智囊 / 狡黠・劉龍子・馬太守
唐高宗時,有劉龍子者,作一金龍頭藏袖中,以羊腸盛蜜水繞繫之;每聚眾,出龍頭,言「聖龍吐水,飲之百病皆差。」遂轉羊腸水於龍口中出,與人飲之,皆罔云「病癒」。施捨無數。後以謀逆被誅。興古太守馬氏在官,有親故人投之,求恤焉。馬乃令此人出外往,詐云是神人道士,治病無不手下立愈。又令辯士遊行,為之虛聲云「能令盲者登視,躄者即行」。於是四方雲集,禮之如市,而錢帛固已積山矣。又敕諸求治病者:「雖不便愈,當告人言愈也,如此則必愈;若告人未愈者,則後終不癒也。道法正爾,不可不信!」於是後人問前來人,輒告云「已愈」。無敢言未愈者也。旬日之間,乃致巨富焉。
新字:唐高宗時,有劉竜子者,作一金竜頭蔵袖中,以羊腸盛蜜水繞繋之;毎聚衆,出竜頭,言「聖竜吐水,飲之百病皆差。」遂転羊腸水於竜口中出,与人飲之,皆罔云「病癒」。施捨無数。後以謀逆被誅。興古太守馬氏在官,有親故人投之,求恤焉。馬乃令此人出外往,詐云是神人道士,治病無不手下立愈。又令弁士遊行,為之虚声云「能令盲者登視,躄者即行」。於是四方雲集,礼之如市,而銭帛固已積山矣。又勅諸求治病者:「雖不便愈,当告人言愈也,如此則必愈;若告人未愈者,則後終不癒也。道法正爾,不可不信!」於是後人問前来人,輒告云「已愈」。無敢言未愈者也。旬日之間,乃致巨富焉。
書き下し
唐の高宗の時、劉龍子なる者有り。一金龍頭を作りて袖中に蔵し、羊腸に蜜水を盛りて之を繞らし繫ぐ。衆を聚むる毎に、龍頭を出だし、言う、「聖龍水を吐く。之を飲めば百病皆な差ゆ」と。遂に羊腸の水を転じて龍口中より出だし、人に与えて之を飲ましむ。皆な罔りて「病癒えたり」と云う。施捨は数無し。後に謀逆を以て誅せらる。興古太守の馬氏、官に在り、親故の人の之に投じて恤を求むる有り。馬、乃ち此の人をして外に出で往かしめ、詐りて是れ神人道士にして、病を治すること手下に立ちどころに愈えざる無しと云わしむ。又、辯士をして遊行せしめ、之が為に虚声して云わしむ、「能く盲者をして登ちに視せしめ、躄者をして即ち行かしむ」と。是に於いて四方より雲のごとく集まり、之を礼すること市の如く、而して銭帛は固より已に山の如く積めり。又、諸もろの治を求むる者に敕す、「便ち愈えずと雖も、当に人に告げて愈えたりと言うべし。此の如くせば則ち必ず愈えん。若し未だ愈えずと人に告げば、則ち後に終に癒えず。道法は正に爾り。信ぜざる可からず」と。是に於いて後の人、前に来たる人に問えば、輒ち告げて「已に愈えたり」と云う。敢えて未だ愈えずと言う者無きなり。旬日の間に、乃ち巨富を致せり。
現代語訳
唐の高宗の時代、劉龍子という者がいた。金の龍の頭を作って袖の中に隠し、羊の腸に蜜水を詰めて、それを龍の頭に巻きつけていた。人々を集めるたびに龍の頭を出し、言った。「聖なる龍が水を吐く。これを飲めばすべての病が治る」。そして羊の腸の水を押し出して龍の口から出し、人々に与えて飲ませた。みな偽って「病気が治った」と言った。施しは数えきれない。のちに謀反の罪で誅殺された。興古の太守の馬氏が在任中、親戚や旧知の者が頼ってきて、援助を求めた。馬はそこでこの人を外に出して遊行させ、神人の道士と偽らせ、病を治すのに手を下すとたちどころに治らない者はないと言わせた。さらに弁舌の巧みな者に各地を回らせ、そのために評判を広めさせた。「盲目の人をすぐに見えるようにし、足の不自由な人をすぐに歩かせる」と。それで四方から雲のように人が集まり、市場のように礼拝し、銭や絹は山のように積まれた。また、治療を求める者たちに命じた。「すぐに治らなくても、人には治ったと言いなさい。そうすれば必ず治る。もしまだ治らないと人に告げれば、その後ついに治らない。道の法はまさにそうである。信じなければならない」。そこで、あとから来た人が前に来た人に尋ねると、みな「もう治りました」と答えた。まだ治っていないと言う者は誰もいなかった。十日ほどの間に、巨万の富を築いた。
解説
この章句が説くこと
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