智囊 / 小慧・張幼於・俞羨章
科試故事,邑侯有郊餞。酒酸甚,眾嘩席上。張幼於令勿喧,保為易之,因索大觥,滿引為壽,侯不知其異也,既飲,不覺攢眉,怒懲吏,易以醇。吳中鏤書多利,而甚苦翻刻。俞羨章刻《唐類函》將成,先出訟牒,謬言新印書若干,載往某處,被盜劫去,乞官為捕之,因出賞格,募盜書賊。由是《類函》盛行,無敢翻者。
新字:科試故事,邑侯有郊餞。酒酸甚,衆嘩席上。張幼於令勿喧,保為易之,因索大觥,満引為寿,侯不知其異也,既飲,不覚攢眉,怒懲吏,易以醇。呉中鏤書多利,而甚苦翻刻。兪羨章刻《唐類函》将成,先出訟牒,謬言新印書若干,載往某処,被盗劫去,乞官為捕之,因出賞格,募盗書賊。由是《類函》盛行,無敢翻者。
書き下し
科試の故事、邑侯に郊餞有り。酒酸きこと甚だしく、衆は席上に嘩す。張幼於は喧しくするなと令し、保して之を易えんとし、因りて大觥を索め、満ちて引きて寿を為す、侯は其の異なるを知らざるなり、既に飲みて、覚えず眉を攢め、怒りて吏を懲らし、易うるに醇を以てす。呉中の鏤書は利多く、而して翻刻に甚だ苦しむ。兪羨章は《唐類函》を刻して将に成らんとし、先に訟牒を出だし、謬りて新印の書若干、某処に載せ往くに、盗に劫去せられたりと言い、官に之を捕えんことを乞い、因りて賞格を出だし、盗書賊を募る。是に由りて《類函》は盛んに行われ、敢えて翻する者無し。
現代語訳
科挙の試験に関して、郡の長官が郊外で送別の宴を開いた。酒がひどく酸っぱく、人々は席上でざわめいた。張幼於は騒ぐなと命じ、必ず酒を取り替えさせると請け合った。そこで大きな杯を求め、なみなみと注いで長官に祝いの杯を捧げた。長官は何も異変に気づかずに飲んだが、飲んだとたん、思わず眉をひそめ、怒って役人を叱りつけ、上等な酒に取り替えさせた。呉の地方では出版が利益になるが、海賊版の翻刻にとても悩まされていた。兪羨章は『唐類函』の刊行がもうすぐ完成するというとき、先に訴状を出し、偽って、新しく印刷した書物を若干部、ある場所へ運んでいる途中で、盗賊に奪われたと申し立てた。官に捕らえてほしいと願い出て、賞金の額まで出して、書物泥棒を募った。このために『類函』は盛んに流通し、あえて翻刻する者はいなくなった。
解説
この章句が説くこと
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