説苑 / 修文
凡人之有患禍者,生於淫泆暴慢,淫泆暴慢之本,生於飲酒;故古者慎其飲酒之禮,使耳聽雅音,目視正儀,足行正容,心論正道。故終日飲酒而無過失,近者數日,遠者數月,皆人有德焉以益善,詩云:「既醉以酒,既飽以德。」此之謂也。
新字:凡人之有患禍者,生於淫泆暴慢,淫泆暴慢之本,生於飲酒;故古者慎其飲酒之礼,使耳聴雅音,目視正儀,足行正容,心論正道。故終日飲酒而無過失,近者数日,遠者数月,皆人有徳焉以益善,詩云:「既酔以酒,既飽以徳。」此之謂也。
書き下し
凡そ人の患禍有る者は、淫泆暴慢に生ず、淫泆暴慢の本は、飲酒に生ず。故に古は其の飲酒の禮を慎み、耳をして雅音を聽かしめ、目をして正儀を視しめ、足をして正容を行かしめ、心をして正道を論ぜしむ。故に終日飲酒して過失無く、近き者は數日、遠き者は數月、皆人德有りて以て善を益す。詩に云う、「既に醉うに酒を以てし、既に飽くに德を以てす。」此を之れ謂うなり。
現代語訳
そもそも人が禍を招くのは、放縦・淫乱・暴力・怠慢に起因する。放縦・淫乱・暴力・怠慢の根本は、飲酒に起因する。だから古代の人々は飲酒の礼を慎重に定め、耳には雅正な音楽を聴かせ、目には正しい作法を見させ、足には正しい所作を行わせ、心には正しい道理を論じさせた。だから一日中酒を飲んでも過失がなく、近くは数日、遠くは数か月にわたって、人はみな徳を身につけ善を増していった。詩経に「すでに酒に酔い、すでに徳に満ち足りる」とあるのは、まさにこのことを言うのである。
解説
飲酒という日常的で身近な行為の中にこそ、規律を失う入り口があるという指摘は、いつの時代にも通じる普遍的な洞察である。単に飲酒を禁じるのではなく、雅正な音楽、正しい作法、正しい所作、正しい道理をあわせて実践させることで、酒席そのものを人格陶冶の場に転換させようとする発想は興味深い。羽目を外しやすい場だからこそ、あえて礼をもって秩序を保つことで、かえって長く徳を積む機会になるという逆説は、気の緩みやすい場面にこそ自己規律を意識すべきだという現代人へのヒントにもなる。

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飲酒の礼自己規律陶冶
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