智囊 / 雄略・申屠希光
申屠氏,長樂人,慕孟光之為人,自名希光。有詩才,既適侯官秀才董昌,絕不復吟,食貧作苦,宴如也。郡中大豪方六一聞希光美,心悅之,乃使人誣昌陰重罪,罪至族。六一復陽為居間,得輕比,獨昌報殺,妻子俱免,因使侍者通慇懃,強委禽焉。希光具知其謀,謬許之,密寄其孤於昌之友人,乃求利匕首,挾以往。好言謝六一,因請葬夫而後成禮。六一大喜,使人以禮葬昌。希光則偽為色喜,豔妝入室。六一既至,即以匕首刺之帳中,六一立死。因復殺其侍者二人。至夜中,詐謂六一暴病,以次呼其家人,至則皆殺之,盡滅其宗。因斬六一頭,置囊中,至昌葬所祭之。明日悉召村民,告以故,且曰:「吾將從夫地下。」遂縊而死,時靖康二年事。六一陷人於族,乃人不族而己族矣。以一文弱婦人,奮其白刃,全家為戮,義憤所激,鬼神助之,有志竟成,豈必鬚眉丈夫哉!
新字:申屠氏,長楽人,慕孟光之為人,自名希光。有詩才,既適侯官秀才董昌,絶不復吟,食貧作苦,宴如也。郡中大豪方六一聞希光美,心悦之,乃使人誣昌陰重罪,罪至族。六一復陽為居間,得軽比,独昌報殺,妻子倶免,因使侍者通慇懃,強委禽焉。希光具知其謀,謬許之,密寄其孤於昌之友人,乃求利匕首,挟以往。好言謝六一,因請葬夫而後成礼。六一大喜,使人以礼葬昌。希光則偽為色喜,艶妝入室。六一既至,即以匕首刺之帳中,六一立死。因復殺其侍者二人。至夜中,詐謂六一暴病,以次呼其家人,至則皆殺之,尽滅其宗。因斬六一頭,置嚢中,至昌葬所祭之。明日悉召村民,告以故,且曰:「吾将従夫地下。」遂縊而死,時靖康二年事。六一陥人於族,乃人不族而己族矣。以一文弱婦人,奮其白刃,全家為戮,義憤所激,鬼神助之,有志竟成,豈必鬚眉丈夫哉!
書き下し
申屠氏は、長楽の人で、孟光の人となりを慕い、自ら希光と名づけた。詩才があったが、すでに侯官の秀才董昌に適いでからは、絶えて吟じず、貧しきに食し苦しきを作し、宴如であった。郡中の大豪の方六一は希光が美しいと聞いて、心にこれを悦び、そこで人を使わして昌を陰重の罪に誣い、罪は族に至った。六一はまた陽て居間を為し、軽い比を得たが、昌だけは報殺され、妻子は俱に免れた。そこで侍者をして慇懃を通じさせ、強いて委禽した。希光は具さにその謀を知り、謬って許し、密かにその孤を昌の友人に寄せ、そこで利い匕首を求め、挟んで往った。好言で六一に謝し、よって夫を葬って後に礼を成すことを請うた。六一は大いに喜び、人を使わして礼を以て昌を葬らせた。希光は偽って色を喜ばせ、豔妝して室に入った。六一が既に至ると、すぐに匕首を以て帳中に刺し、六一は立ちどころに死んだ。よって復た侍者二人を殺した。夜中に至り、詐って六一が暴病であると謂い、次を以てその家人を呼び、至る者は皆殺し、尽くその宗を滅ぼした。よって六一の頭を斬り、嚢の中に置き、昌の葬所に至って祭った。明日、悉く村民を召して、故を告げ、且つ言った、「吾は将に夫に地下で従う。」遂に縊れて死んだ。時に靖康二年の事である。六一は人を陥れて族にしたが、人は族せられずして己が族せられた。一文弱の婦人で、其の白刃を奮い、全家を戮し、義憤の激する所、鬼神がこれを助け、志あれば竟に成る。どうして必ずしも鬚眉の丈夫のみであろうか。
現代語訳
申屠氏は長楽の人で、後漢の孟光の人柄を慕って、自ら希光と名乗った。詩の才能があったが、侯官の秀才董昌に嫁いでからは、詩を詠むことをやめ、貧しい暮らしの中で苦労をいとわず、安らかに過ごした。郡の大豪族の方六一は、希光が美しいと聞いて心を惹かれ、人を遣わして昌に重罪を着せて陥れ、一族に及ぶ罪とした。六一は表向きは仲裁に入り、罪を軽くさせたが、昌だけは処刑され、妻子はともに免れた。そこで侍女を通じて熱心に言い寄り、強引に婚約を迫った。希光はその企みをすべて知り、承知したふりをして、ひそかに孤児を昌の友人に預け、鋭い匕首を求めて懐に隠して出向いた。丁寧な言葉で六一に感謝し、夫を葬ってから婚礼を行いたいと願い出た。六一は大いに喜び、人を遣わして礼にかなった葬儀を昌に営ませた。希光は喜んだふりをし、艶やかに化粧をして部屋に入った。六一が来ると、帳の中で匕首で刺し、六一はたちまち死んだ。さらに侍女二人を殺した。夜中になると、六一が急病になったと偽って、順に家の者を呼び、来た者はみな殺し、その一族を皆殺しにした。そして六一の首を切り、袋に入れて、昌の墓に行って供えた。翌日、村人を残らず呼び集めて、わけを話し、さらに「私は夫に従って地下に参ります」と言って、首をくくって死んだ。靖康二年のことである。六一は人を陥れて一族を滅ぼそうとしたが、他人は滅びず、自分の一族が滅びた。か弱い一人の女性が、白刃を振るい、一家をことごとく殺したのは、義憤に突き動かされ、鬼神が助けたのであり、志があればついに成就するもので、どうして必ずしも男だけのものであろうか。
解説
この章句が説くこと
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