智囊 / 雄略・呂母
王莽時,瑯琊海曲有呂母者,子為縣吏,犯小罪,宰殺之。呂母怨,思報宰。母家故豐資,乃益釀醇酒,買刀劍衣服,少年來沽者,輒奢與之,衣敝者輒假衣,不問直。數年而財盡,少年欲相與償之,母泣曰:「所為厚諸君,非求利也,徒以縣宰枉殺吾子故,諸君肯哀之乎。」少年壯之,皆許諾,遂招合亡命數千,呂母自稱將軍,引兵攻破海曲,執宰,數其罪,諸吏叩頭請宰,母曰:「吾子不當死,為宰枉殺,殺人者死,又何請乎?」遂斬宰,以頭祭子塚,因以眾屬劉盆子。〔議〕世間有此等奇婦人,酷吏或少知警。
新字:王莽時,瑯琊海曲有呂母者,子為県吏,犯小罪,宰殺之。呂母怨,思報宰。母家故豊資,乃益醸醇酒,買刀剣衣服,少年来沽者,輒奢与之,衣敝者輒仮衣,不問直。数年而財尽,少年欲相与償之,母泣曰:「所為厚諸君,非求利也,徒以県宰枉殺吾子故,諸君肯哀之乎。」少年壮之,皆許諾,遂招合亡命数千,呂母自称将軍,引兵攻破海曲,執宰,数其罪,諸吏叩頭請宰,母曰:「吾子不当死,為宰枉殺,殺人者死,又何請乎?」遂斬宰,以頭祭子塚,因以衆属劉盆子。〔議〕世間有此等奇婦人,酷吏或少知警。
書き下し
王莽の時、瑯琊の海曲に呂母なる者有り、子は県吏と為り、小罪を犯し、宰、之を殺す。呂母怨み、宰に報いんことを思う。母の家は故より豊かにして資あり、乃ち益ます醇酒を醸し、刀剣衣服を買い、少年の来たりて沽う者には、輒ち奢りて之に与え、衣の敝れたる者には輒ち衣を仮し、直を問わず。数年にして財尽き、少年相与に之を償わんと欲す。母泣きて曰く、「諸君に厚くする所以は、利を求むるに非ず。徒だ県宰、吾が子を枉げて殺せるが故なり。諸君、肯えて之を哀れまんか」と。少年之を壮とし、皆許諾す。遂に亡命数千を招合し、呂母は自ら将軍と称し、兵を引いて海曲を攻め破り、宰を執らえ、其の罪を数う。諸吏叩頭して宰を請うに、母曰く、「吾が子は死に当たらず、宰の為に枉げて殺さる。人を殺す者は死す。又何ぞ請わんや」と。遂に宰を斬り、頭を以て子の塚に祭り、因りて衆を以て劉盆子に属す。〔議〕世間に此れ等の奇婦人有らば、酷吏も或いは少しは警むるを知らん。
現代語訳
王莽の時代、瑯琊の海曲に呂母という女がいた。その子は県の役人だったが、小さな罪を犯し、県の長官に殺された。呂母は恨み、長官に報復しようと考えた。呂母の家はもともと豊かで資産があったので、さらに上等の酒を醸し、刀剣や衣服を買い込み、酒を買いに来る若者には気前よく振る舞い、衣の破れた者には着物を貸し、代金は問わなかった。数年して財産が尽きると、若者たちは皆で返済しようとした。呂母は泣いて言った。「あなたがたに手厚くしたのは、利益を求めてではありません。ただ県の長官が私の子を不当に殺したからです。あなたがたは、どうか私を哀れんでくださいませんか」。若者たちはその志を立派だと思い、みな承知した。そこで逃亡者たち数千人を集め、呂母は自ら将軍を名乗り、軍を率いて海曲を攻め破り、長官を捕らえてその罪を数え上げた。役人たちは頭を地につけて長官の助命を願ったが、呂母は言った。「私の子は死ぬべき罪ではないのに、長官に不当に殺された。人を殺した者は死ぬのが決まりです。どうして助命を願うのですか」。そうして長官を斬り、その首を子の墓に供えて祭り、その後、集めた人々を劉盆子に預けた。〔議〕世にこのような非凡な女がいれば、残酷な役人も少しは慎むことを知るだろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 呉王濞列伝然れども其の国に居るや、銅塩の故を以て、百姓に賦無し。卒の践更するには、輒ち平賈を与ふ。歳時に茂材を存問し、閭里に賞賜す。佗の郡国の吏来りて亡人を捕へんと欲する者あれば、訟ひて共に禁じて予へず。此の如き者四十余年、故を以て能く其の衆を使ふ。
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三略・上略夫れ主将の法は、務めて英雄の心を攬り、功有る者に賞禄し、志を衆に通ずるにあり。故に衆と好を同じくすれば、成らざるは靡く、衆と悪を同じくすれば、傾かざるは靡し。国を治め家を安んずるは、人を得ればなり。国を亡ぼし家を破るは、人を失えばなり。含気の類、咸な其の志を得んことを願う。
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史記 留侯世家上曰く、「雍歯は我と故あり、数々嘗て我を窘辱す。我之を殺さんと欲するも、其の功多きが為に、故に忍びず」と。留侯曰く、「今急ぎ先づ雍歯を封じて以て羣臣に示せ、羣臣雍歯の封ぜらるるを見ば、則ち人人自ら堅からん」と。是に於て上乃ち酒を置き、雍歯を封じて什方侯と為し、而して急ぎ丞相・御史を趣して功を定め封を行はしむ。羣臣酒を罷め、皆喜びて曰く、「雍歯すら尚ほ侯と為る、我が属患ひ無し」と。劉敬高帝に説きて曰く、「関中に都せよ」と。上之を疑ふ。左右の大臣皆山東の人にして、多く上に雒陽に都せんことを勧む、「雒陽は東に成皋有り、西に殽黽有り、河を倍にし、伊雒に向かふ、其の固めも亦た恃むに足る」と。留侯曰く、「雒陽は此の固め有りと雖も、其の中小にして、数百里に過ぎず、田地薄く、四面より敵を受く、此れ武を用ふるの国に非ざるなり。夫れ関中は殽函を左にし、隴蜀を右にし、沃野千里、南に巴蜀の饒有り、北に胡苑の利有り、三面を阻みて守り、独り一面を以て東のかた諸侯を制す。諸侯安定すれば、河渭漕輓して天下より、西のかた京師に給す。諸侯変有らば、流れに順ひて下り、以て委輸するに足る。此れ所謂金城千里、天府の国なり、劉敬の説是なり」と。是に於て高帝即日駕し、西のかた関中に都す。留侯従ひて関に入る。留侯性多病にして、即ち道引して穀を食はず、門を杜ぢて出でざること歳余。上太子を廃し、戚夫人の子趙王如意を立てんと欲す。大臣多く諫争するも、未だ堅決を得る者あらざるなり。呂后恐れ、為す所を知らず。人或ひと呂后に謂ひて曰く、「留侯は善く計筴を画し、上之を信用す」と。呂后乃ち建成侯呂沢をして留侯を劫かしめて、曰く、「君常に上の謀臣為り、今上太子を易へんと欲す、君安んぞ枕を高くして臥するを得んや」と。留侯曰く、「始め上数々困急の中に在り、幸ひにして臣の筴を用ふ。今天下安定し、愛欲を以て太子を易へんとす、骨肉の間は、臣等百余人と雖も何ぞ益せん」と。
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史記 黥布列伝楚、項声・竜且をして淮南を攻めしめ、項王留まりて下邑を攻む。数月、竜且淮南を撃ち、布の軍を破る。布兵を引きて漢に走らんと欲するも、楚王の之を殺さんことを恐る。故に間行して何と倶に漢に帰す。淮南王至る。上方に床に踞して洗ひ、布を召して入り見えしむ。布大いに怒り、来たりしを悔い、自殺せんと欲す。出でて舎に就く。帳御飲食従官漢王の居の如し。布又大いに喜び望みに過ぐ。是に於て乃ち人をして九江に入らしむ。楚已に項伯をして九江の兵を収めしめ、尽く布の妻子を殺す。布の使者頗る故人幸臣を得、衆数千人を将ゐて漢に帰す。漢益々布に兵を分かちて与に倶に北し、兵を収めて成皋に至る。四年七月、布を立てて淮南王と為し、与に項籍を撃つ。漢の五年、布人をして九江に入らしめ、数県を得。六年、布劉賈と九江に入り、大司馬周殷を誘ふ。周殷楚に反き、遂に九江の兵を挙げて漢と楚を撃ち、之を垓下に破る。項籍死し、天下定まる。上置酒す。上隨何の功を折き、何を謂ひて腐儒と為し、天下を為むるに安んぞ腐儒を用ひんと。隨何跪きて曰く、「夫れ陛下兵を引きて彭城を攻むるに、楚王未だ斉を去らず。陛下歩卒五万人、騎五千を発して、能く以て淮南を取らんか」と。上曰く、「能はず」と。隨何曰く、「陛下何と二十人とをして淮南に使ひせしめ、至りて陛下の意の如くならしむ。是れ何の功は歩卒五万人騎五千より賢れるなり。然り而して陛下何を謂ひて腐儒と為し、天下を為むるに安んぞ腐儒を用ひんとするは、何ぞや」と。上曰く、「吾方に子の功を図らんとす」と。乃ち隨何を以て護軍中尉と為す。布遂に符を剖きて淮南王と為り、六に都す。九江・廬江・衡山・豫章の郡皆布に属す。七年、陳に朝す。八年、雒陽に朝す。九年、長安に朝す。
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史記 韓信盧綰列伝趙・代を劫略す。上聞き、乃ち趙・代の吏人の豨の為に詿誤劫略せらるる者を赦し、皆之を赦す。上自ら往き、邯鄲に至り、喜びて曰く、「豨南のかた漳水に拠らず、北のかた邯鄲を守らず。其の能く為す無きを知るなり」と。趙の相奏して常山の守・尉を斬らんとして曰く、「常山の二十五城、豨反して、其の二十城を亡ふ」と。上問ひて曰く、「守・尉反せしか」と。対へて曰く、「反せず」と。上曰く、「是れ力足らざるなり」と。之を赦し、復た以て常山の守・尉と為す。上周昌に問ひて曰く、「趙に亦壮士の将たらしむべき者有りや」と。対へて曰く、「四人有り」と。四人謁す。上謾罵して曰く、「豎子能く将たらんや」と。四人慚ぢて伏す。上之を封ずること各千戸、以て将と為す。左右諫めて曰く、「蜀・漢に入り、楚を伐つに従ひしも、功未だ遍く行はれず。今此れ何の功ありて封ずるや」と。上曰く、「若の知る所に非ず。陳豨反し、邯鄲以北は皆豨の有なり。吾羽檄を以て天下の兵を徴すも、未だ至る者有らず。今唯だ独り邯鄲中の兵のみ。吾胡ぞ四千戸を愛しみて四人を封じ、以て趙の子弟を慰めざらんや」と。皆曰く、「善し」と。是に於て上曰く、「陳豨の将は誰ぞ」と。曰く、「王黄・曼丘臣、皆故の賈人なり」と。上曰く、「吾之を知れり」と。乃ち各千金を以て黄・臣等を購ふ。十一年の冬、漢兵撃ちて陳豨の将侯敞・王黄を曲逆の下に斬り、豨の将張春を聊城に破り、首を斬ること万余。太尉勃入りて太原・代の地を定む。十二月、上自ら東垣を撃つ。東垣下らず、卒上を罵る。東垣降るや、卒の罵りし者は之を斬り、罵らざる者は之を黥す。更めて東垣を命じて真定と為す。王黄・曼丘臣は、其の麾下購賞に之を受け、皆生け得たり。以ての故に陳豨の軍遂に敗る。上還りて洛陽に至る。上曰く、「代は常山の北に居り、趙は乃ち山南より之を有つ、遠し」と。乃ち子恒を立てて代王と為し、中都に都せしめ、代・鴈門皆代に属せしむ。高祖の十二年の冬、樊噲の軍卒追ひて豨を霊丘に斬る。
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呂氏春秋・用民⑥夙沙の民は、自ら其の君を攻めて、神農に歸す。密須の民は、自ら其の主を縛りて、文王に與う。湯・武は徒に能く其の民を用うるのみに非ざるなり、又能く己の民に非ざるものを用う。能く己の民に非ざるものを用うれば、國小なりと雖も、卒少しと雖も、功名は猶ほ立つ可し。古昔、布衣由り一世を定めし者多し。皆能く其の有に非ざるものを用いたればなり。其の有に非ざるの心を用うる、之が本を察せざる可からず。三代の道に二無し。信を以て管と為す。
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