にすべきである。 神武天皇は詔して言った。「恭しく皇位に就いて民を鎮め、上は天の霊が国を授けてくださった徳に答え、下は皇孫が正しさを養われた心を広めよう」。 崇神天皇の六年、百姓が流浪し、背く者もあった。その勢いでは徳で治めることが難しかった。そこで朝早く起き夕べに慎み、罪を神祇に請うた。 素行はこう考える。国は民を体とする。民が疲れれば国は衰え、民が安らかなら国は興る。天の霊が授けたのは、この民である。二人の帝(神武と崇神)が恭しく慎んだことは、行き届いている。民は国の本であり、本が固ければ国は安らぐ。だからある時は国の制度を作り、ある時は民への教えを垂れた。その徳は大きい。(以上、民の事を重んず。)
解説

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『中朝事実』祭祀章・神衣と宗廟・祭祀の始まり天照太神、方に神衣を織りたまふ。斎服殿に居ます。 謹按。是れ天神を祭祀するの義なり。祭祀の説無しと雖も、既に神衣と曰ひ、既に斎服殿と曰へば、則ち神自ら之を織りて、以て神明に供ふるなり。大神の霊、親ら其の機巧を営み、天神に事へたまふ。其の至誠は竊かに按ずべきなり。朝廷終に神衣祭有り。参河の赤引の神調糸を以て、神衣を織り作り、以て伊勢太神宮に供ふ。〔此れ神服部等なり〕是れ乃ち往古の至誠を以て神に事へし遺則なり。〔孟夏・季秋に神衣祭有り。伊勢神宮の祭を謂ふなり。斎戒潔清して織り成すなり。或ひと疑ふ、神書に謂ふ所の神衣とは、大神の親服ならむかと。愚謂へらく、自ら服するを豈に神衣と曰はむや。令義解に云ふ、以て神明に供ふるなりと。神衣と曰ふは、是れ神の織りて天神に供ふる服なり。故に素戔嗚尊の悪は最も悪むべきなり。以上、天神を祭る。〕 高皇産霊尊、因りて勅して曰はく、「吾は則ち天津神籬及び天津磐境を起こし樹てて、当に吾が孫の為に奉斎せむ。汝天児屋命・太玉命、宜しく天津神籬を持ちて、葦原中国に降りて、亦吾が孫の為に奉斎すべし」と。乃ち二神をして天忍穂耳尊に陪従して以て降らしむ。是の時、天照太神、手に宝鏡を持ちて、天忍穂耳尊に授けて、祝ひて曰はく、「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に猶ほ吾を見るがごとくすべし。与に床を同じくし殿を共にして、以て斎鏡と為したまへ」と。復た天児屋命・太玉命に勅したまはく、「惟れ爾二神も亦同に殿の内に侍ひて、善く防護を為せ」と。又勅して曰はく、「吾が高天原に御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし」と。 謹按。是れ宗廟を建てて祖考を祭祀するの礼なり。神籬は乃ち宗廟なり。宝鏡は乃ち宗廟の主なり。故に斎鏡と曰ふ。夫れ天祖の霊は物に体して遺さず。然れども宗廟の設け、神主の寄る無ければ、汎として一に定むべからず。故に宗廟以て之を萃め、神主以て之を寄す。而る後に神人の霊気相集まり、至誠通ずべく、斎戒致すべし。是れ天祖因りて勅して神籬を起こし樹てて、以て斎鏡と為したまふなり。夫れ天子は天地を以て父母と為す。故に天神地祇を祭祀して以て其の本に報い、宗廟を建立して以て其の始めを貴ぶは、人君の大礼なり。況んや中国の生成は、直に天神地祇に在るをや。〔令に曰はく、凡そ天皇即位したまはば、総べて天神地祇を祭る。散斎一月、致斎三日。義解に云ふ、天神とは、伊勢・山城の鴨・住吉・出雲国造の斎く神等の類是れなり。地祇とは、大神・大倭・葛木の鴨・出雲の大汝神等の類是れなり。皆常典に依りて之を祭ると。〕蓋し人は未だ嘗て其の父祖を思ふこと無くんばあらず。既に其の父祖を念ふこと有れば、則ち未だ嘗て由りて出づる所を念ふこと無くんばあらず。故に遠くは乃ち其の本始を思ひ、近くは乃ち其の父祖を慕ひて、祭祀の礼起こる。況んや本始に大功有り、父祖に大教有るをや。既に祭祀の礼有れば、則ち其の道、之を致さざるべからず。祭に必ず時有り、祭に必ず地有り、祭に必ず祠部有り、祭に必ず器用奉物有り、祭に必ず斎戒有り、祭に必ず其の事有り。以て其の礼を紀し、以て其の誠を尽くす。是れ祭祀の道なり。祭祀其の礼を致さざれば、則ち神は享くべからず。礼儀誠を以てせざれば、則ち神は格るべからず。礼致り誠至りて、而る後に祭祀の実を得べし。凡そ人の誠は祭祀より大なるは莫し。祭祀の大なるは天地に如くは莫し。万物の生成は天地に帰し、子孫の綿続は祖宗に帰す。是れ天地祖宗の其の本を一にする所以なり。蓋し人は万物の長なり。人君は億兆の長たり。人君、天地を祭祀して、万類の散気をして咸く天に帰せしめ、本に報い始めに反り、親ら其の至誠を尽くすこと、祭祀より大なるは莫きなり。斎とは何ぞ。其の斉しからざるを斉しくするの謂なり。祭祀の議は、斎戒を以て交はるべし。故に天神詳らかに其の礼を勅したまふなり。〔以上、宗廟祭祀の義〕
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『中朝事実』神治章・民を制し農を盡くし害を除く政崇神帝十二年春三月丁丑朔丁亥、詔す、朕、初めて天位を承け、宗廟を保つを獲たり。明は蔽ふ所有り、徳は綏んずる能はず。是を以て陰陽謬錯し、寒暑序を失ひ、疫病多く起こり、百姓災を蒙る。然るに今、罪を解き過ちを改め、神祇を敦礼し、亦敎を垂れて荒俗を綏んじ、兵を挙げて不服を討つ。是を以て官に廃事無く、下に逸民無く、教化流行し、衆庶業を楽しむ。異俗は重訳して来り、海外既に帰化す。宜しく此の時に当りて更に人民を校べ、長幼の次第、及び課役の先後を知らしむべし、と。秋九月甲辰朔己丑、始めて人民を校べ、更に調役を科す。此れを男の弭調、女の手末調と謂ふ。是を以て天神地祇共に和享し、風雨時に順ひ、百穀用て成り、家給ち人足り、天下大いに平らかなり。故に称へて御肇国天皇と謂ふ。 謹んで按ずるに、是れ民の産を制するなり。既に庶く既に富めば、未だ嘗て教ふるに以てせずんばあらず。人皆欲有り。民とは其れ蠢爾なり。情有りて節を知らず、欲有りて制を知らず。故に唯だ之を養ひて制を加へざれば、則ち其の身を保つを得べからず。専ら之を戒めて養ふに以てせざれば、則ち恒心を得べからず。撫育教導互ひに持して、而る後に家に於いて給りて恥を知る所以なり。帝は養民を以て心とし、導民を以て教とす。始めて調賦の先後を制し、長幼の次序を教ふ。其の化大なるかな。〔以上、民の産を制す。〕 六十二年秋七月乙卯朔丙辰、詔して曰く、農は天下の大本なり。民の恃みて以て生くる所なり。今、河内の狭山の埴田は水少なし。是を以て其の国の百姓、農事に怠れり。其れ多く池溝を開きて以て民業を寛くせよ、と。冬十月、依網池を造る。十一月、苅坂池・反折池を作る。〔一に云ふ、天皇桑間宮に居し、是の三池を造ると。〕 謹んで按ずるに、是れ農の利を尽くすなり。百穀を利するは水より大なるは莫し。今、狭山及び三池を浚ふ。力を溝洫に尽くすこと此の如し。是より歴代因循し、水利を開き非常に備ふ。垂仁帝は池を諸国に作り、景行帝は相続きて力を竭し、百姓大いに富み、天下大いに平らかなり。竊かに按ずるに、外朝の周は農を以て国を為せし後、此れを重んずること、漢の文・景二帝に如くは莫し。文帝曰く、農は天下の大本なり、と。景帝曰く、農は天下の本なり、と。先儒曰く、文帝此の詔有ること凡そ三。景帝・武帝も亦皆是の言を以て詔の先に冠す、と。漢人は古を去ること未だ遠からず、猶ほ重んずる所を知るなり。今、帝の詔と更に異ならず。国に中外有りと雖も、民事を惓惓とするに至りては一なり。〔以上、農の利を尽くす。〕 仁徳帝十一年夏四月戊寅朔甲午、群臣に詔して曰く、今、朕、是の国を視るに、郊沢曠遠にして、田圃少乏し。且つ河水横に逝きて、流末駛からず。聊か霖雨に逢へば、海潮逆ひ上りて、巷里船に乗り、道路亦泥ぬ。故に群臣共に之を視て、横源を決めて海に通じ、逆流を塞ぎて以て田宅を全うせよ、と。冬十月、宮の北の郊原を掘り、南水を引きて西海に入る。因りて其の水を号けて掘江と曰ふ。又北河の澇を防がんとして、以て茨田堤を築く。是の時、両処の築有りて、乃ち壊れて塞ぎ難し。時に天皇、夢に神の誨ふる有り。其の堤を塞ぎ且つ成すを獲たり。 謹んで按ずるに、是れ民の害を除くなり。天地の間、民の害を為す者は、天に旱潦の災有り、地に河海の暴有り。人君、民の為にする有るに志せば、予め備へ先に謀りて、以て之が制を為せば、則ち其の災ひ殆ど遏むべし。是れ人心の精一にする所、物の以て勝つべき無し。既に其の害を除けば、則ち民の利は百倍なり。帝甚だ民生を以て要とし、河を開きて以て之を疏し、堤を築きて以て之を塞ぐ。民は子のごとく来たり、神は以て之を佑く。故に隄岸の崩るる無く、泉源の涸るる無く、沙土の淤る無く、畛域の失ふ無し。吁、其の徳大なるかな。其の後、大いに溝洫に力を尽くし、百姓寛饒にして、凶年の患無し。況んや橋路を為りて以て人民を利し、氷室を以て其の政を規改するをや。大いに乾霊の国を授けたまふ徳に答ふるなり。〔以上、民の害を除く。〕
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『中朝事実』祭祀章・鳥見山の郊祀と崇神天皇の憂い神武帝四年春二月壬戌朔甲申、詔して曰はく、「我が皇祖の霊や、天より降り鑒て、朕が躬を光し助けたまふ。今諸の虜已に平ぎ、海内事無し。以て天神を郊祀し、用て大孝を申ぶべし」と。乃ち霊畤を鳥見山の中に立つ。其の地を号けて上小野榛原・下小野榛原と曰ふ。用て皇祖天神を祭りたまふ。 一書に曰はく、神武天皇、皇天二祖の詔に従ひ、神籬を建樹したまふ。所謂高皇産霊・神産霊・魂留産霊・生産霊・足産霊・大宮売神・事代主神・御膳神なり。〔已上、今御巫の奉斎する所〕櫛磐間戸神・豊磐間戸神。〔已上、今御門巫の奉斎する所〕生島。〔是れ大八洲の霊なり。今生島巫の奉斎する所〕坐摩。〔是れ大宮地の霊なり。今坐摩巫の奉斎する所〕日臣命は来目部を帥ゐて、宮門を衛護し、其の開闔を司る。饒速日命は内物部を帥ゐて、矛盾を造り備ふ。其の物既に備はる。天富命は諸の斎部を率ゐて、天璽の鏡・剣を捧げ持ち、正殿に奉安し、并せて瓊玉を懸け、其の幣物を陳ぶ。殿祭の祝詞あり。次に宮門を祭る。然して後に、物部乃ち矛盾を立て、大伴・来目、杖を建てて門を開き、四方の国に朝せしめ、以て天位の貴きを観しむ。此の時に当たり、帝と神と、其の際未だ遠からず、殿を同じくし床を共にすること、此を以て常と為す。故に神物・官物も亦未だ分明ならず。宮内に蔵を立て、斎蔵と号す。斎部氏をして永く其の職に任ぜしむ。又天富命をして諸の氏を率ゐ供作らしめ、大幣を造作ること訖りて、天種子〔天児屋命の孫〕をして天罪・国罪を解除ふる事を為さしむ。所謂天罪は上に既に設け訖る。国罪は国中の人民の犯す所の罪なり。爾して乃ち霊畤を鳥見山の中に立つ。天富命、幣を陳べて祝詞し、皇天を礼祀し、群望に徧く秩して、以て神祇の思に答ふ。是を以て中臣・斎部の二氏、倶に祠祀の職を掌り、猨女君氏は神楽の事を供ふ。自余の諸氏、各々其の職有り。 謹按。是れ社稷宗廟を祭祀するの始めなり。中州既に平らぎ、先づ社稷宗廟を建て、以て天地鬼神の霊を萃め、其の本に報い其の遠きを追ふ。其の礼の尽くせること然り。夫れ人君は神より出で、又神人の主たり。人民社稷の寄有り。故に郊畤以て天地に事へ、宗廟以て鬼神を祭る。大臣其の礼を司り、重臣其の事を相く。至誠の道、此の如し。此を以て天下に臨めば、則ち人人豈に親を遺れ君を後にして薄瀉する者有らむや。帝、天下を制するに、先づ此に及ぶ。其の聖徳の厚きこと至れるかな。 崇神帝六年、百姓流離し、或いは背叛有り。其の勢ひ徳を以て治め難し。是を以て晨に興き夕に惕れ、罪を神祇に請ひたまふ。是より先、天照太神・倭大国魂の二神、並びに天皇の大殿の内に祭る。然れども其の神の勢ひを畏れ、共に住みたまふこと安からず。故に天照太神を豊鍬入姫命に託け、倭の笠縫邑に祭らしむ。仍りて磯堅城の神籬を立つ。〔神籬は此に比莽呂岐と云ふ〕亦日本大国魂神を渟名城入姫命に託けて祭らしむ。然るに渟名城入姫、髪落ち体痩せて祭ること能はず。
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『中朝事実』神治章・天壌無窮の勅と人皇の建極の詔天照太神、皇孫に勅して曰く、葦原千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫、就きて治らせ。行矣。宝祚の隆えまさんこと、当に天壌と窮り無かるべし、と。 一書に曰く、大己貴尊と少彦名命と、力を戮せ心を一にして、天下を経営す。嘗て大己貴命、少彦名命に謂ひて曰く、吾等が造れる国、豈に善く成れりと謂はんや、と。少彦名命対へて曰く、或いは成れる所有り、或いは成らざる有り、と。是の談や、蓋し幽深の致有り。大己貴神興言して曰く、夫れ葦原中国は本より荒芒なり。磐石草木に至るまで、咸く能く強暴なり。然れども吾已に摧き伏せ、和順せざる莫し。遂に因りて言ふ、今此の国を理むるは、唯だ吾が一身のみ。其れ吾と共に天下を理むべき者、蓋し有らんか、と。時に神光海を照らし、忽然として浮び来る者有り。曰く、如し吾在らずは、汝何ぞ能く此の国を平らげんや。吾在るに由りての故に、汝其の大造の績を建つるを得たり、と。是の時、大己貴神問ひて曰く、然らば則ち汝は是れ誰ぞ、と。対へて曰く、吾は是れ汝が幸魂奇魂なり、と。大己貴神曰く、唯、然り。廼ち知りぬ。汝は是れ吾が幸魂奇魂なり。今何処に住まんと欲するや、と。対へて曰く、吾れ日本国の三諸山に住まんと欲す、と。故れ即ち宮を彼処に営み、就きて居らしむ。此れ大三輪の神なり。 謹んで按ずるに、是れ天神治道の始めなり。天壌と窮り無しの五字は、宝祚を祝ひて以て治平の道を尽くすなり。夫れ天地の至誠は息む無く、悠遠博厚にして、物を覆ひ物を載せ、而して此の無窮を得。君子以て自ら彊め、以て徳を厚くすれば、則ち往きて利あらざる無し。人君之を体して四海を御すれば、則ち万国咸く寧し。是れ天壌と窮り無き所以なり。天道は盈てるを虧き、地道は盈てるを変じ、鬼神は盈てるを害し、人道は盈てるを悪む。故に緩めば必ず失ふ所有り、升りて已まざれば必ず困しむ。亨れば則ち尽く。是れ謙徳の其の終りを保つ所以なり。大己貴命・少彦名命の共に言ふ所は、謙亨の謂か。然れば乃ち聖主、乾坤の徳に法りて以て六龍に乗り、下に居りて済すの謙に居りて以て四海を御すれば、則ち治教の道、天壌無窮に応ずるなり。 神武帝己未年春三月辛酉朔丁卯、令を下して曰く、我が東征せしより、是に六年なり。皇天の威に頼りて、凶徒戮に就く。辺土未だ清まらず、余妖尚ほ梗ると雖も、中洲の地には復た風塵無し。誠に宜しく皇都を恢廓し、規摹宏壮なるべし。而るに今、運は此の屯蒙に属し、民心朴素なり。巣棲穴住し、習俗惟れ常なり。夫れ大人制を立つるは、義必ず時に随ふ。苟くも民を利する有らば、何ぞ聖造を妨げん。且つ当に山林を披き払ひ、宮室を経営して、恭みて宝位に臨み、以て元元を鎮むべし。上は則ち乾霊の国を授けたまひし徳に答へ、下は則ち皇孫の正を養ひたまひし心を弘めん。然る後に六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩ひて宇と為さんこと、亦可ならずや、と。 謹んで按ずるに、是れ人皇、中国を定め、極を建て、治道を詔するの始めなり。大人とは聖人位に居るの称なり。制とは礼楽刑政の制なり。義とは損益沿革し其の道を品節するなり。民を利するとは、人民其の楽を楽しみ其の利を利とするなり。聖造とは天祖皇孫の建てたまふ所の道なり。蓋し天下の治は必ず時有り。時を知らざれば、則ち大人の道に非ず。天祖皇孫の永悠の際、土中既に定まり天下の大造ありと雖も、運は洪荒に在り、唯だ西偏に正を養ひて、以て皇系嗣ぎ興るの時を待つのみ。帝勃起して之を経綸す。初めて中州を制するに、此の時に当りて、義は必ず時に随ふに非ざれば、急務の実を得ず。故に詔を下して宝位に臨む。時に随ふの義、大なるかな。帝、恒に拳拳として国を授け正を養ふの志あり。民の心を以て心と為す、是れ乃ち民の父母たり。万世此の聖詔を以て制を立つれば、乃ち天下の蒼生を謬らざるか。
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『中朝事実』聖政章・民心と習俗を察する政教の始め神武帝己未の年春三月辛酉朔丁卯、令を下して曰く、「今、運此の屯蒙に屬し、民心朴素なり。巢に棲み穴に住み、習俗惟れ常なり。夫れ大人の制を立つるは、義必ず時に隨ふ。苟くも民を利する有らば、何ぞ聖造を妨げん」と。 謹んで按ずるに、是れ政令の始めなり。民心は天下の人心なり。習俗は人皆習ひて以て俗と爲すなり。言ふこころは、天下屯蒙にして、人心詐僞に與せず、穴居野處して以て習俗と爲す。今帝天を繼ぎ極を建て、以て天下の禮を正さんと欲し、其の舊俗を新たにす。故に此の詔有るなり。人心の朴素は、善政に染まり易きが如く、而して習俗の舊汚は又變じ難し。時義、是れ革むるの時、又大なり。聖英の天縱に非ざれば、之を得べからざるなり。蓋し政の要は民心と習俗とを察するに在り。人心は必ず俗と與に化し、善惡以て成る。人君政を立て敎率を明らかにすれば、則ち民心化して風俗成る。風俗の成るは習熟の久しきに在り。習熟久しければ則ち民其の然るを識らず。故に曰く、政の要は民心と習俗とを察するに在り、と。此の章、政敎の大體を盡くすと謂ふべし。〔以上、政敎の大體。〕 四年春二月壬戌朔甲申、詔して曰く、「我が皇祖の靈や、天より降り鑒み、光りて朕が躬を助けたまふ。今諸々の虜已に平らぎ、海内事無し。以て天神を郊祀し、用て大孝を申ぶべし」と。乃ち靈畤を鳥見山の中に立つ。其の地を號して上小野榛原・下小野榛原と曰ふ。用て皇祖天神を祭る。 先人曰く、神武天皇、都を大和國橿原に定む。時に三種の神寶を以て大殿に安置し、床を同じくして坐したまふ。蓋し往古の神勅の如し。此れに由りて皇居と神宮と差別無し。宮中に庫藏〔此に齋藏と云ふ。〕を立て、宮物・神物分かつ無し。此の時天兒屋根命の孫天種子命、專ら祭祀の事を主る。是れ乃ち朝政を執るの儀なり。 謹んで按ずるに、天下の政事は郊社宗廟の祭祀より大なるは莫し。夫れ人君は天地を以て父母と爲す。況んや帝は乾靈天孫の統を承け、以て四海に臨むをや。蓋し神に交はるの道は誠に在り。至誠以て祭祀すれば、則ち鬼神の幽冥も亦格思すべし。蕞爾たる黎民も、至誠以て之を求むれば、則ち感ぜざる無し。故に往古は神祇の祭祀と朝廷の政事と、其の義を二にせず。深いかな。〔俗に政を訓みて祭事とするは是れなり。〕凡そ祭祀を主る者は、皆朝政を執る。天種子命・神八井耳命の如きは是れなり。〔神八井耳命は、神武帝の皇子、綏靖帝の兄なり。神八井耳命曰く、「吾は是れ乃の兄なり。而るに懦弱にして果を致す能はず。今汝特に神武を挺し、自ら元惡を誅す。宜なるかな。汝の天位に光臨し、以て皇祖の業を承くること。吾當に汝の爲に輔けて神祇を典り奉るべし」と。是れ卽ち多臣の始祖なり。〕帝、神勅を守り、以て靈器を敬ふ。且つ天神を郊祀し、用て大孝を申ぶ。其の兢兢業業として政敎を愼むは、萬世の規戒なり。〔以上、祭政の實。〕 崇神帝十年秋七月丙戌朔己酉、群卿に詔して曰く、「民を導くの本は、敎化に在り。今既に神祇を禮し、災害皆耗せり。然れども遠荒の人等、猶ほ正朔を受けず。是れ未だ王化に習はざるのみ。其れ群卿を選びて四方に遣はし、朕が憲を知らしめよ」と。 謹んで按ずるに、是れ行人を發して以て敎を四方に施すの始めなり。導は啓迪なり。敎化に至らざれば、則ち民と敎と別なり。民情化適して敎成る、之を敎化と謂ふ。正朔は王曆なり。天下皆正朔を受くるは、其の天に事ふるを同じくするなり。正朔を受けざれば則ち民俗を殊にす。王化は天下皆其の敎令を守りて其の三綱を正すなり。王化未だ習はざれば則ち民意を異にするなり。憲は法なり。憲章以て人に示すなり。言ふこころは、民皆此の心有り、敎化明らかならず故に其の性を盡くさず。之を啓迪するは敎の化に在り。鬼神を敬ふと民を敎化するとは、其の本至誠に出でず、而して鬼神は幽にして信、人民は習にして駁なり。故に鬼神に事ふるは致敬に在り、人民を治むるは敎を盡くすに在り。帝既に晨に興き夕に惕れ、齊明盛服して以て鬼神を敬ふ。災害既に耗す。然れども天下未だ軌を一にせず、四方未だ俗を均しくせず。今憲章を建て、以て時月を考へ、禮樂制度を同じくし、以て民性を節し、道德を一にして以て俗を同じくす。十二年に及び敎化流行し、衆庶業を樂しみ、富庶既に滿つ。人民皆長幼の序、課役の制を知る。宜なるかな其の至德を稱せらるること。蓋し後世に迄びて巡察・按察・宣撫の法有り、以て風俗制度を正し革む。推古帝に及び、聖德太子憲法を定め、孝德帝天下の政制を詳にし、天武帝律令法式を定め、文武帝の朝、淡海公勅を奉りて律令を撰び、終に萬世政令の準標と爲る。其の本は皆此に基づく。帝の功、亦大ならずや。〔以上、憲章の敎。〕
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『新論』國體上夫れ嘗は始めて新穀を嘗めて、天神に饗するなり。(古は専称すれば則ち天祖と曰ひ、群神を該ぬれば則ち亦天神と曰ふ。)天祖嘉穀の種を得て、以て蒼生を生活すべしと為し、乃ち之を御田に種ゑ、又口に繭を含みて、始めて養蚕の道有り。是れ万民衣食の原為り。天下を皇孫に伝ふるに及び、特に之に授くるに斎庭の穂を以てす。民命を重んじて嘉穀を貴ぶ所以の者、亦見るべきなり。故に大嘗の祭は、新穀を烹熟して、以て之を殷薦す。(大嘗の歳、予め悠紀・主基の国郡を卜定し、稲実及び禰宜・卜部を遣はし、田に臨みて穂を抜き、以て供御の飯と為し、自余は黒白酒と為す。其の飯は則ち祭に臨みて舂きて之を炊ぐ。天皇親ら嘗殿に就き、粢盛を奉りて之を薦む。皆其の孝敬を致し、其の質を存して、其の本を忘れざる所以なり。)其の幣は則ち繒服・荒服。(太玉、天祖に事へ、天日鷲之が部属と為りて、木綿を造る。神武帝も亦其の裔孫をして、倶に阿波に往きて穀麻を殖ゑしむ。而して大嘗毎に、阿波の斎部、荒妙服を進む。其の祖先の職を奉ずる、皆其の子孫を以てし、旧職を失はざるなり。)蓋し皆本に報ゆる所以なり。