智囊 / 狡黠・趙高・李林甫
趙高既勸二世深居,而己專決。李斯病之。高乃見斯曰:「關東群盜多,而上益發繇治阿房宮,臣欲諫,為位卑,此真君侯之事,君何不諫?」斯曰:「上居深宮,欲見無間。」高曰:「請候上間語君。」於是待二世方燕樂,婦女居前,使人告斯:「可奏事矣。」斯至上謁,二世怒。高因言丞相怨望欲反,下斯獄,夷三族。李林甫謂李適之曰:「華山有金礦,彩之可以益國,上未之知也。」他日適之言之,上以問林甫,對曰:「臣久知之,但華山陛下本命,王氣所在,鑿之非宜,故不敢言。」上以林甫為愛己,而疏適之,遂罷政事。嚴挺之徙絳州刺史。天寶初,帝顧林甫曰:「嚴挺之安在?此其才可用。」林甫退召其弟損之,與道舊,諄諄款曲,且許美官,因曰:「天子視絳州厚要,當以事自解歸,得見上,且大用。」邊批:天子果欲大用,何待見乎?因紿挺之使稱疾,願就醫京師。林甫已得奏,即言挺之春秋高,有疾,幸閒官得養。帝恨咤久之,乃以為員外詹事,詔歸東郡。挺之鬱鬱成疾。
新字:趙高既勧二世深居,而己専決。李斯病之。高乃見斯曰:「関東群盗多,而上益発繇治阿房宮,臣欲諫,為位卑,此真君侯之事,君何不諫?」斯曰:「上居深宮,欲見無間。」高曰:「請候上間語君。」於是待二世方燕楽,婦女居前,使人告斯:「可奏事矣。」斯至上謁,二世怒。高因言丞相怨望欲反,下斯獄,夷三族。李林甫謂李適之曰:「華山有金礦,彩之可以益国,上未之知也。」他日適之言之,上以問林甫,対曰:「臣久知之,但華山陛下本命,王気所在,鑿之非宜,故不敢言。」上以林甫為愛己,而疏適之,遂罷政事。厳挺之徙絳州刺史。天宝初,帝顧林甫曰:「厳挺之安在?此其才可用。」林甫退召其弟損之,与道旧,諄諄款曲,且許美官,因曰:「天子視絳州厚要,当以事自解帰,得見上,且大用。」辺批:天子果欲大用,何待見乎?因紿挺之使称疾,願就医京師。林甫已得奏,即言挺之春秋高,有疾,幸閒官得養。帝恨咤久之,乃以為員外詹事,詔帰東郡。挺之鬱鬱成疾。
書き下し
趙高、既に二世に深く居るを勧めて、己れ専ら決す。李斯これを病む。高、乃ち斯に見えて曰く、「関東に群盗多くして、上益々繇を発して阿房宮を治む。臣諫めんと欲するも、位卑しきが為なり。此れ真に君侯の事なり。君何ぞ諫めざる」と。斯曰く、「上は深宮に居りて、見えんと欲するも間無し」と。高曰く、「請う、上の間を候いて君に語げん」と。是に於いて二世の方に燕楽し、婦女の前に居るを待ちて、人をして斯に告げしむ、「奏事すべし」と。斯至りて上謁す。二世怒る。高因りて言う、丞相怨望して反せんと欲すと。斯を獄に下し、三族を夷す。李林甫、李適之に謂いて曰く、「華山に金礦有り、これを採れば以て国を益すべし。上は未だこれを知らず」と。他日、適之これを言う。上以て林甫に問う。対えて曰く、「臣は久しくこれを知る。但だ華山は陛下の本命、王気の在る所にして、これを鑿つは宜しからず。故に敢えて言わず」と。上、林甫を以て己れを愛すと為し、適之を疏んじ、遂に政事を罷む。厳挺之は絳州刺史に徙さる。天宝の初め、帝、林甫を顧みて曰く、「厳挺之は安くにか在る。此れ其の才用うべし」と。林甫退きて其の弟損之を召し、旧を道い、諄諄として款曲し、且つ美官を許す。因りて曰く、「天子は絳州を視ること厚要なり。当に事を以て自ら解きて帰り、上に見ゆるを得ば、且に大いに用いられんとす」と。〔辺批〕天子果たして大いに用いんと欲せば、何ぞ見ゆるを待たんや。因りて挺之を紿きて疾を称し、京師に就医せんことを願わしむ。林甫已に奏するを得て、即ち言う、挺之は春秋高く疾有り、幸いに閑官もて養うを得んと。帝恨み咤くこと之を久しくし、乃ち以て員外詹事と為し、詔して東郡に帰らしむ。挺之鬱鬱として疾を成す。
現代語訳
趙高は二世皇帝に、奥深い宮中にこもるよう勧めておきながら、政治の決裁は自分ひとりで握った。李斯はこれを苦にしていた。そこで趙高は李斯に会って言った。「関東には盗賊が多いのに、上は阿房宮の造営のために、ますます人夫を徴発しておられます。私は諫めたいのですが、身分が低くて叶いません。これはまさに丞相閣下のお仕事です。どうして諫めないのですか」。李斯は言った。「上は深い宮中におられて、お目にかかろうにも機会がない」。趙高は言った。「上のお暇な時を見はからって、閣下にお知らせしましょう」。そこで二世がちょうど宴楽の最中で、女たちが前に侍っているときを待って、人をやって李斯に「上奏できます」と知らせた。李斯が参上して拝謁すると、二世は怒った。趙高はそこで、丞相は不満を抱いて謀反をたくらんでいると言い立て、李斯は獄に下され、三族を皆殺しにされた。唐の李林甫は李適之に言った。「華山には金鉱があり、掘れば国の利益になります。上はまだご存じありません」。後日、適之がこれを上奏すると、玄宗は林甫にたずねた。林甫は答えた。「臣はとうから知っておりました。ただ華山は陛下の本命の地で、王気のある所ですから、掘るのはよろしくありません。それで申し上げなかったのです」。玄宗は林甫が自分を大切に思っていると考え、適之を遠ざけ、ついに政務から退けた。厳挺之は絳州刺史に左遷された。天宝の初め、帝は林甫を振り返って言った。「厳挺之はどこにいるか。あの者は才能があって使える」。林甫は退出すると、その弟の損之を呼び、昔話をして丁寧に親しみ、よい官職を約束した。そして言った。「天子は絳州の任をとても重く見ておられる。何か理由をつけて自分から辞して帰り、上にお目にかかれば、きっと大いに用いられるだろう」。〔辺批〕天子が本当に大きく用いるつもりなら、どうして会うのを待つことがあろうか。こうして挺之をだまし、病気と称して京師で治療を受けたいと願い出させた。林甫は上奏文を手に入れると、すぐに言上した。「挺之は年を取り、病気もあります。閑職で養生させてやれればと存じます」。帝は長いこと恨んで嘆息し、ついに員外詹事の官にして、詔を下して東郡に帰らせた。挺之は鬱々として病気になった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『和俗童子訓』巻之五・教女子法夫の事、舅姑の事、こじうとの事など、我が心に合はぬ事あれば、みだりに其主に謗り聞かせて、それをかへりて忠と思へり。婦人もし智恵なくして、それを信じては、必恨出来易し。固より、夫の家は皆他人なれば、恨み背き恩愛を捨つる事易し。慎んで、下女の言を信じ、大切なるしうと小じうとの親みを薄くすべからず。もし下女すぐれてかたましく、口がましくて悪しきものならば、早く追ひやるべし。かやうのものは、必、家道を乱し、親戚の中をも言ひ妨ぐるものなり。恐るべし。又下女などの人を謗るを聞き用ふる事なかれ。殊に夫の方の一類の事を、かりそめにも謗らしむべからず。下女の口を信じては、舅姑夫こじうとなどに和睦なくして、恨み背くに至る。
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説苑・雜言祁射子、秦の惠王に見え、惠王之を說ぶ。是に於いて唐姑之を讒し、復た見ゆるに、惠王怒りを懷きて以て之を待つ。其の說く所異なるに非ざるなり、聽く所の易わればなり。故に徵を以て羽と為すは、絃の罪に非ざるなり。甘きを以て苦しと為すは、味を限るの過ちなり。
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『春秋左氏伝』昭公二十一年 華多僚の讒言宋の華費遂、華貙・華多僚・華登を生む。貙は少司馬為り。多僚は御士為り。貙と相惡む。乃ち諸を公に譖して曰く、「貙將に亡人を納れんとす」と。亟(しばしば)之を言ふ。公曰く、「司馬吾が故を以って、其の良子を亡へり。死亡は命有り。吾以って再び之を亡ふ可からず」と。對へて曰く、「君若し司馬を愛せば、則ち如(しか)ず亡げんには。死如し逃る可くんば、何の遠きことか之れ有らん」と。公懼れ、侍人をして司馬の侍人宜僚を召さしめ、之に酒を飲ましめて、司馬に告げしむ。司馬歎じて曰く、「必ず多僚ならん。吾讒子有りて、殺すこと能はず。吾又死せず。抑君命有り、若何す可き」と。乃ち公と謀りて、華貙を逐はんとし、將に孟諸に田せしめて之を遣らんとす。公之に酒を飲ましめ、厚く之に酬い、賜從者に及ぶ。司馬も亦た之の如くす。張匄之を尤(あや)しみて曰く、「必ず故有らん」と。子皮をして宜僚に承(むか)ふるに劍を以ってして之を訊はしむ。宜僚盡く以って告ぐ。張匄多僚を殺さんと欲す。子皮曰く、「司馬老いたり。登の謂(ため)に甚だし。吾又之を重ねば、亡ぐるに如かざるなり」と。
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『春秋左氏伝』成公十六年 晋の政、門多し七月、公尹武公及び諸侯に會して鄭を伐つ。將に行かんとす。姜又公に命ずること初めの如し。公又守を申ねて行く。諸侯の師、鄭の西に次る。我が師督揚に次り、敢へて鄭を過ぎず。子叔聲伯叔孫豹をして逆を晉の師に請はしめ、食を鄭の郊に為る。師逆へて以って至る。聲伯四日食はずして以って之を待ち、使者に食はしめて、而る後に食ふ。諸侯制田に遷る。知武子下軍に佐たり、諸侯の師を以って陳を侵し、鳴鹿に至る。遂に蔡を侵して未だ反らず。諸侯潁上に遷る。戊午、鄭の子罕宵に之に軍し、宋・齊・衞皆軍を失ふ。曹人復た晉に請ふ。晉侯子臧に謂ふ、「反れ。吾而の君を歸さん」と。子臧反り、曹伯歸る。子臧盡く其の邑と卿とを致して、出でず。宣伯郤犨に告げしめて曰く、「魯の季・孟有るは、猶ほ晉の欒・范有るがごときなり。政令是に於いてか成る。今其の謀りて曰く、『晉の政は門多し、從ふ可からざるなり。寧ろ齊・楚に事へん。亡ぶる有るのみ。晉に從ふこと蔑からん』と。若し志を魯に得んと欲せば、請ふ行父を止めて之を殺せ。我蔑を斃して晉に事へん。貳有ること蔑からん。魯貳せずんば、小國必ず睦まじ。然らずんば、歸りて必ず叛かん」と。
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史記 周本紀崇侯虎西伯を殷の紂に譖して曰く、「西伯善を積み徳を累ね、諸侯皆之に向かふ。将に帝に不利ならんとす」と。帝紂乃ち西伯を羑里に囚ふ。閎夭の徒之を患ふ。乃ち有莘氏の美女、驪戎の文馬、有熊の九駟、他の奇怪の物を求め、殷の嬖臣費仲に因りて之を紂に献ず。紂大いに説びて、曰く、「此の一物以て西伯を釈すに足る、況んや其の多きをや」と。乃ち西伯を赦し、之に弓矢斧鉞を賜ひ、西伯をして征伐するを得しむ。曰く、「西伯を譖する者は、崇侯虎なり」と。西伯乃ち洛西の地を献じ、以て紂に炮格の刑を去らんことを請ふ。紂之を許す。
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史記 越王句践世家二歳にして呉、蠡を帰す。句践、会稽より帰りて七年、其の士民を拊循し、用ひて以て呉に報いんと欲す。大夫逢同諫めて曰く、「国新たに流亡し、今乃ち復た殷給す。繕飾して利を備へば、呉必ず懼れん。懼るれば則ち難必ず至らん。且つ鷙鳥の撃つや、必ず其の形を匿す。今夫れ呉は兵を斉・晋に加へ、怨みは楚・越に深く、名は天下に高く、実は周室を害す。徳少なくして功多く、必ず淫して自ら矜らん。越の為に計るに、斉に結び、楚に親しみ、晋に附きて、以て呉を厚くするに若くは莫し。呉の志広ければ、必ず戦ひを軽んぜん。是れ我其の権を連ね、三国之を伐ち、越其の弊に承ずれば、克つべきなり」と。句践曰く、「善し」と。居ること二年、呉王将に斉を伐たんとす。子胥諫めて曰く、「未だ可ならず。臣聞く、句践は食に味を重ねず、百姓と苦楽を同じくすと。此の人死せずんば、必ず国の患と為らん。呉に越有るは、腹心の疾なり。斉の呉に与けるは、疥癬なり。願はくは王、斉を釈きて越を先にせよ」と。呉王聴かず、遂に斉を伐ち、之を艾陵に敗り、斉の高・国を虜にして以て帰る。子胥を譲む。子胥曰く、「王喜ぶ毋かれ」と。王怒り、子胥自殺せんと欲す。王聞きて之を止む。越の大夫種曰く、「臣、呉王の政を観るに驕れり。請ふ試みに之に粟を貸らんことを嘗み、以て其の事を卜せん」と。貸らんことを請ふ。呉王与へんと欲し、子胥与ふる勿かれと諫む。王遂に之に与ふ。越乃ち私かに喜ぶ。子胥言ひて曰く、「王諫めを聴かず、後三年にして呉其れ墟とならんか」と。太宰嚭之を聞き、乃ち数々子胥と越の議を争ひ、因りて子胥を讒して曰く、「伍員は貌は忠なれども実は忍人なり。其の父兄をすら顧みず、安んぞ能く王を顧みんや。王前に斉を伐たんと欲するや、員彊く諫む。已にして功有り、是を用て反りて王を怨む。王、伍員に備へずんば、員必ず乱を為さん」と。逢同と共に謀り、之を王に讒す。王始め従はず。乃ち子胥を斉に使はす。其の子を鮑氏に託するを聞き、王乃ち大いに怒りて曰く、「伍員果たして寡人を欺けり」と。役より反り、人をして子胥に属鏤の剣を賜ひて以て自殺せしむ。
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