智囊 / 狡黠・趙高・李林甫
帝嘗大陳樂勤政樓,既罷,兵部侍郎盧絢按轡絕道去。帝愛其蘊藉,稱美之。明日,林甫召絢子,曰:「尊府素望,上欲任以交、廣,若憚行,且當請老。」絢懼,從之,因出為華州刺史,絢由是廢。〔評〕三人皆在林甫掌股中,為所玩弄而不知。信奸人之雄矣!然使適之不貪富貴之謀,挺之不起大用之念,盧絢不憚交、廣之遠,則林甫雖狡,亦安所售其計哉?愚謂此三人之愚,非林甫之智也。
新字:帝嘗大陳楽勤政楼,既罷,兵部侍郎盧絢按轡絶道去。帝愛其蘊藉,称美之。明日,林甫召絢子,曰:「尊府素望,上欲任以交、広,若憚行,且当請老。」絢懼,従之,因出為華州刺史,絢由是廃。〔評〕三人皆在林甫掌股中,為所玩弄而不知。信奸人之雄矣!然使適之不貪富貴之謀,挺之不起大用之念,盧絢不憚交、広之遠,則林甫雖狡,亦安所售其計哉?愚謂此三人之愚,非林甫之智也。
書き下し
帝、嘗て楽を勤政楼に大いに陳ぬ。既に罷みて、兵部侍郎盧絢、轡を按じて道を絶りて去る。帝その蘊藉を愛し、これを称美す。明日、林甫、絢の子を召して曰く、「尊府は素より望あり。上は任ずるに交・広を以てせんと欲す。若し行くことを憚らば、且に当に老を請うべし」と。絢懼れてこれに従い、因りて出でて華州刺史と為り、絢これに由りて廃せらる。〔評〕三人皆林甫の掌股の中に在りて、玩弄せらるる所となりて知らず。信に奸人の雄なるかな。然れども、適之をして富貴の謀を貪らず、挺之をして大用の念を起こさず、盧絢をして交・広の遠きを憚らざらしめば、則ち林甫は狡しと雖も、亦た安くんぞ其の計を售らん。愚謂えらく、此の三人の愚にして、林甫の智に非ざるなり。
現代語訳
玄宗はあるとき勤政楼で盛大に音楽の宴を催した。宴が終わったあと、兵部侍郎の盧絢が、手綱を引き絞って道を横切り去っていった。帝はその落ち着いた奥ゆかしさを気に入り、褒めた。翌日、李林甫は絢の子を呼んで言った。「お父上は日ごろから名望がおありです。上は交州・広州の任に就けようとお考えです。もし遠いのを嫌がるなら、致仕を願い出るのがよいでしょう」。絢は恐れてこれに従い、そこで華州刺史に出されて、これ以来、絢は用いられなくなった。〔評〕三人とも林甫の掌中にあって、もてあそばれていることに気づかなかった。まことに奸人の雄である。しかし、適之が富貴を求める謀を貪らず、挺之が大きく用いられたいという思いを起こさず、盧絢が交州・広州の遠さを嫌がらなかったなら、林甫がいかに狡猾でも、その計略を通せたはずがない。私が思うに、これは三人の愚かさであって、林甫の知恵ではないのである。
解説
この章句が説くこと
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説苑・君道孔子曰く、「文王は元年に似、武王は春王に似、周公は正月に似たり。文王は王季を以て友と為し、太任を以て母と為し、太姒を以て妃と為し、武王周公を以て子と為し、泰顛閎夭を以て臣と為す、其の本美なり。武王其の身を正して以て其の国を正し、其の国を正して以て天下を正す。無道を伐ち、罪有るを刑し、一動して天下正し、其の事正しきなり。春は其の時を致して万物皆生に及ぶ。君は其の道を致して万人皆治に及ぶ。周公己を戴きて天下之に順う、其の誠至れり」と。
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説苑・說叢夫れ小快は義を害し、小慧は道を害し、小辨は治を害す。苟しくも心德を傷めば、大政險ならず。蛟龍神なりと雖も、白日を以て其の倫を去る能わず。飄風疾しと雖も、陰雨を以て其の塵を揚ぐる能わず。邑の名勝母には、曾子入らず。水の名盜泉には、孔子飲まず。其の聲を醜めばなり。婦人の口は以て走を出だすべく、婦人の喙は以て死敗すべし。
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説苑・修文凡そ人の患禍有る者は、淫泆暴慢に生ず、淫泆暴慢の本は、飲酒に生ず。故に古は其の飲酒の禮を慎み、耳をして雅音を聽かしめ、目をして正儀を視しめ、足をして正容を行かしめ、心をして正道を論ぜしむ。故に終日飲酒して過失無く、近き者は數日、遠き者は數月、皆人德有りて以て善を益す。詩に云う、「既に醉うに酒を以てし、既に飽くに德を以てす。」此を之れ謂うなり。
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史記 管晏列伝晏平仲嬰は、莱の夷維の人なり。斉の霊公・荘公・景公に事へ、節倹・力行を以て斉に重んぜらる。既に斉に相たりて、食に肉を重ねず、妾に帛を衣せず。其の朝にあるや、君の語之に及べば、即ち言を危くし、語及ばざれば、即ち行ひを危くす。国に道有れば、即ち命に順ひ、道無ければ、即ち命を衡る。此れを以て三世、名を諸侯に顕す。
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『春秋左氏伝』文公二年 狼瞫、死所を得る瞫曰く、「《周志》に之れ有り、『勇にして則ち上を害するは、明堂に登らず』と。死して義ならざるは、勇に非ざるなり。共に用ゐらるる之を勇と謂ふ。吾勇を以って右を求む。勇無くして黜けらるるは、亦た其の所なり。上我を知らずと謂ふも、黜けられて宜ならば、乃ち我を知るなり。子姑く之を待て」と。彭衙に及びて既に陳し、其の屬を以って秦の師に馳せ、焉に死す。晉の師之に從ひ、大いに秦の師を敗る。君子謂ふ、狼瞫是に於いてか君子なり、と。《詩》に曰く、「君子如し怒らば、亂庶(こひねが)はくは遄(すみ)やかに沮(や)まん」と。又曰く、「王赫として斯れ怒り、爰に其の旅を整ふ」と。怒りて亂を作さず、而して以って師に從ふ、君子と謂ふ可し。秦伯猶ほ孟明を用ふ。孟明增して國政を脩め、重ねて民に施す。趙成子諸大夫に言ひて曰く、「秦の師又至らば、將に必ず之を辟けんとす。懼れて德を增す、當たる可からざるなり。《詩》に曰く、『爾が祖を念ふ毋からんや、聿(ここ)に厥の德を脩む』と。孟明之を念へり。德を念ひて怠らず、其れ敵す可けんや」と。
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説苑・立節宋の康公阿を攻め、単父を屠る。成公趙曰わく、「始め吾自ら知らざりき、以為えらく千乗に在らば則ち万乗も敢えて伐たず、万乗に在らば則ち天下も敢えて図らずと。今趙阿に在りて宋単父を屠る、則ち是れ趙以て自ら立つ無きなり。且つ往きて宋を誅せん」と。趙遂に宋に入り、三月見ゆるを得ず。或ひと曰わく、「何ぞ隣国の使いに因りて之に見えざる」と。成公趙曰わく、「不可なり。吾隣国の使いに因りて之を刺さば、則ち後世の使いをして信ぜられざらしめ、節を荷う信用いられず、皆趙之をして然らしむと曰わん。不可なり」と。或ひと曰わく、「何ぞ群臣道徒処の士に因りて之を刺さざる」と。成公趙曰わく、「不可なり。吾群臣道徒処の士に因りて之を刺さば、則ち後世の臣信ぜられず、辯士顧られず、皆趙之をして然らしむと曰わん。不可なり。吾聞く、古の士怒れば則ち理を思い、危うくして義を忘れず、必ず将に行いを正して以て之を求めんとするのみと」と。期年、宋の康公病みて死す。成公趙曰わく、「廉士は名を辱めず、信士は行いを惰らず。今吾阿に在りて、宋単父を屠る、是れ名を辱むるなり。宋王を誅せんことを事とし、期年にして得ず、是れ行いを惰るなり。吾是くの如くにして生くれば、何の面目ありて天下の士に見えん」と。遂に槁を彭山の上に立つ。
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