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中朝事実 / 神敎章・諸神に問い人を選ぶ問学と古の神勅

高祖高皇產靈尊。欲皇孫爲葦原中國之主。故高皇產靈尊召集八十諸神。而問之曰。吾欲令撥平葦原中國之邪鬼。當遣誰者宜也。惟爾諸神勿隱所知。僉曰。天穗日命是神之傑也。可不試歟。於是俯順衆言。卽以天穗日命往平之。然此神侫媚於大巳貴神。比及三年尙不報聞。故高皇產靈尊更會諸神。問當遣者。僉曰。天國玉之子天稚彥是壯士也。宜試之。於是高皇產靈尊賜天稚彥天鹿兒弓及天羽羽矢以遣之。此神亦不忠誠也。是後高皇產靈尊更會諸神。選當遣於葦原中國者。僉曰。經津主神是將佳也。遂以武甕槌神配經津主神。令平葦原中國。 一書曰。天稚彥無以報命。故天照太神乃召思兼神。問其不來之狀。 謹按。是天神問學之義也。人必有長有短。問以盡其情。各止其至善。則天下之美歸之。若從己縱欲護短塞言。或問而不盡其兩端。唯虛問而已。好問之道大哉。夫以乾神之靈好問。遂得成大功。其問之審也。其俯順衆言也。後聖主求諫納直言之戒至矣。蓋人君位九重之深。立億兆之上。非特雷霆之威。非特萬鈞之勢。前有龍喉之鱗。後有鼎鑊之責。不言不威。而人民先懼栗。況護短拒諫。以嚴肅威猛。則言路何通乎。抑冕旒之蔽目。黈纊之塞耳。出警而入蹕乎。故假人以顏色導其諫。虐己以採納之。待其言獎進激勸。來於天下之善者。人君之德也。外朝之聖主亦從事於斯矣。帝堯之咨若。帝舜之好問。而明四目達四聰。禹拜昌言。湯坐以待旦。周思兼三王。而善經綸萬化。可并按也。凡草昧之始。軍機之要。雖君臣詳議。思慮之失。擧措之間。未嘗無其過。天神既然。後世豈容易之乎。所遺示其戒。又不明乎。〔以上。天神問學之義。〕 天照太神。手持寶鏡授天忍穗耳尊。而祝之曰。吾兒視此寶鏡。當猶視吾。可與同床共殿以爲齋鏡。 先人曰。往古神勅也。〔北畠准后記。〕 謹按。是往古之神勅也。當猶視吾四字。乃天祖皇孫傳授之天敕。千萬世皇統謹守之願命也。其言簡而其旨遠。雖堯舜禹之十六字。豈外乎此。蓋人子恒存如在之敬。則怠惰之氣終不可張。或克始而不保其終。或敬於此而慢於彼者。日遠忘之。從欲不愼也。祖其祖者下其下。未有遺其祖而親其民也。後聖人以三年無改於父之道爲孝。不亦可乎。凡思其人猶愛其樹。愛其人猶及其鳥。況杯圈乎。況其書乎。況此寶鏡乎。向視其形。則有明正無窮之象。切脩其道。則有日彊不息之誠。況與日月合其光。與天地明其道乎。況大神乃是寶鏡乎。蓋鏡之爲物也。採秋金之剛精。以力銀錫之淬磨。遂來光彩之明。是非三德惟成也。虛己以容物。未來不迎。既往不將。掩則藏。用則見。照之無藏。明之不私。磨涅又不磷緇。精鍊而悠久也。用之有道。數弄則過于明察。久襲則生于銹澁。出有時。入有節。日新而無息。大可得明鏡之實矣。凡天下之鏡皆然。故足以爲人君之存養。學者之省察。外朝之黃帝鑄神鏡。武王作鏡銘。太宗存三鑑之戒。玄宗異水心之鏡。可以按。而大神之寶鏡。豈此等之屬乎。聖主善愼以護神勅。宗靈鏡之德。則洋洋乎。神恒在。德日新。唯非天威不違顏。食坐見於羹墻而已。〔以上。往古之神勅。〕

新字:高祖高皇産霊尊。欲皇孫為葦原中国之主。故高皇産霊尊召集八十諸神。而問之曰。吾欲令撥平葦原中国之邪鬼。当遣誰者宜也。惟爾諸神勿隠所知。僉曰。天穂日命是神之傑也。可不試歟。於是俯順衆言。即以天穂日命往平之。然此神侫媚於大巳貴神。比及三年尚不報聞。故高皇産霊尊更会諸神。問当遣者。僉曰。天国玉之子天稚彦是壮士也。宜試之。於是高皇産霊尊賜天稚彦天鹿児弓及天羽羽矢以遣之。此神亦不忠誠也。是後高皇産霊尊更会諸神。選当遣於葦原中国者。僉曰。経津主神是将佳也。遂以武甕槌神配経津主神。令平葦原中国。 一書曰。天稚彦無以報命。故天照太神乃召思兼神。問其不来之状。 謹按。是天神問学之義也。人必有長有短。問以尽其情。各止其至善。則天下之美帰之。若従己縦欲護短塞言。或問而不尽其両端。唯虚問而已。好問之道大哉。夫以乾神之霊好問。遂得成大功。其問之審也。其俯順衆言也。後聖主求諫納直言之戒至矣。蓋人君位九重之深。立億兆之上。非特雷霆之威。非特万鈞之勢。前有竜喉之鱗。後有鼎鑊之責。不言不威。而人民先懼栗。況護短拒諫。以厳粛威猛。則言路何通乎。抑冕旒之蔽目。黈纊之塞耳。出警而入蹕乎。故仮人以顔色導其諫。虐己以採納之。待其言獎進激勧。来於天下之善者。人君之徳也。外朝之聖主亦従事於斯矣。帝堯之咨若。帝舜之好問。而明四目達四聰。禹拝昌言。湯坐以待旦。周思兼三王。而善経綸万化。可并按也。凡草昧之始。軍機之要。雖君臣詳議。思慮之失。挙措之間。未嘗無其過。天神既然。後世豈容易之乎。所遺示其戒。又不明乎。〔以上。天神問学之義。〕 天照太神。手持宝鏡授天忍穂耳尊。而祝之曰。吾児視此宝鏡。当猶視吾。可与同床共殿以為斎鏡。 先人曰。往古神勅也。〔北畠准后記。〕 謹按。是往古之神勅也。当猶視吾四字。乃天祖皇孫伝授之天勅。千万世皇統謹守之願命也。其言簡而其旨遠。雖堯舜禹之十六字。豈外乎此。蓋人子恒存如在之敬。則怠惰之気終不可張。或克始而不保其終。或敬於此而慢於彼者。日遠忘之。従欲不慎也。祖其祖者下其下。未有遺其祖而親其民也。後聖人以三年無改於父之道為孝。不亦可乎。凡思其人猶愛其樹。愛其人猶及其鳥。況杯圏乎。況其書乎。況此宝鏡乎。向視其形。則有明正無窮之象。切脩其道。則有日彊不息之誠。況与日月合其光。与天地明其道乎。況大神乃是宝鏡乎。蓋鏡之為物也。採秋金之剛精。以力銀錫之淬磨。遂来光彩之明。是非三徳惟成也。虚己以容物。未来不迎。既往不将。掩則蔵。用則見。照之無蔵。明之不私。磨涅又不磷緇。精錬而悠久也。用之有道。数弄則過于明察。久襲則生于銹渋。出有時。入有節。日新而無息。大可得明鏡之実矣。凡天下之鏡皆然。故足以為人君之存養。学者之省察。外朝之黄帝鋳神鏡。武王作鏡銘。太宗存三鑑之戒。玄宗異水心之鏡。可以按。而大神之宝鏡。豈此等之属乎。聖主善慎以護神勅。宗霊鏡之徳。則洋洋乎。神恒在。徳日新。唯非天威不違顔。食坐見於羹墻而已。〔以上。往古之神勅。〕

書き下し

高祖高皇産霊尊、皇孫を葦原中国の主と為さんと欲す。故に高皇産霊尊、八十諸神を召し集へて之に問ひて曰く、吾れ葦原中国の邪鬼を撥ひ平らげしめんと欲す。当に誰者を遣はすべき、宜しきや。惟だ爾諸神、知る所を隠すこと勿れ、と。僉曰く、天穂日命は是れ神の傑なり。試みざるべけんや、と。是に衆言に俯順し、即ち天穂日命を以て往きて之を平らげしむ。然るに此の神、大己貴神に佞媚し、三年に及ぶまで尚ほ報聞せず。故に高皇産霊尊、更に諸神を会へて当に遣はすべき者を問ふ。僉曰く、天国玉の子天稚彦は是れ壮士なり。宜しく試みるべし、と。是に高皇産霊尊、天稚彦に天鹿児弓及び天羽羽矢を賜ひて以て遣はす。此の神も亦忠誠ならず。是の後、高皇産霊尊、更に諸神を会へて、当に葦原中国に遣はすべき者を選ぶ。僉曰く、経津主神は是れ将の佳き者なり、と。遂に武甕槌神を以て経津主神に配し、葦原中国を平らげしむ。 一書に曰く、天稚彦、以て命に報ふる無し。故に天照太神乃ち思兼神を召し、其の来らざるの状を問ふ。 謹んで按ずるに、是れ天神問学の義なり。人必ず長有り短有り。問ひて以て其の情を尽くし、各々其の至善に止まらしむれば、則ち天下の美帰す。若し己に従ひて欲を縦にし、短を護りて言を塞ぎ、或いは問ひて其の両端を尽くさざれば、唯だ虚しく問ふのみ。好問の道、大なるかな。夫れ乾神の霊を以てして問ふを好み、遂に大功を成すを得たり。其の問ふの審らかなる、其の衆言に俯順するは、後の聖主の諫を求め直言を納るるの戒め、至れり。蓋し人君は九重の深きに位し、億兆の上に立つ。特に雷霆の威のみに非ず、特に万鈞の勢のみに非ず。前に龍喉の鱗有り、後に鼎鑊の責有り。言はず威せざるも、人民先づ懼れ栗く。況んや短を護り諫を拒み、嚴肅威猛を以てすれば、言路何ぞ通ぜんや。抑も冕旒の目を蔽ひ、黈纊の耳を塞ぎ、出でては警し入りては蹕するをや。故に人に顔色を仮して其の諫を導き、己を虐げて之を採納し、其の言を待ち、獎進激勧して、天下の善を来たす者は、人君の徳なり。外朝の聖主も亦此に従事す。帝堯の咨若、帝舜の好問にして、四目を明らかにし四聡を達す。禹は昌言を拝し、湯は坐して旦を待つ。周の思兼三王にして、善く万化を経綸す。並び按ずべし。凡そ草昧の始め、軍機の要は、君臣詳議すと雖も、思慮の失、挙措の間、未だ嘗て其の過ち無くんばあらず。天神既に然り。後世豈に之を容易にせんや。遺す所の戒めを示す、又明らかならずや。〔以上、天神問学の義。〕 天照太神、手に宝鏡を持ち天忍穂耳尊に授けて祝ぎて曰く、吾が児、此の宝鏡を視ること、当に猶ほ吾を視るがごとくすべし。与に床を同じくし殿を共にし、以て斎鏡と為すべし、と。 先人曰く、往古の神勅なり、と。〔北畠准后記。〕 謹んで按ずるに、是れ往古の神勅なり。当猶視吾の四字は、乃ち天祖皇孫伝授の天勅、千万世皇統の謹み守る願命なり。其の言簡にして其の旨遠し。堯舜禹の十六字と雖も、豈に此に外れんや。蓋し人の子、恒に在すが如きの敬を存すれば、則ち怠惰の気、終に張るべからず。或いは始めを克くして其の終りを保たず、或いは此に敬して彼に慢るは、日々に遠ざかりて之を忘れ、欲に従ひて慎まざるなり。其の祖を祖とする者は其の下を下とす。未だ其の祖を遺てて其の民に親しむ者有らず。後の聖人、三年父の道を改むる無きを以て孝と為す、亦可ならずや。凡そ其の人を思へば猶ほ其の樹を愛し、其の人を愛すれば鳥にも及ぶ。況んや杯圏をや、況んや其の書をや、況んや此の宝鏡をや。向かひて其の形を視れば、則ち明正無窮の象有り。切に其の道を修むれば、則ち日々彊めて息まざるの誠有り。況んや日月と其の光を合はせ、天地と其の道を明らかにするをや。況んや大神は乃ち是れ宝鏡なるをや。蓋し鏡の物たる、秋金の剛精を採り、銀錫の淬磨を力め、遂に光彩の明を来たす。是れ三徳惟れ成るに非ずや。己を虚しくして以て物を容れ、未だ来らざるを迎へず、既に往くを将らず、掩へば則ち蔵し、用ふれば則ち見る。之を照らして蔵する無く、之を明らかにして私ならず、磨すれども磷がず、涅すれども緇まず、精錬にして悠久なり。之を用ふるに道有り、数々弄すれば則ち明察に過ぎ、久しく襲めば則ち銹渋を生ず。出づるに時有り、入るに節有り、日々新たにして息まず。大いに明鏡の実を得べし。凡そ天下の鏡は皆然り。故に以て人君の存養、学者の省察と為すに足る。外朝の黄帝神鏡を鋳、武王鏡銘を作り、太宗三鑑の戒めを存し、玄宗水心の鏡を異とするは、以て按ずべし。而るに大神の宝鏡は、豈に此等の属ならんや。聖主善く慎みて以て神勅を護り、霊鏡の徳を宗とすれば、則ち洋洋乎として、神は恒に在し、徳は日々に新たなり。唯だ天威顔を違へざるに非ず、坐に食に羹墻に見るのみ。〔以上、往古の神勅。〕

現代語訳

高祖の高皇産霊尊は、皇孫を葦原中国の主にしようと思った。そこで高皇産霊尊は八十の神々を呼び集めて問うた。「私は葦原中国の邪鬼を払い平らげさせたい。誰を遣わせばよいか。あなたたち神々は、知っていることを隠さないでほしい」。皆は言った。「天穂日命は神の中の傑物です。試してみないわけにはいきません」。そこで衆議に従い、天穂日命を遣わして平定させた。しかしこの神は大己貴神に媚びへつらい、三年経っても報告しなかった。そこで高皇産霊尊はあらためて神々を集め、遣わすべき者を問うた。皆は言った。「天国玉の子の天稚彦は勇ましい男です。試すのがよいでしょう」。そこで高皇産霊尊は天稚彦に天鹿児弓と天羽羽矢を授けて遣わした。この神もまた忠誠ではなかった。その後、高皇産霊尊はまたも神々を集め、葦原中国に遣わすべき者を選んだ。皆は言った。「経津主神は優れた将です」。そこで武甕槌神を経津主神に添えて、葦原中国を平らげさせた。 ある書にいう。天稚彦が復命しなかったので、天照太神は思兼神を呼んで、彼が帰ってこない事情を問うた。 素行はこう考える。これは天神が問うて学ぶことの義である。人には必ず長所と短所がある。問うてその実情を尽くし、それぞれを至善にとどまらせれば、天下の美が帰してくる。もし自分の考えに従って欲しいままにし、短所をかばって言葉を塞ぎ、あるいは問うても両端を尽くさなければ、ただ形ばかり問うだけである。問うことを好む道は大きい。天の神の霊でありながら問うことを好んで、ついに大功を成し遂げた。その問い方の審らかさ、衆議に従うことは、後の聖なる君主が諫めを求め直言を受け入れる戒めとして、この上ない。人君は九重の奥深くに居て、億兆の民の上に立つ。ただ雷のような威、万鈞の勢いがあるだけではない。前には逆鱗があり、後には鼎で煮られる刑の責めがある。何も言わず威嚇しなくても、人民は先に震え恐れる。まして短所をかばい諫めを拒み、厳しく猛々しい態度を取れば、言路がどうして通じようか。そもそも冕旒が目を蔽い、黈纊が耳を塞ぎ、外出すれば警戒し入れば道を清める(ので下の声は届きにくい)。だから人に穏やかな顔色を貸して諫めを導き、自らを抑えてそれを採り入れ、その言葉を待ち、励まし進めて、天下の善を来らせるのが、人君の徳である。外朝の聖主もこれに従事した。堯の「咨若」、舜の問うことを好む姿勢は、四方に目を開き四方の聴きを通じさせた。禹はよい言葉に拝礼し、湯は座して夜明けを待った。周は三王を兼ね思って、よく万化を経綸した。併せて考えるべきである。そもそも草創の始め、軍の機密の要は、君臣が詳しく議しても、思慮の誤り、振る舞いの間には、過ちがないわけではない。天神でさえそうである。後世の者がどうしてこれを容易に考えようか。残された戒めを示すのは、また明らかではないか。(以上、天神問学の義。) 天照太神は、手に宝鏡を持って天忍穂耳尊に授け、祝って言った。「わが子よ、この宝鏡を見ることは、私を見るのと同じようにしなさい。ともに床を同じくし殿を共にして、斎鏡としなさい」。 先人(北畠親房)は言う。昔の神勅である、と。(北畠准后記。) 素行はこう考える。これは昔の神勅である。「当に猶ほ吾を視るがごとくせよ」の四字は、天祖が皇孫に伝え授けた天の勅であり、千万世の皇統が謹んで守る願いの命である。その言葉は簡潔で趣旨は遠い。堯舜禹の十六字(「人心惟れ危うく、道心惟れ微かなり…」)といえども、これに外れない。人の子が常にそこに在すかのような敬いを持てば、怠惰の気は広がらない。始めは良くても終わりを保てなかったり、こちらでは敬ってもあちらでは怠るのは、日々遠ざかって忘れ、欲に従って慎まないからである。祖を祖として尊ぶ者は、その下の者を下に置く(礼を守る)。祖を捨てて民に親しむ者はいない。後の聖人が「三年間父の道を改めないのを孝とする」と言ったのも、もっともである。そもそもその人を思えばその人の植えた樹までいとおしみ、その人を愛すればその人の鳥にまで及ぶ。まして杯や器、その書、この宝鏡はなおさらである。向かってその形を見れば、明るく正しく窮まりない象がある。切にその道を修めれば、日々励んで止まない誠がある。まして日月と光を合わせ、天地とその道を明らかにするものである。まして大神自身がこの宝鏡であるのだから。思うに、鏡という物は、秋の金属の剛い精を採り、銀と錫を磨き、ついに光彩の明るさを得る。これは三つの徳が成ったものではないか。己を虚しくして物を受け入れ、まだ来ないものを迎えず、すでに去ったものを送らず、覆えば隠れ、用いれば現れる。照らして隠すことなく、明らかにして私がなく、磨いてもすり減らず、染めても黒くならず、精錬されて長く続く。用いるにも道があり、しょっちゅういじれば明察に過ぎ、長くしまっておけば錆びる。出す時があり、しまう節度があり、日々新たにして止まない。そうしてこそ明鏡の実質を得られる。天下のすべての鏡はみなそうである。だから人君の心の養い、学ぶ者の自省の助けとするに足りる。外朝の黄帝が神鏡を鋳たこと、武王が鏡の銘を作ったこと、唐の太宗が三つの鑑の戒めを存したこと、玄宗が水心の鏡を珍しがったことは、考えてみるべきである。しかし大神の宝鏡は、どうしてこれらの類であろうか。聖主が慎んで神勅を守り、霊鏡の徳を宗とすれば、ゆったりと広がって、神は常にいまし、徳は日々新たになる。ただ天威を目の前に違えないというだけでなく、座にあり食事の時に、羹や垣に見える(堯の死後、舜が堯の姿を羹や垣に見たという故事のように)ほどに思い続けるのである。(以上、往古の神勅。)

解説

高皇産霊尊が神々に問うて葦原中国平定の使者を選ぶ話と、天照太神が宝鏡を授ける神勅を並べた章句です。素行は前者から、長所短所を持つ人に問い、衆議を容れる好問の道を、後者から、鏡を視るように祖の教えを忘れぬ敬いを読みます。三年報告しない使者を替えて粘り強く人選する姿は、記述としては神話ですが、人事の失敗を引きずらない教えにもなります。現代の管理職も、現場の声を聞く問い方と、理念を日々見直す習慣の双方が、判断の質を支えます。
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この章句が説くこと

高皇産霊尊問学好問人選宝鏡の神勅当猶視吾

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