智囊 / 雄略・謝小娥
更為男子服,傭保江湖間。歲餘,至潯陽郡,見紙榜子召傭者,娥應召,問其主,果申蘭也。娥心憤貌順,在蘭左右,積二歲餘,甚見親愛,金帛出入之數無不委之。每睹謝之衣物器具,未嘗不暗泣。蘭與春,宗昆弟也,春家在大江北獨樹浦,往來密洽。一日春攜大鯉兼酒詣蘭,至夕,群賊畢至,酣飲,暨諸凶既去,春沉醉臥於內室。蘭亦覆寢於庭,小娥潛鎖春於內,抽佩刃先斬蘭首,呼號鄰人並至。春擒於內,蘭死於外,獲贓貨至數千萬。初,蘭、春有黨數十人,暗記其名,悉擒就戮。時潯陽太守張公嘉其孝節,免死,娥竟剪髮為尼以終。〔評〕其智勇或有之,其堅忍處,萬萬難及。
新字:更為男子服,傭保江湖間。歳余,至潯陽郡,見紙榜子召傭者,娥応召,問其主,果申蘭也。娥心憤貌順,在蘭左右,積二歳余,甚見親愛,金帛出入之数無不委之。毎睹謝之衣物器具,未嘗不暗泣。蘭与春,宗昆弟也,春家在大江北独樹浦,往来密洽。一日春攜大鯉兼酒詣蘭,至夕,群賊畢至,酣飲,暨諸凶既去,春沈酔臥於内室。蘭亦覆寝於庭,小娥潜鎖春於内,抽佩刃先斬蘭首,呼号鄰人並至。春擒於内,蘭死於外,獲贓貨至数千万。初,蘭、春有党数十人,暗記其名,悉擒就戮。時潯陽太守張公嘉其孝節,免死,娥竟剪髪為尼以終。〔評〕其智勇或有之,其堅忍処,万万難及。
書き下し
更に男子の服を為し、江湖の間に傭保す。歳余にして、潯陽郡に至り、紙の榜子もて傭者を召すを見る。娥応じて召され、其の主を問えば、果たして申蘭なり。娥は心に憤るも貌は順い、蘭の左右に在ること、積むこと二歳余、甚だ親愛せられ、金帛の出入の数は之に委ねざる無し。謝の衣物器具を睹る毎に、未だ嘗て暗に泣かずんばあらず。蘭と春とは、宗の昆弟なり。春の家は大江の北、独樹浦に在り、往来して密洽す。一日、春は大鯉と酒とを携えて蘭に詣り、夕に至りて、群賊畢く至り、酣飲す。諸凶既に去るに暨び、春は沈酔して内室に臥す。蘭も亦庭に覆寝す。小娥は潜かに春を内に鎖し、佩刃を抽きて先ず蘭の首を斬り、呼号して鄰人並びに至る。春は内に擒われ、蘭は外に死し、贓貨を獲ること数千万に至る。初め、蘭、春に党数十人有り、暗に其の名を記し、悉く擒えて戮に就かしむ。時に潯陽の太守張公、其の孝節を嘉して死を免ず。娥は竟に髪を剪りて尼と為り以て終わる。〔評〕其の智勇は或いは之有らん、其の堅忍の処は、万万及び難し。
現代語訳
小娥はさらに男の服装に着替え、長江や湖のあたりで雇われ仕事をして歩いた。一年余りして潯陽郡に着き、紙の貼り札で人を雇っているのを見た。小娥が応じて雇われ、主人はだれかと尋ねると、果たして申蘭であった。小娥は心の中では憤りながら、表向きはおとなしく従い、蘭のそばに仕えて二年あまりが過ぎ、たいそう気に入られ、金品の出し入れの管理もすべて任されるようになった。それでも謝家の衣類や道具を目にするたびに、ひそかに涙を流さないことはなかった。蘭と春は同族の兄弟で、春の家は大江の北の独樹浦にあり、行き来して親しくしていた。ある日、春が大きな鯉と酒を持って蘭を訪ね、夕方になると賊の仲間がみな集まり、大いに酒を飲んだ。賊どもが帰ったあと、春はひどく酔って奥の部屋で寝込み、蘭も庭に伏して眠った。小娥はひそかに春を部屋に閉じ込めて外から錠をかけ、腰の刀を抜いてまず蘭の首を斬り、大声で叫んで隣人たちを呼び集めた。春は部屋の中で捕らえられ、蘭は外で死に、奪った財貨が数千万も押収された。もともと蘭と春には仲間が数十人いたが、小娥は名前をひそかに記憶しており、ことごとく捕らえて処刑させた。そのとき潯陽の太守の張公は、その孝心と節操を称えて小娥の罪を許した。小娥はついに髪を切って尼となり、生涯を終えた。〔評〕その知恵と勇気を持つ者はあるいはいるかもしれないが、堅く耐え忍んだところは、とうてい及ぶ者がない。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』雄略・謝小娥謝小娥は、豫章の估客の女なり。生まれて八歳にして母を喪い、歴陽の段氏に嫁ぐ。故に二姓は常に舟を同じくし、江湖の間に貿易す。小娥年十四、始めて笄を及ぶに、父と夫と皆劫盗の殺す所と為り、二姓の党は殲されぬ。小娥も亦脳を傷つけ足を折り、水中に漂流して、他船の獲る所と為り、夕を経て活く。因りて流転して乞食し、上元県に至り、妙果寺の尼淨悟に依る。初め、小娥の父の死せし時、夢に父謂いて曰く、「我を殺す者は、『車中の猿、門東の草』なり」と。又数日の後、夢に其の夫謂いて曰く、「我を殺す者は、『禾中を走る、一日の夫』なり」と。小娥解く能わず、常に此の語を書し、広く智者を求めて之を辨ぜしむるも、年を歴て得ず。元和八年に至り、李公佐は江西の従事を罷め、舟を建業に泊し、瓦官寺の閣に登る。僧齊物、李の為に之を述ぶ。李は欄に凴りて空に書し、疑い思い嘿して慮り、忽然として了悟し、寺童をして疾く小娥を召さしめ、之に謂いて曰く、「汝の父を殺す者は申蘭、汝の夫を殺す者は申春なり。其の『車中の猿』と曰うは、車の字の中は『申』の字なり、申は猴に属するに非ずや。草の下に門有り、門の中に東有るは、『蘭』の字なり。又『禾中を走る』とは、是れ田を穿ちて過ぐるなり、亦是れ『申』の字なり。『一日の夫』とは、夫の上に更に一画あり、下に一日あるは、是れ『春』の字なり。其の申蘭、申春たること明らかなるべし」と。小娥慟哭して再拝し、密かに四字を衣に書し、二賊を訪ねて以て其の冤に復せんことを誓う。
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『智囊』雄略・邑宰妾守る者は金を分かつを貪り、忍ぶ能わず、足は覚えず前む。宰は間を以て潜かに逸す。衆は金を懐にして既に饜き、出でて宰を失うを視、懼れて走らんと欲す。妾は弱き者一人を択びて力めて之を持し、大いに呼ぶ、「攫金の賊在り」と。衆は奮拳して斉しく毆り、歯甲俱に集う。妾は且に死せんとするも、終に釈かず、声愈いよ厲し。外の人を動かし、外の人入り、衆は竄り、其の一を獲たり。並びに妾の持する所の者と両人を、巡城の潘御史の中に送る。妾は群凶の淫貪の状を訴え、兼ねて失う所の鬻産の銀数を具す。此の両人は諱む能わず、尽く其の党の姓名を供す。頃之くして、悉く擒えて至り、銀は猶お懐に在り。而して犯官の逸出するを以て解と為す。御史は詔獄を視しむるに、則ち宰焉に在り、衆は語塞がり、乃ち罪を不肖の姪に委ぬ。御史は姪を収め、尽く箠の下に斃す。妾は故の金を取りて帰り、数を籍して宰に報じ、病むこと数日にして、乃ち死す。〔評〕獄中の囚の私に出入するは、法に非ざるなり。詔獄甚だし。方に群邏の押し至るや、宰を以て奇貨と為さざらんや。膽薄と言いて其の志を堅くし、金多しと言いて其の欲に中て、謔を忍びて以て之を堅くし、空橐を以て之を餌す。守者を怠らせて宰を逸すは、固より已に吾が算の中に在り。其の不意に出で、一弱を持して以て衆強を羈す。仮令い身は老拳の下に斃るるとも、罪人其れ免れんや。群凶先に我が死するに至りても、目は瞑すべきなり。婦の智は言うを必とせず。独り其の猝にして乱れず、死して怵れず、従容として功に就くは、丈夫の智の逮ばざる所有り。惜しむらくは伝うる者其の名を逸す。然りと雖も、千秋の下、一邑宰の妾有りて浣紗女、鋭司徒の妻、車中の女子の儔に在るを知らば、斯れ友無しと為さざるなり。
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