智囊 / 通簡・文彥博
文潞公知成都,嘗於大雪會客,夜久不罷。從卒有誶語,共拆井亭燒以禦寒。軍校白之,座客股栗。公徐曰:「天實寒,可拆與之。」神色自若,飲宴如故。卒氣沮,無以為變。明日乃究問先拆者,杖而遣之。〔馮述評〕氣猶火也,挑之則發,去其薪則自熄,可以弭亂,可以息爭。蘇軾通判密郡,有盜發而未獲。安撫使遣三班使臣領悍卒數十人入境捕之,卒兇暴恣行,以禁物誣民,強入其家爭鬥。至殺人,畏罪驚散。民訴於軾,軾投其書不視,曰:「必不至此。」悍卒聞之,頗用自安。軾徐使人招出戮之。遇事須有此鎮定力量,然識不到,則力不足。
新字:文潞公知成都,嘗於大雪会客,夜久不罷。従卒有誶語,共拆井亭焼以禦寒。軍校白之,座客股栗。公徐曰:「天実寒,可拆与之。」神色自若,飲宴如故。卒気沮,無以為変。明日乃究問先拆者,杖而遣之。〔馮述評〕気猶火也,挑之則発,去其薪則自熄,可以弭乱,可以息争。蘇軾通判密郡,有盗発而未獲。安撫使遣三班使臣領悍卒数十人入境捕之,卒兇暴恣行,以禁物誣民,強入其家争鬥。至殺人,畏罪驚散。民訴於軾,軾投其書不視,曰:「必不至此。」悍卒聞之,頗用自安。軾徐使人招出戮之。遇事須有此鎮定力量,然識不到,則力不足。
書き下し
文潞公は成都に知たり。嘗て大雪の日に客を会し、夜久しくして罷まず。従卒に誶語する者有り、共に井亭を拆ちて燒き以て寒を禦ぐ。軍校は之を白し、座客は股栗す。公は徐ろに曰く、「天は実に寒し、拆ちて之に与うべし」と。神色自若として、飲宴故の如し。卒の気は沮み、以て変を為す無し。明日、乃ち先に拆ちし者を究問し、杖して遣る。〔馮述評〕気は猶お火のごとし。之を挑せば則ち発し、其の薪を去れば則ち自ら熄む。以て乱を弭むべく、以て争を息むべし。蘇軾は密郡に通判たり。盗の発して未だ獲られざる有り。安撫使は三班使臣をして悍卒数十人を領して境に入りて之を捕らえしむ。卒は凶暴にして恣に行い、禁物を以て民を誣い、強いて其の家に入りて争闘し、人を殺すに至り、罪を畏れて驚き散ず。民は軾に訴うるも、軾は其の書を投じて視ず、曰く、「必ず此に至らず」と。悍卒は之を聞き、頗る用て自ら安んず。軾は徐ろに人をして招き出だして之を戮せしむ。事に遇いては須らく此の鎮定の力量有るべし。然れども識到らざれば、則ち力足らず。
現代語訳
文潞公は成都の知事であった。ある大雪の日に客を招いて宴を開き、夜が更けても終わらなかった。従者の兵卒たちの中に、不満を口にする者がいて、みなで井戸の屋根を壊して燃やし、寒さをしのいだ。軍校が報告し、座の客たちは足が震えた。公はゆっくり言った。「天気は実に寒い。壊して燃やすことを許してやるがよい」。顔色も態度も変わらず、宴会も以前のままだった。兵卒たちの気勢はそがれ、事を起こすことはなかった。翌日、最初に壊した者を取り調べ、杖で打って放った。〔馮夢龍の評〕気は火のようなものである。かき立てれば燃え上がり、薪を取り除けば自然に消える。これで乱をしずめることができ、争いを収めることができる。蘇軾が密州の通判であった頃、盗賊が出てまだ捕まっていないことがあった。安撫使は三班使臣に荒くれの兵卒数十人を率いさせ、領内に入って盗賊を捕らえさせた。兵卒たちは凶暴で好き勝手にふるまい、禁制品を持っていると民に濡れ衣を着せ、無理に家に押し入って争い、人を殺すまでに至り、罪を恐れて散り散りになった。民は軾に訴えたが、軾はその訴状を投げ捨てて見ず、「そんなことになるはずがない」と言った。荒くれ兵たちはそれを聞いて、すっかり安心した。軾はゆっくりと人を遣わして彼らを招き出し、処刑した。事に当たっては、こうした鎮定の力量がなければならない。だが見識が及ばなければ、力も足りないのである。
解説
この章句が説くこと
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