智囊 / 雄略・楊敞妻
霍光與張安世謀廢立。議既定,使大司農田延年報楊敞。敞驚懼,不知所言,汗出浹背。延年起更衣,敞夫人遽從東廂謂敞曰:「此國家大事,今大將軍議已定,使九卿來報君,君不疾應,與大將軍同心,猶豫無決,先事誅矣。」延年更衣還,夫人與延年參語許諾。〔評〕此何等事,而婦人乃了然於胸中,不唯敞不如,即大將軍亦不如。
新字:霍光与張安世謀廃立。議既定,使大司農田延年報楊敞。敞驚懼,不知所言,汗出浹背。延年起更衣,敞夫人遽従東廂謂敞曰:「此国家大事,今大将軍議已定,使九卿来報君,君不疾応,与大将軍同心,猶予無決,先事誅矣。」延年更衣還,夫人与延年参語許諾。〔評〕此何等事,而婦人乃了然於胸中,不唯敞不如,即大将軍亦不如。
書き下し
霍光は張安世と廃立を謀った。議すでに定まり、大司農の田延年をして楊敞に報じさせた。敞は驚き懼れて言う所を知らず、汗が出て背に浹った。延年が起って更衣するとき、敞の夫人は遽かに東廂より敞に謂って言った、「これは国家の大事です。いま大将軍の議はすでに定まり、九卿をして来て君に報じさせました。君が疾く応じず、大将軍と心を同じくしないで、猶豫して決しなければ、事に先んじて誅されます。」延年が更衣して還ると、夫人は延年と参語して許諾した。〔評〕これは何たる事か。しかるに婦人はかえって了然として胸中にある。ただ敞が及ばないだけではなく、大将軍もまた及ばない。
現代語訳
霍光は張安世と、皇帝を廃して新帝を立てることを謀った。計画がすでに決まり、大司農の田延年を使者に立てて楊敞に知らせた。敞は驚き恐れてどう答えてよいか分からず、汗が背中までびっしょり流れた。延年が着替えのために席を立ったとき、敞の夫人が急いで東の脇の部屋から出てきて、敞に言った。「これは国家の大事です。いま大将軍の議はすでに決まり、九卿の一人を使者に立てて、あなたに知らせてこられました。あなたがすぐに応じず、大将軍と心を同じにせず、ぐずぐずと決めかねていれば、事が起きる前に誅殺されます。」延年が着替えを終えて戻ると、夫人は延年と一緒に話し合って、承諾した。〔評〕これはなんという大事であろうか。それなのに、この婦人は明らかに胸中で理解している。ただ楊敞が及ばないだけでなく、大将軍の霍光ですらも及ばないほどである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『智囊』雄略・晏恭人晏氏は、寧化の人で、福の曾氏に嫁いだ。夫が死に、幼子を守って嫁がなかった。宋の紹定の間、寇が大挙したとき、晏は山に依って砦を為し、田丁を召して諭して言った、「汝らは衣食を吾が家に仰いでいる。主母を念うべきで、各おの命を用いよ。勝たなければ、すなわち我を殺せ。」そこで蔵橐を解いて悉く散じて与え、田丁は感奮しないものはなかった。晏は自ら鼓を捶ち、諸婢をして金を鳴らさせ、賊は退散した。郷人で家を挈えて砦に帰る者は甚だ衆く、晏は家糧を以て給らない者を助け、砦を拓いて伍を為し、互いに援応し、賊は攻めることができなかった。全活した老幼は数万を以て計えた。事が聞こえ、恭人に封ぜられ、冠帔を賜い、その子に承信郎を補した。〔述評〕漢の天子は言った、「吾は独り廉頗、李牧を将とすることを得ない。どうして匈奴を憂えようか。」そうではあるが、何ぞ必ずしも頗、牧ではない。誠に李侃の婦、晏恭人を得て以て守らせ、邵続の女、崔寧の妾を得て以て戦わせ、劉太妃を上将とし、平陽昭公主を副とし、鄧曼、冼氏を参軍とし、荀崧の女を游奕使とするなら、まさに天下を横行してよい。大暦中、楊子琳が成都を襲い、これに拠った。崔寧は屢ば戦って力が屈した。寧の妾の任氏は魁偉で果乾であり、家財十万を出して勇士を募り、信宿の間に千人を得た。隊伍将校を設け、手ずから兵を麾き、子琳に逼ると、琳は城を抜いて自ら潰えた。
-
『智囊』雄略・苻堅妻堅の妻張氏は、明辨にして、才識があった。堅が将に晋を寇そうとするとき、群臣が切諫したが従わなかった。張氏が進んで言った、「妾は聞きます、聖王が天下を御するには、その性に因ってこれを暢べないことはなく、湯、武が夏、商を滅ぼしたのは、民の欲に因ったからで、それゆえ因があれば成り、因がなければ敗れます。いま朝臣は上下みな不可と言います。陛下はまた何に因るのですか。術士は言います、『雞が夜に鳴けば、師を行るに利しからず。犬が群れて嗥えば、宅室は必ず空しくなる。兵が動き馬が驚けば、軍は敗れて帰らない』と。秋冬以来、毎夜犬が嗥き雞が鳴き、また廄の馬が驚き逸れ、武庫の兵器が故なく声を作すのを聞きます。天道は崇遠で妾の知る所ではありませんが、これを人事に遽がせるなら、まだ可なるを見ません。願わくは陛下は熟思ください。」堅は言った、「軍旅の事は、どうして婦人の知る所か。」ついに兵を興し、張氏は従軍を請うた。堅が敗れると、張氏はただちに自殺した。
-
『智囊』雄略・鄒僕妻梁の末、襄州都軍務の鄒景温は職を徐に移され、また都軍の務めを管した。勁僕があり、拳勇を自ら恃み、独り妻と驢を策いて行き、芒、碭の澤の間に至って、大声で言った、「聞く、ここは素より豪客が多いと。どうして一人として吾が曹と勝負を決する者がいないのか。」言い畢ると、五六人の盗が叢薄の間より躍り出た。一人の夫が後ろより双手で交抱し、搏って之を仆し、短刃を抽いて以てその喉を断った。蓋し其の不備を掩ったのである。ただ妻が側にあり、殊に惶駭せず、ただ矯って大呼して言った、「快いかな、今日方に吾が恥を雪いだ。吾は良家の子で、其の俘掠に遭って、ここに致った。誰が神明がないと言うか。」賊は其の誠と謂って殺さず、行李と二驢とともに、驅って南に邁き、五六十里に近づき、亳の北界の達孤荘の南に至って息んだ。荘の門に器甲があり、蓋し近戍の巡警の卒である。この婦は遂に径ちに村人の中堂に入った。盗もまた其の食を謀ると謂って疑わなかった。そこで其の総首に泣いて拝し、且つ其の夫が屠られた状を告げた。総首は潜かに其の徒を召し、一時に執縛した。ただ一盗だけが逸れた。械して亳城に送り、咸な棄市された。婦は襄陽に返り、尼となって終えた。
-
『智囊』雄略・孟昶妻孟昶の妻周氏は、昶の弟覬の妻の従妹でもある。二家は並びに財産が豊かであった。はじめ桓玄がかつて昶を推重したが、劉邁がこれを毀り、昶は深く自ら惋失した。劉裕がまさに義を建てようとするとき、昶と謀を定め、昶は財物を尽く散じて軍糧に充てようとした。その妻は常の婦ではなく、大事を語るべきであると思い、そこで言った、「劉邁が我を桓公に毀り、便ち一生淪陥した。決して賊となる。卿は幸いに早く離絶すべきである。富貴を得れば、迎えるのも晩くはない。」周氏は言った、「君の父母は堂におられます。非常の謀を建てようとするのは、どうして婦人の諫める所でしょう。事が成らなければ、奚官の中に大家を奉養し、義として帰る志はありません。」昶は愴然として久しくして起った。周氏は昶を追って坐らせて言った、「君の挙措を観ますと、婦人に謀る人ではありません。財物を得たいだけです。」そこで懐中の生んだ女を指して言った、「この児も売るべきで、また惜しみません。まして資財をや。」遂に資を傾けて給し、他の用に托した。事を挙げようとするに及び、周氏は覬の妻に謂って言った、「昨夜の夢が殊に悪く、門内で洗濯沐浴してこれを除くべきです。また赤色は宜しくありません。悉く取って七日の蔵厭とするべきです。」覬の妻はこれを信じ、あるところの絳色の物をことごとく斂めて付した。そこで帳の中に置き、潜かに自ら綿を剔り、絳を昶に与え、遂に数十人が被服することを得た。赫然として、悉く周氏から出たもので、家人は知らなかった。〔評〕周氏は常の婦ではない。その夫もなお知ること尽くしていなかった。
-
『智囊』辯才・楊善而して中朝の諸臣は、一は虜の欺きを受けんことを恐れ、二は嗣立者の意に払わんことを恐れ、相い顧みて推諉して敢えて任ずる莫し。善、義、心に激し、慨然として往かんことを請う。尺帛半鏹をも費やさず、単辞にして完璧なり。此れ又豈に廝養卒の敢えて望む所ならんや。土木は是れ一時の誤陥にして、晋・宋の削弱するとは同じからず。而して也先の名を好むは、又胡・劉・女直の残暴無忌なるの比に非ず。其の強勢も亦た遠く逮ばず。所以に楊善の言入り易し。晋・宋の往時に在らしめば、百の楊善と雖も、喙を置く所無からん。然れども爾の時、印累累、綬若若たるに、慨然として往かんことを請うは、独り一都御史のみ。即し善の口舌無くも、独り善の心肝無からんや。
-
『智囊』雄略・宋太祖姊宋の太祖が将に北征しようとするとき、京師は喧しく「軍中は点検(趙匡胤)を立てて天子としようとしている」と言った。太祖は家人に告げた、「外間の詾詾はかくの如し。これをどうしようか。」太祖の姉はちょうど厨にいて、麺杖を引いて太祖を撃ち、これを逐って言った、「丈夫は大事に臨んでは、可否は自ら懐に決すべきである。家の中に来て婦女を恐怖させて何をするのか。」太祖は黙って出た。〔議〕分明に勧駕である。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る