智囊 / 雄略・劉知遠妻・李景讓母
劉智遠至晉陽,議率民財以賞將士。夫人李氏諫曰:「陛下因河東創大業,未有惠澤及民,而先奪其生資,殆非新天子所以救民之意也!請悉出軍中所有勞軍,雖復不厚,人無怨言。」智遠從之,中外大悅。唐李景讓母鄭氏,性嚴明。景讓宦達,發已斑白,小有過,不免捶楚。其為浙西觀察使,有牙將逆意,杖之而斃,軍中憤怒,將為變。母聞之,出坐廳事,立景讓於庭而責之曰:「天子付汝以方面,豈得以國家刑法為喜怒之資,而妄殺無罪,萬一致一方不寧,豈唯上負朝廷,使垂老之母含羞入地,何以見汝之先人哉?」命左右褫其衣,將撻其背,將佐皆為之請,良久乃釋,軍中遂安。〔按〕鄭氏早寡,家貧子幼,母自教之。宅後牆陷,得錢盈船,母祝之曰:「吾聞無勞而獲,身之災也。天若矜我貧,則願諸孤學問有成,此不敢取。」遽掩而築之,蓋婦人中有大見識者。景讓弟景莊,老於場屋。每被黜,母輒撻景讓。此事可笑,然景讓終不肯屬主司,曰:「朝廷取士,自有公道,豈可效人求關節乎?」其漸於義方深矣。
新字:劉智遠至晋陽,議率民財以賞将士。夫人李氏諫曰:「陛下因河東創大業,未有恵沢及民,而先奪其生資,殆非新天子所以救民之意也!請悉出軍中所有労軍,雖復不厚,人無怨言。」智遠従之,中外大悦。唐李景譲母鄭氏,性厳明。景譲宦達,発已斑白,小有過,不免捶楚。其為浙西観察使,有牙将逆意,杖之而斃,軍中憤怒,将為変。母聞之,出坐庁事,立景譲於庭而責之曰:「天子付汝以方面,豈得以国家刑法為喜怒之資,而妄殺無罪,万一致一方不寧,豈唯上負朝廷,使垂老之母含羞入地,何以見汝之先人哉?」命左右褫其衣,将撻其背,将佐皆為之請,良久乃釈,軍中遂安。〔按〕鄭氏早寡,家貧子幼,母自教之。宅後牆陥,得銭盈船,母祝之曰:「吾聞無労而獲,身之災也。天若矜我貧,則願諸孤学問有成,此不敢取。」遽掩而築之,蓋婦人中有大見識者。景譲弟景荘,老於場屋。毎被黜,母輒撻景譲。此事可笑,然景譲終不肯属主司,曰:「朝廷取士,自有公道,豈可効人求関節乎?」其漸於義方深矣。
書き下し
劉智遠は晋陽に至り、民財を率いて将士に賞することを議した。夫人李氏は諫めて言った、「陛下は河東に因って大業を創められましたが、まだ恵沢が民に及んでおらず、先にその生資を奪うのは、おそらく新天子が民を救う意に非ざるものです。請う、軍中の所有を悉く出して労軍されよ。重ねて厚くなくとも、人に怨言はないでしょう。」智遠はこれに従い、中外は大いに悦んだ。唐の李景譲の母鄭氏は、性が厳明であった。景譲が宦達し、髪はすでに斑白であったが、小さな過ちがあれば捶楚を免れなかった。その浙西観察使となったとき、牙将に意に逆らう者があり、これを杖して斃した。軍中は憤怒し、変を為そうとした。母はこれを聞き、出でて庁事に坐し、景譲を庭に立たせてこれを責めて言った、「天子は汝に方面を付した。どうして国家の刑法を喜怒の資とし、妄りに無罪を殺してよいか。万一、一方の不寧を致せば、豈に唯だ上は朝廷に負くのみならず、垂老の母をして羞を含んで地に入らせ、何を以て汝の先人に見えようか。」左右に命じてその衣を褫がせ、その背を撻とうとした。将佐は皆これを請い、久しくして釈した。軍中は遂に安んじた。〔按〕鄭氏は早く寡となり、家は貧しく子は幼く、母が自らこれを教えた。宅の後ろの牆が陥ち、銭が船に盈ちるほど得た。母はこれを祝して言った、「吾は聞く、労なくして獲るのは、身の災いであると。天がもし我が貧を矜れむなら、願わくは諸孤が学問を成すことを。これは敢えて取らぬ。」遽かにこれを掩って築いた。婦人の中の大見識の者である。景譲の弟の景荘は、場屋に老いた。黜けられるたびに、母は輒ち景譲を撻った。この事は笑うべきであるが、景譲は終に主司に属することを肯んぜず、言った、「朝廷が士を取るのは、自ずから公道がある。どうして人に倣って関節を求めてよいか。」義方に漸ること深かったのである。
現代語訳
劉智遠(後漢の高祖)は晋陽に着くと、民間の財産を取り立てて将兵に賞を与えることを相談した。夫人の李氏が諫めて言った。「陛下は河東を足場に大業を始められましたが、まだ民に恵みが及んでいないのに、先に民の生活の資を奪うのは、新しい天子が民を救おうとする本意ではないでしょう。どうか軍中にあるものをすべて出して将兵をねぎらってください。たとえ豊かでなくても、人々に恨み言は出ないでしょう。」智遠はこれに従い、朝廷の内外は大いに喜んだ。唐の李景譲の母の鄭氏は、性格が厳格で聡明であった。景譲が出世して、髪がすでに白髪まじりになっても、小さな過ちがあれば鞭で打つのを免れなかった。景譲が浙西観察使になったとき、意に逆らった牙将を杖で打ち殺してしまい、軍中は憤慨して、反乱を起こそうとした。母はこれを聞いて、広間に出て坐り、景譲を庭に立たせて責めた。「天子はあなたに一方面の任を預けました。どうして国の刑罰を自分の喜怒の材料にして、罪のない者を勝手に殺してよいのですか。万一、この地方が不穏になれば、ただ朝廷に背くだけでなく、老いた母に恥を抱いて死なせ、どの顔であなたの先祖に会えばよいのでしょう。」左右の者に命じて景譲の衣服を剥がせ、背中を打とうとした。部下の将校たちが皆そろって許しを願い、しばらくしてようやく許した。軍中はこうして落ち着いた。〔按〕鄭氏は早くに夫を亡くし、家は貧しく子は幼く、母が自ら教育した。屋敷の裏の塀が崩れ、船いっぱいの銭が出てきた。母はこれに向かって祈った。「労せずに手に入れた物は身の災いになると聞きます。天がもし私の貧しさを憐れんでくださるなら、子供たちが学問を成すことを願います。この銭は取りません。」すぐに銭を埋め戻して塀を築いた。女性の中の大きな見識の持ち主である。景譲の弟の景荘は、科挙の場で年を重ねた。落第するたびに、母はなぜか景譲を鞭打った。この話は笑うべきだが、景譲はそれでも試験官に口を利いてもらうことを承知せず、言った。「朝廷が士を選ぶには、おのずから公正な道がある。どうして他人のように縁故を求めてよいか。」家庭の教えに染まること深かったのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 高祖本紀且つ吾の軍を霸上に還す所以は、諸侯の至るを待ちて約束を定めんのみ。」と。乃ち人をして秦の吏と県郷邑を行かしめ、之に告諭す。秦人大いに喜び、争ひて牛羊酒食を持ちて軍士に献饗す。沛公又譲りて受けず、曰く、「倉粟多し、乏しきに非ず、人に費さしむるを欲せず。」と。人又益々喜び、唯だ沛公の秦王と為らざらんことを恐る。
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史記 高祖本紀初め、項羽宋義と北のかた趙を救ふ、項羽の宋義を殺し、代はりて上将軍と為るに及び、諸将黥布皆属し、秦の将王離の軍を破り、章邯を降し、諸侯皆附く。趙高已に二世を殺すに及び、人をして来らしめ、約して関中に分王せんと欲す。沛公以て詐りと為し、乃ち張良の計を用ゐ、酈生・陸賈をして往きて秦の将に説き、啗はすに利を以てせしめ、因りて武関を襲攻し、之を破る。又秦の軍と藍田の南に戦ひ、益々疑兵の旗幟を張り、諸々の過ぐる所掠鹵するを得る毋からしむ、秦人喜び、秦の軍解く、因りて大いに之を破る。又其の北に戦ひ、大いに之を破る。勝ちに乗じて、遂に之を破る。漢の元年十月、沛公の兵遂に諸侯に先んじて霸上に至る。
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言志四録・言志録 第百八十一条 勢に因りて利導す人情の気機は、一定を以て求むべからず。之を誘へば勧み、之を禁ずれば遏む、順なり。之を導けば反つて阻み、之を抑ふれば益揚る、逆なり。是の故に駕馭の道は、当に其の向背を察し、其の軽重を審らかにし、勢に因りて之を利導し、機に応じて之を激励し、其をして自ら其の然る所以を覚えざらしむべし。此れを之れ得たりと為す。
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『弁道』第二十四則「之を継ぐ者は善」とは、天を継ぐの継の如し。善とは善人を謂ふなり。流行と訓ずる者は継の字の義を失へり。「之を成す者は性」とは、人各〻性の近き所に随ひて務めを成すを謂ふなり。凡そ徳と言ふ者、怨に対して言ふ者有り、財に対して言ふ者有り。其の単に言ふ者は、皆性の徳なり。爾らずんば、「徳に拠る」、何ぞ其れ荒唐なるや。人心とは民心なり。朽索の馭の如し。故に危ふしと曰ふ。道心とは民心を導くなり。其の機甚だ微なり。故に微なりと曰ふ。
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『呻吟語』内篇・應務・一の拙法有り世人の相與するは、面上に非ざれば則ち口中なり。人の心は固より面と口とに掩ふ能はず。而して測る可からざる者は則ち面と口とに盡きざるなり。故に惟だ人心のみ最も畏る可く、人心最も知る可からず。此れ天下の陷阱にして、古今生死の衢なり。余に一の拙法有り。之を推すに至誠を以てし、之を施すに至厚を以てし、之を持するに至慎を以てし、是非を遠ざけ、利名を讓り、後下に處せば、則ち夷狄鳥獸も骨肉腹心とす可し。將に深き者をして且つ心を傾けしめ、險なる者をして且つ德に化せしめんとす。而して何ぞ陷阱の予に及ばんや。
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『講孟余話』滕文公下 第九章「我も亦人心を正し、邪説を息め、詖行を距ぎ、淫辞を放ち、以て三聖者を承けんと欲す」。全章の主意此の一節に在り。此の一節又「正人心」の三字に帰す。是れ乃ち孟子終身自ら任ずる所茲にあり。抑々此の章、禹の洪水を抑へ、周公の夷狄を兼ね猛獣を駆り、孔子の春秋を成すを以て、孟子自ら比す。而して朱子注して云ふ、「蓋し邪説横流して人の心術を壊ること、洪水猛獣の災ひより甚しく、夷狄簒弑の禍ひより惨し。故に孟子深く懼れて力めて之れを救ふ」と。此の言深く味ふべし。且つ当今の事を以て是れを証せんに、群夷競ひ来る、国家の大事とは云へども、深憂とするに足らず。深憂とすべきは人心の正しからざるなり。苟も人心だに正しければ、百死以て国を守る、其の間勝敗利鈍ありと云へども、未だ遽かに国家を失ふに至らず。苟も人心先づ不正ならば、一戦を待たずして国を挙げて夷に従ふに至るべし。然れば今日最も憂ふべき者は、人心の不正なるに非ずや。近年来外夷に対し国体を失すること少なからず。其の茲に至る者、恐れながら幕府諸藩の将士、皆其の心不正にして、国の為めに忠死すること能はざるに由る。然れば孟子今日に生るるとも、亦「正人心」の三字の外一句もあることなし。此の類を以て推すに、洪水猛獣の人民を害する甚しと雖も、洪水は抑ふべし、猛獣は駆るべし。夷狄簒弑誠に憎むべしと云へども、夷狄は兼ぬべし、簒弑は誅すべし。人心苟も正しき時は、四つの者少しも憂ふるに足らず。苟も人心不正なる時は、何を以て洪水を抑へんや、何を以て猛獣を駆らんや、何を以て夷狄を兼ねんや、何を以て簒弑を誅せんや。天地晦瞑人道滅絶す。誠に寒心をなすべきことなり。
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