智囊 / 狡黠・丁謂・曹翰
丁謂既竄崖州,其家寓洛陽,嘗作家書,遣使致之洛守劉燁,祈轉付家,戒使者曰:「伺燁會僚眾時呈達。」燁得書,遂不敢隱,即以聞,帝啟視,則語多自刻責,敘國厚恩,戒家人無怨望。帝感惻,遂徙雷州。曹翰貶汝州。有中使來,翰泣曰:「眾口食貧不能活,以袱封故衣一包,質十千。」中使回奏之,太宗開視,乃一畫障,題曰:「下江南圖」,惻然憐之,因召還。
新字:丁謂既竄崖州,其家寓洛陽,嘗作家書,遣使致之洛守劉燁,祈転付家,戒使者曰:「伺燁会僚衆時呈達。」燁得書,遂不敢隠,即以聞,帝啓視,則語多自刻責,敘国厚恩,戒家人無怨望。帝感惻,遂徙雷州。曹翰貶汝州。有中使来,翰泣曰:「衆口食貧不能活,以袱封故衣一包,質十千。」中使回奏之,太宗開視,乃一画障,題曰:「下江南図」,惻然憐之,因召還。
書き下し
丁謂、既に崖州に竄され、其の家は洛陽に寓す。嘗て家書を作り、使を遣わして之を洛守劉燁に致し、転じて家に付せんことを祈り、使者を戒めて曰く、「燁の僚衆を会する時を伺いて呈達せよ」と。燁、書を得て、遂に敢えて隠さず、即ち以て聞す。帝、啓き視るに、則ち語は多く自ら刻責し、国の厚恩を叙べ、家人に怨望する無きを戒む。帝、感惻し、遂に雷州に徙す。曹翰、汝州に貶さる。中使来たる有り。翰、泣きて曰く、「衆口の食貧しくして活くること能わず。袱を以て故衣一包を封じ、十千に質せん」と。中使、回りてこれを奏す。太宗、開き視るに、乃ち一画障にして、題して曰く「下江南図」と。惻然としてこれを憐れみ、因りて召し還す。
現代語訳
丁謂は、崖州に流されてから、その家は洛陽に身を寄せていた。あるとき家への手紙を書き、使者を遣わして洛陽の長官劉燁に届け、家に転送してくれるよう頼んだ。使者には言いつけた。「劉燁が部下たちを集めている時を見はからって差し出しなさい」。劉燁は手紙を受け取ると、隠すことをせず、ただちに朝廷に報告した。帝が開いて見ると、文面は多く自分を厳しく責める言葉で、国の厚い恩に感謝し、家人には恨みを抱かぬよう戒めていた。帝は心を動かされ、雷州に移した。曹翰は汝州に左遷された。そこに使いの宦官が来ると、翰は泣いて言った。「家族が食うに困り、生きていけません。包み布で古着の一包みを封じました。十千で質に入れたいのです」。使いの宦官は戻ってそれを奏上した。太宗が開けてみると、一幅の屏風絵で、「下江南図」と題してあった。帝はあわれに思い、呼び戻した。
解説
この章句が説くこと
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