智囊 / 迎刃・王益・賈耽
王益知韶州,州有屯兵五百人。代者久不至,欲謀為變。事覺,一郡皆駭。益不為動,取其首五人,即日斷流之。或請以付獄,不聽。既而聞其徒曰:「若五人者繫獄,當夜劫之。」眾乃服。賈耽為山南東道節度使,使行軍司馬樊澤奏事行在。澤既反命,方大宴,有急牒至,以澤代耽。耽內牒懷中,顏色不改,宴罷,即命將吏謁澤,牙將張獻甫怒曰:「行軍自圖節鉞,事人不忠,請殺之!」耽曰:「天子所命,即為節度使矣。」即日離鎮,以獻甫自隨,軍府遂安。
新字:王益知韶州,州有屯兵五百人。代者久不至,欲謀為変。事覚,一郡皆駭。益不為動,取其首五人,即日断流之。或請以付獄,不聴。既而聞其徒曰:「若五人者繋獄,当夜劫之。」衆乃服。賈耽為山南東道節度使,使行軍司馬樊沢奏事行在。沢既反命,方大宴,有急牒至,以沢代耽。耽内牒懐中,顔色不改,宴罷,即命将吏謁沢,牙将張献甫怒曰:「行軍自図節鉞,事人不忠,請殺之!」耽曰:「天子所命,即為節度使矣。」即日離鎮,以献甫自随,軍府遂安。
書き下し
王益は韶州に知たり、州に屯兵五百人有り。代わる者久しく至らず、変を為さんと謀る。事覚れ、一郡皆な駭く。益は動ずる為さず、其の首五人を取り、即日之を断流す。或いは獄に付せんことを請うも、聴かず。既にして其の徒の言うを聞く、「若し五人が獄に繋がれなば、当に夜に之を劫かすべし」と。衆は乃ち服す。賈耽は山南東道節度使と為り、行軍司馬樊沢をして事を奏せしめんとして行在に使わしむ。沢は既に命を反し、方に大宴するに、急牒の至る有り、沢を以て耽に代う。耽は牒を懐中に内れ、顔色改まらず、宴罷りて、即ち将吏に命じて沢に謁せしむ。牙将張献甫は怒りて曰く、「行軍は自ら節鉞を図る、人に事えて忠ならず、請う、之を殺さん」と。耽曰く、「天子の命ずる所なれば、即ち節度使為り」と。即日鎮を離れ、献甫を以て自ら随わしむれば、軍府は遂に安し。
現代語訳
王益は韶州の長官であったとき、州に屯する兵が五百人いた。交代の者が長く来ず、反乱を起こそうと謀った。事が発覚し、郡中の人が皆驚いた。益は動揺せず、その首謀者五人を捕らえ、その日のうちに処断して水に流した。ある者は獄に送るよう請うたが、聞き入れなかった。その後、彼らの仲間が「もし五人が獄に繋がれたら、夜にこれを奪い返す」と言っていると聞いた。人々はそこで納得した。賈耽は山南東道節度使であり、行軍司馬の樊沢を行在所に遣わして用件を奏上させようとした。樊沢が復命して、ちょうど大宴会が開かれたところに、急ぎの文書が届き、樊沢を賈耽の後任とするとあった。賈耽は文書を懐に入れ、顔色を変えず、宴が終わってから、将吏に命じて樊沢に拝謁させた。牙将の張献甫は怒って言った。「行軍司馬は自ら節度使の地位を狙い、主人に仕えて忠実でない。どうか彼を殺させてください」。賈耽は言った。「天子が命じたのだから、すなわち節度使である」。その日のうちに鎮を離れ、献甫を自分に随行させたので、軍府はこうして安定した。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』經務・張肖甫張公は嘉禾に抵りて変を聞き、候人に問いて曰く、「兵の海を哨する者は発せしか」と。曰く、「発せり」と。「留まる所の二営は恙無きか」と。曰く、「然り」と。公曰く、「速やかに之を駆れ、尚お離して二つにす可し」と。従者は皆な恐る。公は談笑して自如たり。既に台に抵りて事を治むるに、群不逞の嘯聚するは益ます衆く、竿を揭げ幟を立て、白刃を執りて台に向かう者は二千余ばかりなる可し、且つ垣を毀ちて入らんと欲す。公は乃ち数卒に従いて肩輿に乗りて出で迎え、之に謂いて曰く、「汝曹反する毋かれ、反すれば則ち天子は六師を移して至り汝を族せん。且つ汝は必ず苦しむ所と甚だ平らかならざる所有らん。何ぞ我に告げざる」と。衆は夜役の不公を以て言う。公曰く、「易きのみ。奈何ぞ一憤を以て一族に易えんや」と。即ち令を下して之を除く。衆は始めて散ず。然れども其の気は益ます張り、夜に復た他の巨室を掠め、火光天を燭らす。公は燭を秉りて檄を草し、諭すに禍福を以てし、質明に通衢に張るに、衆は取りて之を裂く。公は怒りて曰く、「吾は命を奉じて悍兵を戢めんとす。宜しく悍民より自ら始むべし」と。已にして計りて曰く、「過ちは使う可し、烏合は刈る可し」と。游撃の徐景星に命じて二営の兵を以て入らしめ、伍長を召して之を撫して曰く、「前の幕府は誠に汝の死力を誤用して汝に餉せず。汝は寧ろ怏怏たる無からんや」と。衆は唯唯たり。則ち又た曰く、「市の無頼の子の乱は成れり。彼に他の労無く、汝曹の例に非ず。能く我が為に尽力して之を捕らう計らば、我は且つ汝曹をして功を以て飽かしめん。然れども多く殺す毋かれ、多く殺せば汝の功にあらず」と。衆は踊躍して命を聴く。
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