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中朝事実 / 中國章・秋津洲の国土と外朝との比較論

神武帝三十有一年夏四月乙酉朔。皇輿巡幸。因登腋上嗛間丘。而廻望國狀曰。妍哉乎國之獲矣。〔妍哉此云婀奈珥夜。〕雖內木綿之眞迮國。猶如蜻蛉之臀呫焉。由是始有秋津洲之號也。昔伊弉諾尊目此國曰。日本者浦安國。細戈千足國。磯輪上秀眞國。〔秀眞國。此云袍圖莽勾爾。〕復大巳貴大神目之曰。玉牆內國。及至饒速日命乘天磐船。而翔行太虛也。睨是鄕而降之。故因目之曰。虛空見日本國矣。 謹按。本朝之地。形長廣〔東西曰廣〕短袤〔南北曰袤。〕西上東下皆豐大也。背艮位而嚮離明。象蜻蛉之臀呫。洋海廻四方。唯西方少可寄外域之舶。而無襲來之畏。故稱浦安國・玉牆內國。是內木綿之眞迮國也。其形如戈。而品物無不備。尤秀精之地。故曰細戈千足國磯輪上秀眞國。帝曰。妍哉乎國之獲矣。噫大哉。蓋國之在地不可枚擧。而其文物古今所稱以外朝爲宗。日本朝鮮次焉。愚竊考。惟四海之間。唯本朝與外朝共得天地之精秀。神聖一其機。而外朝亦未如本朝之秀眞也。凡外朝其封疆太廣。連續四夷。無封域之要。故藩屏屯成甚多。不得守其約。失是一也。近迫四夷。故長城要塞之固。世世勞人民。失是二也。守戍之徒。或通狄構難。或奔狄泄其情。失是三也。匈奴・契丹・北虜易窺其釁。數以劫奪。其失四也。終削其國。易其姓。而天下左衽。大失其五也。況河海之遠。而魚蝦之美・運轉之利不給。故人物亦異其俗。如啖牛羊衣毳裘坐榻床。可以見之也。況朝鮮蕞爾乎。獨本朝中天之正道。得地之中國。正南面之位。背北陰之險。上西下東。前擁數洲而利河海。後據絕峭。而望大洋。每州悉有運漕之用。故四海之廣猶一家之約。萬國之化育同天地之正位。竟無長城之勞。無戎狄之膺。況鳥獸之美。林木之材。布縷之巧。金木之工無不備。聖神稱美之嘆豈虛哉。昔胡元世祖奪外朝。乘其勢擊本朝。大兵悉敗。而歸彼地者僅三人。其後元主數窺而不得侵我藩籬。況高麗・新羅・百濟皆本朝之藩臣乎。聖神翔行太虛而睨是鄕而降之。最宜哉。〔後漢書曰。太倭王居耶麻臺。唐東夷傳曰。日本古倭奴也〕〔是皆因商賈販人之言。記其事。故不足以證也。〕〔以上論本朝之水土。〕

新字:神武帝三十有一年夏四月乙酉朔。皇輿巡幸。因登腋上嗛間丘。而廻望国状曰。妍哉乎国之獲矣。〔妍哉此云婀奈珥夜。〕雖内木綿之真迮国。猶如蜻蛉之臀呫焉。由是始有秋津洲之号也。昔伊弉諾尊目此国曰。日本者浦安国。細戈千足国。磯輪上秀真国。〔秀真国。此云袍図莽勾爾。〕復大巳貴大神目之曰。玉牆内国。及至饒速日命乗天磐船。而翔行太虚也。睨是郷而降之。故因目之曰。虚空見日本国矣。 謹按。本朝之地。形長広〔東西曰広〕短袤〔南北曰袤。〕西上東下皆豊大也。背艮位而嚮離明。象蜻蛉之臀呫。洋海廻四方。唯西方少可寄外域之舶。而無襲来之畏。故称浦安国・玉牆内国。是内木綿之真迮国也。其形如戈。而品物無不備。尤秀精之地。故曰細戈千足国磯輪上秀真国。帝曰。妍哉乎国之獲矣。噫大哉。蓋国之在地不可枚挙。而其文物古今所称以外朝為宗。日本朝鮮次焉。愚窃考。惟四海之間。唯本朝与外朝共得天地之精秀。神聖一其機。而外朝亦未如本朝之秀真也。凡外朝其封疆太広。連続四夷。無封域之要。故藩屏屯成甚多。不得守其約。失是一也。近迫四夷。故長城要塞之固。世世労人民。失是二也。守戍之徒。或通狄構難。或奔狄泄其情。失是三也。匈奴・契丹・北虜易窺其釁。数以劫奪。其失四也。終削其国。易其姓。而天下左衽。大失其五也。況河海之遠。而魚蝦之美・運転之利不給。故人物亦異其俗。如啖牛羊衣毳裘坐榻床。可以見之也。況朝鮮蕞爾乎。独本朝中天之正道。得地之中国。正南面之位。背北陰之険。上西下東。前擁数洲而利河海。後拠絶峭。而望大洋。毎州悉有運漕之用。故四海之広猶一家之約。万国之化育同天地之正位。竟無長城之労。無戎狄之膺。況鳥獣之美。林木之材。布縷之巧。金木之工無不備。聖神称美之嘆豈虚哉。昔胡元世祖奪外朝。乗其勢撃本朝。大兵悉敗。而帰彼地者僅三人。其後元主数窺而不得侵我藩籬。況高麗・新羅・百済皆本朝之藩臣乎。聖神翔行太虚而睨是郷而降之。最宜哉。〔後漢書曰。太倭王居耶麻台。唐東夷伝曰。日本古倭奴也〕〔是皆因商賈販人之言。記其事。故不足以証也。〕〔以上論本朝之水土。〕

書き下し

神武帝三十有一年夏四月乙酉朔、皇輿巡幸す。因りて腋上の嗛間丘に登りて、国の状を廻望して曰く、妍しきかな、国を獲つること。〔妍しきかな、此れを婀奈珥夜と云う。〕内木綿の真迮き国と雖も、猶お蜻蛉の臀呫の如し、と。是れに由りて始めて秋津洲の号有り。昔、伊弉諾尊、此の国を目して曰く、日本は浦安の国、細戈の千足る国、磯輪上の秀真国、と。〔秀真国、此れを袍図莽勾爾と云う。〕復た大巳貴大神目して曰く、玉牆の内つ国、と。饒速日命、天磐船に乗りて、太虚を翔行り、是の郷を睨て降りたまうに及びて、故に因りて目して曰く、虚空見つ日本の国、と。 謹んで按ずるに、本朝の地、形は長く広く〔東西を広と曰う〕短く袤〔南北を袤と曰う〕、西上東下、皆な豊大なり。艮の位を背にして離の明に向かう。蜻蛉の臀呫に象る。洋海四方を廻り、唯だ西方少しく外域の舶を寄すべきも、襲来の畏れ無し。故に浦安国・玉牆内国と称す。是れ内木綿の真迮き国なり。其の形戈の如くにして、品物備わらざる無し。尤も秀精の地なり。故に細戈の千足る国・磯輪上の秀真国と曰う。帝曰く、妍しきかな、国を獲つること、と。噫、大なるかな。蓋し国の地に在る、枚挙すべからず。而して其の文物は古今称する所、外朝を以て宗と為し、日本・朝鮮之に次ぐ。愚竊かに考うるに、惟れ四海の間、唯だ本朝と外朝とのみ、共に天地の精秀を得て、神聖其の機を一にす。而して外朝も亦た未だ本朝の秀真なるに如かず。凡そ外朝は其の封疆太だ広く、四夷に連続し、封域の要無し。故に藩屏屯戍甚だ多く、其の約を守るを得ず。失の一なり。近く四夷に迫る。故に長城要塞の固め、世世人民を労す。失の二なり。守戍の徒、或いは狄に通じて難を構え、或いは狄に奔りて其の情を泄らす。失の三なり。匈奴・契丹・北虜、其の釁を窺い易く、数しば以て劫奪す。其の失の四なり。終に其の国を削り、其の姓を易え、而して天下左衽す。大いなる失の五なり。況んや河海遠くして、魚蝦の美・運転の利給せず。故に人物も亦た其の俗を異にす。牛羊を啖らい、毳裘を衣、榻床に坐するが如き、以て之を見るべし。況んや朝鮮は蕞爾たるをや。独り本朝のみ、天の正道に中し、地の中国を得、南面の位を正し、北陰の険を背にし、西を上とし東を下とし、前は数洲を擁して河海を利し、後ろは絶峭に拠りて大洋を望む。州ごとに悉く運漕の用有り。故に四海の広きも猶お一家の約の如く、万国の化育は天地の正位に同じ。竟に長城の労無く、戎狄の膺つこと無し。況んや鳥獣の美、林木の材、布縷の巧、金木の工、備わらざる無し。聖神の称美の嘆、豈に虚ならんや。昔、胡元の世祖、外朝を奪い、其の勢いに乗じて本朝を撃つ。大兵悉く敗れ、彼の地に帰る者僅かに三人。其の後、元主しばしば窺えども我が藩籬を侵すを得ず。況んや高麗・新羅・百済は皆な本朝の藩臣なるをや。聖神の太虚を翔行り、是の郷を睨て降りたまうこと、最も宜なるかな。〔後漢書に曰く、太倭王は耶麻台に居る、と。唐東夷伝に曰く、日本は古の倭奴なり、と。〕〔是れ皆な商賈販人の言に因りて、其の事を記す。故に以て証とするに足らず。〕〔以上、本朝の水土を論ず。〕

現代語訳

神武帝三十一年夏四月乙酉朔、天皇は巡幸された。そこで腋上の嗛間丘に登って国の様子をぐるりと眺めて言った。なんと良い国を得たことか。(妍しきかなは「あなにや」と読む。)内木綿のように狭い国ではあるが、まるでトンボが交尾しているような形である、と。これによって初めて秋津洲という名がついた。昔、伊弉諾尊はこの国を見て言った。日本は浦安の国、細戈の千足る国、磯輪上の秀真国である、と。(秀真国は「ほつまくに」と読む。)また大巳貴大神は見て言った。玉牆の内つ国である、と。饒速日命が天磐船に乗り、大空を飛びめぐってこの郷を眺めて降りたので、その縁で見て言った。空から眺めた日本の国、と。 素行はこう考える。本朝の地は、形は東西に長く広く(東西を広という)、南北に短く(南北を袤という)、西が高く東が低く、どちらも豊かで大きい。艮(北東)の方位を背にして離(南)の明るさに向かい、トンボの交尾に象る。大海が四方を巡り、西方だけは少し外国の船が寄れるが、襲来の恐れはない。だから浦安国・玉牆内国と称する。これが内木綿のように狭い国である。その形は戈のようで、あらゆる産物が備わっている。最も優れた地である。だから細戈の千足る国・磯輪上の秀真国という。帝が「なんと良い国を得たことか」と言ったのは、まことに大きな言葉である。思うに、国は地上に数え切れないほどあるが、その文物は古今、外朝(中国)を第一とし、日本・朝鮮がこれに次ぐと称される。私がひそかに考えるに、四海の間で、ただ本朝と外朝だけが共に天地の精秀を得ており、神聖がその機を一つにしている。しかし外朝も、本朝の秀真であることには及ばない。外朝は国境があまりに広く、四方の異民族に連なり、守るべき境界の要がない。そのため防衛の兵や砦が非常に多く、要約して守ることができない。これが第一の失である。異民族に近く迫っているので、長城や要塞の固めのために代々人民を疲れさせる。第二の失である。守備の兵が異民族に通じて難を起こしたり、異民族のもとに走ってその情報を漏らしたりする。第三の失である。匈奴・契丹・北虜などが隙を窺いやすく、しばしば略奪する。第四の失である。ついに国を削られ、姓を易え、天下が左衽(異民族の風俗)となった。第五の大きな失である。まして河海が遠く、魚介の美味や運搬の利が行き届かない。だから人物も風俗が異なる。牛羊を食べ、毛皮を着、榻床に座る類がそれで分かる。まして朝鮮は小さな国である。ただ本朝だけが、天の正道に当たり、地の中国を得て、南面の位を正し、北の陰の険を背にし、西を上とし東を下とし、前には数洲を擁して河海の利を得、後ろには険しい山に拠って大洋を望む。州ごとにすべて水運の用がある。だから四海の広さも一家の約束ごとのようであり、万国の化育は天地の正位に同じである。ついに長城の労もなく、戎狄の攻撃もない。まして鳥獣の美、林木の材、織物の巧、金木の工も備わらないものがない。聖神が称美の嘆きをしたのが、どうして虚言であろうか。昔、胡元の世祖が外朝を奪い、その勢いに乗じて本朝を攻めた。大軍はことごとく敗れ、彼の地に帰ったのは三人だけだった。その後、元の君主はしばしば窺ったが、我が国の藩籬を侵すことはできなかった。まして高麗・新羅・百済はみな本朝の藩臣である。聖神が大空を飛びめぐってこの郷を眺めて降りたのは、まことにふさわしい。(『後漢書』に、太倭王は耶麻台に居る、とある。『唐書』東夷伝に、日本は古の倭奴である、とある。)(これらはみな商人の言に基づいて記したもので、証拠とするには足りない。)(以上、本朝の風土を論じた。)

解説

秋津洲の国名の由来と、日本の地形の優位を論じた箇所です。『日本書紀』にある神武帝の国見の言葉を引いたうえで、素行は海に囲まれて外敵の侵入を受けにくいこと、国土の産物が備わっていることを挙げ、中国より優れていると主張します。長城の維持に疲弊した中国との比較や、高麗などを藩臣とする見方は、素行の主張であり、現代の価値観で支持できるものではありません。一方、地形や立地を冷静に分析し、自らの条件の強みと弱みを数え上げる態度は、事業の環境分析にも通じます。自国の足場を史料から検証しようとした点を読み取るのがよいでしょう。
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この章句が説くこと

秋津洲国見浦安国水土外朝との比較元寇

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