智囊 / 小慧・敖陶孫・愈澹
韓侂冑既逐趙汝愚至死,太學生敖陶孫賦詩於三元樓壁弔之。方投筆,飲未一二行,壁已舁去矣。敖知必為韓所廉,急更衣持酒具下樓,正逢捕者,問:「敖上舍在否?」對曰:「方酣飲。」亟亡命走閩。韓敗,乃登第一。荊公素喜俞清老。一日謂荊公曰:「吾欲為浮屠,苦無錢買祠部牒耳。」荊公欣然為具僧資,約日祝髮。過期寂然,公問故,清老徐曰:「吾思僧亦不易為,祠部牒金且送酒家還債。」公大笑。〔議〕肯出錢與買僧牒,何不肯償酒債?清老似多說一謊。
新字:韓侂冑既逐趙汝愚至死,太学生敖陶孫賦詩於三元楼壁弔之。方投筆,飲未一二行,壁已舁去矣。敖知必為韓所廉,急更衣持酒具下楼,正逢捕者,問:「敖上舎在否?」対曰:「方酣飲。」亟亡命走閩。韓敗,乃登第一。荊公素喜兪清老。一日謂荊公曰:「吾欲為浮屠,苦無銭買祠部牒耳。」荊公欣然為具僧資,約日祝髪。過期寂然,公問故,清老徐曰:「吾思僧亦不易為,祠部牒金且送酒家還債。」公大笑。〔議〕肯出銭与買僧牒,何不肯償酒債?清老似多説一謊。
書き下し
韓侂冑は既に趙汝愚を逐いて死に至らしめ、太学生の敖陶孫は詩を三元楼の壁に賦して之を弔う。方に筆を投ずるに、飲むこと未だ一二行ならざるに、壁は已に舁ぎ去られたり。敖は必ず韓の廉する所と為るを知り、急ぎ更衣して酒具を持ちて楼を下る、正に捕者に逢い、問う、「敖上舎は在るか」と。対えて曰く、「方に酣飲す」と。亟やかに命を亡ぼして閩に走る。韓の敗るるに、乃ち第一に登る。荊公は素より俞清老を喜ぶ。一日、荊公に謂いて曰く、「吾は浮屠と為らんと欲するも、苦だ祠部牒を買う銭無きのみ」と。荊公は欣然として為に僧資を具え、日を約して髪を祝る。期を過ぎて寂然たり、公は故を問う、清老は徐ろに曰く、「吾は思う、僧も亦た為し易からず、祠部牒の金は且く酒家に送りて債を還さん」と。公は大いに笑う。〔議〕肯えて銭を出して僧牒を買うに、何ぞ酒債を償うを肯んぜざらん、清老は似て多く一謊を説く。
現代語訳
韓侂冑は趙汝愚を追放して死に至らせた。太学生の敖陶孫は、三元楼の壁に詩を書いて趙汝愚を弔った。筆を置いたばかりで、酒を一、二杯も飲まないうちに、壁はもう担ぎ去られていた。敖は、きっと韓侂冑の探索によるものだと知り、急いで着替えて酒器を持って楼を降りた。ちょうど捕吏に出会い、尋ねられた。「敖上舎はいるか。」答えて言った。「ちょうど酒盛りの最中です。」敖は急いで逃げて閩の地へ走った。韓侂冑が敗れると、科挙に第一位で合格した。王安石は以前から俞清老を気に入っていた。ある日、清老は王安石に言った。「私は僧になりたいのですが、僧になる許可証を買う銭がなくて困っています。」王安石は喜んで僧になる費用を用意し、日を決めて髪を剃る約束をした。期日を過ぎても音沙汰がなく、王安石は理由を尋ねた。清老はゆっくりと言った。「私は考えました。僧になるのもそう易しくない、許可証の金はひとまず酒屋に送って借金を返そうと。」王安石は大いに笑った。〔議〕金を出して僧の許可証を買うことには応じたのに、どうして酒の借金を返すことには応じないのか。清老は嘘をひとつ余計に言っているようだ。
解説
この章句が説くこと
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