中朝事実 / 中國章・秋津洲の国土と外朝との比較論
神武帝三十有一年夏四月乙酉朔。皇輿巡幸。因登腋上嗛間丘。而廻望國狀曰。妍哉乎國之獲矣。〔妍哉此云婀奈珥夜。〕雖內木綿之眞迮國。猶如蜻蛉之臀呫焉。由是始有秋津洲之號也。昔伊弉諾尊目此國曰。日本者浦安國。細戈千足國。磯輪上秀眞國。〔秀眞國。此云袍圖莽勾爾。〕復大巳貴大神目之曰。玉牆內國。及至饒速日命乘天磐船。而翔行太虛也。睨是鄕而降之。故因目之曰。虛空見日本國矣。 謹按。本朝之地。形長廣〔東西曰廣〕短袤〔南北曰袤。〕西上東下皆豐大也。背艮位而嚮離明。象蜻蛉之臀呫。洋海廻四方。唯西方少可寄外域之舶。而無襲來之畏。故稱浦安國・玉牆內國。是內木綿之眞迮國也。其形如戈。而品物無不備。尤秀精之地。故曰細戈千足國磯輪上秀眞國。帝曰。妍哉乎國之獲矣。噫大哉。蓋國之在地不可枚擧。而其文物古今所稱以外朝爲宗。日本朝鮮次焉。愚竊考。惟四海之間。唯本朝與外朝共得天地之精秀。神聖一其機。而外朝亦未如本朝之秀眞也。凡外朝其封疆太廣。連續四夷。無封域之要。故藩屏屯成甚多。不得守其約。失是一也。近迫四夷。故長城要塞之固。世世勞人民。失是二也。守戍之徒。或通狄構難。或奔狄泄其情。失是三也。匈奴・契丹・北虜易窺其釁。數以劫奪。其失四也。終削其國。易其姓。而天下左衽。大失其五也。況河海之遠。而魚蝦之美・運轉之利不給。故人物亦異其俗。如啖牛羊衣毳裘坐榻床。可以見之也。況朝鮮蕞爾乎。獨本朝中天之正道。得地之中國。正南面之位。背北陰之險。上西下東。前擁數洲而利河海。後據絕峭。而望大洋。每州悉有運漕之用。故四海之廣猶一家之約。萬國之化育同天地之正位。竟無長城之勞。無戎狄之膺。況鳥獸之美。林木之材。布縷之巧。金木之工無不備。聖神稱美之嘆豈虛哉。昔胡元世祖奪外朝。乘其勢擊本朝。大兵悉敗。而歸彼地者僅三人。其後元主數窺而不得侵我藩籬。況高麗・新羅・百濟皆本朝之藩臣乎。聖神翔行太虛而睨是鄕而降之。最宜哉。〔後漢書曰。太倭王居耶麻臺。唐東夷傳曰。日本古倭奴也〕〔是皆因商賈販人之言。記其事。故不足以證也。〕〔以上論本朝之水土。〕
新字:神武帝三十有一年夏四月乙酉朔。皇輿巡幸。因登腋上嗛間丘。而廻望国状曰。妍哉乎国之獲矣。〔妍哉此云婀奈珥夜。〕雖内木綿之真迮国。猶如蜻蛉之臀呫焉。由是始有秋津洲之号也。昔伊弉諾尊目此国曰。日本者浦安国。細戈千足国。磯輪上秀真国。〔秀真国。此云袍図莽勾爾。〕復大巳貴大神目之曰。玉牆内国。及至饒速日命乗天磐船。而翔行太虚也。睨是郷而降之。故因目之曰。虚空見日本国矣。 謹按。本朝之地。形長広〔東西曰広〕短袤〔南北曰袤。〕西上東下皆豊大也。背艮位而嚮離明。象蜻蛉之臀呫。洋海廻四方。唯西方少可寄外域之舶。而無襲来之畏。故称浦安国・玉牆内国。是内木綿之真迮国也。其形如戈。而品物無不備。尤秀精之地。故曰細戈千足国磯輪上秀真国。帝曰。妍哉乎国之獲矣。噫大哉。蓋国之在地不可枚挙。而其文物古今所称以外朝為宗。日本朝鮮次焉。愚窃考。惟四海之間。唯本朝与外朝共得天地之精秀。神聖一其機。而外朝亦未如本朝之秀真也。凡外朝其封疆太広。連続四夷。無封域之要。故藩屏屯成甚多。不得守其約。失是一也。近迫四夷。故長城要塞之固。世世労人民。失是二也。守戍之徒。或通狄構難。或奔狄泄其情。失是三也。匈奴・契丹・北虜易窺其釁。数以劫奪。其失四也。終削其国。易其姓。而天下左衽。大失其五也。況河海之遠。而魚蝦之美・運転之利不給。故人物亦異其俗。如啖牛羊衣毳裘坐榻床。可以見之也。況朝鮮蕞爾乎。独本朝中天之正道。得地之中国。正南面之位。背北陰之険。上西下東。前擁数洲而利河海。後拠絶峭。而望大洋。毎州悉有運漕之用。故四海之広猶一家之約。万国之化育同天地之正位。竟無長城之労。無戎狄之膺。況鳥獣之美。林木之材。布縷之巧。金木之工無不備。聖神称美之嘆豈虚哉。昔胡元世祖奪外朝。乗其勢撃本朝。大兵悉敗。而帰彼地者僅三人。其後元主数窺而不得侵我藩籬。況高麗・新羅・百済皆本朝之藩臣乎。聖神翔行太虚而睨是郷而降之。最宜哉。〔後漢書曰。太倭王居耶麻台。唐東夷伝曰。日本古倭奴也〕〔是皆因商賈販人之言。記其事。故不足以証也。〕〔以上論本朝之水土。〕
書き下し
神武帝三十有一年夏四月乙酉朔、皇輿巡幸す。因りて腋上の嗛間丘に登りて、国の状を廻望して曰く、妍しきかな、国を獲つること。〔妍しきかな、此れを婀奈珥夜と云う。〕内木綿の真迮き国と雖も、猶お蜻蛉の臀呫の如し、と。是れに由りて始めて秋津洲の号有り。昔、伊弉諾尊、此の国を目して曰く、日本は浦安の国、細戈の千足る国、磯輪上の秀真国、と。〔秀真国、此れを袍図莽勾爾と云う。〕復た大巳貴大神目して曰く、玉牆の内つ国、と。饒速日命、天磐船に乗りて、太虚を翔行り、是の郷を睨て降りたまうに及びて、故に因りて目して曰く、虚空見つ日本の国、と。 謹んで按ずるに、本朝の地、形は長く広く〔東西を広と曰う〕短く袤〔南北を袤と曰う〕、西上東下、皆な豊大なり。艮の位を背にして離の明に向かう。蜻蛉の臀呫に象る。洋海四方を廻り、唯だ西方少しく外域の舶を寄すべきも、襲来の畏れ無し。故に浦安国・玉牆内国と称す。是れ内木綿の真迮き国なり。其の形戈の如くにして、品物備わらざる無し。尤も秀精の地なり。故に細戈の千足る国・磯輪上の秀真国と曰う。帝曰く、妍しきかな、国を獲つること、と。噫、大なるかな。蓋し国の地に在る、枚挙すべからず。而して其の文物は古今称する所、外朝を以て宗と為し、日本・朝鮮之に次ぐ。愚竊かに考うるに、惟れ四海の間、唯だ本朝と外朝とのみ、共に天地の精秀を得て、神聖其の機を一にす。而して外朝も亦た未だ本朝の秀真なるに如かず。凡そ外朝は其の封疆太だ広く、四夷に連続し、封域の要無し。故に藩屏屯戍甚だ多く、其の約を守るを得ず。失の一なり。近く四夷に迫る。故に長城要塞の固め、世世人民を労す。失の二なり。守戍の徒、或いは狄に通じて難を構え、或いは狄に奔りて其の情を泄らす。失の三なり。匈奴・契丹・北虜、其の釁を窺い易く、数しば以て劫奪す。其の失の四なり。終に其の国を削り、其の姓を易え、而して天下左衽す。大いなる失の五なり。況んや河海遠くして、魚蝦の美・運転の利給せず。故に人物も亦た其の俗を異にす。牛羊を啖らい、毳裘を衣、榻床に坐するが如き、以て之を見るべし。況んや朝鮮は蕞爾たるをや。独り本朝のみ、天の正道に中し、地の中国を得、南面の位を正し、北陰の険を背にし、西を上とし東を下とし、前は数洲を擁して河海を利し、後ろは絶峭に拠りて大洋を望む。州ごとに悉く運漕の用有り。故に四海の広きも猶お一家の約の如く、万国の化育は天地の正位に同じ。竟に長城の労無く、戎狄の膺つこと無し。況んや鳥獣の美、林木の材、布縷の巧、金木の工、備わらざる無し。聖神の称美の嘆、豈に虚ならんや。昔、胡元の世祖、外朝を奪い、其の勢いに乗じて本朝を撃つ。大兵悉く敗れ、彼の地に帰る者僅かに三人。其の後、元主しばしば窺えども我が藩籬を侵すを得ず。況んや高麗・新羅・百済は皆な本朝の藩臣なるをや。聖神の太虚を翔行り、是の郷を睨て降りたまうこと、最も宜なるかな。〔後漢書に曰く、太倭王は耶麻台に居る、と。唐東夷伝に曰く、日本は古の倭奴なり、と。〕〔是れ皆な商賈販人の言に因りて、其の事を記す。故に以て証とするに足らず。〕〔以上、本朝の水土を論ず。〕
現代語訳
神武帝三十一年夏四月乙酉朔、天皇は巡幸された。そこで腋上の嗛間丘に登って国の様子をぐるりと眺めて言った。なんと良い国を得たことか。(妍しきかなは「あなにや」と読む。)内木綿のように狭い国ではあるが、まるでトンボが交尾しているような形である、と。これによって初めて秋津洲という名がついた。昔、伊弉諾尊はこの国を見て言った。日本は浦安の国、細戈の千足る国、磯輪上の秀真国である、と。(秀真国は「ほつまくに」と読む。)また大巳貴大神は見て言った。玉牆の内つ国である、と。饒速日命が天磐船に乗り、大空を飛びめぐってこの郷を眺めて降りたので、その縁で見て言った。空から眺めた日本の国、と。 素行はこう考える。本朝の地は、形は東西に長く広く(東西を広という)、南北に短く(南北を袤という)、西が高く東が低く、どちらも豊かで大きい。艮(北東)の方位を背にして離(南)の明るさに向かい、トンボの交尾に象る。大海が四方を巡り、西方だけは少し外国の船が寄れるが、襲来の恐れはない。だから浦安国・玉牆内国と称する。これが内木綿のように狭い国である。その形は戈のようで、あらゆる産物が備わっている。最も優れた地である。だから細戈の千足る国・磯輪上の秀真国という。帝が「なんと良い国を得たことか」と言ったのは、まことに大きな言葉である。思うに、国は地上に数え切れないほどあるが、その文物は古今、外朝(中国)を第一とし、日本・朝鮮がこれに次ぐと称される。私がひそかに考えるに、四海の間で、ただ本朝と外朝だけが共に天地の精秀を得ており、神聖がその機を一つにしている。しかし外朝も、本朝の秀真であることには及ばない。外朝は国境があまりに広く、四方の異民族に連なり、守るべき境界の要がない。そのため防衛の兵や砦が非常に多く、要約して守ることができない。これが第一の失である。異民族に近く迫っているので、長城や要塞の固めのために代々人民を疲れさせる。第二の失である。守備の兵が異民族に通じて難を起こしたり、異民族のもとに走ってその情報を漏らしたりする。第三の失である。匈奴・契丹・北虜などが隙を窺いやすく、しばしば略奪する。第四の失である。ついに国を削られ、姓を易え、天下が左衽(異民族の風俗)となった。第五の大きな失である。まして河海が遠く、魚介の美味や運搬の利が行き届かない。だから人物も風俗が異なる。牛羊を食べ、毛皮を着、榻床に座る類がそれで分かる。まして朝鮮は小さな国である。ただ本朝だけが、天の正道に当たり、地の中国を得て、南面の位を正し、北の陰の険を背にし、西を上とし東を下とし、前には数洲を擁して河海の利を得、後ろには険しい山に拠って大洋を望む。州ごとにすべて水運の用がある。だから四海の広さも一家の約束ごとのようであり、万国の化育は天地の正位に同じである。ついに長城の労もなく、戎狄の攻撃もない。まして鳥獣の美、林木の材、織物の巧、金木の工も備わらないものがない。聖神が称美の嘆きをしたのが、どうして虚言であろうか。昔、胡元の世祖が外朝を奪い、その勢いに乗じて本朝を攻めた。大軍はことごとく敗れ、彼の地に帰ったのは三人だけだった。その後、元の君主はしばしば窺ったが、我が国の藩籬を侵すことはできなかった。まして高麗・新羅・百済はみな本朝の藩臣である。聖神が大空を飛びめぐってこの郷を眺めて降りたのは、まことにふさわしい。(『後漢書』に、太倭王は耶麻台に居る、とある。『唐書』東夷伝に、日本は古の倭奴である、とある。)(これらはみな商人の言に基づいて記したもので、証拠とするには足りない。)(以上、本朝の風土を論じた。)
解説

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『神皇正統記』巻一 序かの国よりは倭と書たれど、返牒には日本とも倭とものせられず。是より上代には牒ありともみえざる也。唐の咸亨の比は天智の御代にあたりたれば、実には件の比より日本と書て送られけるにや。又此国をば秋津州といふ。神武天皇国のかたちをめぐらしのぞみ給て、「蜻蛉の臀舐の如くあるかな。」との給しより、此名ありきとぞ。しかれど、神代に豊秋津根と云名あれば、神武にはじめざるにや。此外もあまた名あり。細戈の千足国とも、磯輪上の秀真の国とも、玉垣の内国ともいへり。又扶桑国と云名もあるか。「東海の中に扶桑の木あり。日の出所なり。」とみえたり。日本も東にあれば、よそへていへるか。此国に彼木ありと云事きこえねば、たしかなる名にはあらざるべし。凡内典の説に須弥と云山あり。此山をめぐりて七の金山あり。其中間は皆香水海なり。金山の外に四大海あり。此海中に四大州あり。州ごとに又二の中州あり。南州をば贍部と云。是は樹の名なり。南州の中心に阿耨達と云山あり。山頂に池あり。池の傍に此樹あり。迊七由旬高百由旬なり。
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『中朝事実』禮儀章・対等の隣交と属国の別一書に曰く、群臣議して曰く、妹子懈怠して、蕃國の表を失ふ。罪、流刑に合ふ。具さに狀して聞奏す。天王、聖惠太子に問ふ。太子奏して曰く、妹子の罪は寔に寬すべからず。然れども好を修め隣を善くするは、妹子の功なり。加ふるに隋國の使共に來たる。思ふに復た如何、と。天皇大いに悅びて罪を免す。又曰く、隋帝の書に曰く、皇帝、倭王に問ふ、云云。天皇、太子に問ひて曰く、此の書如何、と。太子奏して曰く、天子の諸侯王に賜ふ書式なり。然れども皇帝の字は天下に一のみ。而るに皇の字を用ふるは、彼に其の禮有るなり、と。天皇、太子以下を召して答書の辭を議す。太子、筆を握りて之を書して曰く、東の天皇、敬みて西の皇帝に問ふ、云云。帝、謹んで白す、不具、と。〔通鑑綱目集覽に曰く、隋の煬帝大業四季戊辰三月、倭國入貢す。倭王書を遣はして曰く、日出づる處の天子、書を日沒する處の天子に致す、恙無きや、と。〕 謹んで按ずるに、是れ隣好を修むるの始めなり。隣とは何ぞ。以て相對すべきなり。好を修むとは何ぞ。氣候・水土・人物・事義、以て之を好みすべく、以て之を通ずべきなり。氣を同じくすれば相求め、類を同じくすれば相應ず。金は終に山に止まり、玉は終に水に入る。各々其の類に從ふは、天の道なり。天地の博く、宇宙の渺たる、泛泛乎として此の州島あり。唯だ外國の事義を中華に一にす。故に好を修め隣を善くすること、猶ほ石水の相投じ、膠漆の相入るがごとし。千載の神聖、一日にして之に遇ふ。萬里の遠波、一葦にして之を航る。是れより隣交の道大いに啓け、互ひに聘禮す。外朝の經典、廣く世に行はれ、人人、聖賢の事迹を知り、文字言語の用乏しからず。大いに中國の治平を補ふ。是れ風は虎に從ひ、雲は龍に從ひ、雲行き雨施して、品物大いに成る所以なり。善隣の時、其の資、懿からずや。蓋し國の大小を以てすれば則ち彼は大なり。人治の遠近を以てすれば則ち彼は遼かなり。土地廣し、故に人物衆庶なり。治平遼かなり、故に事義疆り無し。當時初めて書を制するに、東の天皇、敬みて西の皇帝に問ふを以てす。唯だ太子の大手筆に非ざれば、其の志氣洪量、能く本朝を中華と爲す所以を知らんや。夫れ外朝は其の地博くして約ならず。治敎盛んなれば則ち畫する所惟れ泛く、守文明らかならざれば則ち戎狄之に據る。吳・越・荊・楚の僭して諸侯に列し、平王の東のかた洛に遷り、或いは十六州を割きて以て契丹に賂ひ、或いは臨安に退きて臣を醜虜に稱す。皆是れ戎狄に逼らるる所なり。是れ一大土中に地を畫り城を築き、以て封域を立て、境を四夷に接するなり。故に天下の勢ひ、或いは南北に袤くして東西蹙まり、或いは東西長くして南北縮む。或いは九州・十二州有り、或いは十道・二十三路を以てして、經畫一ならず。王統數々姓を易ふ。是れ博くして約ならざるの失なり。人主治世の來ること久しければ、治亂盈虛、大いに變じ、人心悉く澆訛す。春秋の時、古を去ること未だ遠からずして、亂臣賊子、君父を弑すること、猶ほ草を薙ぐがごとし。大臣・世臣、妖事を行ふこと禽獸の如し。是れ治道の變化し、微言の日に隱るるの失に非ずや。唯だ中國は之に反す。卓として巨海に立ち、封域自ら天險有り。神聖、天を繼ぎ極を立てしより爾來、四夷竟に藩籬をも窺ふを得ず。皇統連綿として天壤と窮まり無し。況んや神代の治悠久にして、人皇の祥、永算なるをや。今日の澆季も、亦た尙ほ周の末よりも優れり。〔凡そ帝堯より今に至るまで四千有餘年、神武帝より今に至るまで二千三百餘年、堯より周の末に至るまで殆ど二千餘年。〕言ふと雖も、若し果たして澆訛ならば當に鬼魅と爲るべし。上古は人少なくして氣淳し。治久しくして人多ければ、則ち氣漓して人澆なるは、天地の數なり。後世は誠に古に及ばざること遠し。然れども乃ち人物も亦た厚からざらんや。且つ往古の神化、人皇の聖治、神勅の明敎、歷世の法令、知仁の行ひ、威武の嚴、何事か外朝に乏しからん。故に彼と相對して自ら皇帝と稱し、好を修め隣を善くするを、更に恥ぢざる所以なり。或ひと疑ふ、高麗・百濟・新羅の來朝も、亦た好を修め隣を善くするに非ざるか、と。愚謂へらく、新羅の王子來朝し、任那來貢すること、旣に崇神・垂仁帝の朝に在り。其の後、住吉の大神、高麗・百濟・新羅・任那等を譽田天王、及び若櫻宮に賜ふ。壹たび戎衣して各々面縛し、櫬を輿にし圖籍を封じて降る。阿利那禮河を指して以て誓ひ、神祇に請ひて以て盟ふ。伏して飼部と爲り、船の拖を乾さず、每歲朝貢を絕えず。初め國每に官家を置き、海表の蕃屏と爲す。是より歷代子弟を以て質と爲し、常に朝貢す。否れば乃ち征伐して以て不逞を懲らす。然れば是れ海外の諸蕃は、皆中國の屬と爲る。唯だ外朝のみ以て通信すべきのみ。諸蕃は隣と稱するに足らず。中華は終に聘禮を彼の地に行はず、往くこと厚く來ること薄くして、以て遠人を柔らげ外國を懷くるのみ。或ひと疑ふ、外朝も亦た來聘するか、と。愚按ずるに、推古朝に隋の煬帝、文林郞裴世清を遣はして來聘せしむ。天智朝に唐の客郭務悰等來聘す。其の書に曰く、大唐帝、敬みて日本國天皇に問ふ、と。天武朝に郭務悰又來聘す。
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『中朝事実』皇統章・神武天皇の即位と三綱・皇統無窮の論神日本磐余彦天皇、諱は彦火火出見。彦波瀲武鸕鷀葺不合尊の第四子なり。年四十五歳に及び、諸兄及び子等に謂いて曰く、昔、我が天神高皇産霊尊・大日孁尊、此の豊葦原瑞穂国を挙げて、我が天祖彦火瓊瓊杵尊に授けたまえり。是に於いて火瓊瓊杵尊、天関を闢き、雲路を披き、駈山躍りて以て戻止る。是の時、運は鴻荒に属し、時は草昧に鍾る。故に蒙にして以て正を養い、此の西偏を治めたまう。皇祖・皇考、乃ち神、乃ち聖、慶を積み暉を重ね、多くの年所を歴たり。天祖の降跡より以逮、今に于りて一百七十九万二千四百七十余歳なり。而して遼邈の地、猶お未だ王沢に霑わず。遂に邑に君有り、村に長有りて、各おの自ら疆を分かち、用て相凌躒せしむ。抑も又た塩土老翁に聞く、東に美地有り、青山四周せり。其の中に亦た天磐船に乗りて飛び降る者有り、と。余謂えらく、彼の地は必ず以て天業を恢弘し、天下に光宅するに足るべし、蓋し六合の中心か、と。遂に東征して中州を定む。 謹んで按ずるに、是れ人皇、中州を平らげ、天祖の降跡を続ぐの始めなり。 辛酉春正月庚辰朔、天皇、帝位に大倭州の橿原宮に即く。是の歳を天皇元年と為す。正妃を尊びて皇后と為す。皇子神淳名川耳尊を立てて皇太子と為す。 謹んで按ずるに、是れ天皇即位の始めなり。初め天神、磤馭廬島を以て国中の柱と為し、分巡りて国柱す。天孫は浮渚の平処に立ち、宮殿を立つ。皆な後世の即位の意なり。洪濛の間、悠久にして以て正を養う。帝は明達大雄にして、善く乾霊の志を継ぎ、善く皇孫の事を述ぶ。一たび戎衣して東方服す。故に人皇の洪基を建て、即位の大礼を開く。蓋し即位とは何ぞ。天子、大宝の位に即くなり。人君、天を継ぎ極を建て、万国以て朝し、元元以て仰ぎ、四海始めて知る。天子の以て崇ぶべき、明徳を中州に明らかにするの義を。即位の大礼は、人君、綱紀を其の始めに正す。豈に忽せにすべけんや。是れより代代の聖主、各おの此の儀を正殿に行う。〔大極殿、朝堂殿と謂う、是れなり。〕大臣、左右に扶翼す。〔大神勅す、天児屋命・太玉命、惟れ爾二神も亦た同じく殿内に侍いて、善く防護を為せ、と。是れ其の義なり。〕百官、囲み護りて、以て天儀を奉拝す。外国の所謂る正月元日、舜、文祖に格る、是れなり。元とは始めなり、本なり。元年とは即位の初年にして、根本を此に深くして傾かず抜けざるの謂なり。〔此の時既に暦数紀年有り。店暦本とは、百済の釈観勒、推古十年之を献ず。〕皇后を立つるとは、男女の別を正し、嫡媵の辨を明らかにし、廃奪の失を懲らすなり。太子を建つとは、〔神武帝の四十二年に在り。〕父子の親を著し、嫡庶の分を厳にし、宗廟の統を固くするなり。故に人君、即位の礼を厳にして後、天下の君臣其の分定まる。后妃の道を重くして後、天下の男女其の別正し。建立の法を定めて後、天下の父子親しむ。三者は人の大倫なり。三綱立ち行わるれば、則ち身修まり家斉い、治平の功、坐して以て俟つべし。帝、皇極を人皇の始めに建て、規模を万世の上に定む。而して中国明らかに三綱の遺すべからざるを知る。故に皇統一たび立ちて、億万世襲いて変ぜず。天下皆な正朔を受けて其の時を貳つにせず、万国王命を禀けて其の俗を異にせず。三綱終に沈淪せず、徳化塗炭に陥らず。異域の外国、豈に企望すべけんや。夫れ外朝は姓を易うること殆ど三十姓。戎狄入りて王たること数世。春秋二百四十余年、臣子其の国君を弑する者二十又五。況んや其の先後の乱臣賊子は枚挙すべからず。朝鮮は箕子命を受けて以後、姓を易うること四氏、其の国を滅ぼして或いは郡県と為し、或いは高氏滅絶すること凡そ二世。彼の李氏の二十八年の間、王を弑する者四。況んや其の先後の乱逆は禽獣の相残うに異ならず。唯だ中国は開闢より人皇に至るまで、二百万歳に垂とし、人皇より今日に迄るまで二千三百歳を過ぐ。而して天神の皇統は竟に違わず。其の間の弑逆の乱は、指を屈して数うべからず。況んや外国の賊は竟に吾が辺藩を窺うを得ざるをや。後白河帝の後、武家執権すること既に五百又た余年。其の間、未だ嘗て利皆長距以て擅場を得、冠猴封豕、縦火秋蓬の類無くんばあらず。而も猶お王室を貴び君臣の儀を存す。是れ天神人皇の知徳縣象著明にして、没世忘るべからざるなり。其の過化の功、綱紀の分、然く悠久に然く無窮なる者は、至誠より流出するなり。三綱既に立てば、則ち条目の著るる、治政の極致に在り。凡そ八紘の大、外国の汎、中州皇綱の化に如くは無し。文武の功、其の至徳、豈に大ならずや。〔以上、人皇の即位。〕 以上、皇統の無窮を論ず。謹んで按ずるに、天下とは神器にして、人君とは人物の命を繋ぐ者なり。其の与授の間、豈に一人の私を存せんや。皇統の初め、天神以て之を授け、天孫以て之を受く。然れば乃ち其の知徳、天地に愧じずして後、神器の与授と謂うべし。凡そ天は言わず、人之に代わりて言う。天下の人仰ぎ帰すれば、則ち天之に命ずるなり。天下の帰仰する所、更に他に非ず。唯だ天祖眷眷の命に在るのみ。