中朝事実 / 中國章・中国の称と神武帝の東征・都の選び方
皇祖高皇產靈尊。遂欲立皇孫天津彥彥火瓊瓊杵尊。以爲葦原中國之主。 謹按。是以本朝爲中國之謂也。先是天照太神在於天上曰。聞葦原中國有保食神。然則中國之稱自往古既有此也。凡人物之生成。一日未曾不襲水土。故生成平易之土者。禀平易之氣。而性情自平易也。生成險難之土者。禀險難之氣。而性情堪危險。豈唯人而已乎。鳥獸草木亦然。是所以五方之民皆有性而異其俗也。蓋中有天之中。有地之中。有水土人物之中。有時宜之中。故外〔羅歟〕朝有服于土中之說。迦維有天地之中也言。南人亦曰得天中。愚按。天地之所運。四時之所交。得其中。則風雨寒暑之會不偏。故水土沃而人物精。是乃可稱中國。萬邦之衆。唯本朝及外朝得其中。而本朝神代既有天御中主尊。二神建國中柱。則本朝之爲中國。天地自然之勢也。神神相生。聖皇連綿。文武事物之精秀。實以相應。是豈誣稱之乎。 神武帝繼神代之迹。都日向國宮崎宮。曰。東有美地。靑山四周。彼地必當足以恢弘天業光宅天下。蓋六合之中心乎。遂東征初平中州。觀大倭國畝傍山東南橿原地。經始帝宅。 謹按。運屬鴻荒。時鍾草昧。蚰龍鳥蟲得其處。異人分疆陵躒。唯此西邊可以治。故天孫先降此。多歷年。以養正。逮神武帝。王澤既霑。當足恢弘天業光宅天下。故有此東征。始擴中州之實。蓋西者金。東者木。自西及東者。征伐之相剋也。自東及西者。化育之相生也。左旋右行。乃天地日月五行之道。至誠無息也。聖皇之征治。乾坤可以法也。或疑。二神以磤馭廬島爲國中之柱。廼生大日本。然乃天孫之降何在西偏乎。愚竊謂。是以末季之俗意。量上古之靈神。甚涉意見臆說也。神聖之道悠久。而其功成。先因其易而建其極。考其過化而洪其業。故其成也久。其根本也固。實萬世不拔之大基。博厚配地。高明配天。悠久無疆也。二神爲國中之柱者。大日本所以可爲中州之言也。二神之聖。既鑑萬世。以此洲爲中國。以天孫主此洲。其天鑒巍巍乎哉。
新字:皇祖高皇産霊尊。遂欲立皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊。以為葦原中国之主。 謹按。是以本朝為中国之謂也。先是天照太神在於天上曰。聞葦原中国有保食神。然則中国之称自往古既有此也。凡人物之生成。一日未曽不襲水土。故生成平易之土者。禀平易之気。而性情自平易也。生成険難之土者。禀険難之気。而性情堪危険。豈唯人而已乎。鳥獣草木亦然。是所以五方之民皆有性而異其俗也。蓋中有天之中。有地之中。有水土人物之中。有時宜之中。故外〔羅歟〕朝有服于土中之説。迦維有天地之中也言。南人亦曰得天中。愚按。天地之所運。四時之所交。得其中。則風雨寒暑之会不偏。故水土沃而人物精。是乃可称中国。万邦之衆。唯本朝及外朝得其中。而本朝神代既有天御中主尊。二神建国中柱。則本朝之為中国。天地自然之勢也。神神相生。聖皇連綿。文武事物之精秀。実以相応。是豈誣称之乎。 神武帝継神代之迹。都日向国宮崎宮。曰。東有美地。青山四周。彼地必当足以恢弘天業光宅天下。蓋六合之中心乎。遂東征初平中州。観大倭国畝傍山東南橿原地。経始帝宅。 謹按。運属鴻荒。時鍾草昧。蚰竜鳥虫得其処。異人分疆陵躒。唯此西辺可以治。故天孫先降此。多歴年。以養正。逮神武帝。王沢既霑。当足恢弘天業光宅天下。故有此東征。始擴中州之実。蓋西者金。東者木。自西及東者。征伐之相剋也。自東及西者。化育之相生也。左旋右行。乃天地日月五行之道。至誠無息也。聖皇之征治。乾坤可以法也。或疑。二神以磤馭廬島為国中之柱。廼生大日本。然乃天孫之降何在西偏乎。愚窃謂。是以末季之俗意。量上古之霊神。甚渉意見臆説也。神聖之道悠久。而其功成。先因其易而建其極。考其過化而洪其業。故其成也久。其根本也固。実万世不抜之大基。博厚配地。高明配天。悠久無疆也。二神為国中之柱者。大日本所以可為中州之言也。二神之聖。既鑑万世。以此洲為中国。以天孫主此洲。其天鑒巍巍乎哉。
書き下し
皇祖高皇産霊尊、遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて、以て葦原中国の主と為さんと欲す。 謹んで按ずるに、是れ本朝を以て中国と為すの謂なり。是より先、天照太神、天上に在して曰く、葦原中国に保食神有りと聞く、と。然れば則ち中国の称は、往古より既に此れ有るなり。凡そ人物の生成は、一日として未だ曾て水土を襲わずんばあらず。故に平易の土に生成すれば、平易の気を禀けて、性情自ら平易なり。険難の土に生成すれば、険難の気を禀けて、性情危険に堪う。豈に唯だ人のみならんや。鳥獣草木も亦た然り。是れ五方の民、皆な性有りて其の俗を異にする所以なり。蓋し中に、天の中有り、地の中有り、水土人物の中有り、時宜の中有り。故に外〔羅か〕朝に土中に服するの説有り、迦維に天地の中なりとの言有り、南人も亦た天の中を得たりと曰う。愚按ずるに、天地の運る所、四時の交わる所、其の中を得れば、則ち風雨寒暑の会偏らず、故に水土沃にして人物精なり。是れ乃ち中国と称すべし。万邦の衆、唯だ本朝及び外朝のみ其の中を得たり。而して本朝は神代に既に天御中主尊有り、二神国中の柱を建つ。則ち本朝の中国たること、天地自然の勢いなり。神神相生まれ、聖皇連綿として、文武事物の精秀、実に以て相応ず。是れ豈に誣称ならんや。 神武帝、神代の迹を継ぎ、日向国の宮崎宮に都す。曰く、東に美地有り、青山四周せり。彼の地は必ず以て天業を恢弘し、天下に光宅するに足るべし。蓋し六合の中心か、と。遂に東征して初めて中州を平らげ、大倭国の畝傍山の東南、橿原の地を観て、帝宅を経始す。 謹んで按ずるに、運は鴻荒に属し、時は草昧に鍾る。蚰龍鳥虫は処を得、異人は疆を分かちて陵躒す。唯だ此の西辺のみ以て治むべし。故に天孫先ず此に降り、多くの年を歴て、以て正を養う。神武帝に逮び、王沢既に霑い、当に天業を恢弘し天下に光宅するに足るべし。故に此の東征有り、始めて中州の実を拡ぐ。蓋し西は金、東は木なり。西より東に及ぶは、征伐の相剋なり。東より西に及ぶは、化育の相生なり。左旋右行は、乃ち天地日月五行の道、至誠息む無きなり。聖皇の征治は、乾坤以て法るべし。或ひと疑う、二神磤馭廬島を以て国中の柱と為し、廼ち大日本を生む。然れば乃ち天孫の降、何ぞ西偏に在るや、と。愚竊かに謂えらく、是れ末季の俗意を以て、上古の霊神を量るなり。甚だ意見臆説に渉るなり。神聖の道は悠久にして、其の功成る。先ず其の易きに因りて其の極を建て、其の過化を考えて其の業を洪にす。故に其の成るや久しく、其の根本や固し。実に万世不抜の大基なり。博厚は地に配し、高明は天に配し、悠久にして疆り無し。二神の国中の柱と為すは、大日本の中州と為すべき所以の言なり。二神の聖、既に万世に鑑みて、此の洲を以て中国と為し、天孫を以て此の洲に主たらしむ。其の天鑑の巍巍たるかな。
現代語訳
皇祖の高皇産霊尊は、ついに皇孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて、葦原中国の主にしようと考えた。 素行はこう考える。これは本朝を中国としたという意味である。これより前に、天照太神が天上で、葦原中国に保食神がいると聞く、と述べた。それならば中国という呼び名は、遠い昔からすでにあったのである。そもそも人や物の生成は、一日として風土を受けないことはない。だから穏やかな土地に生まれれば穏やかな気を受けて、性情も自然に穏やかになる。険しい土地に生まれれば険しい気を受けて、性情も危険に耐える。人だけではない。鳥獣草木も同じである。これが各地の人々が性質を持ち、風俗を異にする理由である。思うに、中には、天の中、地の中、風土や人物の中、時宜の中がある。だから外朝(中国)には「土中に服す」という説があり、迦維(インド)には天地の中であるという言葉があり、南方の人もまた天の中を得たと言う。私が考えるに、天地の運行や四季の交わりがその中を得れば、風雨寒暑の巡りが偏らず、だから風土は肥沃で人物は優れている。これが中国と称すべきものである。万国の中で、ただ本朝と外朝だけがその中を得ている。そして本朝は神代にすでに天御中主尊がいて、二神が国中の柱を建てた。であれば本朝が中国であることは、天地自然の勢いである。神々が次々に生まれ、聖なる皇が連綿と続き、文武や事物の精秀が実際に対応している。これがどうして偽りの称であろうか。 神武帝は神代の事跡を継ぎ、日向国の宮崎宮に都していた。そして言った。東に美しい地があり、青山が四方を囲んでいる。その地は必ず天業を広め、天下に光り満ちるのにふさわしいであろう。おそらく世界の中心であろう、と。ついに東征してはじめて中州を平らげ、大倭国の畝傍山の東南の橿原の地を見て、帝の住まいの造営を始めた。 素行はこう考える。時代は混沌とし、草創の時であった。蛟龍や鳥虫は所を得、異人は境を分けて争った。ただこの西辺だけが治めることができた。だから天孫がまずここに降り、長い年月を経て正を養った。神武帝に至って、王の恵みはすでに行き渡り、天業を広め天下に光り満ちるにふさわしくなった。そこでこの東征があり、初めて中州の実を広げた。思うに、西は金、東は木である。西から東へ及ぶのは、征伐の相剋である。東から西へ及ぶのは、化育の相生である。左に旋り右に行くのは、天地日月五行の道であり、至誠が休みないことである。聖皇の征討と統治は、天地がこれを手本とすべきものである。ある人が疑う。二神が磤馭廬島を国中の柱とし、大日本を生んだのなら、天孫の降臨がなぜ西のはずれなのか、と。私はひそかに言う。これは末世の俗な考えで上古の霊神をはかるものであり、甚だしく私見や憶説に偏っている。神聖の道は悠久であり、その功は成る。まずそのたやすいところに拠って基準を建て、教化の及んだ跡を考えて事業を大きくする。だからその成就は久しく、根本は堅固である。まことに万世抜けない大基である。博く厚いことは地に並び、高く明るいことは天に並び、悠久で限りがない。二神が国中の柱としたのは、大日本が中州であるべき理由を述べた言葉である。二神の聖は、すでに万世を見通して、この洲を中国とし、天孫をこの洲の主とした。その天の鑑の高大なことよ。
解説

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『中朝事実』皇統章・神武天皇の即位と三綱・皇統無窮の論神日本磐余彦天皇、諱は彦火火出見。彦波瀲武鸕鷀葺不合尊の第四子なり。年四十五歳に及び、諸兄及び子等に謂いて曰く、昔、我が天神高皇産霊尊・大日孁尊、此の豊葦原瑞穂国を挙げて、我が天祖彦火瓊瓊杵尊に授けたまえり。是に於いて火瓊瓊杵尊、天関を闢き、雲路を披き、駈山躍りて以て戻止る。是の時、運は鴻荒に属し、時は草昧に鍾る。故に蒙にして以て正を養い、此の西偏を治めたまう。皇祖・皇考、乃ち神、乃ち聖、慶を積み暉を重ね、多くの年所を歴たり。天祖の降跡より以逮、今に于りて一百七十九万二千四百七十余歳なり。而して遼邈の地、猶お未だ王沢に霑わず。遂に邑に君有り、村に長有りて、各おの自ら疆を分かち、用て相凌躒せしむ。抑も又た塩土老翁に聞く、東に美地有り、青山四周せり。其の中に亦た天磐船に乗りて飛び降る者有り、と。余謂えらく、彼の地は必ず以て天業を恢弘し、天下に光宅するに足るべし、蓋し六合の中心か、と。遂に東征して中州を定む。 謹んで按ずるに、是れ人皇、中州を平らげ、天祖の降跡を続ぐの始めなり。 辛酉春正月庚辰朔、天皇、帝位に大倭州の橿原宮に即く。是の歳を天皇元年と為す。正妃を尊びて皇后と為す。皇子神淳名川耳尊を立てて皇太子と為す。 謹んで按ずるに、是れ天皇即位の始めなり。初め天神、磤馭廬島を以て国中の柱と為し、分巡りて国柱す。天孫は浮渚の平処に立ち、宮殿を立つ。皆な後世の即位の意なり。洪濛の間、悠久にして以て正を養う。帝は明達大雄にして、善く乾霊の志を継ぎ、善く皇孫の事を述ぶ。一たび戎衣して東方服す。故に人皇の洪基を建て、即位の大礼を開く。蓋し即位とは何ぞ。天子、大宝の位に即くなり。人君、天を継ぎ極を建て、万国以て朝し、元元以て仰ぎ、四海始めて知る。天子の以て崇ぶべき、明徳を中州に明らかにするの義を。即位の大礼は、人君、綱紀を其の始めに正す。豈に忽せにすべけんや。是れより代代の聖主、各おの此の儀を正殿に行う。〔大極殿、朝堂殿と謂う、是れなり。〕大臣、左右に扶翼す。〔大神勅す、天児屋命・太玉命、惟れ爾二神も亦た同じく殿内に侍いて、善く防護を為せ、と。是れ其の義なり。〕百官、囲み護りて、以て天儀を奉拝す。外国の所謂る正月元日、舜、文祖に格る、是れなり。元とは始めなり、本なり。元年とは即位の初年にして、根本を此に深くして傾かず抜けざるの謂なり。〔此の時既に暦数紀年有り。店暦本とは、百済の釈観勒、推古十年之を献ず。〕皇后を立つるとは、男女の別を正し、嫡媵の辨を明らかにし、廃奪の失を懲らすなり。太子を建つとは、〔神武帝の四十二年に在り。〕父子の親を著し、嫡庶の分を厳にし、宗廟の統を固くするなり。故に人君、即位の礼を厳にして後、天下の君臣其の分定まる。后妃の道を重くして後、天下の男女其の別正し。建立の法を定めて後、天下の父子親しむ。三者は人の大倫なり。三綱立ち行わるれば、則ち身修まり家斉い、治平の功、坐して以て俟つべし。帝、皇極を人皇の始めに建て、規模を万世の上に定む。而して中国明らかに三綱の遺すべからざるを知る。故に皇統一たび立ちて、億万世襲いて変ぜず。天下皆な正朔を受けて其の時を貳つにせず、万国王命を禀けて其の俗を異にせず。三綱終に沈淪せず、徳化塗炭に陥らず。異域の外国、豈に企望すべけんや。夫れ外朝は姓を易うること殆ど三十姓。戎狄入りて王たること数世。春秋二百四十余年、臣子其の国君を弑する者二十又五。況んや其の先後の乱臣賊子は枚挙すべからず。朝鮮は箕子命を受けて以後、姓を易うること四氏、其の国を滅ぼして或いは郡県と為し、或いは高氏滅絶すること凡そ二世。彼の李氏の二十八年の間、王を弑する者四。況んや其の先後の乱逆は禽獣の相残うに異ならず。唯だ中国は開闢より人皇に至るまで、二百万歳に垂とし、人皇より今日に迄るまで二千三百歳を過ぐ。而して天神の皇統は竟に違わず。其の間の弑逆の乱は、指を屈して数うべからず。況んや外国の賊は竟に吾が辺藩を窺うを得ざるをや。後白河帝の後、武家執権すること既に五百又た余年。其の間、未だ嘗て利皆長距以て擅場を得、冠猴封豕、縦火秋蓬の類無くんばあらず。而も猶お王室を貴び君臣の儀を存す。是れ天神人皇の知徳縣象著明にして、没世忘るべからざるなり。其の過化の功、綱紀の分、然く悠久に然く無窮なる者は、至誠より流出するなり。三綱既に立てば、則ち条目の著るる、治政の極致に在り。凡そ八紘の大、外国の汎、中州皇綱の化に如くは無し。文武の功、其の至徳、豈に大ならずや。〔以上、人皇の即位。〕 以上、皇統の無窮を論ず。謹んで按ずるに、天下とは神器にして、人君とは人物の命を繋ぐ者なり。其の与授の間、豈に一人の私を存せんや。皇統の初め、天神以て之を授け、天孫以て之を受く。然れば乃ち其の知徳、天地に愧じずして後、神器の与授と謂うべし。凡そ天は言わず、人之に代わりて言う。天下の人仰ぎ帰すれば、則ち天之に命ずるなり。天下の帰仰する所、更に他に非ず。唯だ天祖眷眷の命に在るのみ。
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『中朝事実』中國章・秋津洲の国土と外朝との比較論神武帝三十有一年夏四月乙酉朔、皇輿巡幸す。因りて腋上の嗛間丘に登りて、国の状を廻望して曰く、妍しきかな、国を獲つること。〔妍しきかな、此れを婀奈珥夜と云う。〕内木綿の真迮き国と雖も、猶お蜻蛉の臀呫の如し、と。是れに由りて始めて秋津洲の号有り。昔、伊弉諾尊、此の国を目して曰く、日本は浦安の国、細戈の千足る国、磯輪上の秀真国、と。〔秀真国、此れを袍図莽勾爾と云う。〕復た大巳貴大神目して曰く、玉牆の内つ国、と。饒速日命、天磐船に乗りて、太虚を翔行り、是の郷を睨て降りたまうに及びて、故に因りて目して曰く、虚空見つ日本の国、と。 謹んで按ずるに、本朝の地、形は長く広く〔東西を広と曰う〕短く袤〔南北を袤と曰う〕、西上東下、皆な豊大なり。艮の位を背にして離の明に向かう。蜻蛉の臀呫に象る。洋海四方を廻り、唯だ西方少しく外域の舶を寄すべきも、襲来の畏れ無し。故に浦安国・玉牆内国と称す。是れ内木綿の真迮き国なり。其の形戈の如くにして、品物備わらざる無し。尤も秀精の地なり。故に細戈の千足る国・磯輪上の秀真国と曰う。帝曰く、妍しきかな、国を獲つること、と。噫、大なるかな。蓋し国の地に在る、枚挙すべからず。而して其の文物は古今称する所、外朝を以て宗と為し、日本・朝鮮之に次ぐ。愚竊かに考うるに、惟れ四海の間、唯だ本朝と外朝とのみ、共に天地の精秀を得て、神聖其の機を一にす。而して外朝も亦た未だ本朝の秀真なるに如かず。凡そ外朝は其の封疆太だ広く、四夷に連続し、封域の要無し。故に藩屏屯戍甚だ多く、其の約を守るを得ず。失の一なり。近く四夷に迫る。故に長城要塞の固め、世世人民を労す。失の二なり。守戍の徒、或いは狄に通じて難を構え、或いは狄に奔りて其の情を泄らす。失の三なり。匈奴・契丹・北虜、其の釁を窺い易く、数しば以て劫奪す。其の失の四なり。終に其の国を削り、其の姓を易え、而して天下左衽す。大いなる失の五なり。況んや河海遠くして、魚蝦の美・運転の利給せず。故に人物も亦た其の俗を異にす。牛羊を啖らい、毳裘を衣、榻床に坐するが如き、以て之を見るべし。況んや朝鮮は蕞爾たるをや。独り本朝のみ、天の正道に中し、地の中国を得、南面の位を正し、北陰の険を背にし、西を上とし東を下とし、前は数洲を擁して河海を利し、後ろは絶峭に拠りて大洋を望む。州ごとに悉く運漕の用有り。故に四海の広きも猶お一家の約の如く、万国の化育は天地の正位に同じ。竟に長城の労無く、戎狄の膺つこと無し。況んや鳥獣の美、林木の材、布縷の巧、金木の工、備わらざる無し。聖神の称美の嘆、豈に虚ならんや。昔、胡元の世祖、外朝を奪い、其の勢いに乗じて本朝を撃つ。大兵悉く敗れ、彼の地に帰る者僅かに三人。其の後、元主しばしば窺えども我が藩籬を侵すを得ず。況んや高麗・新羅・百済は皆な本朝の藩臣なるをや。聖神の太虚を翔行り、是の郷を睨て降りたまうこと、最も宜なるかな。〔後漢書に曰く、太倭王は耶麻台に居る、と。唐東夷伝に曰く、日本は古の倭奴なり、と。〕〔是れ皆な商賈販人の言に因りて、其の事を記す。故に以て証とするに足らず。〕〔以上、本朝の水土を論ず。〕
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『中朝事実』中國章・四道将軍と国郡の区分・都の選定崇神帝十年七月、群卿を選びて四方に遣わす。同年十月、四道将軍に命じて、以て戎夷を平らぐるの状を奏せしむ。 謹んで按ずるに、是れ中国に四道を分かつの始めなり。此の時、王化未だ習わず。故に此の命有り。 成務帝五年秋九月、山河を隔てて国県を分かち、阡陌に随いて邑里を定む。因りて東西を以て日縦と為し、南北を日横と為し、山陽を影面と曰い、山陰を背面と曰う。是れを以て百姓安居し、天下事無し。 謹んで按ずるに、是れ中国に国境を分かち諸道を定むるの始めなり。蓋し景行帝五十五年、彦狭島王を以て東山道十五国の都督に拝す。則ち東山道等の名は既に前朝に在り。〔崇峻帝二年、東山・北陸・東海の観察使有り。此の時、或いは七道を定むるか。孝徳帝に及び、新式を定めて、始めて五畿七道の制有り。〕凡そ村里は以て県を統べ、県は以て郡を統べ、郡は以て国を統べ、国は以て道を統ぶ。是れ一より十に迄り、十より一に帰す。猶お身の臂を使い、臂の指を使うがごとし。一元気、四支百骸を周還す。故に天下の大、四海の遠きも、王化通ぜざる無く、正朔受けざる無きなり。王畿は七道の宗とする所なり。幾内は王室の小天下なり。幾内の制明らかなれば、則ち七道風に随いて正し。是れ乃ち北辰の其の所に居て衆星之に共うなり。聖帝、水土の制を詳らかにし、百姓安居し、天下事無く、万世之に因りて損益す。帝の功、亦た大ならずや。〔以上、道境を分かつの始めを論ず。〕 神武帝東征の己未の年、令を下して曰く、当に山林を披き払い、宮室を経営して、恭みて宝位に臨み、以て元元を鎮むべし。上は則ち乾霊の国を授けたまいし徳に答え、下は則ち皇孫の正を養いたまいし心を弘めん。然る後に六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩いて宇と為さんこと、亦た可ならずや。夫の畝傍山〔畝傍山、此れを宇禰縻夜摩と云う。〕の東南、橿原の地を観れば、蓋し国の墺区か。治むべし、と。即ち有司に命じて帝都を経始せしむ。 先人曰く、帝、神代の迹を継ぎ、日向国の宮崎宮に都す、と。 謹んで按ずるに、是れ中州に都を営むの初めなり。墺区は猶お最中と言うがごとし。〔墺は、四方の土の居るべきなり。区は、物の止まり蔵むべきなり。〕蓋し帝は天下の蒼生を平章するを以て大任と為し、深く思い切に謀りて、天帝授命の重きを守り、天孫悠久の業を開く。遂に東征して以て中州を制し、始めて都宮の地を議し、後世の規を建て、以て万万世に永祚せんとす。此の後、国勢富庶にして、人物日に盛んなり。而して代代遷都有り。元明帝に至り、都を平城に遷し、以て七代の聖風を揚ぐ。桓武帝に終わりて、先聖の成烈を篤くし、億民の止まる所を安んぜんと欲し、天の休を敬し、人の順を致す。詔して新都の地を視しめ、惟れ土は中を以てし、惟れ卜は食を以てし、惟れ民は興るを以てす。故に大命庶官、以て土中に服す。都を山州の平安城に遷し、明徳を万億世に振るう。是れ乃ち神武帝の墺区の実なり。古人云う、都を遷すの君は皆な復た振るわず、と。中州の遷都、豈に夫れ然らんや。夷狄の害に違るるに非ず、盗劫の難を畏るるに非ず。唯だ富庶世に充ちて、土壌給せず。故に遷都日に振い、国勢彌いよ張るなり。夫れ京師は四方の極たること、猶お紫宮の周天の極たるがごとし。其の都邑を選ぶや、其の中に非ざれば乃ち其の実を得ず。所謂る中とは精秀の気、天地以て位し、四時違わず、陰陽惟れ中、寒暑過ぎず、人民以て止まり、万物以て聚まり、礼義惟れ立ち、武徳以て行わるるなり。而して後に墺区と称すべし、土中と謂うべし。本朝は始めて中柱・中国の号有り。況んや神武帝の中州に都を制し墺区に都するをや。共に皆な其の精秀を得たり。平安城に及び、選びの極、中の至りなり。一に神聖立国の道に帰す。故に時序正しくして寒暑過ぎず、土壌膏沃にして人物文章あり。中州・中華の名実相い斉し。建都の制大いに備わる。是れ乃ち墺区の生成なり。〔以上、都邑を建つるの始め。〕
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『中朝事実』中國章・豊葦原瑞穂国と大八洲・日本の名天神、伊弉諾尊・伊弉冊尊に謂いて曰く、豊葦原の千五百秋の瑞穂の地有り、宜しく汝往きて循るべし、と。廼ち天瓊戈を賜う。〔瓊は玉なり。此れを努と云う。〕 一書に曰く、豊葦原の千五百秋の瑞穂国とは、大八洲未だ生れざる以前に、已に此の名有りて、形相無し。強いて其の形を字して天瓊矛と為すものなり。大八洲国とは、即ち瓊矛の成す所なり。其の中心を大日本日高見と号す。大日本と名づくるは、大日孁貴の降霊に由る、故に此の名有り、と。 謹んで按ずるに、是れ本朝の水土の始めを謂う。初めより既に此の称有らば、則ち其の水土の美は議せずして知るべし。蓋し豊とは庶富の言なり。葦原とは草昧の称なり。千五百とは衆多の義なり。秋瑞穂とは百穀盛熟の意なり。天神の霊は通ぜざる無し。故に水土の沃壌、人物の庶富を知り、教化以て施すべし。夫れ其の機を知るの謂か。二神之に従い、以て其の功を遂ぐ。其の繁、全て天神に在るなり。懿なるかな本朝開闢の義、悉く神聖の霊に因る。是れ乃ち実に天の授け人の与するなり。故に皇統は億兆の系有りて、終に天壌と窮まり無し。 伊弉諾尊・伊弉冊尊、磤馭廬島を以て国中の柱と為し、廼ち大日本〔日本、此れを耶麻騰と云う。〕豊秋津洲を生み、始めて大八洲国の号を起こす。〔耶麻止、又野馬台、又耶麻堆、皆同じ。〕 謹んで按ずるに、磤馭廬島とは自ら凝る島なり。独立して倚らざるの称を言う。〔磤馭廬とは自ら凝るの辞なり。〕二神、天浮橋の上に立ち、天の瓊矛を以て指し下して探る。是に滄溟を獲たり。其の矛の鋒より滴瀝する潮、凝りて一島と成る。是れなり。国中とは中国なり。柱とは建ちて抜けざるの称、恒久にして変ぜざるなり。大とは相対無きなり。日とは陽の精明にして惑わざるの称。本とは根を深くし蒂を固くするなり。〔或いは曰く、大日孁貴の霊降る所の地なり、故に此の号有り、と。〕豊とは盛大の称。秋津とは其の形に象るなり。〔蜻蛉を此れ秋津と曰う。〕大八洲とは、其の始め八洲を生むなり。所謂る土は陰の精、八は陰の極数にして、八方を統ぶるの義なり。〔後世、天下を分けて五畿七道と為すは、乃ち八洲の義に合う。〕蓋し是れ本朝生成の初めなり。凡そ地に洲有るは、猶お天に星有るがごとし。地は乃ち一陰水の相積み、其の間に洲島の相顕るること、天の積気の裏に星宿の相著くが如し。其の洲、或いは連続して其の域を異にし、或いは相独立して其の洲を異にす。本朝は唯だ洋海に卓爾として、天地の精秀を禀け、四時違わず、文明以て隆んに、皇統終に断たず。其の名実相応ず、併せ考うべし。日本を以て耶麻騰と号するは、猶お山迹と言うがごとし。上古の人民、穴居野処し、専ら山に凭りて営窟と為す。故に人迹山に在り。神武帝東征の日、其の山迹の多きに因りて、以て州を建て、都邑を設く。乃ち耶麻騰と称号す。今の倭州是れなり。此れより耶麻止を以て天下の通称と為す。〔神武帝は大倭洲より起こるなり。外国の猶お夏・殷・周と称するがごとし。〕或いは倭国と曰い、或いは倭奴国と曰うは、猶お吾が国と曰うがごとし。〔吾を此れ倭と曰う。国は之を知らず。〕〔倭奴と曰うは、倭の音を以て仮用す。外より字義を以て論説するは、尤も差謬なり。〕竊かに按ずるに、其の耶麻止と称するは、神武帝朝已後に、史書追って称呼するなり。〔神武帝紀に曰く、始めて秋津洲の号有り、と。然れば乃ち秋津も亦た追称なり。〕