智囊 / 集哲・漂母
韓信始為布衣時,貧無行,嘗從人寄食,人多厭之。嘗就南昌亭長食數月,亭長妻患之,乃晨炊蓐食,食時信往,不為具食。信覺其意,竟絕去。信釣於城下,諸母漂。有一母見信飢,飯信,竟漂數十日。信喜,謂漂母曰:「吾必有以重報母。」母怒曰:「大丈夫不能自食,吾哀王孫而進食,豈望報乎?」信既貴,酬以千金。〔述評〕劉季、陳平皆不得於其嫂,何亭長之妻足怪!如母厚德,未數數也。獨怪楚、漢諸豪傑,無一人知信者,雖高祖亦不知,僅一蕭相國,亦以與語故奇之,而母獨識於邂逅憔悴之中,真古今第一具眼矣!淮陰漂母祠有對云:「世間不少奇男子,千古從無此婦人。」亦佳,惜祠大隘陋,不能為母生色。劉道真少時嘗漁草澤,善歌嘯,聞者莫不留連。有一老嫗識其非常人,甚樂其歌嘯,乃殺豚進之。道真食豚盡,了不謝。最非常人。嫗見不飽,又進一豚,食半而去。後為吏部郎,嫗兒時為小令史,道真超用之。不知其故,問母,母言之。此母亦何愧漂母,而道真胸次勝淮陰數倍矣!
新字:韓信始為布衣時,貧無行,嘗従人寄食,人多厭之。嘗就南昌亭長食数月,亭長妻患之,乃晨炊蓐食,食時信往,不為具食。信覚其意,竟絶去。信釣於城下,諸母漂。有一母見信飢,飯信,竟漂数十日。信喜,謂漂母曰:「吾必有以重報母。」母怒曰:「大丈夫不能自食,吾哀王孫而進食,豈望報乎?」信既貴,酬以千金。〔述評〕劉季、陳平皆不得於其嫂,何亭長之妻足怪!如母厚徳,未数数也。独怪楚、漢諸豪傑,無一人知信者,雖高祖亦不知,僅一蕭相国,亦以与語故奇之,而母独識於邂逅憔悴之中,真古今第一具眼矣!淮陰漂母祠有対云:「世間不少奇男子,千古従無此婦人。」亦佳,惜祠大隘陋,不能為母生色。劉道真少時嘗漁草沢,善歌嘯,聞者莫不留連。有一老嫗識其非常人,甚楽其歌嘯,乃殺豚進之。道真食豚尽,了不謝。最非常人。嫗見不飽,又進一豚,食半而去。後為吏部郎,嫗児時為小令史,道真超用之。不知其故,問母,母言之。此母亦何愧漂母,而道真胸次勝淮陰数倍矣!
書き下し
韓信始め布衣たりしとき、貧しくして行い無く、嘗て人に従いて寄食し、人多く之を厭う。嘗て南昌亭長に就きて食すること数月、亭長の妻之を患い、乃ち晨に炊ぎ蓐にて食し、食時に信往くも、為に食を具えず。信其の意を覚り、竟に絶ち去る。信は城下に釣り、諸母は漂す。一母の信の飢えたるを見て、信に飯せしめ、竟に漂すこと数十日なり。信喜び、漂母に謂いて曰く、「吾れ必ず以て母に重く報ゆる有らん」と。母怒りて曰く、「大丈夫自ら食う能わず、吾れ王孫を哀れみて食を進む。豈に報を望まんや」と。信既に貴くして、酬ゆるに千金を以てす。〔述評〕劉季、陳平は皆な其の嫂に得られず。何ぞ亭長の妻を怪しむに足らん。母の如き厚徳は、未だ数数ならざるなり。獨り怪しむ楚、漢の諸豪傑、一人も信を知る者無く、高祖すら亦た知らず。僅かに一蕭相国、亦た与に語るを以て之を奇とす。而して母は独り邂逅憔悴の中に識る。真に古今第一の具眼なるかな。淮陰の漂母祠に対有りて云う、「世間に奇男子少なからず、千古に従来此の婦人無し」と。亦た佳なり。惜しいかな祠は大いに隘陋にして、母の為に色を生ずる能わず。劉道真は少時嘗て草沢に漁し、歌嘯に善く、聞く者は留連せざる莫し。一老嫗有り、其の常人に非ざるを識り、其の歌嘯を甚だ楽しみ、乃ち豚を殺して之に進む。道真は豚を食い尽くし、了に謝せず。最も常人に非ず。嫗は飽かざるを見て、又た一豚を進む。食うこと半ばにして去る。後に吏部郎と為るや、嫗の児は時に小令史たり。道真は超えて之を用う。其の故を知らず、母に問うに、母之を言う。此の母も亦た何ぞ漂母に愧じん。而して道真の胸次は淮陰に勝ること数倍なり。
現代語訳
韓信がまだ庶民だったころ、貧しく品行もなく、よく人の家に寄食したので、人々は多く彼を嫌った。あるとき南昌の亭長のもとで数か月食べたが、亭長の妻がそれを迷惑がり、朝のうちに炊いて寝床で食べてしまい、食事の時に信が行っても、食事を用意しなかった。信はその意を悟り、とうとう縁を絶って去った。信は城の下で釣りをしており、近くで老女たちが布をさらしていた。その中の一人の母が、信が飢えているのを見て食事を与え、布をさらす数十日の間、続けた。信は喜び、漂母に言った。「私は必ず、あなたに重くお返しします」。母は怒って言った。「男子たる者が自分で食べることもできない。私は王孫を哀れんで食事を与えたのです。恩返しを望んだりしましょうか」。信は貴くなってから、千金で報いた。〔述評〕劉邦と陳平は、どちらも兄嫁に好かれなかった。亭長の妻を怪しむまでもない。漂母のような厚徳は、そうそうあるものではない。ただ不思議なのは、楚漢の諸豪傑の中で信を知る者は一人もおらず、高祖でさえ知らなかったことである。わずかに蕭相国が、話してみて彼を非凡と見ただけである。ところが漂母は偶然の出会い、憔悴した姿の中に見抜いた。まことに古今第一の目利きである。淮陰の漂母祠に対句があり、「世間に奇男子は少なくないが、千古にこのような婦人はいない」とある。これも見事である。惜しいことに祠は狭く粗末で、母に光彩を添えるに足らない。劉道真は若いころ、沼沢で魚を捕っており、歌や口笛が上手で、聞く者は皆足を止めた。一人の老婆が彼を並の人でないと見抜き、その歌と口笛をたいへん楽しみ、豚を殺して彼に差し出した。道真は豚を食べ尽くし、礼も言わなかった。まことに並の人ではない。老婆は満腹でないと見て、さらにもう一頭を出した。半分を食べて去った。のちに道真が吏部郎となったとき、老婆の子は小役人であった。道真は抜擢して用いた。その子は理由を知らず、母に尋ね、母が話した。この母もまた漂母に恥じないが、道真の度量は韓信の数倍である。
解説
この章句が説くこと
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『政談』諸役人器量の選別なる事諸役に各々その掌りありて、人の器量もその役儀に随ひて撰ひ別なるへし、老中なとは政務の本締なれは国政の全体に通達し、依怙贔負なく人の善きを育てゝをとなしき人にあらすんはその職に叶ひかたし、其の中に老中は遠大の智恵あらは瑣細なる働なくとも然るへし、若老中は仮令遠大成る智恵のかたは少くとも才智の筋を専らにすへし、両役ともに人を知り人を見出すことを職分の第一となすへし、右に云たる如くにつかさどりのすずを分けは、その筋々に随ひて器量の撰ひ人別なるへし、
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『政談』諸役人器量の選別なる事御目付は殿中御史の職なり、非法をたゝすを当職とす、法式になれすしては叶はさることなり、当時は御老中若老中のつかひものゝやうになりたるは、若老中に下つかさなき故なり、寺社奉行は寺社のをさめを第一とし、出家社家等に不法なきやうに下知すること当職なるへし、左れは寺社の古実も達せすんはあるへからす、地方は算勘の職別の仔細なし、町奉行は町の治を第一とし、町方に悪人多く出て町中治まらすんは町奉行の越度たるへし、寺社奉行も地方奉行も町奉行も当時は公事を捌くことを重とする故、治めのかたをは誰心付く人なし、治め悪しきときはたれも悪事も上たことなく、公事のことは別に公事奉行を立てゝ法律に通達したる人を用ゆへし、斯の如く御役の筋皆各別にて器量の筋も変り有ることなるに、当時は御老中若老中寺社奉行の外は、皆大方は目付より立身することなる故、何れの役も目付の風なり、又勲階と云ふ事のなき故立身の筋大方極まりて、一役を十年も二十年も一代に勤むるやうにすること成りかたし、役々の器量を相応に撰む筋失行たり、
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