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中朝事実 / 禮儀章・対等の隣交と属国の別

一書曰。群臣議曰。妹子懈怠。失蕃國表。罪合流刑。具狀聞奏。天王問聖惠太子。太子奏曰。妹子之罪寔不可寬。然修好善隣。妹子之功也。加以隋國使共來。思復如何。天皇大悅免罪。又曰。隋帝書曰。皇帝問倭王云云。天皇問太子曰。此書如何。太子奏曰。天子賜諸侯王書式也。然皇帝之字天下一耳。而用皇字彼有其禮。天皇召太子以下而議答書之辭。太子握筆書之曰。東天皇敬問西皇帝云云。帝謹白不具。〔通鑑綱目集覽曰。隋煬帝大業四季戊辰三月。倭國入貢。倭王遣書曰。日出處天子致書日沒處天子無恙。〕 謹按。是修隣好之始也。隣者何。可以相對也。修好者何。氣候水土人物事義可以好之。可以通之也。同氣相求。同類相應。金終止于山。玉終入于水。各從其類。天之道也。天地之博。宇宙之渺。泛泛乎此州島。唯外國一事義於中華。故修好善隣。猶石水相投。膠漆相入。千載之神聖。一日遇之。萬里之遠波。一葦航之。自是隣交之道大啓。互相聘禮。外朝之經典廣行于世。人人知聖賢之事迹。文字言語之用不乏。大補中國之治平。是風從虎。雲從龍。所以雲行雨施。品物大成也。善隣之時。其資不懿乎。蓋以國之大小則彼大也。以人治之遠近則彼遼也。土地廣。故人物衆庶也。治平遼。故事義無疆。當時初制書。以東天皇敬問西皇帝。唯非太子大手筆。其志氣洪量。能知所以本朝爲中華也。夫外朝其地博而不約。治敎盛則所畫惟泛。守文不明則戎狄據之。吳越荊楚之僭列諸侯。平王之東遷於洛。或割十六州以賂契丹。或退臨安。稱臣於醜虜。皆是所逼於戎狄也。是一大土中畫地築城。以立封域。接境於四夷也。故天下之勢。或袤南北而東西蹙。或東西長而縮南北。或有九州十二州。或以十道二十三路。而經畫不一。王統數易姓。是博而不約之失也。人主治世之來久。治亂盈虛大變。人心悉澆訛。春秋之時去古未遠。而亂臣賊子弑君父。猶薙草。大臣世臣行妖事猶禽獸。是非治道變化微言日隱之失乎。唯中國反之。卓立于巨海。封域自有天險。自神聖繼天立極爾來。四夷竟藩籬亦不得窺。皇統連綿與天壤無窮。況神代之治悠久。人皇之祥永算。今日之澆季。亦尙優於周之末也。〔凡自帝堯至今四千有餘年。自神武帝至今二千三百餘年。自堯至周末殆二千餘年。〕雖言若果澆訛當爲鬼魅。上古者人少而氣淳。治久人多。則氣漓而人澆者。天地之數也。後世誠不及古遠矣。然乃人物亦不厚乎。且往古之神化。人皇之聖治。神勅之明敎。歷世之法令。知仁之行。威武之嚴。何事乏乎外朝。故與彼相對自稱皇帝。修好善隣。更所以不恥之也。或疑。高麗・百濟・新羅之來朝。亦不修好善隣乎。愚謂。新羅王子來朝。任那來貢。旣在崇神・垂仁帝之朝。其後住吉大神賜高麗・百濟・新羅・任那等。譽田天王。及若櫻宮。壹戎衣而各面縛。輿櫬封圖籍降。從指阿利那禮河以誓。請神祇以盟。伏爲飼部。不乾船拖。每歲不絕朝貢。初每國置官家。爲海表之蕃屏。自是歷代以子弟爲質。常朝貢。否乃征伐以懲不逞。然是海外之諸蕃。皆爲中國之屬。唯外朝可以通信而已。諸蕃不足稱隣。中華終不行聘禮於彼地。厚往薄來以柔遠人懷外國耳。或疑外朝亦來聘乎。愚按。推古朝隋煬帝遣文林郞裴世清來聘。天智朝唐客郭務悰等來聘。其書曰。大唐帝敬問日本國天皇。天武朝郭務悰又來聘。

新字:一書曰。群臣議曰。妹子懈怠。失蕃国表。罪合流刑。具状聞奏。天王問聖恵太子。太子奏曰。妹子之罪寔不可寛。然修好善隣。妹子之功也。加以隋国使共来。思復如何。天皇大悦免罪。又曰。隋帝書曰。皇帝問倭王云云。天皇問太子曰。此書如何。太子奏曰。天子賜諸侯王書式也。然皇帝之字天下一耳。而用皇字彼有其礼。天皇召太子以下而議答書之辞。太子握筆書之曰。東天皇敬問西皇帝云云。帝謹白不具。〔通鑑綱目集覧曰。隋煬帝大業四季戊辰三月。倭国入貢。倭王遣書曰。日出処天子致書日没処天子無恙。〕 謹按。是修隣好之始也。隣者何。可以相対也。修好者何。気候水土人物事義可以好之。可以通之也。同気相求。同類相応。金終止于山。玉終入于水。各従其類。天之道也。天地之博。宇宙之渺。泛泛乎此州島。唯外国一事義於中華。故修好善隣。猶石水相投。膠漆相入。千載之神聖。一日遇之。万里之遠波。一葦航之。自是隣交之道大啓。互相聘礼。外朝之経典広行于世。人人知聖賢之事迹。文字言語之用不乏。大補中国之治平。是風従虎。雲従竜。所以雲行雨施。品物大成也。善隣之時。其資不懿乎。蓋以国之大小則彼大也。以人治之遠近則彼遼也。土地広。故人物衆庶也。治平遼。故事義無疆。当時初制書。以東天皇敬問西皇帝。唯非太子大手筆。其志気洪量。能知所以本朝為中華也。夫外朝其地博而不約。治教盛則所画惟泛。守文不明則戎狄拠之。呉越荊楚之僭列諸侯。平王之東遷於洛。或割十六州以賂契丹。或退臨安。称臣於醜虜。皆是所逼於戎狄也。是一大土中画地築城。以立封域。接境於四夷也。故天下之勢。或袤南北而東西蹙。或東西長而縮南北。或有九州十二州。或以十道二十三路。而経画不一。王統数易姓。是博而不約之失也。人主治世之来久。治乱盈虚大変。人心悉澆訛。春秋之時去古未遠。而乱臣賊子弑君父。猶薙草。大臣世臣行妖事猶禽獣。是非治道変化微言日隠之失乎。唯中国反之。卓立于巨海。封域自有天険。自神聖継天立極爾来。四夷竟藩籬亦不得窺。皇統連綿与天壤無窮。況神代之治悠久。人皇之祥永算。今日之澆季。亦尚優於周之末也。〔凡自帝堯至今四千有余年。自神武帝至今二千三百余年。自堯至周末殆二千余年。〕雖言若果澆訛当為鬼魅。上古者人少而気淳。治久人多。則気漓而人澆者。天地之数也。後世誠不及古遠矣。然乃人物亦不厚乎。且往古之神化。人皇之聖治。神勅之明教。歴世之法令。知仁之行。威武之厳。何事乏乎外朝。故与彼相対自称皇帝。修好善隣。更所以不恥之也。或疑。高麗・百済・新羅之来朝。亦不修好善隣乎。愚謂。新羅王子来朝。任那来貢。既在崇神・垂仁帝之朝。其後住吉大神賜高麗・百済・新羅・任那等。誉田天王。及若桜宮。壱戎衣而各面縛。輿櫬封図籍降。従指阿利那礼河以誓。請神祇以盟。伏為飼部。不乾船拖。毎歳不絶朝貢。初毎国置官家。為海表之蕃屏。自是歴代以子弟為質。常朝貢。否乃征伐以懲不逞。然是海外之諸蕃。皆為中国之属。唯外朝可以通信而已。諸蕃不足称隣。中華終不行聘礼於彼地。厚往薄来以柔遠人懐外国耳。或疑外朝亦来聘乎。愚按。推古朝隋煬帝遣文林郎裴世清来聘。天智朝唐客郭務悰等来聘。其書曰。大唐帝敬問日本国天皇。天武朝郭務悰又来聘。

書き下し

一書に曰く、群臣議して曰く、妹子懈怠して、蕃國の表を失ふ。罪、流刑に合ふ。具さに狀して聞奏す。天王、聖惠太子に問ふ。太子奏して曰く、妹子の罪は寔に寬すべからず。然れども好を修め隣を善くするは、妹子の功なり。加ふるに隋國の使共に來たる。思ふに復た如何、と。天皇大いに悅びて罪を免す。又曰く、隋帝の書に曰く、皇帝、倭王に問ふ、云云。天皇、太子に問ひて曰く、此の書如何、と。太子奏して曰く、天子の諸侯王に賜ふ書式なり。然れども皇帝の字は天下に一のみ。而るに皇の字を用ふるは、彼に其の禮有るなり、と。天皇、太子以下を召して答書の辭を議す。太子、筆を握りて之を書して曰く、東の天皇、敬みて西の皇帝に問ふ、云云。帝、謹んで白す、不具、と。〔通鑑綱目集覽に曰く、隋の煬帝大業四季戊辰三月、倭國入貢す。倭王書を遣はして曰く、日出づる處の天子、書を日沒する處の天子に致す、恙無きや、と。〕 謹んで按ずるに、是れ隣好を修むるの始めなり。隣とは何ぞ。以て相對すべきなり。好を修むとは何ぞ。氣候・水土・人物・事義、以て之を好みすべく、以て之を通ずべきなり。氣を同じくすれば相求め、類を同じくすれば相應ず。金は終に山に止まり、玉は終に水に入る。各々其の類に從ふは、天の道なり。天地の博く、宇宙の渺たる、泛泛乎として此の州島あり。唯だ外國の事義を中華に一にす。故に好を修め隣を善くすること、猶ほ石水の相投じ、膠漆の相入るがごとし。千載の神聖、一日にして之に遇ふ。萬里の遠波、一葦にして之を航る。是れより隣交の道大いに啓け、互ひに聘禮す。外朝の經典、廣く世に行はれ、人人、聖賢の事迹を知り、文字言語の用乏しからず。大いに中國の治平を補ふ。是れ風は虎に從ひ、雲は龍に從ひ、雲行き雨施して、品物大いに成る所以なり。善隣の時、其の資、懿からずや。蓋し國の大小を以てすれば則ち彼は大なり。人治の遠近を以てすれば則ち彼は遼かなり。土地廣し、故に人物衆庶なり。治平遼かなり、故に事義疆り無し。當時初めて書を制するに、東の天皇、敬みて西の皇帝に問ふを以てす。唯だ太子の大手筆に非ざれば、其の志氣洪量、能く本朝を中華と爲す所以を知らんや。夫れ外朝は其の地博くして約ならず。治敎盛んなれば則ち畫する所惟れ泛く、守文明らかならざれば則ち戎狄之に據る。吳・越・荊・楚の僭して諸侯に列し、平王の東のかた洛に遷り、或いは十六州を割きて以て契丹に賂ひ、或いは臨安に退きて臣を醜虜に稱す。皆是れ戎狄に逼らるる所なり。是れ一大土中に地を畫り城を築き、以て封域を立て、境を四夷に接するなり。故に天下の勢ひ、或いは南北に袤くして東西蹙まり、或いは東西長くして南北縮む。或いは九州・十二州有り、或いは十道・二十三路を以てして、經畫一ならず。王統數々姓を易ふ。是れ博くして約ならざるの失なり。人主治世の來ること久しければ、治亂盈虛、大いに變じ、人心悉く澆訛す。春秋の時、古を去ること未だ遠からずして、亂臣賊子、君父を弑すること、猶ほ草を薙ぐがごとし。大臣・世臣、妖事を行ふこと禽獸の如し。是れ治道の變化し、微言の日に隱るるの失に非ずや。唯だ中國は之に反す。卓として巨海に立ち、封域自ら天險有り。神聖、天を繼ぎ極を立てしより爾來、四夷竟に藩籬をも窺ふを得ず。皇統連綿として天壤と窮まり無し。況んや神代の治悠久にして、人皇の祥、永算なるをや。今日の澆季も、亦た尙ほ周の末よりも優れり。〔凡そ帝堯より今に至るまで四千有餘年、神武帝より今に至るまで二千三百餘年、堯より周の末に至るまで殆ど二千餘年。〕言ふと雖も、若し果たして澆訛ならば當に鬼魅と爲るべし。上古は人少なくして氣淳し。治久しくして人多ければ、則ち氣漓して人澆なるは、天地の數なり。後世は誠に古に及ばざること遠し。然れども乃ち人物も亦た厚からざらんや。且つ往古の神化、人皇の聖治、神勅の明敎、歷世の法令、知仁の行ひ、威武の嚴、何事か外朝に乏しからん。故に彼と相對して自ら皇帝と稱し、好を修め隣を善くするを、更に恥ぢざる所以なり。或ひと疑ふ、高麗・百濟・新羅の來朝も、亦た好を修め隣を善くするに非ざるか、と。愚謂へらく、新羅の王子來朝し、任那來貢すること、旣に崇神・垂仁帝の朝に在り。其の後、住吉の大神、高麗・百濟・新羅・任那等を譽田天王、及び若櫻宮に賜ふ。壹たび戎衣して各々面縛し、櫬を輿にし圖籍を封じて降る。阿利那禮河を指して以て誓ひ、神祇に請ひて以て盟ふ。伏して飼部と爲り、船の拖を乾さず、每歲朝貢を絕えず。初め國每に官家を置き、海表の蕃屏と爲す。是より歷代子弟を以て質と爲し、常に朝貢す。否れば乃ち征伐して以て不逞を懲らす。然れば是れ海外の諸蕃は、皆中國の屬と爲る。唯だ外朝のみ以て通信すべきのみ。諸蕃は隣と稱するに足らず。中華は終に聘禮を彼の地に行はず、往くこと厚く來ること薄くして、以て遠人を柔らげ外國を懷くるのみ。或ひと疑ふ、外朝も亦た來聘するか、と。愚按ずるに、推古朝に隋の煬帝、文林郞裴世清を遣はして來聘せしむ。天智朝に唐の客郭務悰等來聘す。其の書に曰く、大唐帝、敬みて日本國天皇に問ふ、と。天武朝に郭務悰又來聘す。

現代語訳

ある書にはこうある。群臣が議して言った。妹子は怠慢で、蕃国の表(国書)を失った。罪は流刑に当たる。詳しく書状にして奏上した。天皇が聖徳太子に尋ねた。太子は奏上した。妹子の罪はまことに許してはなりません。しかし好を通じ隣国と親しむことは妹子の功です。そのうえ隋の使いが共に来ています。考えるに、どうでしょうか、と。天皇は大いに喜んで罪を免じた。またこうもある。隋の皇帝の書に、皇帝が倭王に問う、とあった。天皇が太子に、この書はどうか、と尋ねた。太子は奏上した。天子が諸侯王に賜る書式です。しかし皇帝の字は天下に一人だけのものです。それなのに皇の字を用いているのは、彼らに相応の礼があるからです、と。天皇は太子以下を召して答書の文言を議した。太子は筆を握って書いた。東の天皇が謹んで西の皇帝に問う、云々。帝が謹んで申し上げる、意を尽くさない、と。(『通鑑綱目集覧』にはこうある。隋の煬帝の大業四年戊辰三月、倭国が入貢した。倭王が書を送って言った。日の出る処の天子が、書を日の沈む処の天子に送る。お変わりないか、と。) 素行はこう考える。これは隣国と好を修めることの始まりである。隣とは何か。向かい合える相手である。好を修めるとは何か。気候・風土・人物・事柄や道理において、互いに好み、通じ合えるということである。気を同じくすれば求め合い、類を同じくすれば呼応する。金はけっきょく山に止まり、玉はけっきょく水に入る。それぞれ同類に従うのが天の道である。天地は広く、宇宙ははるかで、その中にただよう島としてこの国がある。ただ外国の事柄や道理を中華(日本)と一つにしたのだ。だから好を修め隣と親しむさまは、石と水が投じ合い、膠と漆が混じり合うようなものである。千年の聖人に、一日で出会うようなものである。万里の遠い波を、一枚の葦の舟で渡るようなものである。これから隣交の道が大いに開け、互いに使者を交わす礼が行われた。外朝(中国)の経典は広く世に行われ、人々は聖賢の事績を知り、文字や言葉の用も乏しくなくなった。大いに中国(日本)の治平を補った。これは風が虎に従い、雲が龍に従って、雲が行き雨が降り、万物が大いに成長するのと同じである。善隣のときの助けは、見事ではないか。国の大きさでは彼が大きく、人による統治の長さでは彼が遠く久しい。土地が広いので人も多く、治平が長いので事柄や道理に際限がない。当時、初めて書を作って、東の天皇が謹んで西の皇帝に問う、としたのは、太子の大手筆でなければ、またその志気と度量の大きさがなければ、どうして本朝が中華である理由をよく知ることができただろう。外朝は土地が広くて締まりがない。教化が盛んなときは区画も広がり、守り伝える文が明らかでなくなれば戎狄がこれに拠る。呉・越・荊・楚が僭称して諸侯に列し、周の平王が東の洛に遷り、あるいは十六州を割いて契丹に贈り、あるいは臨安に退いて卑しい敵に臣を称した。これらはみな戎狄に迫られたのである。これは広大な土地の中に地を区切り城を築いて境界を立て、四方の異民族と境を接しているからである。それゆえ天下の形勢は、南北に長くて東西が縮まったり、東西に長くて南北が縮まったりする。九州・十二州があったり、十道・二十三路があったりして、区画が一定しない。王統は何度も姓を易えた。これが広くて締まりがないことの欠点である。君主が世を治めて久しくなると、治乱・盈虚が大きく変じ、人心はすべて軽薄に偽りへと流れる。春秋の時代は古を去ってまだ遠くないのに、乱臣賊子が君や父を殺すことは草を刈るようであった。大臣や世臣が禽獣のように怪しいことを行った。これは治道が変化し、微妙な言葉が日々隠れていく欠点ではないか。ただ中国(日本)はこれと反対である。大海の中に卓然と立ち、国境はおのずと天然の険がある。聖なる神が天を継ぎ極を立てて以来、四方の異民族はついに垣根をさえうかがうことができなかった。皇統は連綿として天地とともに窮まりがない。まして神代の治は悠久で、人皇のめでたさは長い年数に及ぶ。今日の末世も、なお周の末よりは優れている。(堯帝から今まで四千年余り、神武帝から今まで二千三百年余り、堯から周の末までおよそ二千年余りである。)そう言っても、もし本当に軽薄で偽りに満ちていたなら、人は鬼魅になっているはずだ。上古は人が少なく気が淳かった。治が長く続いて人が多くなれば、気が薄れて人が軽薄になるのは、天地の数(定め)である。後世は確かに古にはるかに及ばない。しかしそれでも人物は厚くないことがあろうか。そのうえ、往古の神の教化、人皇の聖なる治、神勅の明らかな教え、歴代の法令、知と仁の行い、威武の厳しさにおいて、外朝に乏しいものが何かあるだろうか。だから彼と相対して自ら皇帝と称し、好を修め隣と親しむことを、少しも恥じないのである。ある人は疑う。高麗・百済・新羅の来朝も、好を修め隣と親しむことではないのか、と。私は考える。新羅の王子が来朝し、任那が貢ぎ物を持って来たのは、すでに崇神・垂仁天皇の朝にある。その後、住吉の大神が高麗・百済・新羅・任那などを誉田天王(応神天皇)および若桜宮(履中天皇)に賜った。一度軍装して、それぞれ面縛し、棺を車に載せ、地図と戸籍を封じて降った。阿利那礼河を指して誓い、神祇に請うて盟った。伏して飼部となり、船の艫綱を乾かすいとまなく、毎年朝貢を絶やさなかった。初め国ごとに官家を置いて、海外の守りの垣とした。これ以後、歴代、子弟を人質として常に朝貢した。そうでなければ征伐して不届き者を懲らしめた。そうである以上、海外の諸蕃はみな中国(日本)に属する。ただ外朝だけが対等に通信できる相手である。諸蕃は隣と称するに足りない。中華(日本)はついに聘礼を彼の地で行わず、行きは厚く来るのは薄くして、遠方の人を和らげ外国を手なずけるだけであった。ある人は疑う。外朝も来聘したのか、と。私は考える。推古朝に隋の煬帝が文林郎の裴世清を遣わして来聘させた。天智朝に唐の客の郭務悰らが来聘した。その書にはこうあった。大唐の皇帝が謹んで日本国の天皇に問う、と。天武朝にも郭務悰がまた来聘した。

解説

素行は聖徳太子が国書で天皇と皇帝を並べたことを、隣国と対等に交わる礼の始まりとして論じます。中国は広くて王朝が何度も入れ替わったが、日本は大海に囲まれ皇統が続いたと述べるのは、素行の主張です。一方で朝鮮諸国を日本の属国とする箇所は、当時の『日本書紀』理解に立った見方で、現代の歴史研究とは異なります。江戸前期に中国一辺倒だった学者への反発という文脈で読むと、相手を尊びながらも自国の足場を失わない姿勢が主題とわかります。組織でも、取引先との関係は対等かどうかを見直したいものです。
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この章句が説くこと

善隣聖徳太子東天皇敬白西皇帝中朝属国博而不約

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