中朝事実 / 神治章・仁徳天皇の三年の免税と民を富とする心
仁德帝四年春二月己未朔甲子。詔群臣曰。朕登高臺以遠望之烟氣不起於域中。以爲百姓既貧而家無炊者。朕聞。古聖王之世。人人誦詠德之音。家家有康哉歌。今朕臨億兆於玆三年。頌音不聆。炊烟轉疎。卽知五穀不登。百姓窮乏也。封畿之內尙有不給者。況乎幾外諸國耶。三月己丑朔己酉。詔曰。自今之後。至于三載。悉除課役。息百姓之苦。是日始之。黼衣鞋履不弊盡不更爲也。溫飯煖羹不酸餲不易也。削心約志。以從事乎無爲。是以宮垣崩而不造。茅茨壞以不葺。風雨入隙而沾衣被。星辰漏壞而露牀蓐。是後風雨順時。五穀豐穰。三稔之間。百姓富寬。頌德旣滿。炊烟亦繁。 七年夏四月辛未朔。天皇居臺上而遠望之。烟氣多起。是日語皇后曰。朕旣富矣。豈有愁乎。皇后對諮。何謂富焉。天皇曰。烟氣滿國。百姓自富歟。皇后且言。宮垣壞而不得修。殿屋破之衣被露。何謂富乎。天皇曰。其天之立君是爲百姓。然則君以百姓爲本。是以古聖王者。一人飢寒。顧之責身。今百姓貧之則朕貧也。百姓富之則朕富也。未之有百姓富之君貧矣。秋八月己巳朔丁丑。爲大兄去來穗別皇子定壬生部。亦爲皇后定葛城部。九月諸國悉請之曰。課役並免。旣經三年。因此以宮殿朽壞。府庫已空。今黔首富饒而不拾遺。是以里無鰥寡。家有餘儲。若當此時。非貢稅調以脩理宮室者。懼之其獲罪于天乎。然猶忍之不聽矣。十年冬十月。市科課役以構造宮室。於是百姓之不領。而扶老携幼。運材負簣。不問日夜。竭力爭作。是以未經幾時。而宮室悉成。故於今稱聖帝也。 謹按。是豐民之產。寬民之力之極也。夫民之遂生盡性。繫天下之人君。以一人爲億兆之父母。君道厥惟艱哉。唯仁德帝勝其任乎。儉躬以賑民家救無告。以民之貧富爲天子之貧富。曰。其天之立君是爲百姓。然則君以百姓爲本詔。實爲人君養民之至戒也。故宮室之造。庶民子來。百姓懼獲罪于天。吁至哉大哉。蓋先有仲哀帝之早崩。有神功帝之西征。後有天地不順稔穀不登之患。君子儉德辟難之義。不亦亨乎。後世賑民興土木之功。唯以此帝德爲規。則無大過而已。外朝聖主卑宮室尙儉德。豈過乎此。〔以上。豐民之產。〕
新字:仁徳帝四年春二月己未朔甲子。詔群臣曰。朕登高台以遠望之烟気不起於域中。以為百姓既貧而家無炊者。朕聞。古聖王之世。人人誦詠徳之音。家家有康哉歌。今朕臨億兆於玆三年。頌音不聆。炊烟転疎。即知五穀不登。百姓窮乏也。封畿之内尚有不給者。況乎幾外諸国耶。三月己丑朔己酉。詔曰。自今之後。至于三載。悉除課役。息百姓之苦。是日始之。黼衣鞋履不弊尽不更為也。温飯煖羹不酸餲不易也。削心約志。以従事乎無為。是以宮垣崩而不造。茅茨壊以不葺。風雨入隙而沾衣被。星辰漏壊而露牀蓐。是後風雨順時。五穀豊穰。三稔之間。百姓富寛。頌徳既満。炊烟亦繁。 七年夏四月辛未朔。天皇居台上而遠望之。烟気多起。是日語皇后曰。朕既富矣。豈有愁乎。皇后対諮。何謂富焉。天皇曰。烟気満国。百姓自富歟。皇后且言。宮垣壊而不得修。殿屋破之衣被露。何謂富乎。天皇曰。其天之立君是為百姓。然則君以百姓為本。是以古聖王者。一人飢寒。顧之責身。今百姓貧之則朕貧也。百姓富之則朕富也。未之有百姓富之君貧矣。秋八月己巳朔丁丑。為大兄去来穂別皇子定壬生部。亦為皇后定葛城部。九月諸国悉請之曰。課役並免。既経三年。因此以宮殿朽壊。府庫已空。今黔首富饒而不拾遺。是以里無鰥寡。家有余儲。若当此時。非貢税調以脩理宮室者。懼之其獲罪于天乎。然猶忍之不聴矣。十年冬十月。市科課役以構造宮室。於是百姓之不領。而扶老携幼。運材負簣。不問日夜。竭力争作。是以未経幾時。而宮室悉成。故於今称聖帝也。 謹按。是豊民之産。寛民之力之極也。夫民之遂生尽性。繋天下之人君。以一人為億兆之父母。君道厥惟艱哉。唯仁徳帝勝其任乎。倹躬以賑民家救無告。以民之貧富為天子之貧富。曰。其天之立君是為百姓。然則君以百姓為本詔。実為人君養民之至戒也。故宮室之造。庶民子来。百姓懼獲罪于天。吁至哉大哉。蓋先有仲哀帝之早崩。有神功帝之西征。後有天地不順稔穀不登之患。君子倹徳辟難之義。不亦亨乎。後世賑民興土木之功。唯以此帝徳為規。則無大過而已。外朝聖主卑宮室尚倹徳。豈過乎此。〔以上。豊民之産。〕
書き下し
仁徳帝四年春二月己未朔甲子、群臣に詔して曰く、朕、高台に登りて以て遠く望むに、烟気域中に起たず。以為へらく、百姓既に貧しくして、家に炊ぐ者無きか、と。朕聞く、古の聖王の世には、人人徳を誦ふるの音を詠じ、家家康哉の歌有り、と。今、朕億兆に臨むこと茲に三年、頌音を聆かず、炊烟転た疎なり。即ち知る、五穀登らず、百姓窮乏せるを。封畿の内すら尚ほ給らざる者有り。況んや畿外の諸国をや、と。三月己丑朔己酉、詔して曰く、今より後、三載に至るまで、悉く課役を除きて、百姓の苦しみを息めよ、と。是の日に始む。黼衣・鞋履、弊れ尽くさざれば更め為らず。温飯・煖羹、酸え餲らざれば易へず。心を削り志を約め、以て無為に従事す。是を以て宮垣崩れても造らず、茅茨壊れても葺かず。風雨隙より入りて衣被を沾し、星辰壊れより漏れて牀蓐に露る。是の後、風雨時に順ひ、五穀豊穣す。三稔の間に、百姓富み寛ぎ、頌徳既に満ち、炊烟亦繁し。 七年夏四月辛未朔、天皇、台の上に居して遠く望む。烟気多く起つ。是の日、皇后に語りて曰く、朕既に富めり。豈に愁ふること有らんや、と。皇后対へて諮ふ、何をか富めりと謂ふや、と。天皇曰く、烟気国に満つ。百姓自ら富めるか、と。皇后且つ言ふ、宮垣壊れて修むるを得ず、殿屋破れて衣被露る。何をか富めりと謂ふや、と。天皇曰く、其れ天の君を立つるは、是れ百姓の為なり。然れば則ち君は百姓を以て本とす。是を以て古の聖王は、一人飢ゑ寒ゆれば、顧みて身を責む。今、百姓貧しきは則ち朕貧しきなり。百姓富めるは則ち朕富めるなり。未だ百姓富みて君貧しき有らず、と。秋八月己巳朔丁丑、大兄去来穂別皇子の為に壬生部を定め、亦皇后の為に葛城部を定む。九月、諸国悉く請ひて曰く、課役並びに免ぜられて、既に三年を経たり。此に因りて宮殿朽ち壊れ、府庫已に空し。今、黔首富饒にして遺を拾はず。是を以て里に鰥寡無く、家に余儲有り。若し此の時に当りて、貢税調を以て宮室を修理するに非ずは、其れ罪を天に獲んことを懼る、と。然れども猶ほ忍びて聴さず。十年冬十月、課役を科して以て宮室を構へ造る。是に百姓領かず、而も老を扶け幼を携へ、材を運び簣を負ひ、日夜を問はず力を竭して争ひ作る。是を以て未だ幾ばくの時を経ずして、宮室悉く成る。故に今に聖帝と称ふ。 謹んで按ずるに、是れ民の産を豊かにし、民の力を寛くするの極みなり。夫れ民の生を遂げ性を尽くすは、天下の人君に繋る。一人を以て億兆の父母と為す。君道、厥れ惟れ艱いかな。唯だ仁徳帝のみ其の任に勝つか。躬を倹して以て民家を賑はし無告を救ひ、民の貧富を以て天子の貧富とす。曰く、其れ天の君を立つるは、是れ百姓の為なり。然れば則ち君は百姓を以て本とす、との詔は、実に人君養民の至戒なり。故に宮室の造るや、庶民子のごとく来たり、百姓、罪を天に獲んことを懼る。吁、至れるかな大なるかな。蓋し先に仲哀帝の早崩有り、神功帝の西征有り。後に天地順ならず、稔穀登らざるの患有り。君子の倹徳辟難の義、亦亨らずや。後世、民を賑はし土木の功を興すに、唯だ此の帝徳を以て規とすれば、則ち大過無きのみ。外朝の聖主、宮室を卑くし倹徳を尚ぶも、豈に此に過ぎんや。〔以上、民の産を豊かにす。〕
現代語訳
仁徳天皇の四年春二月六日、群臣に詔して言った。「私は高台に登って遠くを眺めたが、煙が国中に立っていない。百姓がすでに貧しくなり、炊事をする家がないのだろうかと思う。私は聞いている。昔の聖王の世には、人々が徳を称える歌を詠み、家々に安らぎの歌があったと。いま私は億兆の民に臨んでここに三年、称える声を聞かず、炊煙はますますまばらである。そこで五穀が実らず、百姓が困窮していることが分かる。都の周辺ですら足りない者がいる。まして畿外の諸国はなおさらである」。三月十一日、詔して言った。「今から後、三年に至るまで、課役をすべて免除して、百姓の苦しみを休めよ」。この日から始めた。刺繍の衣や履物は、破れ尽くさなければ新しくしなかった。温かい飯や汁は、酸っぱくなったり傷んだりしなければ取り替えなかった。心を削り志を引き締め、無為の政治に従った。そのため宮垣が崩れても造らず、茅葺きの屋根が壊れても葺かなかった。風雨が隙間から入って衣や夜具を濡らし、星が屋根の壊れから漏れて寝床に露わになった。この後、風雨は時に従い、五穀は豊かに稔った。三年の間に百姓は富み寛いで、称徳の声が満ち、炊煙もまた盛んになった。 七年夏四月一日、天皇は台の上にいて遠くを眺めた。煙が多く立っていた。この日、皇后に語って言った。「私はすでに富んだ。何を憂えることがあろうか」。皇后は答えて言った。「何をもって富んだと言うのですか」。天皇は言った。「煙が国に満ちている。百姓が自ら富んだのではないか」。皇后はさらに言った。「宮垣が壊れて修理もできず、殿舎が破れて衣や夜具が露わになっています。何をもって富んだと言うのですか」。天皇は言った。「天が君を立てるのは、百姓のためである。だから君は百姓を本とする。昔の聖王は、一人でも飢え凍えれば、顧みて我が身を責めた。いま百姓が貧しいのは私が貧しいのである。百姓が富むのは私が富むのである。百姓が富んで君が貧しいということはない」。秋八月九日、大兄去来穂別皇子のために壬生部を定め、また皇后のために葛城部を定めた。九月、諸国がみな請うて言った。「課役が免ぜられてすでに三年を経ました。このため宮殿は朽ち壊れ、倉庫はすでに空です。いま民は豊かで、落とし物を拾わなくなりました。そのため里には身寄りのない者がなく、家には余剰の蓄えがあります。この時に当たって、貢物と税を納めて宮室を修理しなければ、天に罪を得ることを恐れます」。しかし天皇はなお耐えて許さなかった。十年冬十月、課役を割り当てて宮室を造った。その時、百姓は命じられるのを待たずに、老人を支え幼子を連れ、材木を運び土籠を背負い、昼夜を問わず力を尽くして争って作った。そのため、いくらも経たないうちに宮室はすべて完成した。だから今に至るまで聖帝と称えられる。 素行はこう考える。これは民の生産を豊かにし、民の力に余裕を持たせた極みである。民が生を全うし性を尽くせるかは、天下の人君にかかっている。一人で億兆の父母となる。君の道は難しい。ただ仁徳天皇だけがその任に堪えたのではないか。自ら倹約して民家を賑わし、頼る者のない人を救い、民の貧富を天子の貧富とした。「天が君を立てるのは百姓のためである。だから君は百姓を本とする」という詔は、まことに人君が民を養う最大の戒めである。だから宮室を造る時、庶民は子が親のもとに来るように集まり、百姓は天に罪を得ることを恐れた。ああ、行き届き、大きい。先には仲哀天皇の早い崩御があり、神功皇后の西征があった。後には天地が順わず、穀物が稔らない患いがあった。君子が倹約の徳で難を避ける義は、よく通じるではないか。後世、民を救い土木工事を興す時に、ただこの帝の徳を規範とすれば、大きな過ちはないであろう。外朝の聖主が宮室を低くし倹約の徳を尚んだのも、これに過ぎない。(以上、民の産を豊かにす。)
解説

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『神皇正統記』巻二 民のかまど民間の貧きことをおぼして、三年の御調を止られき。高殿にのぼりてみ給へば、にぎはゝしくみえけるによりて、 高屋にのぼりてみれば煙立民のかまどはにぎはひにけり とぞよませ給ける。さて猶三年を許されければ、宮の中破て雨露もたまらず。宮人の衣壊て其よそほひ全からず。御門は是をたのしみとなむおぼしける。かくて六年と云に、国々の民各まゐり集て大宮造し、色々の御調を備へけるとぞ。ありがたかりし御政なるべし。
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『中朝事実』聖政章・民心と習俗を察する政教の始め神武帝己未の年春三月辛酉朔丁卯、令を下して曰く、「今、運此の屯蒙に屬し、民心朴素なり。巢に棲み穴に住み、習俗惟れ常なり。夫れ大人の制を立つるは、義必ず時に隨ふ。苟くも民を利する有らば、何ぞ聖造を妨げん」と。 謹んで按ずるに、是れ政令の始めなり。民心は天下の人心なり。習俗は人皆習ひて以て俗と爲すなり。言ふこころは、天下屯蒙にして、人心詐僞に與せず、穴居野處して以て習俗と爲す。今帝天を繼ぎ極を建て、以て天下の禮を正さんと欲し、其の舊俗を新たにす。故に此の詔有るなり。人心の朴素は、善政に染まり易きが如く、而して習俗の舊汚は又變じ難し。時義、是れ革むるの時、又大なり。聖英の天縱に非ざれば、之を得べからざるなり。蓋し政の要は民心と習俗とを察するに在り。人心は必ず俗と與に化し、善惡以て成る。人君政を立て敎率を明らかにすれば、則ち民心化して風俗成る。風俗の成るは習熟の久しきに在り。習熟久しければ則ち民其の然るを識らず。故に曰く、政の要は民心と習俗とを察するに在り、と。此の章、政敎の大體を盡くすと謂ふべし。〔以上、政敎の大體。〕 四年春二月壬戌朔甲申、詔して曰く、「我が皇祖の靈や、天より降り鑒み、光りて朕が躬を助けたまふ。今諸々の虜已に平らぎ、海内事無し。以て天神を郊祀し、用て大孝を申ぶべし」と。乃ち靈畤を鳥見山の中に立つ。其の地を號して上小野榛原・下小野榛原と曰ふ。用て皇祖天神を祭る。 先人曰く、神武天皇、都を大和國橿原に定む。時に三種の神寶を以て大殿に安置し、床を同じくして坐したまふ。蓋し往古の神勅の如し。此れに由りて皇居と神宮と差別無し。宮中に庫藏〔此に齋藏と云ふ。〕を立て、宮物・神物分かつ無し。此の時天兒屋根命の孫天種子命、專ら祭祀の事を主る。是れ乃ち朝政を執るの儀なり。 謹んで按ずるに、天下の政事は郊社宗廟の祭祀より大なるは莫し。夫れ人君は天地を以て父母と爲す。況んや帝は乾靈天孫の統を承け、以て四海に臨むをや。蓋し神に交はるの道は誠に在り。至誠以て祭祀すれば、則ち鬼神の幽冥も亦格思すべし。蕞爾たる黎民も、至誠以て之を求むれば、則ち感ぜざる無し。故に往古は神祇の祭祀と朝廷の政事と、其の義を二にせず。深いかな。〔俗に政を訓みて祭事とするは是れなり。〕凡そ祭祀を主る者は、皆朝政を執る。天種子命・神八井耳命の如きは是れなり。〔神八井耳命は、神武帝の皇子、綏靖帝の兄なり。神八井耳命曰く、「吾は是れ乃の兄なり。而るに懦弱にして果を致す能はず。今汝特に神武を挺し、自ら元惡を誅す。宜なるかな。汝の天位に光臨し、以て皇祖の業を承くること。吾當に汝の爲に輔けて神祇を典り奉るべし」と。是れ卽ち多臣の始祖なり。〕帝、神勅を守り、以て靈器を敬ふ。且つ天神を郊祀し、用て大孝を申ぶ。其の兢兢業業として政敎を愼むは、萬世の規戒なり。〔以上、祭政の實。〕 崇神帝十年秋七月丙戌朔己酉、群卿に詔して曰く、「民を導くの本は、敎化に在り。今既に神祇を禮し、災害皆耗せり。然れども遠荒の人等、猶ほ正朔を受けず。是れ未だ王化に習はざるのみ。其れ群卿を選びて四方に遣はし、朕が憲を知らしめよ」と。 謹んで按ずるに、是れ行人を發して以て敎を四方に施すの始めなり。導は啓迪なり。敎化に至らざれば、則ち民と敎と別なり。民情化適して敎成る、之を敎化と謂ふ。正朔は王曆なり。天下皆正朔を受くるは、其の天に事ふるを同じくするなり。正朔を受けざれば則ち民俗を殊にす。王化は天下皆其の敎令を守りて其の三綱を正すなり。王化未だ習はざれば則ち民意を異にするなり。憲は法なり。憲章以て人に示すなり。言ふこころは、民皆此の心有り、敎化明らかならず故に其の性を盡くさず。之を啓迪するは敎の化に在り。鬼神を敬ふと民を敎化するとは、其の本至誠に出でず、而して鬼神は幽にして信、人民は習にして駁なり。故に鬼神に事ふるは致敬に在り、人民を治むるは敎を盡くすに在り。帝既に晨に興き夕に惕れ、齊明盛服して以て鬼神を敬ふ。災害既に耗す。然れども天下未だ軌を一にせず、四方未だ俗を均しくせず。今憲章を建て、以て時月を考へ、禮樂制度を同じくし、以て民性を節し、道德を一にして以て俗を同じくす。十二年に及び敎化流行し、衆庶業を樂しみ、富庶既に滿つ。人民皆長幼の序、課役の制を知る。宜なるかな其の至德を稱せらるること。蓋し後世に迄びて巡察・按察・宣撫の法有り、以て風俗制度を正し革む。推古帝に及び、聖德太子憲法を定め、孝德帝天下の政制を詳にし、天武帝律令法式を定め、文武帝の朝、淡海公勅を奉りて律令を撰び、終に萬世政令の準標と爲る。其の本は皆此に基づく。帝の功、亦大ならずや。〔以上、憲章の敎。〕
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『中朝事実』聖政章・殉死の禁止と風俗を正す施策垂仁帝二十八年、詔して曰く、「夫れ生くる所の愛する者を以て亡き者に殉はしむるは、甚だ傷なり。其れ古の風と雖も、良からずんば何ぞ從はん。今より以後、議りて殉を止めよ」と。 謹んで按ずるに、殉とは人を以て亡き者に殉ふなり。夫れ人君は民の父母なり。未だ父母にして其の子を愛せざる有らず。亡き者に殉はしむるは、哀しみの過ぎて愛の溢るるなり。聖人の政、豈に之を用ゐんや。此の時、古を去ること未だ遠からず、人民情に從ひ俗に習ひ、上下以て行ふ。帝、制を建て法を改め、殉を止むるの詔有り。三十二年、野見宿禰、明器の土梗を作りて之に易ふ。帝大いに其の德を稱し、以て土師の姓を賜ふ。是れ民の父母たるの誠を擴充する所以なり。此れより朝廷の殉亡の制、亦行はれず。帝の德、大なるかな。竊かに按ずるに、外朝は始め俑有り、以て殉に至る。其の弊、國を亂すに及ぶ。中國は始め殉有り、以て土物を作るに至り、竟に殉を止む。其の風俗の渾厚、以て之を見るべきなり。〔以上、殉を禁ず。〕 景行帝十二年秋八月乙未朔己酉、筑紫に幸す。 謹んで按ずるに、是れ巡狩の始めなり。此の時熊襲反きて朝貢せず。故に此の幸有り。而して大いに西方の諸侯に覲え、以て風俗を正し、制度を明らかにするなり。後又東方を巡守し、以て政事を定む。此の時天下大いに定まり、封域以て建つ。成務帝に迄び、國郡縣邑の制、長・首・渠を造るの法、竟に定まる。天下猶ほ一家のごとく、敎化俗を同じくす。巡守の道、大なるかな。〔以上、巡狩。〕 仁德帝十一年、武藏の人强頸、河内の人茨田連衫子の二人、以て河神に禱る。 謹んで按ずるに、妖神、人を殺して牲と爲すは、夷狄の習俗なり。是れ天孫未降の前、惡鬼妖怪の餘政なり。蓋し堤を爲り溝洫を設くるは、人を愛するの道なり。神の神たる、豈に非禮の祭を享けんや。帝、夢寐の妖を信じ、以て人を用ゐて河伯を祭る。噫、何ぞ是れ惑へるや。夫れ帝の聰明儉德、天下の太平無事なること、後世の企望する所に非ず。猶ほ鬼神を信じ、衫子の淺謀もて神の妖僞を知るに如かず。此の失、爰に處るは、唯だ思辨の道、其の誠を盡くさざるのみ。人君政敎の要、豈に愼まざるべけんや。今此の一事を擧げて以て帝の政弊と爲すは、未だ嘗て隱惡の戒めに懼れずんばあらず。然れども帝の仁德爲る、天下知らざる無し。猶ほ習俗の以て德を漬すこと有り。後世執政の道、最も以て鑑みるべし。〔以上、弊を改む。〕 履中帝四年秋八月辛卯朔戊戌、始めて諸國に國史を置き、言事を記し、四方の志を達せしむ。 謹んで按ずるに、是れ國史を置くの始めなり。史は事を記すの官なり。言ふこころは、諸國に此の官を立て、上は以て天子の敎令を記し、下は以て國郡の事を記す。是れ國俗を正し人情を達するの政なり。凡そ五方各々其の俗有り、民又其の習を異にす。故に人君其の事物を知らざれば、則ち政令必ず乖く。今國史を置き言事を記し、其の制度を正し、國俗の化を知り、以て其の政を致すなり。後世、國守の外、目・史等の官有り、皆國の事を記し、以て其の政を正す。是れなり。〔以上、國史。〕 清寧帝三年秋九月壬子朔癸丑、臣・連を遣はし風俗を巡省せしむ。冬十月壬午朔乙酉、詔して曰く、「犬馬器翫、獻上することを得ざれ」と。 謹んで按ずるに、使臣の巡察は、政の恒なり。而して風俗を巡省するは、是れ敎化の繫る所其の俗の大なればなり。且つ翫器・犬馬を獻ずるを得ざらしむるは、乃ち其の風俗を正すなり。人君、物を翫べば則ち志を喪ふ。物は至微にして、志は至大なり。至微を愼まざれば、則ち至大制すべからず。人君の好む所に天下歸す。豈に忽にすべけんや。帝、其の俗を正さんと欲す。故に此の詔有り。而して又人情を寬くせんと欲し、宴を群臣に賜ひ、大酺すること五日。是れ儉にして寬なり。宜なるかな。海表諸蕃、調を進め、海内安康なり。〔以上、風俗を正す。〕
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『中朝事実』神治章・天壌無窮の勅と人皇の建極の詔天照太神、皇孫に勅して曰く、葦原千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫、就きて治らせ。行矣。宝祚の隆えまさんこと、当に天壌と窮り無かるべし、と。 一書に曰く、大己貴尊と少彦名命と、力を戮せ心を一にして、天下を経営す。嘗て大己貴命、少彦名命に謂ひて曰く、吾等が造れる国、豈に善く成れりと謂はんや、と。少彦名命対へて曰く、或いは成れる所有り、或いは成らざる有り、と。是の談や、蓋し幽深の致有り。大己貴神興言して曰く、夫れ葦原中国は本より荒芒なり。磐石草木に至るまで、咸く能く強暴なり。然れども吾已に摧き伏せ、和順せざる莫し。遂に因りて言ふ、今此の国を理むるは、唯だ吾が一身のみ。其れ吾と共に天下を理むべき者、蓋し有らんか、と。時に神光海を照らし、忽然として浮び来る者有り。曰く、如し吾在らずは、汝何ぞ能く此の国を平らげんや。吾在るに由りての故に、汝其の大造の績を建つるを得たり、と。是の時、大己貴神問ひて曰く、然らば則ち汝は是れ誰ぞ、と。対へて曰く、吾は是れ汝が幸魂奇魂なり、と。大己貴神曰く、唯、然り。廼ち知りぬ。汝は是れ吾が幸魂奇魂なり。今何処に住まんと欲するや、と。対へて曰く、吾れ日本国の三諸山に住まんと欲す、と。故れ即ち宮を彼処に営み、就きて居らしむ。此れ大三輪の神なり。 謹んで按ずるに、是れ天神治道の始めなり。天壌と窮り無しの五字は、宝祚を祝ひて以て治平の道を尽くすなり。夫れ天地の至誠は息む無く、悠遠博厚にして、物を覆ひ物を載せ、而して此の無窮を得。君子以て自ら彊め、以て徳を厚くすれば、則ち往きて利あらざる無し。人君之を体して四海を御すれば、則ち万国咸く寧し。是れ天壌と窮り無き所以なり。天道は盈てるを虧き、地道は盈てるを変じ、鬼神は盈てるを害し、人道は盈てるを悪む。故に緩めば必ず失ふ所有り、升りて已まざれば必ず困しむ。亨れば則ち尽く。是れ謙徳の其の終りを保つ所以なり。大己貴命・少彦名命の共に言ふ所は、謙亨の謂か。然れば乃ち聖主、乾坤の徳に法りて以て六龍に乗り、下に居りて済すの謙に居りて以て四海を御すれば、則ち治教の道、天壌無窮に応ずるなり。 神武帝己未年春三月辛酉朔丁卯、令を下して曰く、我が東征せしより、是に六年なり。皇天の威に頼りて、凶徒戮に就く。辺土未だ清まらず、余妖尚ほ梗ると雖も、中洲の地には復た風塵無し。誠に宜しく皇都を恢廓し、規摹宏壮なるべし。而るに今、運は此の屯蒙に属し、民心朴素なり。巣棲穴住し、習俗惟れ常なり。夫れ大人制を立つるは、義必ず時に随ふ。苟くも民を利する有らば、何ぞ聖造を妨げん。且つ当に山林を披き払ひ、宮室を経営して、恭みて宝位に臨み、以て元元を鎮むべし。上は則ち乾霊の国を授けたまひし徳に答へ、下は則ち皇孫の正を養ひたまひし心を弘めん。然る後に六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩ひて宇と為さんこと、亦可ならずや、と。 謹んで按ずるに、是れ人皇、中国を定め、極を建て、治道を詔するの始めなり。大人とは聖人位に居るの称なり。制とは礼楽刑政の制なり。義とは損益沿革し其の道を品節するなり。民を利するとは、人民其の楽を楽しみ其の利を利とするなり。聖造とは天祖皇孫の建てたまふ所の道なり。蓋し天下の治は必ず時有り。時を知らざれば、則ち大人の道に非ず。天祖皇孫の永悠の際、土中既に定まり天下の大造ありと雖も、運は洪荒に在り、唯だ西偏に正を養ひて、以て皇系嗣ぎ興るの時を待つのみ。帝勃起して之を経綸す。初めて中州を制するに、此の時に当りて、義は必ず時に随ふに非ざれば、急務の実を得ず。故に詔を下して宝位に臨む。時に随ふの義、大なるかな。帝、恒に拳拳として国を授け正を養ふの志あり。民の心を以て心と為す、是れ乃ち民の父母たり。万世此の聖詔を以て制を立つれば、乃ち天下の蒼生を謬らざるか。