智囊 / 靈變・崔巨倫
北魏崔巨倫嘗任殷州別將。州為賊陷,葛榮聞其才名,欲用之。巨倫規自脫。適五月五日,會集百僚,命巨倫賦詩。巨倫詩曰:「五月五日時,天氣已大熱,狗便呀欲死,牛復吐出舌。」聞者哄然發噱,以此自晦獲免。已潛結死士數人,乘夜南走。遇邏騎,眾危之。巨倫曰:「寧南死一寸,豈北生一尺。」遽紿賊曰:「吾受敕行。」賊方爇火觀敕,巨倫輒拔劍斬賊帥,餘眾驚走,因得脫還。〔述評〕嘉靖中,倭亂江南,崑山夏生為倭所獲,自稱能詩。倭將以竹輿乘之,令從行,日與唱和,竟免禍。久之,夏乞歸,厚贈而返。此又以不自晦獲全者也。夏稱倭將亦能詩,其《詠文菊》詩云:「五尺闌干遮不盡,還留一半與人看。」
新字:北魏崔巨倫嘗任殷州別将。州為賊陥,葛栄聞其才名,欲用之。巨倫規自脱。適五月五日,会集百僚,命巨倫賦詩。巨倫詩曰:「五月五日時,天気已大熱,狗便呀欲死,牛復吐出舌。」聞者哄然発噱,以此自晦獲免。已潜結死士数人,乗夜南走。遇邏騎,衆危之。巨倫曰:「寧南死一寸,豈北生一尺。」遽紿賊曰:「吾受勅行。」賊方爇火観勅,巨倫輒抜剣斬賊帥,余衆驚走,因得脱還。〔述評〕嘉靖中,倭乱江南,崑山夏生為倭所獲,自称能詩。倭将以竹輿乗之,令従行,日与唱和,竟免禍。久之,夏乞帰,厚贈而返。此又以不自晦獲全者也。夏称倭将亦能詩,其《詠文菊》詩云:「五尺闌干遮不尽,還留一半与人看。」
書き下し
北魏の崔巨倫は嘗て殷州の別将に任ぜらる。州は賊に陥され、葛栄はその才名を聞き、これを用いんと欲す。巨倫は自ら脱せんことを規る。適々五月五日、百僚を会集し、巨倫に命じて詩を賦せしむ。巨倫の詩に曰く、「五月五日の時、天気已に大いに熱し、狗は便ち呀して死せんと欲し、牛は復た舌を吐き出す」と。聞く者は哄然として噱を発し、此を以て自ら晦して免るるを獲たり。已にして潜かに死士数人と結び、夜に乗じて南に走る。邏騎に遇い、衆は危ぶむ。巨倫曰く、「寧ろ南に死すること一寸ならんも、豈に北に生くること一尺ならんや」と。遽かに賊を紿りて曰く、「吾は敕を受けて行く」と。賊は方に火を爇やして敕を観る。巨倫は輒ち剣を抜きて賊の帥を斬り、余衆は驚き走り、因りて脱け還るを得たり。〔述評〕嘉靖中、倭の江南を乱すに、崑山の夏生は倭に獲らわれ、自ら詩を能くすと称す。倭の将は竹輿を以てこれに乗せ、従い行かしめ、日に唱和し、竟に禍を免る。久しくして、夏は帰らんことを乞い、厚く贈りて返さる。此れは又た自ら晦せざるを以て全きを獲たる者なり。夏は倭将も亦た詩を能くすと称し、その《文菊を詠ず》の詩に云う、「五尺の闌干も遮り尽くさず、還た一半を留めて人の看るに与う」と。
現代語訳
北魏の崔巨倫は、かつて殷州の別将に任じられていた。州が賊に攻め落とされ、賊の頭の葛栄は、巨倫の才名を聞いて用いようとした。巨倫は何とか自力で逃れようと考えた。ちょうど五月五日になり、葛栄は役人たちを集めて、巨倫に詩を作らせた。巨倫の詩はこうだった。「五月五日のころ、天気はすでにたいへん熱く、犬はあえいで死にそうで、牛もまた舌を出している」。聞く者はどっと笑い出し、巨倫はこうして才を隠して用いられずにすんだ。まもなく、巨倫はひそかに死を覚悟した者数人と結び、夜に南へ逃げた。見回りの騎兵に出会い、仲間は危ぶんだ。巨倫は言った。「南で一寸でも死ぬほうが、北で一尺生きるよりましだ」。そして急に賊にうそをついた。「私は勅命を受けて行く」。賊が火をともして勅書を見ようとしたところ、巨倫は剣を抜いて賊の頭を斬り、残りの者は驚いて逃げ、こうして脱出できた。〔述評〕嘉靖年間、倭寇が江南を乱したとき、崑山の夏という書生が倭寇に捕らえられ、自分は詩ができると言った。倭の将は竹の輿に乗せて従わせ、毎日詩を唱和し、ついに禍を免れた。しばらくして夏が帰りたいと願うと、厚い贈り物をもらって返された。これは才を隠さないことで命を全うした例である。夏は、倭の将も詩が上手だったと言い、その『文菊を詠む』の詩は、「五尺の欄干も遮りきれず、半分を残して人に見せている」という。
解説
この章句が説くこと
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