智囊 / 雄略・崔簡妻
唐滕王極淫。諸官美妻,無得白者,詐言妃喚,即行無禮。時典簽崔簡妻鄭氏初至,王遣喚。欲不去,則懼王之威;去則被王之辱。鄭曰:「無害。」遂入王中門外小閣。王在其中,鄭入,欲逼之,鄭大叫左右曰:「大王豈作如是,必家奴耳。」取只履擊王頭破,抓面流血,妃聞而出。鄭氏乃得還。王慚,旬日不視事。簡每日參侯,不敢離門。後王坐,簡向前謝,王慚,乃出。諸官之妻曾被喚入者,莫不羞之。〔評〕不唯自全,又能全人,此婦有膽有識。
新字:唐滕王極淫。諸官美妻,無得白者,詐言妃喚,即行無礼。時典簽崔簡妻鄭氏初至,王遣喚。欲不去,則懼王之威;去則被王之辱。鄭曰:「無害。」遂入王中門外小閣。王在其中,鄭入,欲逼之,鄭大叫左右曰:「大王豈作如是,必家奴耳。」取只履撃王頭破,抓面流血,妃聞而出。鄭氏乃得還。王慚,旬日不視事。簡毎日参侯,不敢離門。後王坐,簡向前謝,王慚,乃出。諸官之妻曽被喚入者,莫不羞之。〔評〕不唯自全,又能全人,此婦有胆有識。
書き下し
唐の滕王は極めて淫なり。諸官の美妻、白す者無き得ず、詐りて妃喚ぶと言い、即ち無礼を行う。時に典簽崔簡の妻鄭氏、初めて至り、王は遣わして喚ぶ。去らざらんと欲すれば、則ち王の威を懼る。去れば則ち王の辱めを被る。鄭曰く、「害無し」と。遂に王の中門外の小閣に入る。王は其の中に在り、鄭入れば、之に逼らんと欲す。鄭は大いに左右に叫びて曰く、「大王豈に是の如きを作さんや。必ず家奴のみ」と。只履を取りて王の頭を撃ち破り、面を抓きて血流る。妃聞きて出づ。鄭氏は乃ち還るを得たり。王は慚じ、旬日事を視ず。簡は毎日参候して、敢えて門を離れず。後に王坐し、簡は前に向かいて謝す。王は慚じ、乃ち出づ。諸官の妻の曾て喚ばれて入りし者、之を羞じざるは莫し。〔評〕唯だ自ら全うするのみならず、又た能く人を全うす。此の婦は胆有り識有り。
現代語訳
唐の滕王は非常に好色であった。部下の官吏たちの美しい妻を、報告もなしに呼びつけ、「妃が呼んでいる」と偽って、無礼を働いた。このとき典簽の崔簡の妻の鄭氏が嫁いで来たばかりで、王は使いを出して呼んだ。行かないでおこうと思えば、王の権威が恐ろしい。行けば王に辱めを受ける。鄭氏は言った。「大丈夫です」。そうして王の中門の外にある小さな楼閣に入った。王はその中にいて、鄭氏が入ると、迫ろうとした。鄭氏は大声で周りの者に叫んで言った。「大王がこのようなことをなさるはずがありません。きっと家の下僕に違いありません」。片方の履物を取って王の頭を打ち破り、顔を引っかいて血を流させた。王妃がそれを聞いて出てきた。鄭氏はようやく帰ることができた。王は恥じて、十日間政務を執らなかった。崔簡は毎日出仕して王の様子をうかがい、門を離れなかった。のちに王が席についたとき、崔簡は前に進み出て謝った。王は恥じて、ようやく出てきた。これまでに呼ばれて入ったことのある官吏の妻たちは、みなこのことを恥じ入った。〔評〕自分の身を守っただけでなく、他の人も守った。この婦人は胆力があり見識もある。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』哀公六年 孺子の牛冬、十月、丁卯、之を立つ。將に盟はんとす。鮑子醉ひて往く。其の臣差車の鮑點曰く、「此れ誰の命ぞ」と。陳子曰く、「命を鮑子に受く」と。遂に鮑子を誣ひて曰く、「子の命なり」と。鮑子曰く、「女(なんぢ)、君の孺子の牛と為りて其の齒を折りしを忘れたるか。而るに之に背くか」と。悼公稽首して曰く、「吾子は義を奉じて行ふ者なり。若し我可ならば、必ずしも一大夫を亡はず。若し我可ならずんば、必ずしも一公子を亡はず。義なれば則ち進み、否なれば則ち退かん。敢へて唯だ子に是れ從はざらんや。廢興以て亂るること無くんば、則ち願ふ所なり」と。鮑子曰く、「誰か君の子に非ざらん」と。乃ち盟を受く。胡姬をして安孺子を以て賴に如かしむ。鬻姒を去り、王甲を殺し、江說を拘へ、王豹を句竇の丘に囚ふ。公、朱毛をして陳子に告げしめて曰く、「子微かりせば則ち此に及ばず。然れども君は器に異なり、以て二にすべからず。器は二なれば匱しからず、君は二なれば難多し。敢へて諸を大夫に布く」と。僖子對へずして泣きて曰く、「君舉げて群臣を信ぜざるか。齊國の困を以て、困又憂有り。少君は以て訪ふべからず。是を以て長君を求む。庶(こひねが)はくは亦た能く群臣を容れんか。然らずんば、夫の孺子何の罪かあらん」と。毛復命す。公之を悔ゆ。毛曰く、「君、大は陳子に訪ひて、其の小を圖らば、可なり」と。毛をして孺子を駘に遷さしむ。至らずして、諸を野幕の下に殺し、諸を殳冒淳に葬る。
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論語・季氏篇孔子曰く、天下に道有れば、則ち礼楽征伐は天子より出づ。天下に道無ければ、則ち礼楽征伐は諸侯より出づ。諸侯より出づれば、蓋し十世にして失わざるは希なり。大夫より出づれば、五世にして失わざるは希なり。陪臣国命を執れば、三世にして失わざるは希なり。天下に道有れば、則ち政は大夫に在らず。天下に道有れば、則ち庶人は議せず。
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史記 呂太后本紀孝恵帝慈仁にして、太后の怒りを知り、自ら趙王を霸上に迎へ、与に宮に入り、自ら挾みて趙王と起居飲食を与にす。太后之を殺さんと欲するも、間を得ず。孝恵の元年十二月、帝晨に出でて射す。趙王少くして、蚤く起くる能はず。太后其の独り居るを聞き、人をして酖を持ちて之に飲ましむ。犁明、孝恵還る、趙王已に死せり。是に於て乃ち淮陽王友を徙して趙王と為す。夏、詔して酈侯の父に賜ひて追謚して令武侯と為す。
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論語・陽貨篇陽貨、孔子に見えんと欲す。孔子見えず。孔子に豚を帰す。孔子その亡きを時として往きてこれを拜す。塗にこれに遇う。陽貨曰わく、来れ、予、事有り。曰わく、宝を懐いてその邦に迷う、仁と謂うべけんや。曰わく、不可なり。事を好みて時を亟(しばしば)失う、知と謂うべけんや。曰わく、不可なり。曰わく、日月逝けり、歳我を与えず。孔子曰わく、諾、吾将に仕えんとす。
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『韓非子』難四第三十九今未だ其の得る所以有らずして、而も其の處る所以を行う。是れ義を倒にして徳に逆うなり。
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史記 范雎蔡沢列伝秦の太后・穣侯・華陽・高陵・涇陽有るを聞きて、その王有るを聞かざるなり。夫れ国を擅にする、これを王と謂ひ、能く利害する、これを王と謂ひ、殺生の威を制する、これを王と謂ふ。今、太后は擅に行ひて顧みず、穣侯は出使して報ぜず、華陽・涇陽等は撃断して諱む無く、高陵は進退して請はず。四貴備はりて国危ふからざる者は、未だこれ有らざるなり。此の四貴の者の下と為るは、乃ち所謂王無きなり。然らば則ち権安んぞ傾かざるを得ん、令安んぞ王より出づるを得んや。臣聞く、善く国を治むる者は、乃ち内にその威を固めて外にその権を重くすと。穣侯の使者は王の重きを操り、制を諸侯に決し、符を天下に剖き、政適(てき)して国を伐つ、敢へて聴かざる莫し。戦ひ勝ち攻め取らば則ち利は陶に帰し、国獘れて諸侯に御せらる。戦ひ敗るれば則ち怨みを百姓に結び、而して禍は社稷に帰す。詩に曰く『木の実繁き者はその枝を披き、その枝を披く者はその心を傷つく。その都を大にする者はその国を危ふくし、その臣を尊ぶ者はその主を卑しくす』と。崔杼・淖歯は斉を管し、王の股を射、王の筋を擢き、これを廟の梁に県け、宿昔にして死す。李兌は趙を管し、主父を沙丘に囚へ、百日にして餓死せしむ。今、臣聞く、秦の太后・穣侯事を用ひ、高陵・華陽・涇陽これを佐け、卒に秦王無し、此れまた淖歯・李兌の類なり。且つ夫れ三代の国を亡ぼしし所以の者は、君専ら政を授け、酒を縦にし馳騁弋猟して、政事を聴かざればなり。その授けられし所の者は、賢を妒み能を嫉み、下を御し上を蔽ひ、以てその私を成し、主の為に計らず、而して主覚悟せず、故にその国を失ふ。今、有秩より以上諸大吏に至るまで、下は王の左右に及ぶまで、相国の人に非ざる者無し。王の独り朝に立つを見、臣竊かに王の為に恐る、万世の後、秦国を有つ者は王の子孫に非ざらんことを」と。昭王これを聞きて大いに懼れて曰く、「善し」と。是に於いて太后を廃し、穣侯・高陵・華陽・涇陽君を関外に逐ふ。秦王乃ち范睢を拝して相と為す。
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