三略 / 上略
夫主將之法,務攬英雄之心,賞祿有功,通志于眾,故與眾同好,靡不成與眾同惡,靡不傾。治國安家,得人也,亡國破家,失人也,含氣之類,咸願得其志。
新字:夫主将之法,務攬英雄之心,賞禄有功,通志于衆,故与衆同好,靡不成与衆同悪,靡不傾。治国安家,得人也,亡国破家,失人也,含気之類,咸願得其志。
書き下し
夫れ主将の法は、務めて英雄の心を攬り、功有る者に賞禄し、志を衆に通ずるにあり。故に衆と好を同じくすれば、成らざるは靡く、衆と悪を同じくすれば、傾かざるは靡し。国を治め家を安んずるは、人を得ればなり。国を亡ぼし家を破るは、人を失えばなり。含気の類、咸な其の志を得んことを願う。
現代語訳
およそ主将たる者のやり方は、すぐれた人材の心をしっかりとつかみ、功績のあった者には賞と俸禄を与え、自分の意志を部下全体に行きわたらせることにある。だから人々と好むところを同じくすれば、成し遂げられないことはなく、人々と憎むところを同じくすれば、倒せないものはない。国が治まり家が安泰であるのは、人材を得ているからである。国が滅び家が破れるのは、人材を失うからである。生きとし生けるものはみな、自分の志を遂げたいと願っているのだ。
解説
三略の冒頭を飾る一段で、全巻を貫く主題がここに示されています。リーダーの仕事とは、すぐれた人材の心をつかみ、功に報い、自分の意志を組織の隅々まで通わせることだ、というのです。「英雄の心を攬る」という表現が象徴するように、三略は武力そのものよりも人心の掌握を勝敗の根本に置きます。そして人々が好むものを共に好み、憎むものを共に憎むとき、組織は初めて一つの意志として動きます。国家の興亡もつまるところ人を得るか失うかに尽きる、という断言は痛烈です。現代の経営でも、事業の成否は最終的に人にかかります。優秀な人材が集まる会社と去っていく会社の違いは、報酬制度の巧拙以上に、経営者が社員一人ひとりの「志を遂げたい」という願いを理解し、それを組織の目的と重ね合わせられているかどうかにあります。ビジョンを共有し、貢献に正しく報いる。この基本の徹底こそが、組織を動かす最大の力になります。
この章句が説くこと
人心掌握人材リーダーシップ組織の意志統一
関連する章句
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史記 留侯世家上曰く、「雍歯は我と故あり、数々嘗て我を窘辱す。我之を殺さんと欲するも、其の功多きが為に、故に忍びず」と。留侯曰く、「今急ぎ先づ雍歯を封じて以て羣臣に示せ、羣臣雍歯の封ぜらるるを見ば、則ち人人自ら堅からん」と。是に於て上乃ち酒を置き、雍歯を封じて什方侯と為し、而して急ぎ丞相・御史を趣して功を定め封を行はしむ。羣臣酒を罷め、皆喜びて曰く、「雍歯すら尚ほ侯と為る、我が属患ひ無し」と。劉敬高帝に説きて曰く、「関中に都せよ」と。上之を疑ふ。左右の大臣皆山東の人にして、多く上に雒陽に都せんことを勧む、「雒陽は東に成皋有り、西に殽黽有り、河を倍にし、伊雒に向かふ、其の固めも亦た恃むに足る」と。留侯曰く、「雒陽は此の固め有りと雖も、其の中小にして、数百里に過ぎず、田地薄く、四面より敵を受く、此れ武を用ふるの国に非ざるなり。夫れ関中は殽函を左にし、隴蜀を右にし、沃野千里、南に巴蜀の饒有り、北に胡苑の利有り、三面を阻みて守り、独り一面を以て東のかた諸侯を制す。諸侯安定すれば、河渭漕輓して天下より、西のかた京師に給す。諸侯変有らば、流れに順ひて下り、以て委輸するに足る。此れ所謂金城千里、天府の国なり、劉敬の説是なり」と。是に於て高帝即日駕し、西のかた関中に都す。留侯従ひて関に入る。留侯性多病にして、即ち道引して穀を食はず、門を杜ぢて出でざること歳余。上太子を廃し、戚夫人の子趙王如意を立てんと欲す。大臣多く諫争するも、未だ堅決を得る者あらざるなり。呂后恐れ、為す所を知らず。人或ひと呂后に謂ひて曰く、「留侯は善く計筴を画し、上之を信用す」と。呂后乃ち建成侯呂沢をして留侯を劫かしめて、曰く、「君常に上の謀臣為り、今上太子を易へんと欲す、君安んぞ枕を高くして臥するを得んや」と。留侯曰く、「始め上数々困急の中に在り、幸ひにして臣の筴を用ふ。今天下安定し、愛欲を以て太子を易へんとす、骨肉の間は、臣等百余人と雖も何ぞ益せん」と。
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史記 黥布列伝楚、項声・竜且をして淮南を攻めしめ、項王留まりて下邑を攻む。数月、竜且淮南を撃ち、布の軍を破る。布兵を引きて漢に走らんと欲するも、楚王の之を殺さんことを恐る。故に間行して何と倶に漢に帰す。淮南王至る。上方に床に踞して洗ひ、布を召して入り見えしむ。布大いに怒り、来たりしを悔い、自殺せんと欲す。出でて舎に就く。帳御飲食従官漢王の居の如し。布又大いに喜び望みに過ぐ。是に於て乃ち人をして九江に入らしむ。楚已に項伯をして九江の兵を収めしめ、尽く布の妻子を殺す。布の使者頗る故人幸臣を得、衆数千人を将ゐて漢に帰す。漢益々布に兵を分かちて与に倶に北し、兵を収めて成皋に至る。四年七月、布を立てて淮南王と為し、与に項籍を撃つ。漢の五年、布人をして九江に入らしめ、数県を得。六年、布劉賈と九江に入り、大司馬周殷を誘ふ。周殷楚に反き、遂に九江の兵を挙げて漢と楚を撃ち、之を垓下に破る。項籍死し、天下定まる。上置酒す。上隨何の功を折き、何を謂ひて腐儒と為し、天下を為むるに安んぞ腐儒を用ひんと。隨何跪きて曰く、「夫れ陛下兵を引きて彭城を攻むるに、楚王未だ斉を去らず。陛下歩卒五万人、騎五千を発して、能く以て淮南を取らんか」と。上曰く、「能はず」と。隨何曰く、「陛下何と二十人とをして淮南に使ひせしめ、至りて陛下の意の如くならしむ。是れ何の功は歩卒五万人騎五千より賢れるなり。然り而して陛下何を謂ひて腐儒と為し、天下を為むるに安んぞ腐儒を用ひんとするは、何ぞや」と。上曰く、「吾方に子の功を図らんとす」と。乃ち隨何を以て護軍中尉と為す。布遂に符を剖きて淮南王と為り、六に都す。九江・廬江・衡山・豫章の郡皆布に属す。七年、陳に朝す。八年、雒陽に朝す。九年、長安に朝す。
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『徂徠先生答問書』卷中されば人々如此心懸候故、見え兼るもことわりにて候。足下も御先祖様の時代の事御聞可被成候。今の世より見候へば、其時分に名を申候能人と申候は皆疵物にて候。是別の子細に無御座候。其時分はぬり隠し申候事無御座候故、疵見え申候。疵見え申候得ば、人才は見え申候。今時も世上の悪俗に染不申候人は疵多く御座候間、疵物にならでは人才はなき物と被思召、疵物の内にて御ゑらび可被成候。疵もなく才も長じ候人を御尋候はゞ、最前申候御物ずきの注文と申物にて、疵なき人は郷原か巧言令色か扨は庸人と可被思召候。以上。
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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