智囊 / 委蛇・叔孫通・王守仁
叔孫通初以儒服見,漢王僧之;通即變服,服短衣楚制,王喜。時從弟子百許,通無所言,獨言諸故群盜壯士進。諸儒皆怨。通聞之曰:「諸生寧能鬥乎?且待我,毋遽。」王龍溪妙年任俠,日日在酒肆博場中,陽明亟欲一會不能也。陽明卻,日令門弟子六博投壺,歌呼飲酒。久之,密遣一弟子目間龍溪,隨至酒肆家,索與共賭。龍溪笑曰:「腐儒亦能博乎?」曰:「吾師門下,日日如此。」龍溪乃大驚,求見陽明,一睹眉宇,便稱弟子。〔馮評〕才如龍溪,陽明所必欲收也;然非陽明,亦何能得龍溪乎?使遇今之講學者,且以酒肆博場獲罪矣。耿楚侗欲收李卓吾而不能,遂為京力敵,方知陽明之妙用。
新字:叔孫通初以儒服見,漢王僧之;通即変服,服短衣楚制,王喜。時従弟子百許,通無所言,独言諸故群盗壮士進。諸儒皆怨。通聞之曰:「諸生寧能鬥乎?且待我,毋遽。」王竜渓妙年任侠,日日在酒肆博場中,陽明亟欲一会不能也。陽明却,日令門弟子六博投壺,歌呼飲酒。久之,密遣一弟子目間竜渓,随至酒肆家,索与共賭。竜渓笑曰:「腐儒亦能博乎?」曰:「吾師門下,日日如此。」竜渓乃大驚,求見陽明,一睹眉宇,便称弟子。〔馮評〕才如竜渓,陽明所必欲収也;然非陽明,亦何能得竜渓乎?使遇今之講学者,且以酒肆博場獲罪矣。耿楚侗欲収李卓吾而不能,遂為京力敵,方知陽明之妙用。
書き下し
叔孫通、初め儒服を以て見ゆ。漢王これを憎む。通、即ち服を変え、短衣楚制を服す。王喜ぶ。時に弟子に従う者百許り。通、言う所無く、独り諸々の故の群盗・壮士を言いて進む。諸儒みな怨む。通これを聞きて曰く、「諸生、寧んぞ能く闘わんや。且く我を待て、遽かにする毋かれ」と。王龍渓、妙年にして任俠、日日酒肆・博場の中に在り。陽明、亟かに一たび会わんと欲するも能わず。陽明は却って、日に門弟子をして六博・投壺し、歌呼・飲酒せしむ。久しくして、密かに一弟子を遣わして龍渓を目間し、酒肆の家に随至して、索めて共に賭けしむ。龍渓笑いて曰く、「腐儒も亦た博つこと能うか」と。曰く、「吾が師の門下は、日日此くの如し」と。龍渓乃ち大いに驚き、陽明に見ゆるを求め、一たび眉宇を睹て、便ち弟子と称す。〔馮評〕才の龍渓の如きは、陽明の必ず収めんと欲する所なり。然れども陽明に非ずんば、亦た何ぞ能く龍渓を得んや。今の講学者に遇わしめば、且に酒肆・博場を以て罪を獲んとす。耿楚侗、李卓吾を収めんと欲して能わず、遂に京の為に力敵せられ、方に陽明の妙用を知る。
現代語訳
叔孫通は最初、儒者の服で漢王に謁見しましたが、漢王はこれを憎みました。叔孫通はすぐに服を替え、短い衣の楚の風俗の服を着ると、漢王は喜びました。そのとき弟子として従う者が百人ほどいましたが、叔孫通は何も言わず、ただ昔の群盗や壮士を推薦して進めるだけでした。諸儒はみな怨みました。叔孫通はこれを聞いて言いました。「諸君に戦うことができようか。しばらく私を待て、あわてるな。」王龍渓は若い頃から任侠で、毎日酒場や賭博場にいました。王陽明は一度会いたいと思いましたが、できませんでした。陽明は、かえって毎日門下の弟子に双六や投壺をさせ、歌い叫んで酒を飲ませました。しばらくして、ひそかに一人の弟子を遣わして龍渓の様子をうかがわせ、酒場の家までついていって、一緒に賭けようと誘わせました。龍渓は笑って言いました。「頭の固い儒者も賭けごとをするのか。」弟子は言いました。「私の師の門下は、毎日こうです。」龍渓は大いに驚き、陽明への面会を求め、一目その風貌を見ただけで、弟子と称しました。〔馮評〕龍渓ほどの才は、陽明が必ず手に入れたいと思うものである。しかし、陽明でなければ、どうして龍渓を得られただろうか。今の講学者に遭わせたら、酒場や賭博場にいたことで罪を得ただろう。耿楚侗は李卓吾を迎えようとしてできず、ついに京の者に力を競われて、はじめて陽明の妙用を知った。
解説
この章句が説くこと
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