智囊 / 狡黠・秦檜
秦檜用事,天下貢獻先入其門,而次及官家。一日,王夫人常出入禁中,顯仁太后言:「近日子魚大者絕少。」夫人對曰:「妾家有之,當以百尾進。」歸告檜,檜咎其失言,明日進糟青魚百尾,顯仁拊掌笑曰:「我道這婆子村,果然。」又,程厚與檜善。為中舍時,一日邀至府第內閣,一室蕭然,獨案上有紫綾縹一冊,寫《聖人以日星為紀》賦,尾有「學生類貢進士秦塤呈」。文采豔麗。程兀坐靜觀,反覆成誦,唯酒餚問勞沓至,及晚,檜竟不出,乃退,程莫測也。後數日,差知貢舉宣押入院,始大悟,即以此命題,此賦擅場,塤遂首選。
新字:秦檜用事,天下貢献先入其門,而次及官家。一日,王夫人常出入禁中,顕仁太后言:「近日子魚大者絶少。」夫人対曰:「妾家有之,当以百尾進。」帰告檜,檜咎其失言,明日進糟青魚百尾,顕仁拊掌笑曰:「我道這婆子村,果然。」又,程厚与檜善。為中舎時,一日邀至府第内閣,一室蕭然,独案上有紫綾縹一冊,写《聖人以日星為紀》賦,尾有「学生類貢進士秦塤呈」。文采艶麗。程兀坐静観,反覆成誦,唯酒餚問労沓至,及晩,檜竟不出,乃退,程莫測也。後数日,差知貢舉宣押入院,始大悟,即以此命題,此賦擅場,塤遂首選。
書き下し
秦檜、事を用うるや、天下の貢献は先ず其の門に入りて、次いで官家に及ぶ。一日、王夫人常に禁中に出入す。顕仁太后言う、「近日、子魚の大なる者は絶えて少なし」と。夫人対えて曰く、「妾が家にこれ有り。当に百尾を以て進むべし」と。帰りて檜に告ぐ。檜、其の失言を咎む。明日、糟青魚百尾を進む。顕仁、掌を拊ちて笑いて曰く、「我、道う、這の婆子は村なりと。果たして然り」と。又、程厚は檜と善し。中舎たりし時、一日邀えられて府第の内閣に至る。一室蕭然として、独り案上に紫綾の縹の一冊有り、「聖人以日星為紀」の賦を写す。尾に「学生類貢進士秦塤呈す」と有り。文采艶麗なり。程、兀坐して静かに観、反覆して成誦す。唯だ酒餚の問労のみ沓至し、晩に及んで檜竟に出でず。乃ち退く。程測らざるなり。後数日、知貢挙に差されて宣押入院す。始めて大いに悟り、即ち此を以て命題す。此の賦、場に擅にし、塤遂に首選たり。
現代語訳
秦檜が権力をふるっていたころ、天下からの献上品は、まず檜の門に入り、そのあとで皇室に回された。ある日、檜の妻の王夫人がいつものように宮中に出入りしていた。顕仁太后が言った。「近ごろ、大きな子魚はめったに見かません」。夫人は答えた。「私どもの家にございます。百尾を差し上げましょう」。帰ってそれを檜に告げると、檜は失言を責めた。翌日、酒粕漬けの青魚を百尾、献上した。顕仁太后は手を打って笑い、「わたしが言っていたでしょう、この婆さんは田舎者だと。やはりそうだった」と言った。また、程厚は檜と親しかった。中書舎人であったころ、ある日招かれて檜の屋敷の内閣に行った。一室はがらんとして、ただ机の上に紫の綾で表装した冊子が一冊あり、「聖人は日星を以て紀と為す」の賦が書き写されていた。末尾には「学生で貢士に類する秦塤、進呈す」とある。文章は華やかで美しかった。程はじっと座って静かに読み、繰り返し読んで暗誦できるほどになった。ただ酒や料理でのもてなしは次々と出たが、夕方になっても檜はついに姿を見せなかった。そこで退出した。程にはわけが分からなかった。数日後、程は科挙の試験官に任じられ、院に入った。そこで初めて大いに悟り、まさにこの題で出題した。この賦は試験場で抜きんでて、塤はついに首席となった。
解説
この章句が説くこと
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