智囊 / 狡黠・藍道行
世廟時,方士藍道行以乩得倖。上故有所問,密封使中官至乩所焚之,不能答。則咎中官穢,不能格真仙,中官以密封授道行,使自焚。道行乃為偽封付火,而匿其真跡,所答具如旨,上以為神,益信之。〔評〕藍詐矣,然廷臣卒賴其力,假神仙以去嚴嵩,則詐亦有用處也。
新字:世廟時,方士藍道行以乩得倖。上故有所問,密封使中官至乩所焚之,不能答。則咎中官穢,不能格真仙,中官以密封授道行,使自焚。道行乃為偽封付火,而匿其真跡,所答具如旨,上以為神,益信之。〔評〕藍詐矣,然廷臣卒頼其力,仮神仙以去厳嵩,則詐亦有用処也。
書き下し
世廟の時、方士藍道行、乩を以て倖を得たり。上、故に問う所有れば、密封して中官をして乩の所に至りてこれを焚かしむ。答うること能わず。則ち中官の穢れて、真仙に格ること能わざるを咎む。中官、密封を以て道行に授け、自ら焚かしむ。道行乃ち偽封を為りて火に付し、其の真跡を匿し、答うる所具さに旨の如し。上以て神と為し、益々これを信ず。〔評〕藍は詐れり。然れども廷臣は卒に其の力に頼り、神仙に仮りて以て厳嵩を去れり。則ち詐も亦た用処有るなり。
現代語訳
世宗(嘉靖帝)の時代、方士の藍道行は、扶乩(神降ろしの占い)によって帝の寵愛を得た。帝がある事柄について問いたいときは、密封した書面を宦官に持たせ、乩のところで焼かせた。しかし最初は答えが出せなかった。すると道行は、宦官が穢れていて真の仙人に通じられないのだと責めた。宦官は密封した書面を道行に渡し、自分で焼かせることにした。道行はにせの封を作ってそれを火にくべ、本物の書面は隠し持った。そこで答えはすべて帝の問いの通りになった。帝は神のわざだと思い、ますます信じた。〔評〕藍は詐欺師である。しかし朝廷の臣たちは結局その力に頼り、神仙のお告げを借りて厳嵩を除いた。してみると、詐欺にも使い道があるのである。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』狡黠・江南士子徽姪は大いに喜び、復た之に飲食せしめ、公子は酬を索めること議の如くして去る、明日、徽姪は文書を以て駅卒に付すに、此の公子は私かに駅卒に従いて文書を索めて自ら投ぜんとす、駅卒は与えず、公子は是れ偽封にして投ずべからずと言う。駅卒は大いに驚き、還りて徽姪を責む、急ぎ公子を訪ぬるに、故より寓に在り、反って徽人を叱りて仮の批、仮の印を用うと、出首せんと欲す。徽人は懼れ、復た数十金を出して之に賂い始めて免る。後に訪ね知る、此の棍は慣れて仮の宦、仮の公子を以て騙局を為すを。時に春元の撫院に謁見する有り、彼は鬧に乗じて混入し、潜かに土地堂の中に匿れ、衆は察するに及ばず、遂に門を掩う。渠は預め酒糕を蔵し、焼酒を以て糕を制し、之を食らいて酔飽し、之を啖い、晩衙に復た鬧に乗じて出ず、封筒印識は皆な預め造りて袖中に蔵する者なり、小人は険を行いて僥倖に此に至る、亦た神棍と謂うべし。
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『智囊』狡黠・京邸假宦官嘉靖の間、一士人京邸に候選す。官有りと雖も、久客にして橐空し。千金を貸さんと欲し、故の遊客と談ず。数日にして命を報じて曰く、「某中貴、爾に五百を允す」と。士人猶お少なきを恨む。客曰く、「凡そ貸す者は例として厚贄を以て先にす。内相は性、諛を喜ぶ。苟くも其の歓を得れば、益を請うこと難きに非ず」と。士人拮据して、器幣を湊貨し、約そ百金に値す。期して入謁し、門に及ぶ。堂軒は巨麗にして、蒼頭・廬児は皆綺縞を曳く。両壁の米袋は棟に充ち、皆「御用」の字有り。久しくして主人出づ。壮横にして肥え、両童子の頭を以て背に抵えて行く。礼を享けて微笑し、八百を貸すを許す。廬児曰く、「已に晩し、須らく明日たるべし」と。主人これを可とす。士人既に出で、喜び自ら勝えず。客復た耳に属して曰く、「当に早く至るべし。我は此に俟たん」と。明に及んで往くに、寥然たる空宅にして、堂下に煤土の両堆、皆袋の傾く所なり。主宅の者に問うに、曰く、「昨、内相の宅を賃ること半日。知らず是れ誰何ぞ」と。客も亦た跡を滅す。方に其の詐を悟る。
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