智囊 / 狡黠・永嘉船夫
湖中小客貨姜於永嘉富人王生,酬直未定,強秤之,客語侵生,生怒,拳其背,僕戶限死。生扶救,良久復甦,以酒食謝過,遺之尺絹,還次渡口,舟子問:「何處得此?」具道所以,且曰:「幾作他鄉鬼矣!」時數里間有流屍,舟子因生心,從客買其絹,並丐筠籃。客既去,即撐屍近生居,脫衫褲衣之,走叩生門,倉皇告曰:「午後有湖州客過渡,云為君家捶擊垂死,凂我告官,呼骨肉直其冤,留絹與籃為證,今已絕矣。」生舉家懼且泣,以二百千賂舟子,求瘞屍深林中。後為黠僕要脅,聞於官,生因徙居,忘故瘞處,拷掠病死。而明年姜客具土儀來訪,言買絹之故,其家執僕訴冤,官並捕舟子斃死。
新字:湖中小客貨姜於永嘉富人王生,酬直未定,強秤之,客語侵生,生怒,拳其背,僕戸限死。生扶救,良久復甦,以酒食謝過,遺之尺絹,還次渡口,舟子問:「何処得此?」具道所以,且曰:「幾作他郷鬼矣!」時数里間有流屍,舟子因生心,従客買其絹,並丐筠籃。客既去,即撐屍近生居,脱衫褲衣之,走叩生門,倉皇告曰:「午後有湖州客過渡,云為君家捶撃垂死,凂我告官,呼骨肉直其冤,留絹与籃為証,今已絶矣。」生舉家懼且泣,以二百千賂舟子,求瘞屍深林中。後為黠僕要脅,聞於官,生因徙居,忘故瘞処,拷掠病死。而明年姜客具土儀来訪,言買絹之故,其家執僕訴冤,官並捕舟子斃死。
書き下し
湖中の小客、姜を永嘉の富人王生に貨る。酬直未だ定まらず、強いて之を秤る。客の語、生を侵す。生怒り、其の背を拳つ。僕戸限に死す。生扶け救い、良久しくして復た甦る。酒食を以て過ちを謝し、之に尺絹を遺る。還りて渡口に次るに、舟子問う、「何処にて此を得たる」と。具さに所以を道い、且つ曰く、「幾んど他郷の鬼と作らんとせり」と。時に数里の間に流屍有り。舟子因りて心を生じ、客に従りて其の絹を買い、並びに筠籃を丐う。客既に去るや、即ち屍を撐して生の居に近づけ、衫褲を脱がせて之に衣せ、走りて生の門を叩き、倉皇として告げて曰く、「午後に湖州の客の渡るもの有り。云う、君が家に捶ち撃たれて死に垂んとす。我に託して官に告げ、骨肉を呼びて其の冤を直さしめんとし、絹と籃とを留めて証と為す。今や已に絶えたり」と。生、挙家懼れ且つ泣き、二百千を以て舟子に賂し、屍を深林の中に瘞めんことを求む。後、黠僕の要脅する所となり、官に聞こゆ。生因りて徙居し、故の瘞処を忘れ、拷掠せられて病死す。而して明年、姜客、土儀を具えて来訪し、絹を買いし故を言う。其の家、僕を執えて冤を訴う。官、並びに舟子を捕えて斃死せしむ。
現代語訳
湖のほとりの小商人が、生姜を永嘉の富豪、王生に売りに来た。値段がまだ決まらないうちに、王生は強引にそれを秤にかけた。商人の言葉が王生の気にさわり、怒った王生は商人の背中を殴った。商人は敷居のところで倒れて死んだようになった。王生は助け起こして手当てし、しばらくして息を吹き返した。王生は酒食でわびを入れ、一尺の絹を贈った。商人が帰って渡し場にさしかかると、船頭が尋ねた。「どこでこれを手に入れたのか」。商人は詳しく事情を話し、「あやうく異郷の鬼になるところだった」と言った。そのとき、数里の間に流れ着いた死体があった。船頭は悪心を起こし、商人からその絹を買い取り、さらに竹の籠も譲ってもらった。商人が去ると、すぐに死体を竿で押して王生の家の近くに寄せ、上着とはかまを脱がせて着せ、王生の門を叩いて慌ただしく告げた。「午後に湖州の商人が渡し場を渡りました。あなたの家で打たれて死にそうになったと言い、私に頼んで役所に訴え、身内を呼んでその冤を晴らしたいと、絹と籠を残して証拠にしました。今はもう息が絶えました」。王生の一家は恐れ泣き、二百千を船頭に与え、死体を深い林に埋めてくれるよう頼んだ。のちにずる賢い下男に脅され、事が役所に伝わった。王生は引っ越し、もとの埋めた場所を忘れ、拷問を受けて病死した。翌年、生姜の商人が土産物を持って訪ねて来て、絹を買われたわけを話した。王生の家は下男を捕らえて冤罪を訴えた。役所は船頭も捕らえて処刑した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・應務・有意にして能く掩ふ者無し只だ跡無くして疑を生ずる有り、再び有意にして能く掩ふ者無し。畏れざる可けんや。
-
『呻吟語』内篇・修身・善を彰さずして德を損せず其の善有りて彰るる者は、必ず其の惡有りて掩ふ者なり。君子は善を彰して以て德を損せず、惡を掩ひて以て慝を長ぜず。
-
『呻吟語』内篇・修身・一個の真小人を成就す過ちや、人皆な之を見る、乃ち君子を見る。今人過ちの見る可き無し、豈に能く君子より賢ならんや。緣は只だ文飾彌縫の上に在りて工夫を做し、無限の巧回護を費やし盡くして、一個の真小人を成就するに在り。
-
『春秋左氏伝』襄公十七年 左師、策を短くす冬、邾人我が南鄙を伐つ。齊の為の故なり。宋の華閱卒す。華臣皋比の室を弱めんとし、賊をして其の宰華吳を殺さしむ。賊六人鈹を以って諸を盧門、合左師の後に殺す。左師懼れて曰く、「老夫罪無し」と。賊曰く、「皋比私に吳を討つ有り」と。遂に其の妻を幽して曰く、「余に而の大璧を畀へよ」と。宋公之を聞きて曰く、「臣や、唯だ其の宗室に是れ暴するのみならず、大いに宋國の政を亂る。必ず之を逐はん」と。左師曰く、「臣も亦た卿なり。大臣順ならざるは、國の恥なり。之を蓋ふに如かず」と。乃ち之を舍く。左師己が為に策を短くし、苟も華臣の門を過ぐれば、必ず騁す。
-
史記 酷吏列伝淮陽に誅滅する所甚だ多し、死するに及び、仇家其の尸を焼かんと欲す、尸亡げ去りて帰葬す。温舒等悪を以て治を為してより、而して郡守・都尉・諸侯の二千石の治を為さんと欲する者、其の治大抵尽く温舒に放ふ、而して吏民益々軽く法を犯し、盗賊滋々起こる。南陽に梅免・白政有り、楚に殷中・杜少有り、斉に徐勃有り、燕趙の間に堅盧・范生の属有り。大群は数千人に至り、擅に自ら号し、城邑を攻め、庫兵を取り、死罪を釈し、郡の太守・都尉を縛辱し、二千石を殺し、檄を為りて県に告げて食を具ふるを趣す。小群は百を以て数へ、郷里を掠鹵する者、勝げて数ふべからざるなり。是に於て天子始めて御史中丞・丞相長史をして之を督せしむ。猶ほ禁ずること能はざるなり、乃ち光禄大夫范昆・諸輔都尉及び故の九卿張徳等をして繍衣を衣、節を持し、虎符もて兵を発して以て興撃せしむ、首を斬ること大部或いは万余級に至り、及び法を以て通飲食を誅し、坐して諸郡に連なり、甚しき者は数千人。数歳にして、乃ち頗る其の渠率を得。散卒失亡し、復た党を聚めて山川に阻む者、往往にして群居し、柰何ともすべき無し。是に於て「沈命法」を作る、曰く群盗起こりて発覚せず、発覚して捕ふるも品に満たざる者は、二千石以下小吏の主る者に至るまで皆死せしむと。其の後小吏誅を畏れ、盗有りと雖も敢て発せず、得ること能はずして、課に坐して府に累はさんことを恐る、府も亦其れをして言はざらしむ。故に盗賊寖く多く、上下相為に匿し、文辞を以て法を避く。減宣は、楊の人なり。佐史にして害無きを以て河東の守府に給事す。衛将軍青使ひして馬を河東に買はしむ、宣の害無きを見て、上に言ひ、徴して大廐の丞と為す。官事弁じ、稍く遷りて御史及び中丞に至る。主父偃を治め及び淮南の反獄を治めしむ、微文深詆を以てする所以、殺す者甚だ衆し、称して敢て疑はしきを決すと為す。
-
『政談』大坂在番の事且又大坂にては下々の欠落常にある事なり、欠落は大方は御城下へ出てゝ定の刻限に帰らぬ故直に欠落になるなり、又行きかた知れず失することもあり、大方は博奕などの意趣によりで海へ突落して殺す成るへし、又欠落したるものが十日計りも過きて後御城内へ来り、其の儘又何方へやらん行くこともありと承はる、不思議千万なることなり、畢竟御堀を越え来るべきやうなし、御門より出入するか、御城中にかくれ居るか、此の二つを出つべからず、惣じて余りに法厳しく、一事あれば詮議六ケ敷故、面々に事のなきやうにと心得ることを、御番衆の伝授にすることにて斯の如きこと却て知れぬと見えたり、法を末にて厳しくして、元来法の立てやうに行届かぬ所有れば、必ず斯の如くなるものなり、大坂御番に限らず、当時は何方も〳〵斯の如し、心得あるべきこと也、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る