智囊 / 雄略・鄧曼
楚屈瑕伐羅,鬥伯比送之。還,謂其御曰:「莫敖必敗。舉趾高,心不固矣。」遂見楚子,曰:「必濟師。」楚子辭焉,入告夫人鄧曼,鄧曼曰:「大夫其非眾之謂,其謂君撫小民以信,訓諸司以德,而威莫敖以刑也。莫敖狃於蒲騷之役,將自用也,必小羅。君若不鎮撫,其不設備乎!夫固謂君訓眾而好鎮撫之,召諸司而訓之以令德,見莫敖而告諸天之不假易也。不然,夫豈不知楚師之盡行也!」楚子使賴人追之,不及,莫敖果不設備,師敗而縊。
新字:楚屈瑕伐羅,鬥伯比送之。還,謂其御曰:「莫敖必敗。舉趾高,心不固矣。」遂見楚子,曰:「必済師。」楚子辞焉,入告夫人鄧曼,鄧曼曰:「大夫其非衆之謂,其謂君撫小民以信,訓諸司以徳,而威莫敖以刑也。莫敖狃於蒲騷之役,将自用也,必小羅。君若不鎮撫,其不設備乎!夫固謂君訓衆而好鎮撫之,召諸司而訓之以令徳,見莫敖而告諸天之不仮易也。不然,夫豈不知楚師之尽行也!」楚子使頼人追之,不及,莫敖果不設備,師敗而縊。
書き下し
楚の屈瑕が羅を伐つとき、闘伯比がこれを送った。還って、その御に謂って言った、「莫敖は必ず敗れる。趾を挙げること高く、心が固くない。」遂に楚子に見えて言った、「必ず師を済えるべきです。」楚子は辞した。入って夫人の鄧曼に告げると、鄧曼は言った、「大夫の言う所は、衆の多さを謂うのではありません。君が小民を撫するに信を以てし、諸司を訓うるに徳を以てし、莫敖を威するに刑を以てすることを謂うのです。莫敖は蒲騒の役に狃れ、まさに自ら用いようとし、必ず羅を小とします。君がもし鎮撫しなければ、備えを設けないでしょう。そもそも君が衆を訓え鎮撫を好むことを謂うのです。諸司を召してこれを訓うるに令徳を以てし、莫敖に見えて、天は仮易しないことを告げなさい。そうでなければ、そもそも楚の師が尽く行くことを知らないはずがありません。」楚子は頼人をして追わせたが、及ばなかった。莫敖は果たして備えを設けず、師は敗れて縊した。
現代語訳
楚の屈瑕(莫敖)が羅を討伐に出かけるとき、闘伯比が見送った。帰り道、御者に言った。「莫敖は必ず敗れる。足を高く上げて歩き、心が定まっていない。」そこで楚王に会って言った。「必ず増援の軍を出すべきです。」楚王は断った。奥に入って夫人の鄧曼に話すと、鄧曼は言った。「大夫の言う意味は、兵の数を増やせということではありません。王が民をいたわって信義を示し、役人たちを徳で教え導き、莫敖を刑罰で戒めてほしい、という意味です。莫敖は蒲騒での勝利に慣れて、自分の考えで勝手に動こうとし、きっと羅を小国だと侮ります。王がもし鎮め戒めなければ、備えを置かないでしょう。大夫は、王が軍を教え導き、鎮撫を大事にすることを求めているのです。役人たちを呼んで立派な徳を以て訓示し、莫敖には天はいいかげんに許してはくれないと告げなさい。そうでなければ、大夫がどうして楚の軍がすべて出ていることを知らないでしょうか。」楚王は頼の人に追わせたが、間に合わなかった。莫敖はやはり備えを置かず、軍は敗れ、自ら首をくくって死んだ。
解説
この章句が説くこと
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史記 春申君列伝先帝文王・荘王の身より、三世妄りに地を斉に接せず、以て従親の要を絶つ。今、王、盛橋をして事を韓に守らしむ、盛橋その地を以て秦に入る。是れ王は甲を用ひず、威を信べずして、百里の地を得たり。王は能くすと謂ふべし。王また甲を挙げて魏を攻め、大梁の門を杜ぎ、河内を挙げ、燕・酸棗・虚・桃を抜き、邢に入る。魏の兵は雲翔して敢へて捄はず。王の功もまた多し。王、甲を休め衆を息むること二年にして後これを復す。また蒲・衍・首・垣を并せ、以て仁・平丘に臨み、黄・済陽城を嬰りて魏氏服す。王また濮磿の北を割き、斉秦の要に注ぎ、楚趙の脊を絶つ、天下五たび合し六たび聚まるも敢へて救はず。王の威もまた単(つ)くせり。王若し能く功を持し威を守り、攻取の心を絀けて仁義の地を肥やし、後患無からしめば、三王も四と為すに足らず、五伯も六と為すに足らざるなり。王若し人徒の衆きを負み、兵革の彊きを仗み、魏を毀るの威に乗じて、力を以て天下の主を臣とせんと欲せば、臣その後患有らんことを恐る。詩に曰く『初め有らざるは靡く、克く終はり有るは鮮し』と。易に曰く『狐水を渉りて、その尾を濡らす』と。此れ始めの易くして、終はりの難きを言ふなり。何を以てその然るを知るや。昔、智氏は趙を伐つの利を見て榆次の禍を知らず、呉は斉を伐つの便を見て干隧の敗を知らず。此の二国は大功無きに非ざるなり、利に前に没して患ひを後に易んずればなり。呉の越を信ずるや、従ひて斉を伐ち、既に斉人に艾陵に勝ち、還りて越王の為に三渚の浦に禽にせらる。智氏の韓・魏を信ずるや、従ひて趙を伐ち、晋陽の城を攻め、勝つこと日有り、韓・魏これに叛き、智伯瑤を鑿台の下に殺す。今、王は楚の毀れざるを妒みて、楚を毀るの韓・魏を彊くするを忘る、臣王の為に慮りて取らざるなり。詩に曰く『大武は宅を遠くして渉らず』と。
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尚書・西伯戡黎我が生、命は天に在るに非ずや。
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