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中朝事実 / 中國章・宮殿の起こりと平安宮の制

伊弉諾尊・伊弉冊尊。降居磤馭廬島。化作八尋之殿。又化竪天柱。 謹按。是天神宮殿之始也。今其制不可言。八者四方四隅之數。天者人物之所法也。能詳其實。則萬世之規制又始于此也。 神武帝辛酉。於畝傍之橿原也。太立宮柱於底磐之根。峻峙搏風於高天之原。 一書曰。神武帝建都橿原。經營帝宅。仍令天富命。〔太玉命之孫。〕率手置帆負彥狹知二神之孫。以齋斧齋鉏始採山材。構立正殿。所謂底都磐根宮柱〔布都之利〕立高天乃原搏風高之排皇孫命乃美豆乃御殿造奉仕也。故其裔今在紀伊國名草郡御木麁香二鄕。〔採材齋部所居。謂之御木。造殿齋部所居。謂之麁香。〕 謹按。是人皇宮殿之始也。此時去荒濛之世未遠。唯構正殿。以象神代之天柱。始萬世之洪基也。凡宮者室也。殿者堂之高大。屋之嚴正也。人必有居。有居則未嘗無宮殿。況人君乎。況帝居乎。既有宮殿。則不無制度。故經始之營。上正天時以象文明。下隨水土以量豐約。中考百世以模聖賢。匪樸匪斷。去泰去甚。折中以儀形當時。垂示萬代。是乃天神天柱之實乎。蓋中州代代之經營。專簡樸。而盡力於溝洫。唯有大極殿・大安殿之名。是乃宮殿也。〔大極殿以臨朝。大安殿以宴群臣。是宮與殿也。〕桓武帝遷都於平安城。牢籠先王。鑒察異域。大張規模。造新門。營新宮。名其門。題金榜。〔釋弘法。橘逸勢。野道風。藤行成。書其字。〕名其殿以嘉言。前殿曰紫宸。其制肖外朝之明堂。乃饗萬國朝諸侯之所〔秦漢曰前殿。周曰明堂。路寢。以帝居象天之紫宮。〕也。又曰南殿。天子負扆南嚮以聽政之義也。中殿曰清涼。常宸居所。又曰御殿。平生宴遊之所也。後殿曰貞觀。乃后宮也。此外宮殿・堂樓・院閣。丹墀靑瑣。金鋪玉屝〔音俟。砌也。〕井欄綺窓。無不盡善盡美。圖以河洛賢聖。而法大舜視古人之象。像以乾坤儀形。而守聖皇立宮柱之太。嚴九重之深邃。披九條之廣路。十二之通門迭洞。十七之寶殿珠聯。以宸儀仰彌高。法座則彌正。彼如事固陋與愛紛奢。不可同日而語之也〔以上制宮城之義。〕

新字:伊弉諾尊・伊弉冊尊。降居磤馭廬島。化作八尋之殿。又化竪天柱。 謹按。是天神宮殿之始也。今其制不可言。八者四方四隅之数。天者人物之所法也。能詳其実。則万世之規制又始于此也。 神武帝辛酉。於畝傍之橿原也。太立宮柱於底磐之根。峻峙搏風於高天之原。 一書曰。神武帝建都橿原。経営帝宅。仍令天富命。〔太玉命之孫。〕率手置帆負彦狭知二神之孫。以斎斧斎鉏始採山材。構立正殿。所謂底都磐根宮柱〔布都之利〕立高天乃原搏風高之排皇孫命乃美豆乃御殿造奉仕也。故其裔今在紀伊国名草郡御木麁香二郷。〔採材斎部所居。謂之御木。造殿斎部所居。謂之麁香。〕 謹按。是人皇宮殿之始也。此時去荒濛之世未遠。唯構正殿。以象神代之天柱。始万世之洪基也。凡宮者室也。殿者堂之高大。屋之厳正也。人必有居。有居則未嘗無宮殿。況人君乎。況帝居乎。既有宮殿。則不無制度。故経始之営。上正天時以象文明。下随水土以量豊約。中考百世以模聖賢。匪樸匪断。去泰去甚。折中以儀形当時。垂示万代。是乃天神天柱之実乎。蓋中州代代之経営。専簡樸。而尽力於溝洫。唯有大極殿・大安殿之名。是乃宮殿也。〔大極殿以臨朝。大安殿以宴群臣。是宮与殿也。〕桓武帝遷都於平安城。牢籠先王。鑒察異域。大張規模。造新門。営新宮。名其門。題金榜。〔釈弘法。橘逸勢。野道風。藤行成。書其字。〕名其殿以嘉言。前殿曰紫宸。其制肖外朝之明堂。乃饗万国朝諸侯之所〔秦漢曰前殿。周曰明堂。路寝。以帝居象天之紫宮。〕也。又曰南殿。天子負扆南嚮以聴政之義也。中殿曰清涼。常宸居所。又曰御殿。平生宴遊之所也。後殿曰貞観。乃后宮也。此外宮殿・堂楼・院閣。丹墀青瑣。金鋪玉屝〔音俟。砌也。〕井欄綺窓。無不尽善尽美。図以河洛賢聖。而法大舜視古人之象。像以乾坤儀形。而守聖皇立宮柱之太。厳九重之深邃。披九条之広路。十二之通門迭洞。十七之宝殿珠聯。以宸儀仰弥高。法座則弥正。彼如事固陋与愛紛奢。不可同日而語之也〔以上制宮城之義。〕

書き下し

伊弉諾尊・伊弉冊尊、降り居しまして磤馭廬島に、八尋の殿を化作し、又た天柱を化竪てたまう。 謹んで按ずるに、是れ天神宮殿の始めなり。今其の制は言うべからず。八は四方四隅の数、天は人物の法る所なり。能く其の実を詳らかにすれば、則ち万世の規制も又た此に始まるなり。 神武帝辛酉、畝傍の橿原に於いて、太く宮柱を底磐の根に立て、峻く搏風を高天の原に峙つ。 一書に曰く、神武帝、都を橿原に建て、帝宅を経営す。仍りて天富命〔太玉命の孫〕をして、手置帆負・彦狭知の二神の孫を率いて、斎斧・斎鉏を以て始めて山材を採り、正殿を構え立てしむ。所謂る底都磐根に宮柱布都之利立て、高天乃原に搏風高之排き、皇孫命乃美豆乃御殿を造り奉仕うるなり。故に其の裔、今紀伊国名草郡の御木・麁香二郷に在り。〔材を採る斎部の居る所、之を御木と謂う。殿を造る斎部の居る所、之を麁香と謂う。〕 謹んで按ずるに、是れ人皇宮殿の始めなり。此の時、荒濛の世を去ること未だ遠からず。唯だ正殿を構え、以て神代の天柱に象り、万世の洪基を始むるなり。凡そ宮とは室なり。殿とは堂の高大にして、屋の厳正なるなり。人必ず居有り、居有れば則ち未だ嘗て宮殿無くんばあらず。況んや人君をや。況んや帝居をや。既に宮殿有らば、則ち制度無くんばあらず。故に経始の営は、上は天時を正して以て文明に象り、下は水土に随いて以て豊約を量り、中は百世を考えて以て聖賢に模す。樸ならず断ならず、泰を去り甚だしきを去り、折中して以て当時に儀形し、万代に垂示す。是れ乃ち天神天柱の実か。蓋し中州代代の経営は、専ら簡樸にして、力を溝洫に尽くす。唯だ大極殿・大安殿の名有るは、是れ乃ち宮殿なり。〔大極殿は以て朝に臨み、大安殿は以て群臣を宴す。是れ宮と殿となり。〕桓武帝、都を平安城に遷し、先王を牢籠し、異域を鑑察し、大いに規模を張る。新門を造り、新宮を営み、其の門に名づけ、金榜を題す。〔釈弘法・橘逸勢・小野道風・藤原行成、其の字を書く。〕其の殿に名づくるに嘉言を以てす。前殿を紫宸と曰う。其の制は外朝の明堂に肖る。乃ち万国を饗し諸侯を朝せしむる所なり。〔秦漢は前殿と曰い、周は明堂・路寝と曰う。帝居を以て天の紫宮に象る。〕又た南殿と曰うは、天子扆を負いて南に嚮いて政を聴くの義なり。中殿を清涼と曰う。常の宸居の所なり。又た御殿と曰う。平生宴遊の所なり。後殿を貞観と曰う。乃ち后宮なり。此の外、宮殿・堂楼・院閣、丹墀青瑣、金鋪玉扉〔音は俟、砌なり。〕井欄綺窓、善を尽くし美を尽くさざる無し。図するに河洛賢聖を以てし、大舜の古人の象を視るに法る。像するに乾坤の儀形を以てし、聖皇の宮柱を立てたまいし太きを守る。九重の深邃を厳にし、九条の広路を披き、十二の通門迭いに洞し、十七の宝殿珠のごとく聯なる。宸儀を以て仰げば彌いよ高く、法座は則ち彌いよ正し。彼の固陋に事え紛奢を愛するが如きは、同日にして語るべからず。〔以上、宮城を制するの義。〕

現代語訳

伊弉諾尊・伊弉冊尊は磤馭廬島に降りて住み、八尋の殿を造り出し、また天の柱を建てた。 素行はこう考える。これは天神の宮殿の始めである。今、その制は説明できない。八は四方四隅の数であり、天は人や物が手本とするところである。その実を詳しくすれば、万世の規制もまたここに始まるのである。 神武帝の辛酉の年、畝傍の橿原において、宮柱を地の底の岩盤の根に太く立て、搏風(屋根の破風板)を高天原にそびえ立たせた。 一書に言う。神武帝は橿原に都を建て、帝の住まいを造営した。そこで天富命(太玉命の孫)に、手置帆負・彦狭知の二神の子孫を率いさせ、斎斧・斎鉏で初めて山の材木を切り出し、正殿を建てさせた。いわゆる「底都磐根に宮柱を布都之利立て、高天乃原に搏風高之を排き、皇孫命の御殿を造り奉仕する」ということである。だからその子孫は今、紀伊国名草郡の御木・麁香の二郷にいる。(材木を切り出す斎部が居る所を御木といい、殿を造る斎部が居る所を麁香という。) 素行はこう考える。これは人皇の宮殿の始めである。この時はまだ混沌の世を去ること遠くなかった。ただ正殿を構えて神代の天柱に象り、万世の大きな基を始めたのである。そもそも宮とは室であり、殿とは堂の高大で、屋の厳正なものである。人は必ず住まいを持ち、住まいがあれば宮殿のようなものがないことはない。まして人君はなおさらであり、帝の居所はなおさらである。宮殿があれば制度がないはずがない。だから造営の始めは、上は天の時を正して文明に象り、下は風土に従って豊かさと質素さをはかり、中は百世を考えて聖賢に手本を取る。質素すぎず華美すぎず、奢りを去り度を超えるのを去り、折衷して当時の模範とし、万代に示す。これが天神の天柱の実であろうか。思うに、中州の代々の経営はもっぱら簡素で、力を溝や水路の整備に尽くした。ただ大極殿・大安殿という名があり、これが宮殿である。(大極殿は朝廷に臨む所、大安殿は群臣に宴を賜う所である。これが宮と殿である。)桓武帝は都を平安城に遷し、先王の事績を包みこみ、異国を観察し、大いに規模を広げた。新しい門を造り、新しい宮を営み、その門に名をつけ、金の額を掲げた。(弘法大師・橘逸勢・小野道風・藤原行成がその字を書いた。)その殿の名には嘉言(めでたい言葉)を用いた。前殿を紫宸という。その制は外朝の明堂に似せ、万国をもてなし諸侯を朝見させる所である。(秦漢では前殿といい、周では明堂・路寝といった。帝の居所を天の紫宮に象る。)また南殿というのは、天子が衝立を背に南に向いて政を聴くという意味である。中殿を清涼という。普段の天子の居所である。また御殿という。日常の宴遊の所である。後殿を貞観という。后宮である。このほか宮殿・堂楼・院閣は、赤い庭石と青い飾り窓、金の金具と玉の扉(扉の音は俟、砌のことである)、井戸の欄干、美しい窓、善を尽くし美を尽くさないものはない。絵には河図洛書や賢聖を描いて大舜が古人の象を見たのに倣い、形は天地の姿にかたどって聖皇が宮柱を立てた太さを守る。九重の奥深さを厳しくし、九条の広い道を開き、十二の通門が互いに通じ、十七の宝殿が珠のように連なる。天子の威儀を仰げばますます高く、玉座はますます正しい。あの粗末な建築に仕え、華美な奢りを愛するのとは、同じ日に語ることはできない。(以上、宮城を制する意義。)

解説

宮殿の起こりを、伊弉諾尊・伊弉冊尊が建てた天柱から神武帝の橿原宮、そして桓武帝の平安宮へとたどる箇所です。素行は、宮殿は住まいであると同時に制度でもあり、質素に過ぎず華美に過ぎず、天の時と風土と歴史を折衷して造るものだと述べます。平安宮の殿舎を外朝の明堂になぞらえて説明する点には、漢籍の知識を日本の制度の説明に用いる素行の姿勢が見えます。現代では、本社や執務空間の設計に当たります。空間は組織が何を大切にしているかを毎日の行動で示す、無言のメッセージになるという点で、読み替えられます。
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この章句が説くこと

宮殿天柱橿原宮大極殿平安宮折衷

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