智囊 / 小慧・王守仁
王陽明年十二,繼母待之不慈。父官京師,公度不能免。以母信佛,乃夜潛起,列五托子於室門。母晨興,見而心悸。他日復如之,母愈駭,然猶不悛也。公乃於郊外訪射鳥者,得一異形鳥,生置母衾內,母整衾,見怪鳥飛去。大懼,召巫媼問之,公懷金賂媼,詐言:「王狀元前室責母虐其遺嬰,今訴於天,遺陰兵收汝魂魄,衾中之鳥是也。」後母大慟,叩頭謝不敢,公亦泣拜良久。巫故作恨恨,乃蹷然蘇。自是母性驟改。
新字:王陽明年十二,継母待之不慈。父官京師,公度不能免。以母信仏,乃夜潜起,列五托子於室門。母晨興,見而心悸。他日復如之,母愈駭,然猶不悛也。公乃於郊外訪射鳥者,得一異形鳥,生置母衾内,母整衾,見怪鳥飛去。大懼,召巫媼問之,公懐金賂媼,詐言:「王状元前室責母虐其遺嬰,今訴於天,遺陰兵収汝魂魄,衾中之鳥是也。」後母大慟,叩頭謝不敢,公亦泣拝良久。巫故作恨恨,乃蹷然蘇。自是母性驟改。
書き下し
王陽明は年十二、継母の之を待つこと慈ならず。父は京師に官たり、公は免るる能わずと度る。母の仏を信ずるを以て、乃ち夜に潜かに起き、五つの托子を室の門に列ぬ。母は晨に興き、見て心悸す。他日復た之の如くし、母は愈いよ駭くも、然れども猶お悛めざるなり。公は乃ち郊外に於いて鳥を射る者を訪ね、一異形の鳥を得て、生きながら母の衾の内に置く、母は衾を整えて、怪鳥の飛び去るを見る。大いに懼れ、巫媼を召して之を問う、公は金を懐にして媼に賂い、詐りて言わしむ、「王状元の前室、母の其の遺嬰を虐ぐるを責め、今天に訴え、陰兵を遣わして汝が魂魄を収めしむ、衾中の鳥は是れなり」と。後母は大いに慟き、叩頭して敢えてせずと謝す。公も亦た泣きて拝すること良や久し。巫は故に恨恨として作し、乃ち蹷然として蘇る。是より母の性は驟かに改まる。
現代語訳
王陽明は十二歳のとき、継母が慈しんでくれなかった。父は都で官職にあり、陽明は、免れることはできないと考えた。継母が仏を信じているので、夜にこっそり起き、五つの托鉢の鉢を部屋の門に並べた。継母は朝起きて、それを見て動悸がした。別の日にまた同じようにすると、継母はますます驚いたが、それでも改めなかった。陽明はそこで郊外に鳥を射る者を訪ね、姿の変わった鳥を一羽手に入れて、生きたまま継母の布団の中に入れた。継母は布団を整えようとして、怪しい鳥が飛び去るのを見た。大いに恐れて、巫女の老婆を呼んで尋ねた。陽明は金を懐に入れて老婆に賄賂を贈り、偽って言わせた。「王状元の前妻が、母がその残した幼子を虐げていることを責めて、いま天に訴え、陰界の兵を遣わして、お前の魂を取り立てようとしている。布団の中の鳥がそれだ。」継母は大いに慟哭し、叩頭して二度としませんと詫びた。陽明も泣いて長いあいだ拝礼した。巫女は恨めしそうなようすを演じてから、はっと我に返った。このときから継母の性格は急に改まった。
解説
この章句が説くこと
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